「その消極的な呪いは僕の「しん」みたいなものを僅かに、けれども確実に盗んでいったんだ。ねえ、これってそこの厨房で暮らす上品なネズミにできるような芸当じゃあないんだよ。」
タクヤがわけのわからない戯言を言っている。
まったくもって意味がわからない。
タクヤは従兄弟で大学生。
このセリフは、同じバイト先の女の子に吐いた口説きのセリフらしい。
ハルキスト気取りだ。
まったくもってくだらない。三次元の女をこんなセリフで口説いて何が面白いのか。
俺は、今、ニコ動の「まじかるマドカ」の動画を見るのに忙しいというのに。
マドカは、完璧だ。素直で可愛い。もちろんまだ処女だ。
三次元の女で、お前が一目惚れするような女は、皆が狙ってるっつうの。
きっと誰かの彼女だわ。
二次元の女は絶対に浮気などしないし、永遠に俺の嫁なのだ。
「で?結果はどうなったんだ?」
俺は画面からひと時も目が話せないし、手もキーボードから離せない。
負けじとコメントを羅列し、俺のマドカたんへの愛の深さを示さなければならないのだ。
「玉砕」
タクヤはそう言って、唇を尖らせた。
「よくわからないけど、ごめんね、って言われた。」
そう言ってタクヤはしょ気た。
「だいたいお前ごときが、女の子に告白ってだけで畏れ多いんだよ。」
アホには思い知らせてやらなければならない。
世間知らずのボンボンめ。
ニコ動の「まじかるマドカ」が終わったところで、俺は初めてタクヤと向き合った。
「そもそも俺なんて、3次元はもうどうでもいいから。俺はすでに、次のステージに入ったんだからな。」
何のことかわからないタクヤはぽかんと口を開いた。
そう、俺は次のステージに進むことができるのだ。
今日でちょうど俺は30歳。ハッピーバースデー俺。
自慢じゃないが、俺は一度も三次元の女と付き合ったことがない。
彼女いない歴=年齢。それがどうしたオウイェ。
俺はあえて、この日のために、童貞を貫いたのである。
「なんだよ、次のステージって。」
まともに話も聞かずに、傷心のタクヤの傷口に塩を塗っただけの俺に憮然とした態度で聞いてきた。
「俺、今日から、魔法使えるようになったから。」
「はあ?」
タクヤは呆れ顔になり、腹を抱えて笑い出した。
「信じてないのか?男が30まで童貞でいたら、魔法使いになるって話。」
そう、俺は今日から魔法使い。
とうとうこの日が来たのだ。
今朝起きて、俺が魔法使いになったことは立証済みだ。
朝起きて、いつものように、俺の部屋の特大マドカたんポスターに挨拶をしたのだ。
「マドカたん、おはよう!」
ちゅっ。いつものように、マドカにキッス。
「おはよう、カズくん。」
マドカが答えた。俺は耳を疑った。確かにマドカの声だ。
俺が驚いていると、マドカは言った。
「今日から、カズくんは、魔法使いだよ。今日までマドカのために頑張って、童貞を貫いたご褒美。ずっとマドカだけを愛してね。」
そう言うと、マドカはウィンクをした。
俺は涙に濡れていた。やった。とうとうこの日が来た。
俺はこの日のために、ずっと魔術を勉強してきたのだ。
夢が叶った。
「泣かないで、カズくん。マドカもカズくんとお話できるようになって嬉しい。」
マドカ、俺の嫁。
「いや、マジやめて。ウケる。男が30まで童貞でいたら魔法使いになるって、それネタじゃんw」
タクヤはまだ笑い転げている。
「タクヤ、見てろ。」
「マドカたん、起きてる?」
「なあに?カズくん。起きてるよ?」
俺はタクヤを見て、どうだと笑った。
タクヤは死ぬほど驚いている。
俺だけの嫁、完璧なマドカ。
「な、ホントだろ?俺、魔法使いになったんだ。」
「嘘だろう?何のトリックだよ。」
タクヤはまだ信じない。
「ね、マドカたん、キスしよ。」
「えー、カズくんのいとこが見てる。恥ずかしいよぉ。」
俺はこれみよがしに、マドカの等身大ポスターにキスした。
タクヤは、今、目の前で起こっていることが信じられずに、口をぱくぱくさせている。
その時、突然、部屋のドアが開いた。
「フフフ、カズヒロ。その程度で満足しているのか?」
そこには、美少年が立っていた。
「あんた誰?」
タクヤがたずねた。
「バカ兄貴、勝手に黙って人の部屋あけんな。ノックくらいしたらどうだ?」
俺は呆れてそいつに向けて抗議した。
アキヒロ、俺の兄貴だ。
タクヤが戸惑った表情で俺を見た。
そりゃ戸惑うだろ。
俺も今朝びっくりしたのだから。
俺と兄貴は奇しくも、誕生日が一緒。だから兄貴は今日で40歳を迎えた。
「お前は、アキヒロがこんな美少年であるはずがない。そう思っているだろう?」
兄貴がタクヤに向かって言った。
そうなのだ。兄貴は俺と同じく童貞。しかも40歳になるまで童貞なのだ。
「当たり前じゃないか。別人だ。」
タクヤが美少年に向かって言った。
俺も今朝兄貴だといわれても信じられなかったんだ。
しかし、兄貴でしか知りえない昔の話や、兄貴の癖、性格、嗜好、どう考えても兄貴としか思えないのだ。完璧すぎる美貌に変貌した兄貴。
「俺は童貞で40を迎えたからな。妖精になったのさ。見ろ、この美しさ。真の童貞だぞ?」
と兄貴は肩をキザにすくめた。
タクヤは完全にパニックになっている。
「俺は妖精だから、もっと高いステージにいるのだ。さあ、マドカたん、おいで。」
するとポスターの中からまどかたんがフワっと浮き出てきた。
嘘だろっ!
等身大のまどかたんは、美少年の腕にすっぽりと包まれた。
「俺のまどかたんに何をするんだ!」
俺は逆上して、兄貴に掴みかかった。
「悔しかったらお前も早く、俺のステージまで追いつくことだな。童貞を極めろ!」
そこから取っ組みあいの兄弟喧嘩が始まった。
「やめろ!カズヒロ!アキヒロと名乗る美少年!」
タクヤが止めに入ったけど、俺と兄貴の喧嘩はおさまらない。
「いてっ」
タクヤはテーブルの角で頭をぶつけた。
兄貴と俺が取っ組み合いの喧嘩をしている間に、マドカたんはタクヤに近づいた。
「マドカ、あなたのほうがいいわ。」
そう言うと、マドカたんは、タクヤに覆いかぶさった。
俺は目を疑った。等身大のマドカが、タクヤに。
ちくしょう!永遠に俺の嫁じゃなかったのかよ!このビッチめ!
俺はそこで目が覚めた。
え?まさかの夢オチ?
マドカの等身大ポスターの下でうなされているタクヤ。
「マドカたん?」
俺は恐る恐る声に出してみた。
何も返ってはこない。
ははっ。
ははははっ。
魔法使いになんて、なるわけねーじゃん。
バカみてえ。俺。
俺は本棚の魔術の本を全てゴミ箱に捨てた。
そして、ゴロリと横になると、涙がつーとこめかみを伝った。
うなされるタクヤの横には、非モテ不細工兄貴がいびきをかいて寝ている。
俺は童貞を捨てるべく、夜の街へと旅立った。
さよなら、マドカ。
作者よもつひらさか
ふざけてスミマセン。