子供の頃から他人には見えないモノが見えていたのだと思う
他人が見ているものと同じもの
それと同じように見えているので他の人にも見えているものだと思っていた
公園の砂場に立っている女の人
4車線の間の分離帯に取り残された人
木の上に座っているおじいさん
幼稚園の門からこちらを見ている人
踏切の前で俯き立っている人
駅のホームの椅子にじっと座っている人
普通にただの人と同じに見えていたのだ
時々人に言うと
「そんな人いないよ」
と言われる事があり、いつしか自分が見ているモノと人が見ている物は違うのだと悟った
その頃から明らかに存在するはずのないモノが何となくわかるようになった
同時に自分にしか見えていないという事が怖くなった
友人達はたまに不思議なことを言うやつだ
程度にしか感じておらず疎遠にされる事はなかったのは救いだった
中には頭のおかしいヤツだとか妄想癖だとかいう者もいたが、そもそもそういった輩とは付き合いがほとんどないので気にするほどのことではなかった
ある日、おかしな子供だと思われるのを覚悟で母に言ってみた
すると母は
「今更何を言っているのか」
と鼻で笑った
とっくに知っていたし母も同じモノを見ているらしい
気は楽になったが、原型をとどめているモノはやはり見分けがつきにくかった
母に言ってみたところ
「生きている者だろうがそうでなかろうがお前の人生に関係することはないから気にするな」
と言われ
確かに と思った
それからはあまり気にしないようになった
時々見えていることに気付いて話しかけて来たりちょっかいをかけてくるモノもいたができる限り相手にしないようにして過ごしていた
成人し一人暮らしをはじめた頃、急に今まで見えていたモノが見えなくなった
原型留めていたモノはイマイチどうかわからないが
そうではない明らかな異形は全く見えなくなった
理解ある友人に話して見たところ
「大人になると見えなくなるってよく言うよな。良かったじゃないか。俺としては残念でならないがな」
と理解者はのたまった
まぁ、道端で血塗れの子供を見てしまっていたたまれない気持ちになったりせずに済むのは助かるな
などと思っていたのは数日間の事だった
「見えなくなった」だけで「居なくなった」わけではないのだ
という事に気付いてしまったのだ
その事に気付いてしまったせいで見えていた頃よりも怖くなった
ついこの間まで見えていた踏切にずっと佇んでいたあの女の人は今でも佇んでいるのだろう
でも今は見えない
今までこちらが見えていることに気付いているモノもいた
今は見えない
何かされてもわからない
そんな恐怖を感じながら生活していたが
ある日友人と買い物に出ていた時
何も無い歩道橋の階段で何かに突き落とされた
友人は前を歩いていた
落ちる瞬間、女性の声が聞こえたので振り返ったが誰もいなかった
なのに明らかに突き落とされた
とっさに手摺に掴まったため大事にはいたらなかったが
友人が近寄ってきて声をかけてくれている時
私は思い出した
この歩道橋から下を眺めている女性がいつもいた事を
何となく嫌な予感がして今までこの歩道橋を使ったことがなかった事を
そして気付いてしまった
突き落とされる瞬間
低く憎しみのこもった声で
「しね」
と聞こえたことに
寒気がした
友人に付き添ってもらいマンションへ帰ったが
震えが止まらず友人に泊まっていってもらった
次の日、友人は帰ったが私は家から出られなくなった
実家にいた頃からの癖で玄関に盛り塩、部屋には父の実家で頂いたお札を貼っているので多少安心出来た
自宅で仕事をしていた事は不幸中の幸いだった
買い物は申し訳なく思いながらも友人に頼んでいた
そうして部屋から出なくなって数週間経ったある日
母が突然来た
何やら怒った様子で
「元のように見えるようになりたいか?」
と聞かれた
見えなくなった事は言っていなかったのに何故知っているのかと思ったが少し悩んで頷いた
すると母はため息をついて
「目を閉じろ」
と言った
よくわからないが素直に従って目を閉じると
顔に何か紙のようなものがつけられた
もう目開けていいと言われたので目を開けると目の前に謎の白い紙
なんだこれ?と思い指で軽くつまむと
「なるべく触るな。今から24時間それをつけていろ」
明日今頃人を寄越すからそれまでは何があっても外すなと念を押して帰って行った
結果として、私は元通り見えるようになった
紙を貼っている間、色々なことがあったがそれはまた別の機会にでの話そうかと思います
今でも人には見えないモノが見える
でもあの見えなくなった時を思うとそれほど恐ろしくはない
作者望月 優雨
相変わらず文才のなさを発揮している私です。
少し大分脚色しましたが実際の話です。
信じる信じないは人それぞれなのでツッコミはなしで。
ホラーにそんな無粋な真似はするものではありませんからね。