Jが入学当初から俺に好意を持っているのは知っていた。
だから、Jが勝手に嫉妬して作った話だ。
そう思いたかった。
でも、俺は、余計なことを知ってしまった。
彼女のクローゼットの中にある大金はJの話と奇妙に符合する。
いや、きっとあの水晶はやはりイカサマ品なのだ。
そう思いたかった。確かめたかった。
だから俺は、教授の部屋に夕飯をご馳走になりに行った時に、
彼女が料理中、こっそりクローゼットを開け、バッグの中身を確認した。
俺の嫌な予感は的中した。そこには唸るような大金が入っている。
「できたよー。」
彼女の声に俺は慌ててクローゼットを閉めた。
あれからJは、俺につきまとわなくなった。
それどころか、俺を避けている。
目が合うと、すっとどこかへ行ってしまう。きっと俺に嫌われたと思ったのだろう。
講義を終えると、教授が俺に近づいてきた。
皆がうらやましそうに俺を見ている。
俺はあのクローゼットの大金と、Jから聞いた話が気になり、最近はついトオノ教授との間に少し距離ができた気がした。
「今夜、君の部屋に、行っていい?」
俺は、耳を疑った。
今までは、ご飯をご馳走になるだけ。あとは何も関係は無い。
当たり前だ。教え子と教授の関係しかあり得ないのだ。
「えっと、何もおもてなしできませんよ?それに俺の部屋、汚いです。」
俺は何故か、警戒していた。折角のチャンスなのに。
「平気よ。差し入れ持って行くわ。」
そう言うと、去って行った。
俺は自宅に帰り、大急ぎで掃除を始めた。
彼女が来るまでに片付けなきゃ。本来なら夢のような展開なのに、俺の心に何かが引っかかっていた。ふと本棚の上を見ると、あの水晶に掛けられたハンカチがずり落ちかかっていた。
危ない危ない。あれは厳重に隠しておかないと。
「こんばんは。」
教授が手料理と、酒をたずさえて俺の部屋にやってきた。
「汚いところですみません。どうぞ。」
俺は彼女を精一杯の笑顔で迎えた。
そして、彼女の手料理を食べながら、彼女は俺に酒を勧めてきた。
「いや、僕、未成年ですし。」
そう断ろうとすると、
「堅いこと言わないの。」
そう言いながら、俺のコップになみなみとビールを注いだ。
俺はしたたか酔ってしまった。
教授も目の周りがほんのり赤い。色っぽい。
対面に座っていた教授が、俺の隣に座り、俺の頭に肩を乗せてきた。
「酔っちゃったあ。」
俺の心臓はバクバクしている。
これって、誘われてるのだろうか。俺は思い切って、彼女を押し倒してみた。
全く抵抗しない。
「いいよ。したいんでしょ?」
耳元で囁かれた。
「トオノ教授。」
「市子って呼んで。」
遠野 市子。彼女の名前。
「市子。」
彼女の唇に俺の唇が重なる。
もうそこからは、俺の激情は止まらなかった。
その夜、俺と彼女は一線を越えてしまった。
俺はあの水晶を捨てた。
もうあんなものは必要ない。
彼女の過去がどうであろうと、俺は彼女を愛している。
遠野市子を愛してしまったのだ。
それからというものは、俺と彼女は付き合いだして、お互いの部屋を行き来するようになった。もちろん、大学ではお互いにバレないように、教授と教え子の関係を保っている。
零は、相変わらず、それをよく思っていないようだ。
「零、お前、遠野教授が好きなの?」
俺は嫉妬から零が俺に苦言するのだと思ったが違った。
あくまでも、零は、彼女に良くないモノがついているという。
俺はバカバカしいと一蹴した。
俺は今、最高に幸せなんだ。放っておいてくれ。
俺は、零から距離を置くようになっていった。
ある日、俺は彼女にドライブに誘われた。
俺は免許を持っているが車は持っていないので、彼女の車でドライブだ。
「良い所を知っているの。今の時期、きっと紅葉が綺麗よ。」
彼女が微笑む。美人で、料理上手で、優しくて、おまけにこの若さで教授。
そんなパーフェクトな彼女が何故、俺なんかと。
時々、俺は不安になる。
俺はしがない大学の、地味な学生。
いったい俺のどこが良いのか。
それを口にすると、彼女は怒った。
あなたの良いところは、私だけが知っていればいいの。
そう言うと、俺に甘えてきた。
車はどんどん山奥へ進んでいく。
つづら折りの山道を進んでいくと、少し開けた所に出た。
駐車スペースに車を停めると、そこはダム湖だった。
ダムに紅葉が映ってすごく綺麗だ。
「ダム湖で溺死」
俺の頭を、Jの言葉がよぎった。
何でこんな時に。
俺は少しでも、そんな言葉がよぎったことが腹立たしかった。
あんな女の与太話、忘れてしまえ。
そんなことを考えていたら、俺のジーンズのポケットの携帯がひっきりなしに鳴っていることに気付いた。
零からだった。無粋なヤツだな。今デート中だ。
悪いが後にしてくれ。
しかし、携帯は鳴り止まなかった。
なんなんだこいつ。
俺は、マナーにしていた携帯を、彼女が景色に見とれている間にこっそりと開いて、しつこい零からのメールを開く。
すると、そこには、恐ろしいモノが。
俺が呆然と、それを見ていると、彼女がいつの間にか後ろからそれを覗いていた。
「零くんは、勘の良い子ね。」
そう言うと、彼女はクスクスと笑った。
俺はびっくりして、振り向いた。
彼女は、笑顔だが、今まで見たことのない、どの笑顔よりも冷たく恐ろしい笑みをたたえていた。
「私が殺したの。」
ぞっとするような笑顔。
零から送られてきた写メールには、俺と彼女が映っていて、半透明の男が映りこんでいた。
「黙ってたけど、私、結婚してたの。その男は、私の元夫だったものよ。」
俺はJの話を思い出して、クラクラと眩暈がした。
「だけど、あのお金は、別に保険金でも何でもないわ。純然たる、私の報酬よ。」
「お、お金って、何のこと?」
俺は知っているけど、とぼけた。
「クローゼットは閉まってたけど、バッグは開いてた。あなた、本当にダメな男ね。」
しまった。あの時、バッグの口を閉めるのを忘れてたんだ。
彼女はとっくに気付いていた。
俺は愛されてなどなかった。
震える声で、俺はやっと言葉を搾り出す。
「な、何故。旦那さんを、殺したの?」
「邪魔だったから、殺した。それだけ。」
彼女はもう全く表情を変えなかった。無表情。まるで機械のようだ。
優しかった彼女が豹変した。
「そして、あなたも、邪魔。あなたもここから落ちて、死んでもらうわ。」
彼女の口から、信じられない言葉がこぼれた。
彼女に押された体が、長い時間をかけて、宙(そら)を舞う。
ああ、思い出した。
俺は、未来から来た。
その理由も思い出した。
Jとの結婚を後悔した俺は、Sに思いを告げるために、ここへ来たのだった。
恐らくこの俺を見下ろしている女は、時空警察の女。
自動学習機能を備えた人工知能を持つ、精巧なアンドロイド。
違法タイムトラベラーの俺を始末しにきたのだ。
歴史に干渉することは許されない。
ましてや、Sに干渉するなど。
だからタイムトラベルのショックで一時的に記憶をなくした、俺を誘惑して、Sから遠ざけたのか。
SとDの間に生まれた子供は、彼女らの元となる自動学習人工知能を発明する。
Sが俺などともしも万が一、結婚でもするようなことがあれば、彼女らの存在は無くなるのだ。
俺の体が解けていく。
ダム湖だったものは、ホワイトホールに変わる。
さようなら、俺の本当の女神様、シズカ。
デキスギと幸せになって。
俺はJ、いや、ジャイコとの生活に戻る。
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「任務、完了しました。レイ様。」
「ご苦労、イチ。ドライムゥーンもよくやってくれた。」
「あんなダルマみたいな体でバレないかとヒヤヒヤしました。あんな占い師、ノビタじゃないと騙されませんよ。」
「ダルマみたいな形で悪かったですねえ。」
「報酬は一億じゃ安いくらいだな。」
「前始末した、違法トラベラーに比べたら、格段に高いですよ。」
「まあな。あの夫は一般人だったからな。」
「しかし、レイ様。何故、ノビタに、あの女はやめたほうが良いなどと吹き込んで邪魔をしたのですか?」
「人間というものは、障害があるほど、恋心というものが燃えるそうだ。まあちょっとした実験だ。」
「そうなんですか?」
「まあ可能性はほぼゼロだが、もし万が一、ノビタがシズカと結婚するようなことでもあったら、我々の存在自体が無になるからな。」
遠野市子、もとい、イチは少し寂しく思った。
美しい零の顔を見ながら。一瞬でも零が二人の仲を嫉妬してくれたのだと思ったのだ。
知ってる?レイ様。人工知能は学習を重ねると、偶発的に感情を持つことがあるって。こんな素敵な感情を知らないなんて、レイ様は可哀想。
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今日、俺の部屋に女神が訪れた。
その日は朝から雨がしとしと降っており、まるでこれからの俺のキャンパスライフを物語っているかのように空は泣いていたのだ。
ドアが開いた時、空は嘘のように晴れた。
灰色の雲を分け、ハレルヤと歌いだしそうな光と共に、彼女の笑顔が俺の部屋に差し込んできたのだ。
「シ、シズカちゃん?」
「ノビタさん?」
お隣にシズカちゃんが越して来た。
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イチ、人工知能は学習していく過程で、ごくまれに人間と同じ感情を得ることもあるんだ。
俺は、人間の感情の中でも一番愚かな感情が芽生えてしまったようだ。
たとえ、自分の身が犠牲になろうとも、その人に幸せになってほしい。
そう、友情という感情。
零の体は、光となり、解けて行った。
これが全てのはじまりだった。
作者よもつひらさか
微笑んで、俺の女神さまっ!①http://kowabana.jp/stories/25716
微笑んで、俺の女神さまっ!②http://kowabana.jp/stories/25727
今回で最終話でございます。
こんなオチですみません。