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「盛況のようだな」
「予想を遥かに超えてます。これ程とは」
H刑務所の敷地内、一般の出入りが許されているエリアに、受刑者オリジナルの作品を販売する店【昇華堂】がある。
犯罪者の殆んどが貧しくて被害者への償いもままならない。しかし自らを反省し、謝罪の思いを何とか形にしたいと望む受刑者も多かった。【昇華堂】はいわば、被害者支援事業の一環として昨年オープンした店なのである。
「人喰い佐山の、読みました?」
「あの手記は確かに面白い。しかし被害者家族はどう思うかな?金の問題じゃないだろ」
「そこはまあ複雑ですが、断わったという話は耳にしておりませんので、貰わないよりは貰った方がまだマシという事なんでしょう。どっちにせよ娘さんが戻って来るわけじゃないですし」
「けどな、どこが美味かったとか不味かったとか……調理法まで事細かく……いくら年齢制限設けたからって一旦街に出りゃ古本屋にも出回るだろうし、模倣する奴が出て来たら厄介だぞ?」
「それは、今後の課題ですね」
「室井俊雄の作品、ネットで見たよ」
「彼の作品は海外でも注目されてまして、オークションなら五百万は下らないだろう、なんて話もあります。実際、室井の絵は言い値で売れます。前回の百万だって安過ぎたと思ってます」
「連続猟奇殺人鬼の描く聖母マリアか……」
「あれは傑作でした。崇高としか言い様がない。ただ、画伯としての室井は九つある人格の一つに過ぎませんからね。滅多に姿を現さない。だから出品が極端に少ない。ま、それも高値の要因なんですけど。あの~参事、今日は室井画伯に会いに来たんでしょ?」
「画伯といっても猫なんだろ?多重人格説はそこで既に破綻してる。人格じゃないだろうが。それに、猫が何で聖母マリアを知ってる?油絵をどこで習ったんだ?」
「さあ、私に聞かれましても……確かに、猫らしいのは鳴き声と四つ足歩行くらいで絵筆持ったりしてますもんね。変な握り方ですけど」
「今日は通訳の女いるの?写真でしか知らないんだが」
「朝から室井に付きっきりです。画伯が集中し出すと空腹も感じなくなるらしくて最近は看護士の代わりですね。普段もカメラ監視しながら待機してるんですよ。ニャーと鳴けばすぐ行けるように」
「今日は何描いてるんだ?」
「さあ、チラッとカメラ覗いただけですから」
「俺に売ってくれんか?」
「無理です。あんなに注目されてたらすぐにばれますよ。大袈裟じゃなくピカソ盗むより難しいかも知れません。それに」
「それに?」
「世界に向けてオークションにかけるのもアリかなと考えています。一体いくらで落札されるのか興味もありますしね」
「…………残念だ」
「ここで少しお待ち下さい。彼女に連絡します」
「お待たせしました」
「どうも。噂には聞いてます。動物の心が読めるそうだね」
「奏(かなで)と申します」
「早速で何だが、猫が絵を描く事自体あり得ないと思うんだが、彼は猫なのか?猫の真似をしているだけなのか?」
「正真正銘の猫でございます」
「室井俊雄の人格に猫が混ざってたってか(笑)?」
「いえ、正確には猫の霊ですね」
「霊?猫が室井に憑依したって事?で、今は油絵を描いている?」
「簡単に言えば、まあ、そうです」
「馬鹿言っちゃいけない。絵をどこで習ったんだ?」
「ご存知だと思いますが、室井俊雄は中学の頃から油絵を趣味にしてました。大学では登山部に所属してますよね?美しい山々を描きたかったからでしょう。でも滑落して意識不明に。室井の魂はその時既に肉体から離れていたんです。そして、魂不在の植物人間に憑いた九つの霊の一つが猫だったという訳です。私は、最初に憑依したのが猫だと思っています」
「調べたのか?室井の過去を」
「どこをどう視ても室井本人の魂が見付からないので不思議に思いまして、いろいろと」
「君は霊能者なのか?」
「スピリチュアル・コーディネーターです」
「…………」
「話を戻します。画伯の実力は独学によるものです。絵の力量に関しては、学生だった室井との接点は全くありません。強いて言うなら油絵の道具が身近に揃ってたくらい」
「独学?猫がか?」
「刑事さん?」
「(俺は刑事じゃないんだが……ま、いいや)何?」
「猫と人間の一番の違いって何だと思います?」
「はあ?」
「ズバリ、脳です。脳ミソが猫並みなら刑事さんだって、今こうして私と会話なんて出来てないでしょ?」
「何が言いたい?」
「動物霊って基本的には人間に憑依出来ないんです。やはりレベルが違い過ぎますから。でも極まれに知能の高い動物もいて、それらは例外として人に憑く事がある。画伯がそうです。知能が高いといっても、あくまでも猫にしては、ですが」
「…………」
「室井に憑依した猫は人間の身体を手に入れた。普通の憑依とは違います。なにせ大元の魂が居ないのですから。誰にも邪魔されずに身体の隅々まで独占出来た。当然、脳も」
「じゃあ何か?人間の脳で猫の知能がアップしたと?」
「簡単な例を挙げますとお稲荷さん。狐は所詮狐。畜生でしかありません。しかしながら全国で信仰の対象になっています。私は、過去日本において、狐が人間の肉体を乗っとる、そんな事が実際にあったのではないかと考えています。その人物は特殊な能力を持ち民衆に崇拝されていた」
「どうも納得いかないな。所長はニャーしか言わない、みたいな事を言ってたが」
「室井俊雄の父親の職業ご存知ですよね?」
「ああ、最高裁の判事」
「母親は?」
「総合病院の理事長」
「俊雄の通っていた大学は?」
「…………東京大学」
「一匹の野良猫が手に入れたのは優秀過ぎる程優秀な脳でした。彼がその気になれば会話も出来る筈です。驚くべき事に彼は聖書を読破しています。別に私でなくても刑事さん、貴方が話し掛けても普通に通じるのです。ただ他人との意志疎通にはあまり関心が無いようです。人間嫌いの側面もあるみたいですし。当初は私に対しても心を固く閉ざしてました。彼は、月並みですが、自分がこの世に存在したという証を残したいのだと思います」
「…………」
「お会いになりますか?」
「お願いします」
画伯の為特別にしつらえたアトリエでは、椅子にくくりつけられた室井がキャンバスに絵筆を叩き付けていた。両足には足枷。横向きなので何を描いているのか全く見えない。
「いくつか質問してもらえるかな?」
「言葉は通じます。直接どうぞ」
「俺が?」
その時、室井が筆を止め二人に顔を向けた。「ニャー」一言そう鳴くと視線を再びキャンバスに戻す。
「…………」
「会話が耳に入っていたようです。絵が完成するまで待って欲しいと言ってます」
「……本物の猫の鳴き声だ。人間が真似てるものとばかり……驚いた」
「邪魔すると悪いので私の部屋で待ちません?」
「……え?」
「監視カメラの映像が見られるんです。どうです?」
「ああ、貴女さえ良ければ」
刀根官房参事官に霊感は無いが、警視長時代には彼独特の勘の鋭さで数多くの難問を処理したという実績がある。
その彼が怯えていた。室井の鳴き声に生命の危機さえ覚えたのだ。一瞬で全身に鳥肌が立つ、そんな経験は初めてだった。アトリエを離れる際も背を向けるのが恐くてたまらない。背後から飛び掛かって来るというイメージが彼を急襲したのだ。椅子に縛り付けられ、更に足枷で近寄れるわけないのに、である。
刀根は部屋に入るのを待ちわびたかのように奏に質問をぶつけた。
「君は平気なのか?」
「何がです?」
「室井だよ。奴は危険だ」
「そりゃあ異常者ですから。画伯以外は」
「そうじゃない。断言するが、あんたは奴に騙されてる」
「どうしてそう思うんです?」
「勘だ!!」
「画伯は白ですよ。じゃないとあんな絵は描けません。確かに生前は悲惨でしたが」
「生前?猫だった頃の話か?」
「そうです。一度だけ私に訴えてきた事があるんです。自分がどれだけ苦しんで死んだかを」
「聞かせてくれ」
「まず金づちで四肢を粉々にされました。動けないように」
「……
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それから?」
「灯油を全身に掛けられ」
「焼死か……」
「当然、猫に神の概念なんかありません。でも、地獄の苦しみの中で何かにすがった。心の底から助けを求めたんです」
「…………」
「その時おそらく、光輝く存在を見たか、感じたかしたのでしょう。人間として復活した彼は、それが何だったのかを追い求めた。聖書にたどり着いたのは必然だったのかも知れません」
「…………」
「……どうされました?」
「似てないか?」
「え?」
「いや、殺し方がさ」
「殺し方?」
「そうか、君は知らないんだ。あまりにも酷(むご)くて報道規制かけたからな」
「どういう事です?」
「被害者の両手両足は皆、鈍器で粉砕されていた」
「…………」
「その後、しばらく生かしていたと、君の説によると画伯とは別の人格がそう証言している」
「私の説ではありません。あれは分析医が」
「だが君も認めてる。多重人格を」
「…………」
「室井は、潰した手足が腐敗し蛆がわくと躊躇なく切断した。そして、医学的知識を駆使し、止血した上で延命処置を施した。精神的にとことん追い詰めたんだ。この証言は更に別の人格によるものだ」
「…………」
「それから、焼き殺したんだよ生きたまま」
「そんな……」
「やったのは間違いなく画伯だ。奴は精神異常者を装い社会復帰を企んでるんじゃないのか?」
若くて、大きな瞳が特徴の奏の顔は僅かな時間で真っ青に変色していた。ふと気配を感じたのか力無くその顔を監視カメラのモニターに向ける。それとほぼ同時だった。
「ニャー!!ニャーニャー!!ニャー!!!」
部屋中に猫の声が響き渡った。
「絵が、完成したようです……」
「行きましょう。こうなったらやけくそだ」
室井は二人を見るからに優しい笑顔で迎えた。そして首から上だけで丁寧にお辞儀をする。
(この笑顔に騙されたんだな奏さん)刀根は警戒心を更に強めた。隣で奏は今にも貧血で倒れそうだ。
「奏さん、申し訳ない。私は貴女に嘘をつきました」
二人は思わず顔を見合わせた。(ニャーじゃない!!)
「昔、猫だったというのは本当です。多重人格者の振りをしたのは自分の犯した所業だと認めたくない別の自分がいたから。しかし、全て私がした事なのです。やはり、真実は受け入れなければなりませんね」
「室井、さん……」
「死の間際、私は神を見ました。この世界には愛が溢れている事を知ったのです。あのまま、天国に旅立てたらどんなに良かったか、ふと考える事も一度や二度ではありません。しかし、私はその輝きに背を向けた。天国は自分の住み処(すみか)ではないと確信したからです。考えてもみて下さい。何もしていないのに焼き殺されたんですよ?復讐もしていないのに真の幸福を得られる訳ないじゃないですか!!そんな偽物の幸福ならこちらから願い下げです。地獄に堕ちた方がよっぽど自分らしい。私は神に言いたい。自惚れるなと。誰もがお前を必要としていると思うなと。しかし、一方では優しく包まれたい自分もいる。多重人格はまさに私そのものなのです」
「…………」
「…………」
「奏さん、人類を焼き尽くすまで止めない、復讐は始まったばかりだ!!そう主張する者も自分の中にいるのです。虐殺に無上の悦びを感じる自分も。それはもうどうしようもない。全て本当の自分だから歯止めなどきかないのです。脱走など簡単。やろうと思えば核爆弾だって作れます。それをしなかったのは、奏さん、貴女がいたから。でも、もう限界です。最近たまに、貴女を殺す夢を見ます。その時、なんと私は愉しさのあまり涙を流してさえいるのです」
「室井さん、私は、貴方を助けたい。ただ、それだけなのです」
「では、殺して下さい。貴女の手で。正気の自分がまだいる内に」
「出来ません……そんな事……」
「そうおっしゃるだろうと思ってました」
刀根と奏、二人は声も出せずに画伯の最期を見守った。
室井は両手に絵筆を握ると「ニャーゴー!!!」と雄叫びをあげ自分の両目に突き刺したのだ。
二本とも筆の殆んどが埋没していた。
室井画伯の遺作は結局売り物にはならなかった。
どれもが焼け爛(ただ)れた顔、顔、顔……被害者の死に顔を描写した物のようだった。
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作者オイキタロウ
以前、別のサイトに投下した話です。既読の方もいらっしゃると思います。