頭がガンガンする。
ここはどこだ?
朦朧とする意識を無理に叩き起こしてあたりを見回した。
背中と尻には冷たく堅い感覚。
ようやく自分が道端の電柱にもたれて足を投げ出して座っているのだと認識した。
ああ、たぶん酔っ払ってこんなところで寝てしまったのか。
それにしても、右の肩だけが温かい。
ふと右肩を見ると、人が自分の肩にしなだれかかって寝ていた。
「うわぁ。」
ヤマモトヒロシは驚いて立ち上がった。
すると、そいつはその弾みでゴロリとアスファルトに転がった。
男だ。よくよく見てみると、なんだか自分に似ている。
「もしもーし、大丈夫ですか?」
ヒロシは、その男の肩を揺すって声をかけた。
その男はピクリとも動かない。
やれやれ、こんな所で寝て。風邪でも引いたらしらないぞ。
ヒロシは自分のことも棚上げにそんなことを考えていた。
「人のことなんて、構ってられないっつうの。」
ヒロシは一人呟いた。
会社をリストラされ、女房には三行半をつきつけられ、家を追い出され途方にくれていた。
行くあてもなく、やけになって、なけなしの金で安酒を飲んでこんなところで寝てしまったのだろう。
従って、ヒロシは今、一文無しだった。ヒロシは魔がさした。
「お前が酔いつぶれてるから悪いんだぞ。」
そう言うと、ヒロシはこっそりと男のジャケットをさぐって、財布を見つけた。
「悪く思うなよ。これはお勉強料だ。」
そう言い捨てると、足早にその場を去った。
財布には意外とお金が入っていた。
「三万円かあ。しばらく食いつなげるな。」
ヒロシはホクホク顔で、財布から金を抜くと、財布を川に投げ捨てた。
その拍子に、財布の中から免許証がこぼれ落ちた。
ヒロシは何となく、その免許証を拾い上げる。
「山本 浩」
全く同性同名ではないか。こんな偶然ってあるもんだ。
ヒロシはその免許証を、自分のジャケットの内ポケットに入れた。
ヒロシは運転免許を持っていなかった。何かに利用できるかもと思ったのだ。
金を借りて、借金をこのヤマモトヒロシに押し付けるってのもいいな。
いや、そんなことをすればすぐに足が付くだろう。
ヒロシは定食屋で、トンカツ定食を頬張りながら、しげしげと免許証を見る。
見れば見るほど自分に似てる。
世の中には、似てる人が三人は居ると言うが、本当だな。
ヒロシは、食べ終えると、勘定を払い、思い至って、その免許証の住所を訪ねた。
どうせあんなにベロンベロンで意識が無かったのだから、顔バレはしていないだろう。
同性同名の山本浩の家は小ぢんまりとしてはいるが、なかなかシャレた良い家だった。
玄関から庭へは簡単に入ることができた。
どうやら、家人は留守らしい。ダメ元で、庭に面した掃き出しのサッシ窓に手をかけると、すっと窓が開いた。
無用心だな。ヒロシはドキドキしながらも、家の中を漁った。
足音を忍ばせ、家中をくまなく探索したが、誰も居ない。
これはチャンスだ。ヒロシは金目の物がありそうなところを家捜しし始めた。
「何やってんの?」
後ろから声をかけられ、心臓が飛び跳ねた。
慌てて逃げようとするヒロシに女はたずねた。
「昨日は帰ってこなかったけど、どこほっつき歩いてたのよ!」
腰に手を当てて、女はヒロシを睨みつけた。
どうやら女は、自分の夫「山本 浩」と勘違いしているらしい。
いくら似てるからってわかりそうなもんだろう。
「ああ、すまん。飲みすぎて。公園のベンチで寝てたわ。」
ヒロシは取り繕ってみた。
「まったくもう!部長さんから電話があったわよ!ちゃんと連絡して!会社、どうするの?」
「あ、ああ。今日は、気分が悪いから。休むわ。」
「しょうがない人ね。ほら、部長さんの電話番号!」
そうメモを渡されて、仕方なくヒロシは体調不良で会社を休むと連絡を入れた。
「明日はちゃんと会社、行きなさいよ!」
そう言うと、その女は洗濯物を抱えて行ってしまった。
今だ!逃げなければ。そう思い、侵入した窓から外に出ようとしたとたんに、洗濯物を干していた女に捕まった。
「どこ行くのよ!会社サボってるのに、出歩かないでちょうだい!寝室で寝てなさいよ!」
そう一喝され、二階の寝室に戻されてしまった。
まいったな。靴は諦めよう。「山本 浩」の靴を履いて逃げるか。
ああ、でも玄関から逃げるにしても、あの洗濯物を干している女から丸見えだな。
しかし、あの「山本 浩」の女房と思われる女も、鈍いのかな。
普通は、自分の亭主じゃないことくらい気付くだろうに。
それにしても、「山本 浩」は帰っていないのだろうか。
そんなことを考えていたら、逃げるタイミングを失ってしまい、女から昼飯を食べるように促された。
何とも不思議な気持ちだった。
見知らぬ山本浩の妻と、食卓を挟んで飯を食う。
食卓には、おいしそうな焼き魚と卵焼き、ホウレンソウのおひたしと、味噌汁が並んでいた。
昼のワイドショーではニュースが流れていた。
「〇〇県〇〇市の路上で身元不明の遺体が発見されました。」
ヒロシは思わず、目が釘付けになった。それは、間違いなく、自分が昨日寝ていた路上だったからだ。
死んでたのか、山本 浩。
これはまずいことになった。
身元がわかる物は、今、自分のジャケットの内ポケットに入っている。
しかし、ヒロシは考えた。このまま、「山本 浩」で暮らせないだろうか。
どうせ天涯孤独の身。親もいなければ、子もいない。唯一の家族の妻からは離婚され、家も取り上げられて、行くあてもないのだ。
でも、いずれあの死体の身元は割れる。
しばらく、この女を騙して、山本 浩として暮らせるのではないか。
その次の日、ヒロシは会社に送り出された。
いってらっしゃいと「山本 浩」の妻は見送った。
これは、会社の人間も騙せるのではないか。
何食わぬ顔で出勤したヒロシを誰も「山本浩」と認識して疑わなかった。
ヒロシは内心おかしくてたまらなかった。
このまま山本浩として暮らせるのではないかとすら思った。
しかし、ヒロシは、その会社で違和感を感じた。
自分に似た人間があまりに多い。
名札を見た。
「山本 弘」
字は違うが、ヤマモトヒロシ。
もう一人、営業から帰ってきた自分に似た男も「山本 寛」
なんなんだ、これ。
ヤマモトヒロシだらけじゃないか。
どういうことなんだ。
ヒロシは家に帰ると、山本浩の妻が玄関まで迎えて、カバンを受け取った。
なかなか出来た妻だ。
夕飯時に、ヒロシは、何気なく妻に話した。
「なんか、俺の会社、ヤマモトヒロシだらけなんだよね。」
そう口にすると、妻はぽかんとした顔になり、箸を置いた。
「ねえ、アンタ誰なの?」
まずい。今更にバレた?
ヒロシが青くなっていると、妻は溜息をついて言った。
「まあ、どのヤマモトヒロシでもいいけどね。」
どのヤマモトヒロシでもいい?なんだそれ。
妻の携帯が鳴った。
妻は立ち上がり、メールを確認する。
件名は「リコールのお知らせ」
「当社の製品をご利用いただき、ありがとうございます。
当社の製品、『ヤマモトヒロシ』に重大な欠陥が見つかりましたので、お知らせいたします。
『ヤマモトヒロシ』は経年劣化すると、自身を人間と認識してしまう欠陥が見つかりました。
無料点検、調整いたします。恐れ入りますが、お近くの販売店までお持ちいただくようお願いいたします。」
「使えないわね。」
ヒロシに向かって、妻は吐き捨て、ヒロシの背後に回ると、首の後ろのリセットボタンを押した。
「次のニュースです。昨夜〇〇県〇〇市路上で発見された身元不明の遺体は、量産型『ヤマモトヒロシ』と判明しました。」
「ほんとうに、人騒がせですねえ。」
テレビから、MCと女子アナウンサーの笑い声が流れた。
翌日、妻は、「ヤマモトヒロシ」を車椅子に乗せて、ディーラーの到着を待っていた。
そこに、お隣の奥様、シズカさんが通りかかった。
「あら、どうしたんですか?その『ヤマモトヒロシ』。」
「ええ、リコールのメールが来てね。今日、ディーラーにリコールで引渡しなんですよ。うちは、車がないんで持ち込めないから。」
「大変ですね。」
「ええ、なんかうちの『ヤマモトヒロシ』が帰ってこないと思ったら、別の『ヤマモトヒロシ』が帰ってきちゃって。
途中から気付いてたんですけど、量産型だから、まあいいかと思って。やっぱり量産型はダメね。
本当、お宅は『キムラタクヤ』で羨ましいですわ。うちも、ちょっとお高くても『キムラタクヤ』にすればよかったわ。」
nextpage
【怖話】http://kowabana.jp/stories/26046 よもつひらさか著
作者よもつひらさか