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中編6
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影オニ

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「影オニしようぜ」

誰が最初に言い出したのか、もう思い出せない。

ガキ大将のカズくんだったか、足の速いシュウくんだったか、お調子者のヤッスーだったか。

太っちょのアオちゃんではなかっただろうな。

夏の夕方、並んで歩いた帰り道。皆の黒い影が、熱く焼かれたアスファルトの道路に長く伸びていた。

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僕らが向かったのは商店街の外れにある児童公園で、商店街で布団屋をやっているカズくんの家の近くだった。

公園の隅には桜の木が何本も植えられていて、そこからたくさんの蝉の鳴き声が聞こえていた。

ランドセルを置きに木の下まで来ると、その声がまるで雨みたいに頭上から降ってきた。

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はじめにルールを確認する。

今が17時だから、17時30分までオニから逃げ延びて生き残った人の勝ち。

その間公園から出たら負け。

あともうひとつ、十秒ルール。

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――さあ、やろうか。

カズくんが云った。

最初のオニを決めるため、じゃんけんをしようってことになった時、

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――入ーれて。

知らない女の子が声をかけてきた。

その子は、僕らと同い年くらいに見えた。

でも顔立ちは少しだけ大人びていて、僕はどきりとした。

肩までの髪がさらりと揺れる。

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ノースリーブの白いシャツの胸元には、小さな紺色のリボンが揺れていた。

シャツは今、夕日色に染まっている。

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細くて白い足が覗く、リボンと同じ紺色のスカートは丈が短くて、

――そんなんで走れるのか、パンツ見えちゃうぜ?

ってヤッスーがからかったけど、

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――大丈夫。ふふっ。

なんて、余裕ありげに返されたもんだから、それ以上なにも云えなくなっていた。

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――どうする?

僕らは顔を見合わせた。女の子と一緒に遊ぶなんて。

でも、その子がとってもかわいかったから。

――いいよ。

なんて、だれかが云って。

誰が云ったんだっけ。僕かもしれない。

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――じゃーんけーん、ぽん。

じゃんけんの結果、女の子がオニになった。

西日が大きく傾いて、夕焼けが公園をオレンジ一色に染め上げる。

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女の子はそれほど足が速くなかった。

でも、長く伸びた影を上手に狙ってくるものだから、僕らは思ったよりも余裕がなくて、真剣に逃げ回っていた。

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途中で走り疲れると、桜の木陰に逃げ入る。

木の影の中に入ったら影は踏めないから、ここは安全地帯だ。

でも、オニが十秒数えたら木陰から出ないといけないルールだから、女の子は僕らを休ませないよう、すぐにそばまで駆け寄ってきて数を数え始める。

――いーち、にーい、さーん、

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太っちょのアオちゃんが、すぐに息を切らし始めた。

女の子が後ろに迫る。

――つーかまえ、た。

女の子の足がアオちゃんの影を踏んだ瞬間だった。

アオちゃんが消えた。

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他の子はまだ気がついていない。

でも僕は見た。アオちゃんの姿がパッて消えるのを。

女の子の足元を見ると、アオちゃんの影だけ、そのまま地面に張り付いていた。

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女の子の足の下、アオちゃんの影がジタバタとうごめく。虫ピンに刺された虫みたいに。

女の子は少しの間足元を見つめていたが、

――グリリ

って、本当に虫を踏み潰すみたいに片足に体重をかけた。

するとアオちゃんの影はビクビクと震え、やがてあきらめたように大人しくなった。

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――はい、これでアオちゃんもオニ。さあ、皆を捕まえに行きましょう?

そう足元に囁くと、女の子は影から足を離した。

ノロノロとアオちゃんの影が動き出した。そして近くにいたヤッスーの方に伸びていく。

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――うわ、うわ、やべやべ!

ヤッスーが慌てた声を出す。

しかしその声は、影が一人歩きしてることに驚いている風ではなかった。

彼の視線の先には僕には見えないアオちゃんの姿があるかのようだ。

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ヤッスーは身をよじって自分の影を動かそうとするが、長く伸びた影は思ったようにはオニの追っ手をかわせない。

アオちゃんの影の足をなんとか避けていたヤッスーだったが、そこを女の子に踏まれてしまった。はさみうちだ。

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――ヤッスーくん、つかまーえた。

パッ

ヤッスーの姿が消える。残ったのは、女の子の足に踏まれているヤッスーの影だけ。

ヤッスーの影もはじめは暴れていたが、じきに女の子の足の下で大人しくなった。

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女の子はヤッスーの影を従えて、公園の奥の木陰にいるカズくんとシュウくんの方に向かって駆けていく。

僕の方にはアオちゃんの影が迫ってきた。

相変わらずアオちゃんの姿は僕には見えない。

でもその影の足に踏まれたらオニになる、ということだけはわかった。

それはルールだから。

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太っちょのアオちゃんの影は本人と同じように鈍いので、僕はその攻めをかわしながら、皆がいる方を眺めた。

――いーち、にーい、さーん、

十秒ルールで二人が木陰から追い出されようとしている。

二人は木陰の中を移動しながら、うまく逃げられる場所を探しているけど、女の子とヤッスーの影はそれをさせない。

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――きゅーう、じゅーう。

時間切れになってがむしゃらに木陰から飛び出した二人は、たちまちオニに影を踏まれてしまった。

二人の姿が消えた。

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女の子ははじめカズくんの影を踏んでいたが、やがてヤッスーに捕まっていたシュウくんの影に近付いていくと、

――グリリ

と丁寧にその影を踏みつけた。

影はビクリと一瞬激しく身をよじった。まるで喜んでいるかのように。

そして、くたりと動かなくなった。

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広い児童公園には僕と女の子の二人の姿しかなくなった。あとは皆の影法師だけ。

女の子がくるりと振り向く。肩までの髪がフワリと揺れる。

その目が僕のことを見つめる。最後の獲物を。

僕はその時気がついた。

女の子の足元、あの子の影はないじゃないか。

僕の影は夕陽に照らされて、こんなに長く伸びているのに。

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公園の真ん中にある時計台を見ると、時間は午後5時20分。あと10分逃げ切れば僕の勝ちだ。

もしかしたら、それでこのおかしな世界から解放されるかもしれない。

それを信じること以外、僕にはできないのだけれど。

5対1では、それでもかなり望み薄ではあるけれど。

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しかし、ここで思わぬことが起こった。

女の子が、ひとりで僕に向かってきたのだ。他の四人の影はその場に置き去りにして。

どういうつもりかはわからないが、それでも生き延びられる可能性が上がったのだ。

僕は女の子の必死に考えた。

公園から出るのはおそらく駄目だろう。最初のルールで禁止しているから。

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僕は公園の端まで走った。

その位置だと、長く伸びた影は公園に隣接する民家の塀に映って地面に落ちる部分は最小になる。

そのまま左右に移動することで、女の子に影を踏ませない作戦だ。

さすがに息が上がってきた。背中は汗でびっしょりだ。喉が乾いた。足が重い。

それでもシュウくんに次いで足の速い僕は、なんとか女の子を振り切っていた。

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残りあと5分を切ったところで、女の子の攻撃が止まった。

それどころか、僕から少し距離をとった。

僕はいぶかしく思ったが、他の四人の影のことも警戒しながら女の子の動向を見守った。

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女の子は何を思ったか、おもむろに靴を脱ぎ始めた。次いで短い靴下。

素足があらわになる。

形の良い、小ぶりな足先だった。

指も小さく、かわいらしい。

柔らかそうな足だった。

女の子は今、素足で地面を踏んでいる。

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僕の目は知らず知らず、彼女の足に釘付けになっていた。

白い足、細い足。

それは夕日に映えて、なんだかとてもなまめかしかった。

僕はごくりと喉を鳴らした。喉は乾いてカラカラだったはずなのに。

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不思議だった。

いつしか僕は、彼女に影を踏まれたいと思っていた。

彼女に、あの足に。

あの白い足に踏まれてみたい。

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あの足に影を踏まれたら、僕はどうなってしまうんだろう。

きっと皆みたいに、僕の姿も消えてしまう。

消えるのは怖いな。影になるのは厭だな。

でも、女の子に踏まれていた皆の影は、なんだか気持ちが良さそうだった。

影だから表情はわからなかったけれど、踏まれて震えるその様が、僕にそう思わせていた。

――僕も、それを感じてみたい。

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一歩、また一歩と僕は女の子に向かって歩き出していた。

女の子の顔を見る。

彼女は、口許にうっすら笑みを浮かべて。

その目に悪戯で残酷な光をたたえて。

僕を見ていた。

――ああ、なんて邪悪なんだ。

そう思った。

でも――、

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あの足に踏まれるんだな。あの白い足に。

僕も影になるんだな。

なんだか少し、楽しみになってきた。

早く影を踏んでくれないかな。

踏んで、くれないかな。

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僕と女の子、二人だけの公園で。

彼女の足が僕の影を踏むまでのわずかで永い時間、蝉の声だけが僕の耳に届いていた。

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