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長編9
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アカイハナ、サイタ

西川さよ子が大沼みずきに出逢ったのは、鬱陶しい長雨が降り続く6月のある日のことだった。

「初めて会った」という意味ではない。二人は同じ女子高のクラスメイトである。

たまたま行き逢ったということだ。

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しかしさよ子はその時、大いに驚いていた。

それはその場所が、学校から離れた町はずれの、一級河川にかかる鉄道橋の下の、さよ子が散歩中たまたま見つけた捨て犬の段ボールの前であったことと、

みずきが素行不良で学校でも問題児扱いされている人物であったこと、

その二つの要因があってのことだった。

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「大沼さんも……この子を?」

子犬を抱いたさよ子は、普段言葉を交わさないクラスメイトに対して、おそるおそる尋ねた。

しかし、みずきはその問いには応えず、さよ子の腕の中で震える子犬を見つめている。

「私ね、この前たまたまこの子を見つけて、でもうちだと犬飼えなくて。だからエサだけでもって思って。大沼さんも?」

みずきの無言が怖くて言葉を続けてしまう。

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「委員長……」

短い髪を校則違反の明るい茶色に染めたみずきは、さよ子のことを低い声で呼んだ。

さよ子はクラス委員をしている。

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「あたし、そいつのこと連れて帰るわ」

有無を言わせぬ口調でそう言うと、さよ子の腕から強引に子犬を奪い取ろうとした。

驚いて身を引いたさよ子だったが、手と手が触れ合った瞬間、網膜に暴力的な紅い色が飛び込んできた。

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――花?

子犬の身体に、葉のない紅い花が生えているのが視えた。

花は細い茎の先に、今にも咲きこぼれんばかりに膨らんだ、大きな紅い蕾(つぼみ)をつけていた。

――なんで?

しかし、二人の手が離れたとき、その花の姿はどこにもなかった。

雨に濡れた、くすんだ景色があるばかりである。

目の錯覚だったのだろうか。

子犬は今、みずきの腕の中で震えている。

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「大沼さん家、ペット飼えたの?」

「飼えないよ。団地だから。でも――」

みずきは子犬を抱きかかえながら片手で傘を広げると、鉄道橋の陰から雨の中に歩いていく。

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「一晩、だけなら」

その声は雨音に紛れていたが、さよ子の耳には確かにそう聞こえた。

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………

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………

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………

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家への帰り道、さよ子はみずきに対する印象を改めていた。

きっと一晩、この雨が上がるまでは家で面倒をみてやる、そう彼女は言いたかったのだろう。

見た目が怖くてとっつきづらそうでも、動物には優しい人間なのだ。

――悪い子じゃないのかも。

小さな発見に、さよ子は浮かれていた。

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だから翌日、登校したみずきを下駄箱の前で捕まえて、犬の様子を訊いた時、

「――死んだよ」

と、そっけない応えが返ってきたことで、みずきに対して勝手に抱いていた期待を裏切られたような気分になった。

「もういい?」

みずきは、ふわあ、と小さくひとつあくびをし、呆然とするさよ子をその場に残して教室へと去って行った。

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………

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………

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その日はずっと、さよ子の頭は混乱していた。

同時に気分は重く沈んで、授業がさっぱりに耳に入ってこなかった。

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昨日まで生きていた子犬が死んでしまったこと。

確かに昨日、さよ子が抱き上げた時、雨に濡れて寒さに身体を震わせていた。

体力も落ちていたかもしれないし、病気をしていたかもしれない。

しかし、昨日の今日で死んでしまうなんて……。

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家に連れて帰ったみずきは、子犬をちゃんと世話したのだろうか。

身体を温め、エサをやってくれたのだろうか。

連れて帰ったはいいが、やはり親に家に入れるなと言われ、玄関先に放置していたなんてことはないだろうか。

結果、子犬は冷たくなって――。

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いや、ろくに話を聞いてもいないのにみずきのことを疑うのはよくない。

しかし、朝、下駄箱で話したときの、みずきのそっけない表情。

仮に彼女があの時、子犬の死によって傷つき、焦燥していたなら、さよ子もみずきに対してあらぬ疑いをかけることもなかった。

まるで子犬が死ぬことなど、わかっていたかのような――。

いや、そもそも、世話をするために連れて帰ったのか――?

まさか、彼女が子犬を――。

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三限の授業は古典だった。

老女教師の授業は退屈で、クラスの半分は興味をなくしていた。

教室の後ろの席に座った藤崎麻衣子は、明らかに授業をボイコットした態度で、席の近い友人数人と甲高い声で雑談をしていた。

それに対してクラスメイトはもちろん、教師も何も言わなかった。

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麻衣子もまた、みずきと同じく問題児扱いされている生徒だった。

ただ、みずきが言わば孤独な一匹狼なのに対して、麻衣子はまるで女王蜂のように仲間を先導して集団で動く。

だから教師たちも学級崩壊のリスクを鑑み、そのうち麻衣子の行動を見てみぬふりするようになっていた。

そんな麻衣子たちの声も、今のさよ子の耳には届いていなかったのだが――。

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バン――!

不意に、教室に暴力的な音が響いた。

その音に、さよ子をはじめ、教室にいたすべての人間の目が集まった。

そこには麻衣子の机を蹴り上げたみずきの姿があった。

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教師をはじめ、クラス中が声を発せずみずきを注視していた。

面食らっていた麻衣子が、しばらくして攻撃的な表情の顔に浮かべながら、だらしない格好で席に着いたまま、みずきを見上げた。

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「なに、アンタ?急に人の机蹴って。なに立ち歩いてるんだよ。授業中なんですけどー?」

麻衣子の険のある口調にひるむこともなく、みずきは麻衣子を見下ろしている。

女子にしては背の高いみずきだ。麻衣子からすればさぞ迫力があるように見えているだろう。

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「授業中。お前ら五月蝿い。黙れよ」

「……へ、へえ?大沼って結構マジメだったんだー?いつも授業中寝てばっかいんのにねー」

麻衣子は一緒に騒いでいた友人たちを振り返り同意を求める。みずきから視線をそらしたかったのか。

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それに対して、みずきがとった行動に皆が度肝を抜かれることになる。

なんと彼女は、麻衣子の机を持ち上げたかと思うと、教室の後ろを通って窓際まで運んでしまった。

急なことに、麻衣子も椅子に腰かけたまま呆然としている。

そしてその後の仕草を見て彼女が何をしようとしているかを悟ったさよ子は、さすがにまずいと思い、みずきの肩を掴んだ。

「大沼さん!ちょっと、待っ――」

網膜に――、

暴力的な――、

紅い――、

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みずきは、さよ子の制止を振り切って、机を窓の外に放り投げた。

数瞬後、階下から机が地面にぶつかった、けたたましい音が響いた。

「なんだなんだ」という声と、窓を開ける他の教室からの物音が続いた。

「おい!誰だ!」と階下から怒鳴る男性教師の声もする。

隣のクラスの教師が慌てて飛び込んできて、状況を見るや、みずきを取り押さえた。

クラスの皆がみずきを恐れる中、当の本人は肩で息をしながらも平然とした表情をして立っていた。

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………

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………

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………

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みずきは一週間の停学になった。

再び登校してきた日は、たまたま体育祭の日であった。すっかり忘れていたのだが。

みずきにとっては学校行事などどうでもいいことなので、皆がグラウンドに集まる中、教室の自分の席でぼんやり音楽を聴いていた。

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不意に教室のドアが開き、クラス委員のさよ子が入って来たのには多少なりとも驚いた。

「どうしたの?委員長」

窓の外からは開会式の、校長の長話が流れてくる。

さよ子は真剣な表情のまま、みずきの前まで歩いてきた。

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「大沼さん。こないだからずっと、聞きたいことがあったの。

あの雨の日、子犬を連れて帰るとき、どうして『一晩だけなら』って言ったの?」

――そんなこと口にしただろうか。覚えがない。あまり意識せずに口にしたのか。

「それから、藤崎さんの机を窓の外に放り投げたの、あれはなんでなの?普段の大沼さんなら、別に気にしないでしょ?らしく、なかった」

――たしかに、あんな連中のこと、目くじらを立てることなんてしない。でもあの時は――、

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「紅い、花のせい?」

さよ子は短くそう言った。

「どうして――?」

みずきはぎくりとして問い返す。

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「子犬の時も、藤崎の時も、私には紅い花が咲いているのが視えたの。子犬には直に、藤崎さんの時は机に。

あの花、大沼さんにも視えてるんじゃない?

そして、あの花は――」

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死を呼ぶ花。

生き物から直に生えている時には、その生き物の死期が近いことを告げる。

あの子犬の花のつぼみは今にも咲きそうだった。

持って一晩。

さよ子は家に連れて帰れなかったし、あのままでは冷たく暗い鉄道橋の下で、あの子犬は最期を迎えることになってしまう。

せめて、暖かい布団の中で、誰かに見守られながらの方が、救いがあるのではないか。

逝ったのは明け方だった。それまでみずきは子犬から目を離さなかった。

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場所に生えている時は、その場所で誰かが命を落とすことを告げる。

あの日、何気なく藤崎の方を見たみずきは、彼女の机に紅い花を視た。咲きかけの紅い花を。

蛍光灯が落ちてくるのか、心臓麻痺でも起こすのか。

原因はわからないが、あのままでは藤崎麻衣子はあの机の前で死ぬ。

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特に友達というわけでもないが、分かっていて、そしてなんとかする方法があって黙っているのは寝ざめが悪い。

だから下手な芝居を打って机自体を撤去した。

おかげで停学を食らったわけだが。

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「私、大沼さんが『子犬が死んだ』ってそっけなく言ったとき、『この人あんまり悲しんでないのかな』って思ったの。でも、知ってたんだね。知っていて連れて帰ってくれたんだね。誤解してて、ごめん」

さよ子はぺこりと頭を下げた。

「私は、視えるだけ。場所に生えた花なら対処のしようもあるけど、生き物から生えていたら、手の打ちようがない。

幼いころ、初めて花を視たのは、近所に住んでいた優しくて大好きなおばちゃんだった。

ある日、おばちゃんの胸から今にも咲きそうな花が視えたの。

私は『その花なあに?その花なあに?』って聞いた。でも他の人には誰もそんなもの視えてなかった。

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それでも、私はその花をなぜか不気味に感じて、おばちゃんの胸から取ろうとした。

でも、鏡に映った虚像のように、触ることはできなかった。

翌日、おばちゃんは心不全で亡くなった――」

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ずっと見てきた。

赤い花を。

死んでいく命を。

その度に、どうしようもない無力感にさいなまれた。

ペットの子犬が死んだときも。

小学校の時、親友の女の子が事故に遭って亡くなった時も。

みずきにはただ、視えるだけだった――。

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「それで、いつからかこんな人間になっちゃったんだ。人と関わるのが苦手な、今の私に」

みずきの苦悩がさよ子の胸にしみ込んできた。

その上で、さよ子は少しだけ微笑む。

「そっか。あのね、私、聞いておきたかったんだ。大沼さんの気持ち。だって――」

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「私にも、視えるようになっちゃったんだ。紅い花」

みずきが驚いた顔でさよ子の顔を見つめる。

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子犬の時は一瞬だった。花が視えたのはあの場限りだった。

机事件の時も、みずきの身体に触った時に、花が視えた。

しかし、放課後、下校中に視てしまった。

踏切の真ん中に咲く、紅い花。

近所の老猫に咲く、紅い花。

ニュース映像に映った、飢餓に苦しむ海外の子供たちの顔に咲く、紅い花。

紅い、

紅い、紅い、紅い――

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「委員長、あんた……。私の、せいで……」

「ううん、体質みたいなのがあるんじゃないかな。

たぶん、私もこの先ずっと視えちゃうのかもしれない。だから、大沼、みずきさん、これからよろしくね」

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さよ子は手を差し出す。

みずきは立ち上がってその手をとった。

さよ子が微笑む。

「あ――」

と、ふと校庭を見たさよ子の顔が曇る。

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窓際に立つふたりの視界には、体育祭の開会式で校庭に整列する生徒たちが映っていた。

その、そこここに。

紅い、

紅い、紅い、紅い、

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一面の紅い、花畑が。

その時、柵の閉まった通用門を乗り越えて、一人の見知らぬ男が校庭に侵入していた。

Concrete
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その後の2人の話を読みたいです。

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