wallpaper:814
「うわっすげぇ…」
nextpage
wallpaper:814
nextpage
思わず声が漏れた。
二十万円ほどの金が、目にとびこんできたからだ。
大学からの帰り道、歩道脇の植え込みに黒い長財布が落ちているのを見つけた。
おもむろに手に取り、中を確認する。
使い込まれたその財布は、角擦れや色褪せがあるものの、上質な革を使っていることが見てとれた。
wallpaper:814
nextpage
このまま持ち去ってしまおうか…
俺のような貧乏学生にとって、二十万など夢のような大金だ。
旨い飯を食い、旨い酒を飲み、賭事にも興じてみようか。
wallpaper:814
nextpage
…いや、止めておこう。
一時の誘惑に負け、人生をも棒にふるつもりか。
俺は財布を握り、近くの交番へと向かった。
wallpaper:814
nextpage
「すいません」
「はいはい、どうしました?」
奥の部屋から警官が一人出てきた。
「あの、向こうの通りで財布を拾ったんです」
「ゴホッ…ゴホッ…そう、じゃあそこの椅子に掛けて。書類書いてもらわなきゃいけないから」
マスクをした警官は、時折咳をしながら俺を席へと誘導した。
wallpaper:814
nextpage
「ここに君の住所、氏名、生年月日、連絡先書いて」
「はい」
警官は俺の正面に座り、文字で埋められていく書類をじっと見つめた。
wallpaper:814
nextpage
「君、学生?」
「はい、T大学の三年です」
「ゴホッ…ああ、あそこの学生さんか。学生証も見せて」
「はい」
学生証を手渡す。
「僕も、T大の出なんだよ」
「えっそうなんですか?」
wallpaper:814
nextpage
先程までの気だるそうな声色が幾分明るくなった。
マスクで顔半分を覆っているものの、細い目はますます細くなり、まるで三日月のようだ。
nextpage
「学生さん、住まいは隣町なんだね」
「はい、大学の近くだと家賃が高くて…貧乏学生なもんで(笑)」
「ゴホッ…僕も学生時代は金が無かったから、叔父の古い家に下宿させてもらってたよ」
「へぇ、俺のアパートもおんぼろですよ。昨日から玄関の鍵が掛からなくなっちゃって(笑)」
nextpage
「おいおい、それは危ないな。泥棒に入られたらどうする」
「いやー盗られる物も無いんで(笑)」
「そういう問題じゃない。どんな輩がいるか分からないんだ。早く直しなさい」
wallpaper:814
nextpage
チャイムが鳴った。
夕方の五時だ。
wallpaper:814
nextpage
交番を出ると、冷たい空気が頬を撫でた。
「気をつけて帰れよ」
警官が俺の背中に声をかける。
まるで自分の息子を見送るかのようだ。
離れてくらす父親を思い出す。
目尻の皺、年季の入った手。
wallpaper:814
nextpage
盗人にならなくて良かった…
財布を届けた自分を、少し誇らしく思えた。
次の日、友人達に自慢したのは言うまでもない。
wallpaper:814
nextpage
「なぁ、この交番お前が行った所じゃないのか?」
友人のタケが食堂のテレビを箸で差した。
規制線が張られた交番が映し出されていた。
リポーターが神妙な顔つきで中継をしている。
wallpaper:814
nextpage
『七日午後五時二十分頃、K町のK交番の給湯室で、地域課の35才の男性巡査が倒れているのを同僚が発見しました。
巡査は搬送先の病院で間もなく死亡が確認されました。
巡査の首には紐のような物で絞められた痕があり、県警は殺人事件とみて捜査を進めています。
また、巡査は制服を身につけておらず、所持していた拳銃一丁も行方がわからなくなっています。
繰り返します。
七日午後五時二十分頃━━━━』
wallpaper:814
nextpage
言葉が出なかった。
どういう事だ?
確かに俺はあの交番に財布を届けに行った。
そして、交番を出たのが五時頃だ。
夕方のチャイムが鳴ったから間違いない。
つまり、そのすぐ後に殺人が起きたのか?
交番には警官が一人しか居なかったはずだ。
wallpaper:814
nextpage
殺されのは、あの警官なのか…?
wallpaper:814
nextpage
完全に箸が止まり呆然としている俺に、タケが言った。
「…なあ、嫌な事言ってもいいか?これって、お前も危なかったってことだよな…?」
wallpaper:814
nextpage
彼の言う通りだ。
後少し交番を出る時間が遅かったら、俺も犯人に出くわしていたかも知れない。
そして、あの警官のように…
俯いて、喋らなくなった俺をタケが家に泊めてくれた。
wallpaper:814
nextpage
天井を見つめながら、俺はあることを考えていた。
wallpaper:814
nextpage
「…リョウ、起きてるか?」
タケが話しかけてきた。
「…ああ、起きてるよ」
「昼間の事…悪かったな。俺、変なこと言っちゃって…」
「…いや、いいんだ。お前の言った通りだよ。俺もヤバかったんだ。それより…」
wallpaper:814
nextpage
「それより?」
「…いや、ちょっと引っ掛かってるんだ」
「何を?」
「…お前、ニュースの内容覚えてるか?」
「ん?ああ、五時過ぎに35才の巡査が給湯室で首を絞められて殺されました。」
「そう。そうなんだけど…」
「何だよ」
wallpaper:814
nextpage
「…若すぎるんだ」
「は?」
「35才にはとても見えなかった」
nextpage
そうだ。若すぎる。
マスクをしていたとはいえ、あの目尻の皺、つやもハリも無いあの手、あの声…
35才なものか。もっと年寄りなはずだ。
「ちょっ…どういう事だよ?」
タケが飛び起きた。
wallpaper:814
nextpage
「殺されたのは、本当にあの警官なのか…?」
nextpage
俺の疑惑は膨らんでいった。
wallpaper:814
nextpage
それからしばらくの間、俺はタケの家に泊めてもらい、そこから大学に通う生活をしていた。
なんとなく、一人で居たくはなかったから。
wallpaper:814
nextpage
「おい、これ見たか?」
友人の一人が、机の上に新聞を広げた。
そこには、あの事件の記事が掲載されていた。
wallpaper:814
nextpage
【K交番で今月七日、巡査が何者かに首を絞められて殺害された事件で、
県警捜査本部は十二日、殺人などの容疑で元会社員、A容疑者(56)の逮捕状を取り、
全国に指名手配した。】
wallpaper:814
nextpage
…どくん…どくん…
心臓が音をたてる。
やめろ…
やめろ…
やめてくれ…
そんな事するな…‼
wallpaper:814
nextpage
思考とは裏腹に、俺の手は容疑者の顔写真の目から下を隠すように翳された。
wallpaper:814
nextpage
「うわぁっ‼」
wallpaper:814
nextpage
俺は尻餅をつき、まるで水を失った魚のように、口をぱくぱくさせた。
「おい、大丈夫かよリョウ」
「…こ…こいつだ…あの時の警官だ…‼」
wallpaper:814
nextpage
その男は、紛れもなくあの警官だった。
あの日俺が交番を訪ねた時、すでに巡査は殺されていたのだ。
そして制服を剥ぎ取り、自分が警官になりすましていた。
そして今、拳銃を持ち行方をくらませている。
wallpaper:814
nextpage
全身が震えた。
俺は、犯人の顔を見てしまった。
そしてあいつは…
あいつは、俺の全てを知っている…
wallpaper:814
nextpage
次の日、タケに付き添ってもらい警察に行った。
いよいよ俺は自分の家に帰れなくなり、友人達の家を泊まり歩く日が続いていた。
外に出ることも躊躇し、大学にもあまり行かなくなった。
苦労して大学まで行かせてくれた両親を思うと涙が溢れ、眠れなかった。
wallpaper:814
nextpage
犯人が捕まらないまま、日々は刻々と過ぎていった。
wallpaper:814
nextpage
人通りの多い昼間を選んで、俺は着替えを取りに、自分のアパートへ向かった。
wallpaper:814
nextpage
部屋に入ると、慣れ親しんだ匂いに少し安堵した。
何も変わっていない。
ベッド…ソファー…積み重なった本…
テーブルの上には、溜まった新聞。
wallpaper:814
nextpage
バッグに服を詰めていると、電話が鳴った。
ビクッと身を翻し、恐る恐る受話器をとる。
wallpaper:814
nextpage
「あ、リョウか?」
タケだ。
「お前かよ…びっくりさせんな」
「悪い悪い、そろそろ部屋に着く頃かと思ってさ。大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だよ。ありがとな」
「なるべく早く帰ってこい。今朝の新聞に、事件のことが載ってたんだ。犯人の目撃情報が、N町でもあるらしい。お前のアパート、N町だろ?」
「えっ…そうなのか。今朝の新聞…」
wallpaper:814
nextpage
おもむろにテーブルの上の新聞に手を伸ばした瞬間、身体中に戦慄が走った。
wallpaper:814
nextpage
どうして溜まった新聞が室内にあるんだ?
nextpage
「…あ…あ…タケ…」
「リョウ?どうした?」
「あ…あいつ…全部知ってるんだ…俺のこと…」
助けて。
助けて。
誰か。
wallpaper:814
nextpage
「知ってるよ!だから早く帰って来いって言ってんだろ!」
「そ…それだけじゃない…あいつは…」
「おい、リョウどうしたんだよ!何言ってんだよ!」
「あ…あいつは知ってるんだ…俺の…俺の家のこと…助けて‼助けて‼タケ‼」
wallpaper:814
nextpage
…ガチャッ…キィー…
wallpaper:814
nextpage
風呂場のドアが開いた。
wallpaper:814
nextpage
……ゴホッ……ゴホッ……………
wallpaper:814
nextpage
作者M