カビだらけのジャケットパッケージからはみ出した10インチのレコード盤は粗雑に棚の奥に放り込んである。
このリサイクルショップではあらゆる商品を扱っているが、一つとて適当な扱いをせず、電気機器も古着も楽器や骨董品などもメンテナンスがしっかりなされている。
勿論、CDやLPレコードなども、まあ、中古品であるので多少のパッケージ不良は有るものの、ピシッと梱包され整然と棚に並べられている。
しかし、この10インチのレコードはどうだ…
余りにもこの店には似つかわしく無い程の保存状態に私は驚きを隠しきれず、思わず店主に声をかけてしまった。
普段ならば、この店の無愛想で人当たりの悪いこの男に声などかけ無いのだが、その日は何故かどうしても聞かずにはいられなかった。
「こいつは酷い扱いだな…この店でこんな扱いをした商品を見たのは初めてだ…な?店主さん…」
店主は黙って新聞を読んでいたが、私の言葉に反応を示したのか、ほんの少しだけ新聞を下げ此方を覗いた。
ボロボロに破け、梱包もされて無いジャケットパッケージを店主に見える様にかざして尋ねる。。。
私がこの店に来始めたのは三年前…
定年退職がきっかけで特に趣味もなかった為に始めた散歩。
近所のスーパーに立ち寄り意味もなく店内を見渡し、欲しくもない飴などを買って外に出る。
一つ飴を口に放り込み、このまま、帰ったところで家内に邪険に扱われるだろう…と、街をふらついているときに見つけたのがこの店だ。
ごちゃごちゃと、でも規則正しく置かれたガラクタと言う名の宝物たちが並ぶこの店が、なんとなく気に入り出入りする様になった…
買い物をするわけでもないし、何か不必要になった物を売りに来るわけでもないが、その雰囲気が私を魅了して止まなかった。
店主も私のような冷やかしの客を煙たがるわけでもなく、また歓迎するでもなく、ごく自然な態度で迎え入れているので、全く気になら無かった。
どの商品も手入れがなされ、一つとて粗雑に扱われた物がなかったが…
「あん?そんなのウチに有ったかな?」
店主の「いらっしゃい」以外の言葉を聞いたのはこれが初めてだ…
「え?じゃ…これ商品じゃ無いの?」
首を傾げながら新聞を畳み立ち上がると、サンダルを引っ掛けながら
「あたしの店でそんな汚い扱いをしませんからね〜」
と、頭をかきながら近寄ってくる店主。
手渡すと、口ひげをぐいと左手でこすりあげそのレコードの全体を満遍なく目を細めながら眺める。
「覚えがないなぁ…あのね…多分誰かがイタズラで置いていったに違いないんですよね…なんで…すいませんけどね…こいつをオタクに売るわけには…へへ…出来ませんが…」
ニヤリとヘンテコな笑顔を私に向ける店主の顔に吹き出しそうになるのをグッとこらえ、私は「いいえ買うつもりは…」と言葉を濁し店をあとにした。
しかし、どうしたものか…
いつものように、何も買わずに店を出たが…
公園に差し掛かったあたりからなんとなくあのレコードが気になりはじめ、普段この先のベンチで一休みを取る筈が、いつの間にか今来た道を逆戻りしてリサイクルショップの前に立っていた。
申し訳ないような感覚をそんな事を気にする必要はないだろう…と諌めながら店内へ。
店主は此方に目を向け「いらっしゃい…」といつも通りの態度で迎え入れてくれた。
さっきのレコードを…と言葉にしようとしたが…店主は「売り物じゃ無いんでお代は頂きません。」
と袋に入れたレコードを無愛想に新聞を読みながら片手で差し出してきた。
此方の出方をハナから分かっていたようだ…
「どうして私がソレを欲しがってると?」
その問いには何も答えなかったが…
袋を手に取り、「どうも…」と一言礼を言って再び店をあとにする…
どんな曲が収録されているのだろう??
ジャケットにはアーティスト名も曲目すらも記載されて無く、焦げ茶色に変色した無地で何が収録されているかは分からない。
しかし、何故か胸が高鳴り、まるで青年の頃に戻ったように、
早く聴きたい!
一刻も早くうちに帰ろう!
一刻も早くコレを聴きたい!
と足早に家に帰った。
玄関を開け靴を放りだすように脱ぎ、書斎へ向かう。
家内が「あら?早いじゃないの?」
と声を掛けてきたが生返事だけを残し書斎へ入る…
ターンテーブルを使うのはなん年ぶりだろう…?
と、自分でも自分の表情に気づくほどにニヤケながらオーディオの蓋を開けた。
ツンと埃の臭いが鼻をつく…
かなり埃をかぶっているようだ。
軽くクロスで台を拭き、慌てる気持ちを抑えながら袋を開けた。
先ほどとはうって変わり丁寧に梱包がなされている…
あの店主らしいといえばらしいが、
逆にそれが鬱陶しく感じてしまう。
それほどに興奮している自分はどうかしているとしか思え無い…
何故か手が震えて、梱包を上手く解く事ができ無い。
イラつく。
イラつく。
クソ!
セロハンが剥がれない。
爪を切ったばかりの為、上手く剥がすことができない。
仕方が無く、机の引き出しを開けカッターナイフを出し、綺麗に貼られたセロハンを無造作に切り裂いた。
ようやっと、レコードを出しターンテーブルに乗せた。
オーディオのボリュームをほんの少しだけ調整してからレコードを回す。
さあ、針を落とそう…と手をかけた…その時…
shake
どうした事か…?
手が動か無い。
右手が硬直してピクリとも動かなくなってしまったのだ…
しかも、何だか頭が急に重く感じられ、目が回る…
レコードの回転が倍のスピードに見える…
耳鳴りまでし始める…
キンキンと不快な音が耳の奥で響く…
「クソ!なんだこれは!」
頭をブルブルっと振りもう一度針を落とそうと試みるが…やはりどうしても手が動かない…
耳鳴りは更に酷くなる…
更に今度はガクガクと膝がわらい、おもわずそこにヘタレこんでしまう…
どうしても立ち上がる事ができ無い。その時
プツン……
ブラウン管テレビの電源が落ちるかのように目の前が真っ黒になったのがその時の最後の記憶だった……
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sound:14
「あなた!!」
sound:14
「あなたぁ!?」
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家内の声が聞こえる
あれからどれ位たったのか?
目を開けると辺りはすっかり暗くなり、殆ど何も見え無い。
灯りを点け書斎の扉を開ける。
扉の外ではヘタレこみ涙をこぼす家内が…
家内が泣いている所を見たのはどれぐらい振りだろうか?娘の結婚式の時以来だろうか…
どうしたんだ?と声を出そうとしたが…
sound:19
music:2
どうした事か…声が出ない。
そんな馬鹿な…
何が起きている?
まさか、俺は何か病気にでもなったのか?
でも、今の今まで元気だった。
脳の病気?急性脳性麻痺?
そうだ…さっき頭が急に重く感じられて…
目も回って…
あ…
そういえば、あのレコードは?
振り返る。
その時だった。
music:3
突如、どこかで聴いたことのあるような、無いようなクラッシック音楽が大音量で耳に飛び込んできたのである。
驚いて耳を塞ぐが、その音は静まるどころか逆に更に大きくなる。
その時
shake
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耳の奥に激痛が走る…
耳から何やら生暖かい液体がこぼれる感触がしたので、怖る怖る手を見る。
血が流れている…
鼓膜が張り裂けたようだ…
な、な、なんだこれは………
鼓膜が破けても尚、音が止まない。
煩い…
ウルサイ…!
うるさい…!!
兎に角、ターンテーブルを止めよう…と、オーディオに駆け寄る。
針を上げようと覗き込んだ…
しかし針はレコードにかかっていない…
それどころか、レコード自体回ってもいない…
だが、大音量のメロディーは更にボリュームを増し私の破けた筈の挫けた鼓膜に刺激を与え続けている。
止めてくれ!
誰か!
誰でもいい!
おい!晴美!泣いてないでこの音楽を止めてくれぇ!!
私が聴きたかったのは…こんな…じゃ無い
作者ナコ