本当にいつぶりだろう。彼氏からドライブに行こうと誘われた。ちゃんとしたデートなんて半年ぶりじゃないだろうか。
付き合って2年になる彼氏は派遣会社員だ。このご時世、いつクビになるかも分からない、不安定な職業。障害というには大袈裟だのだが、彼は対人関係がうまく結べないところがある。コミュニケーション不足というか、長年慣れ親しんだ家族や友人ならばともかく、初対面の相手や知り合ってまだ年月が浅い人とは喋らなくなる。極端に緊張してしまうらしく、世間話の1つも出来なくなるのだそうだ。これは彼からではなく、彼の母親から聞いた話だ。
「まあ・・・、ね。小学校も中学校も普通に過ごせたし、特に問題はないんだけれど。高校に入ってから急に対人関係に躓くようになって。結局、中退してそれからバイトを転々としてたの。でも、1つの職場に長くいることってないの。仕事先でトラブルとか喧嘩沙汰は起こさないんだけれど、人間関係が上手くいかないんでしょうね。半年持てばいいほうで、短いと1週間で辞めちゃったりね」
彼の実家に立ち寄った時のことだ。彼と彼の母親とリビングで談笑していたのだが、彼がトイレに行くと言って席を立った。それをいい機会と思ったのか、彼の母親が溜息交じりに教えてくれた。
彼自身、自分の性格上の問題について悩んでいるようだった。専門機関で相談したり薬を処方されたという話はちらりと聞いたが、詳しくは知らない。彼は元々、悩みごとは打ち明けず、1人で抱え込んでしまうタイプなのだ。根掘り葉掘り聞かれたり、過剰な心配をされることを嫌うので、彼から打ち明けられない限り、こちらからは聞かないよう心掛けている。
最近も何かに悩んでいるようなのは察しがついていた。電話しても出ないし、メールも返ってこない。たまに会っても上の空で、話し掛けても生返事をするだけ。悩みごとがある時の彼の傾向だ。そのため、ここ数か月はさっぱり会う頻度も減り、連絡も取らなくなっていた。このまま自然消滅になるのでは、と危惧していた矢先にドライブに行こうと誘われたので、胸を撫で下ろした。別に喧嘩をしたわけではないが、気まずいままは嫌だったから。
だが。彼から誘ってきたドライブのはずなのだが、一向に会話が盛り上がらなかった。というか会話として成立しない。彼から話し掛けてくることはないし、私から話題を振っても気乗りしないのか「ふーん」「そうなんだ」のどちらかを口にするだけで、笑いもしない。ずっと無表情のままでハンドルを握っているだけだ。正直、少し苛立っていた。つまらないし、口を開くだけ損な気がして、私も黙った。
最初は街中をドライブしていたが、景色が変わっていった。都会からは遠ざかり、鬱蒼と木々が茂る、車1台がようやく通れるような細い山道を走っていく。時刻は午後9時を少し回った頃。まさかこんな山の中にまで来るとは思わなかったので、流石に「ねえ」と口火を切った。
「どこまで行くの。ここ、山の中じゃない。暗いし、危ないよ。もう帰ろうよ」
「分かった。じゃあ、帰る前に煙草吸ってきてもいい?」
彼は車を停車させ、首だけこちらを向けてじっと私の顔を見つめた。
「外で吸ってくるけど、一緒に来る?」
「えー、いいよ私は。車で待ってるから吸ってきなよ」
「行こうよ、一緒に。すぐ済むし」
「いいってば。外寒そうだし、暗いし。1人で行ってきなよ。1本吸ったら帰ってきてよね」
「・・・・・・」
彼は手を伸ばして後部座席に置かれたボストンバックを持ち、黙って車を降りた。エンジンは掛けっ放しで出て行ったので、5分程で戻ってくるだろう。そう思い、ケータイゲームをやりながら暇を潰していたが、一向に戻ってこない。さっき、一緒に行かなかったことを拗ねているのだろうか。だが、私は煙草を吸わないし、一緒に行ったところですることがない。だから車内で待つことにしたのだけれど・・・・・・何だろう。外に出てしたい話でもあっただんだうか。
「別れ話・・・・・・とか?やだやだ、考えたくない」
被りを振ったその時だ。
ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・
頭上のほうから何やら音がした。驚いて見上げるが、特に変わったことはない。
ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・ガ・・・ガッ・・・ガ・・・ガッ・・・ガ・・・
「・・・・・・外、?」
車体に何かが擦れるような、ぶつかっているような、そんなニュアンスの音である。鳥か何かが車に悪戯しているのだろうか。それとも木の枝か何かが落ちてきたのだろうか。何にせよ、調べたほうがいいだろう。車に傷でも付いていたら居たたまれない。そう思い、外に出ようとした時だ。
ブレーキ音が聞こえたので振り返ると、白い車が停まっていた。中から中年の男が降りてきた。男はしばらくこちらを見ていたが、やがて小走りに近付いてくると、助手席側のフロントガラスをコンコンとノックしてきた。
「あんた・・・・・・こんな所で何してんだ」
男は低い声で言った。細長い青白い顔に無精髭が目立つ。顔には幾筋にも深い皺が刻まれ、鋭い眼光の持ち主だった。お世辞にもいい人には見えない。私は萎縮しながらも、簡単に事の説明をした。彼とドライブに来たこと、その彼が煙草を吸いに外に出ていることを話すと、男は眉間に皺を寄せ、しばらく考え事をしているようだった。
ガッ・・・ガッ・・・ガッ・・・ガ・・・ガッ・・・ガ・・・ガッ・・・
その間も、例の音は鳴り止まない。音の正体を気にしてしきりに頭上に視線を送っていると、男が急に眉を吊り上げた。
「あんた・・・・・・ちょっと来い」
「え、何?」
「いいから!来い!」
男は無遠慮にもドアを開けると、呆然としている私の左手を掴み、引き摺るようにして車から降ろした。乱暴に下ろされたせいで、ドアにお腹を打ち付け「痛い!」と叫んだが、男はどこ吹く風。またしても引き摺るように私を立たせると、有無を言わせぬといった具合でズンズン歩いていく。
「止めて!何するのっ、離してよ!止めて!」
必死に男の腕を払おうとするが、がっちり拘束されていてびくともしない。男は何が目的なのだろう。男は最初に「何をしているんだ」と尋ねたけれど、それはこちらの台詞でもある。こんな時間帯に、山の中に何の用事があると言うのだ。不審者か、或いは変質者か。レイプされたら、いや殺されて金目の物を奪われるかもしれない。悪い予感が次から次へと浮かんできては確信へと繋がっていく。
「止めてー!!!!!」
金切り声を上げてしゃがみ込んだ。全身がぶるぶると震え、口元が引き攣る。すると、男は私の手を離し、心配そうな声音で「大丈夫か。気分は悪くないか」と聞いてきた。恐る恐る顔を上げると、意外にも神妙そうな顔つきである。
「何か変なことされてないか。呼吸が苦しいとか、腹が痛いとか、体に不調はあるか」
男の言っている意味が分からず、ポカンとした。変なことをされていないかって、今まさにあなたが私にしようとしたのではないかと言いたかったが、それは言わないでおいた。男はじろじろと私の頭のてっぺんから足先に至るまで隈なく見ていたが、うんうんと頷いた。
「見たところ外傷はなさそうだ。あとは警察に任せよう。通報するからちょっと待っててくれ」
「は?け、警察・・・?何で・・・・・・?」
驚いてそう尋ねると、男は苦虫を噛み潰したかのような表情をした。言い辛いのか言いたくないのか、しばらくもごもごと言葉を濁していたが、やがて意を決したように言った。
「あんた・・・・・・気付いてなかったのか」
男はそう言って後方を指差した。つられる形でゆっくり振り向く。そこには彼と2人でここまで乗ってきた車が停まっている。そしてその頭上には_____彼が車の真上で枝にロープを引っ掛けて首を吊っていた。足元にはボストンバックが転がっており、どうやらそれを踏み台代わりにしたようだ。車内に響いていたあの物音は、不安定な彼の爪先が車の屋根に擦れる音だったのだ。
後日。私は警察に呼ばれ、事件のあらましを聞いた。ボストンバックからは家族に充てた遺書が見つかり、何もかもが上手くいかない、これから先、そうやって生きていけばいいのか分からなくなったと記されており、自殺だということだった。そして刑事は彼の遺留品だと言って、ビニール袋に入った1本の細いロープを見せてくれた。どうやらこちらもボストンバックの中から見つかったらしい。
「これ・・・・・・もう1人分、ってことなんでしょうね」
刑事は気まずそうにそう呟いた。
作者まめのすけ。