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9月に入ったばかりのある日の早朝、俺たちを乗せた全日空機は羽田から鹿児島に向けて飛び立った。
安定飛行に入りシートベルト着用サインも消えたので、用心の為トイレに立つ。何かあって不時着やむ無しって時にウ○チ我慢するのだけは御免だからな。
席に戻ると、先生が一人黙々と指先で500円硬貨を回していた。
あり得ない速度だ。
「先生、やっぱ天才だわ……」
「音楽家と一緒すよ。1日サボると3日分錆びるんです」
回転させながら小指側から親指側へ。両手が一瞬交差したと思ったらコインはもう右手から左手へ。
「冗談抜きですぐにでもピアニストになれんじゃね?」
「ピアニストはさすがに、でも、スリの世界大会なんてのがあったら結構自信あります(笑)」
「凄いですね。もしかして有名なマジシャンですか?」
通路挟んだ隣の席から、若い、営業マン風の男が話し掛けてきた。
「新宿のホストクラブじゃかなり有名みたいです」
俺が答えると背後で先生が笑う。
(あと何年かで、日本で先生知らない人間なんていなくなりますよ)言いたくてウズウズしている自分がいた。だが、それを口にすると先生は必ず苦言を漏らす筈だ。
「恥ずかしいからやめて下さい。手品師なんて詐欺師みたいなもの。人を騙して金を取る。それに、この世にマジシャンがいなくなったからって誰も困りゃしません」
「で、先生、モノホンの霊能者、見付かりそうか?」
「え?ああ、電話したって言いましたっけ。実はあれ、嘘です」
「はあ!?」意味が分からない。
「何となく、親父に頼るの嫌で……その前に自分でやってみたいんすよ。自分なりのやり方で彼女とコンタクトを取ってみたい。霊能者はそれからでもいいかな、と」
「……それって、まずくね?憑かれたらどうすんだよ」
「その時は、先輩、よろしくお願いします。万が一、意識不明にでもなったら救急車呼んで下さい。親父に電話もお願いします」
「無理むりむり!!絶対無理!!先生、俺は花手向けるだけだってっから、のこのこ付いて来たんだぞ?一体、何をするつもりだ!?」
「何もしてあげられないけど、話を聞いてあげるくらいなら出来るかも知れない。今はそれしか考えてません」
「話を聞く?どうやって?イタコにでもなるつもりか!?」
「イタコって(笑)……視線はキャッチ出来る。その視線から感情はある程度把握出来ます。でも、自殺の原因まではとても……意思の疎通を図るには、彼女の意識を僕の意識内に呼び込む必要がある……」
糞真面目な顔して何言ってんだコイツ……
「ここんとこずっと、その方法を考えてたんです。で、思い付いたのが、彼女の目を、僕の中に移動させる事」
「おい、怖い事言うなあ」
「踏切の側に立ち、まずは彼女が視線を放っている場所を特定します。当然そこには彼女の目があるわけですよね?」
「…………」
「場所が判ったら、警報器、遮断機、線路、周囲の景色まで逐一頭に焼き付けます。で、目を閉じる。そして、頭の中でその踏切を再現させるんです。彼女の目も一緒に」
ゾクッとした。怖い。怖いが興味深い話だ。
「目はイメージでいいと思います。そこに目があると信じ込む事が出来れば」
「…………」
「架空の踏切に浮かぶ想像上の二つの目。もしもその目に彼女の視線を感じられたら成功。彼女はもう僕の意識内にいるって事です。僕はその目に向かって語り掛ける。『佐伯さん、会いに来たよ』と」
「こええ!!先生、それ、マジヤバいよ。怖くねえのか?あん時、青ざめてマンション飛び出してたじゃん」
「恐怖の質が違うんでしょうね。先輩にとっちゃただの幽霊でも、僕からしたらかつて同級生だった女の子。忘れてましたが、文化祭の時なんかに何度か言葉も交わしてるんです」
「う~ん……で、それいつやんの?」
「今晩」
「今晩って、夜にやんの!?」
「人通りの無い丑三つ時にしようかなと」
「アホか!!俺パス」
「先輩は、最初いつもそうやって逃げようとしますけど、いざとなったら頼りになるからなあ。安心してますよ」
「あのな、おだてても無理なもんは無理だから」
すると先生、何を思ったかバッグからカードケースを取り出すと、中からハートのエースを抜きだした。
「これにサインして乗務員の胸ポケットに忍び込ませます。無事、痴漢を免れたらお願いします。ぶっちゃけ何が起こるか見当もつかないんで、保護者がいないと不安なんすよ」
「あのね……」
鹿児島の上空は見事なまでに晴れ渡っていた。
空港を出てレンタカーを借り、俺たちがまず向かった先は知覧特攻記念会館。太平洋戦争末期に編成された特別攻撃隊、所謂カミカゼの資料が展示してある施設である。
一時間程で会館を出た俺たちは、しばらくの間、駐車場の車内にいた。
「日本人なら一度は行くべきだと思うんですよね。どう感じるかは自由なんで」
「…………」
「恋人を特攻で失ったおばあさん、近所に住んでたけど、まだ生きてるかなあ……それが、めちゃくちゃ明るいんですよ。あの人に会うのが楽しみで毎日ワクワクしてるって。だから死ぬのは全く怖くないって。あまりに年取り過ぎて私だと気付いちゃくれないかも、と若干心配はしてましたけどね」
「切ないけど、どっか羨ましい話だな……逢えるといいな」
「ですね……」
助手席のウィンドウを少し開け、目を閉じる。流れ込んで来る風が心地好い。(この海風の中、飛び立ったんだな)柄にもなく感傷的になる。ふいに、一人列車に飛び込んだ少女の、卒業写真が脳裏に浮かび上がった。不思議と怖くはない。
「考えようによっちゃ、死んだ女性徒も列車に特攻したようなもんだわな。動機は違っても怖いもんは怖い。想像しただけでチビりそうだわ」
「確かに……彼女は彼女なりの理由があって恐怖を克服したんでしょうが……」
「克服、はちょっと違うんじゃね?恐怖を感じないくらい病んでたんだろ。とてもじゃないが正気じゃ突っ込めねえよ。特攻隊と違う所は多分そこだな。彼らは恐らく最後の最後まで正気だった。そこが凄いんだよ」
それを聞いて先生が唐突に黙り込む。
「どした?先生」
「彼女が正気じゃなかったと、どうして言い切れます?下りた遮断機も、その向こうに立つ人の顔も、周囲の景色も、運転士の顔も、ハッキリ見えていたかも知れませんよ?」
「どうしてそんな事言うんだ?」
「視線から感じたんです。彼女は病んじゃいない。強い意志をもって決行したんだ。僕にはそれが判る。彼女には、死と引き換えにしても構わない程の強い願望があった。そして、裏切られた」
「…………」
「病んでいると感じてたら、僕もこんな冒険はしません。かえって怖いじゃないすか。正気だから、会話が可能だと思ったんです。理由が知りたい。彼女が最終的に求めた物が、果たして、何だったのか。先輩、約束したんだから逃げちゃ駄目ですよ」
「約束?してねえし。勝手にカード入れただけじゃん。ご丁寧にサインまでして。指紋付いてたらヤバくね?」
「大丈夫っすよ。本人に、触られたって自覚が無いんだから。それに、例え監視カメラがその瞬間をとらえてたとしてもカードは映ってない。紙コップで隠してますからね。証拠にもなりませんよ」
「確かにな(笑)。しかし先生も、真面目なのかスケベなのか、よく分からん時あるよな」
「何か、腹、空きましたね。黒豚の美味い店知ってるんで行きましょうか」
「やったね♪全部先生のおごりだかんな」
「その後、我が家に案内しますよ。今日の予定としては、取り敢えず夜中の1時までは自宅待機っすね。アルコールは禁止。明日の晩、街に繰り出しましょう」
「なあ先生、踏切に行くの明日にしねえ?」
「ダメ~」
「花置いて来るだけでいいじゃん」
「ダメ~」
「夜はこええぞ?」
「ダメ~」
まだ明るかった事もあり、この時点では、俺の恐怖心はさほどでもなかった。怖がるフリをして先生の様子を楽しむ、そんな心の余裕さえあったのだ。それに俺自体、女性徒への感情が微妙に変化していた。彼女の思いに耳を傾ける、それが彼女の為になるのなら、先生を応援してやろう。それが、今の俺には一番自然な対応なのかも知れない。そう思うようになっていたのである。
だがしかし……
「先輩、そろそろ行きますよ」
「マジで行くのかよ……」
数時間前には、先生の自宅リビングから眼下に望めていた美しい鹿児島湾が、今は、ほぼ黒く塗り潰されて、イカ釣りだろうか、そこかしこに漁船の灯火がちらついているだけだ。踏切の件が無ければこれもまた情緒的で、美しい景色だと言えるのだろうが、今の俺には、闇夜にユラユラ明滅する蝋燭の灯りにしか見えない。
応援してやろうなどと息巻いていた自分はとうに消え失せ、俺は完全にへたれていた。やはりホラーは闇とセットなんだな、とつくづく思う。
「車で行くんだろ?」
「歩きです。20分くらいすかね」
「無理!!先生、それだけは無理!!車じゃないんなら俺は行かねえ」
「だって停めるとこ無いし」
「おま、鹿児島ごときが偉そうに言ってんじゃないよ。もう1時半だぜ?」
「あ~鹿児島馬鹿にした~」
「これだけは譲れねえよ。俺は車ん中から様子見とく。異変感じたらすぐ助けに行くからよ」
「仕方ないなあ……分かりました。ま、それが正解すかね。何かあったらすぐ動けるし」
「あとさあ、何かオヤツになる物ねえ?食いながら見とく。ジュースとな」
「(笑)ありますよ。お袋が焼いたクッキーがある筈です」
「ヤッター!!美しいお母様の焼いたクッキー最高!!」
「やめて下さいよ……」
「だって綺麗じゃん。さすがミス」
「桜島(苦笑)」
その踏切は、狭くはない普通の二車線道路にあった。向こう側にはセブンイレブン、手前の線路脇には○○商店街と書かれた看板が見える。
まず最初に覚えたのは何とも言えない違和感だった。自殺するのに、こんな、人通りの多い場所を選ぶだろうか?
到着してすぐに、俺はその第一印象を指摘したのだが、先生は、それこそが彼女の強い意志の表れだと言った。
違うんじゃないか?
俺には、その生徒が恐ろしく病んでいるようにしか思えなかった。嫌な予感しかしないのだ。先生のやろうとしている事は、実はとんでもない愚策なんじゃないのか?
不安が刻々と色濃くなっていく。フロントガラス越しに見えている先生に、今のところ、おかしな挙動は無い。すぐ飛び出せるようにドアノブに掛けた手がいつの間にか汗ばんでいる。そういえば、美味いに決まってる手作りクッキーを、まだ一欠片も口にしていない。
30分が経過した。
喉が異様に渇く。俺は残り少なくなったアクエリアスのペットボトルに手を伸ばした。
(え!?いない!!)その、目を離した僅かな隙に先生がフロントガラスから消えていたのだ。
(マジかよ!!)ドアを開けたと同時に飛び込んで来たのは、先生の泣き叫ぶ声だった。(何があったんだ!?)薄明かりの中うずくまる先生の後ろ姿が見える。
「先生!!どした!?」
駆け寄った俺に気付いてさえいない様子で、先生は号泣を止めない。憑かれているのは明らかだ。パニックに陥りそうになるのを懸命に堪えながら、俺は脳内のオカルトデータから最善の策を見つけ出す事に集中する。恐怖を感じる暇も余裕も無かった。
一か八か先生の背中をバンバン叩いてみる。いつか見た心霊番組で霊能者がやっていた記憶があったのだ。
効果は、あった。
先生はふっと泣き止むと涙でぐちゃぐちゃの顔をゆっくりと上げた。焦点の合っていない虚ろな目が、俺の背後を見ている気がして怖くてたまらない。
「あ、先輩……自殺の原因……分かりました」
「いいから車に乗れ。話はあとだ」
「ヤバいかも……僕が踏切から解放したばっかりに」
「だから、話は後で聞くつってんだろうが!!」
「彼女、殺すかも……」
「殺す!?誰を!?」
「お兄さん、彼女の」
「なっ!?」
作者オイキタロウ