私が小学3年生の頃、
ミドリは転入生として、私たちの学校にやってきました。
ミドリは、お父さんと2人で引っ越してきました。
ミドリのお父さんが、私の父の友人であった事から、私達は転入前から友達でした。
ミドリのお父さんは、トラックの長距離運転手、何日か家を留守にする事が多く、
その間、ミドリは1人で留守番してる事になります。
頼める時には、同僚のお宅で預かってもらったりしていたそうですが、ミドリもお父さんもとても気を使うし、預かってくれるおうちが遠くて、学校に行けない日もあったりして、うちの父が、
『大家さんに聞いてみる』と、
私たちの住んでるお家の、離れを貸してもらえないかと相談し、大家さんはこれに快く返事してくださって、
ミドリ親子は我が家の離れに住む事となりました。
そうして、ミドリは、お父さんがお仕事で不在の日は、我が家で過ごす事になったのです。
ミドリは、日本人形のようにきちっと切りそろえた前髪、真っ黒でツヤのある綺麗な髪の毛をしていて、
物静かではありながら、とても優しい子でした。
いたずらの過ぎる妹が、
大きな声を出し、癇癪を起こし始めると、
サッと前に立ち、
妹の両肩を、優しくさすって、
『ダメだよ。そんな風にしてはダメ…。』と、
言い聞かせるように、優しくつぶやき、
にっこり笑って、頭を撫でます。
妹も、それがとても心地いいらしく、
何度かそんなことがあった後、ミドリの事を、
私以上に、お姉ちゃんお姉ちゃんと慕うようになりました。
母は分け隔てなく、ミドリにも、お手伝いを頼みましたし、
父は、山や川に、私たちを連れて遊びに行ってくれました。
ばぁちゃんは、ミドリに、
『あんたは…、小さいのに、本当に頑張り屋なんだね。』と、
いつも頭を撫でていました。
separator
私達はいつも一緒でした。
学年もクラスも一緒。
お家に帰ってからも、友達と遊ぶ時も、一緒。
私と、習字のお稽古にも通い、それ以外のお稽古で私が不在の時は、妹と遊んでくれたり、
ばあちゃんのお手伝いをしていました。
そんな彼女と私は、友人と言うよりも、
姉妹に近い感覚でした。
私にとって、彼女は、物静かで、優しい、姉のような存在でした。
ミドリも、私を、姉のように思っていたと言います。
separator
そんな彼女を、少し不思議に思うようになったのは、
梅雨が近づき、蒸し暑さが続く日がきた頃の事です。
私達は、半袖になり、肌を出し、涼しさを求め、軽い装いになっていくのに対し、
彼女は、長袖で、汗をかいていても、決して袖をまくったりはしませんでした。
体育の時間も、長袖のポロシャツを着ており、
着替える時に見ると、その下には、長袖の肌着まで来ていました。
汗をかいている事から、寒くてその姿をしているわけではない事は分かりましたが、
どうしてそんな、暑い格好をしているのか、
半袖を持っていないのかと思い、
『ねぇ、ミドリ、暑くないの?
半袖、貸そうか?私の服、使えばいいよ?』と言ったのですが、
『ありがとう、でも平気。これでいいの。』と言います。
そういえば、
ミドリはどんなに妹に誘われても、
一緒にお風呂に入る事はなく、
『お父さんに言われてるから。1番最後にいただきなさいって言われてるの。
先に入っておいで?頭、乾かしてあげるよ。』と、
上手くごまかし、促して、
私達に、肌を見せる事がない事に、ふと気付きました。
考えのない私は、
『ミドリは、恥ずかしいのかな?それで、おじさんに言われてる事を守ってるのかな。』と思ったくらいで、
さほど、その事をおかしいとも思わず、
また、しつこく聞く理由もなく、
『半袖、着たかったら、勝手に着ていいよ?』と言って、
それ以上、何も聞いたりしませんでした。
学校では、やはり私と同じく不思議に思った子がいて、
どうして体操服、長袖なの?と聞いてきたりしましたが、
先生が
『ミドリちゃんは太陽に当たりすぎると、とても肌が痛くなるから、長袖を着て防いでいるんですよ。』と説明していて、あーなんだ、そうだったのか、私、悪い事言っちゃったなと思ったりもしていました。
separator
暑くて、毎日うだる様に過ごした夏が過ぎ、
運動会の練習に、明け暮れる日がやってきました。
私達の学校では、最終種目は全校生徒で『マイムマイム』を踊るという習わしがあり、
この時は、立ち位置などは特に決まりなく、全校生徒で大きな輪を作り、
男子、女子、男子、女子…の順番で並んで手を繋ぐというものでした。
その日は、なぜか先生が熱くなっていて…、
『マイムマイムは最終、種目ッ、ですッ!
これがしっかり出来ないなら、運動会は終われませんッ!
しっかり、足を伸ばし、手をつないで、音に合わせて、
下の学年を上の学年が、ちゃんとリードして踊りなさいっ!
ちゃんと出来るまで、音楽を止めたりしませんからねッ!』と言い出しました。
私とミドリは隣同士で立っていて、
『男子?いないのかな?私達、女子女子で並んでいいのかな?』と話していると、
体育委員をしている男の子が遅れてやってきて、
『ここに入れて?』と
間に割って入りました。
体育委員全員が、遅れて位置についたのを確認すると、先生は音楽をかけ、私達は、グルグルグルグル、音に合わせて踊り出しました。
校庭を半周ほど回った時、
ピピーーーーッ!!!と、
笛の音がして、
拡声器を使っているにも関わらず、先生は無駄に大きな声で、
『5年!6年!
さっきの話、聞いてたか?!
下の者をリードしてやれって言っただろっ!
お前らだけで、躍らすぞっ!』と、
怒り始めました。
私とミドリの間にいた男の子が、先生の言葉にイライラしたのか、
足で砂を蹴り上げました。
その砂埃が、私とミドリの目に入り、おまけにミドリは風下にいてたのか、まともに砂を食らって赤い帽子が白く、埃立っていました。
私はかろうじて、涙で砂が流された様で、目に違和感はあるものの、目を開けることができましたが、
ミドリは、目を開けることができない様子で、よく見ると、顔も砂埃で白くなり、涙の筋がスッと付いていました。
砂を蹴り上げた男の子は、慌てて、
『うわっ!ごめん!
大丈夫?ごめんね?』と私達に謝り、手を挙げ、
先生を呼んでくれました。
先生の指示で、私達は、目を洗って手洗い場に行く様言われ、
私は、目を開けられないミドリの手を引き、手洗い場に向かい、
水道を開け、ミドリの手を、蛇口に近づけました。
その時…、
それは本当に、ミドリにしてみれば、
目の痛さに気を取られ…、つい…、うっかり…、
袖をまくりあげたのです。
『『あっ!』』
私とミドリが声をあげたのは、同時でしたが、
ミドリのあげた声が、私と同じ事を思ってあげた声でない事にすぐ気付きました…。
私は、
彼女が袖をあげた事で、日に焼けてしまうと思い、
とっさに、あっ!と声が出て、同時に彼女の腕を両手で押さえたのですが…、
その時、見たミドリの手首から上には、
火傷の跡が、ありました…。
それは、不意の事故でつくようなものではなく…、
明らかなる故意のものでした。
nextpage
ミドリは…、
砂を被った真っ白い顔に、涙の筋をつけたままの顔で、
口だけ、
『あっ』と言った時のままの表情で、
こちらを見ていました。
目は、砂の為、開ける事が出来ない様でした。
『ミドリ…、これ、なんなの?これ?』
私は、彼女の腕に乗せていた手を離しました。
『これ…、
これ…、誰が書いたの?』
おかあさん…
静かな、いつもの声で、
彼女はそう言いました。
私は、
『おかあさん?
ミドリのお母さん?』
そう聞き返しました。
ミドリはうなづき、
『お願い、誰にも言わないで?お願い…、します。』と言いました。
私は、驚きと、怖さと、痛々しいミドリの腕と、
彼女の絞り出す様な『お願い…、します。』という言葉に、
何も言えず、
ただ、
『目を洗って、保健室に行こう。』
それだけしか…、言えませんでした。
nextpage
その後、私達は保健室で処置をしてもらい、
先生に頼んで、体育を見学していました。
私達はずっと手を繋いで過ごし、
その日は、四時間授業で終わりだったので、
家に帰ってからも、
2人で宿題をし、家の手伝いをして過ごしました。
何も話す事はなく、ただ一緒にいました…。
当時の我が家は、五右衛門風呂でお風呂を沸かすのは、私とミドリの役目でした。
2人でマキを用意したり、芝を焚きつけている時、
ばあちゃんが妹を連れて、買い物に出かけました。
芝に火をつけ、焚きつけてる私に、ミドリがマキを後ろから手渡してきます。
しばらく、何も話さず時間が過ぎたのですが、
ミドリが、
『私の話を聞いてくれる?』と
言いました。
separator
私…、小さい時から、
いろんなものが聞こえるの…。
音だったり、声だったり、聞こえるの…。
赤ちゃんの頃から、
多分、聞こえてて、
お母さんには聞こえないから、
お母さんは怖がりで、
私がここから聞こえるとか、あっちで音がうるさいとか言うから怖がっちゃって、
『変な事、言わないで!』って、
私を叩く様になった。
お父さんが、お母さんを怒って、
私も、聞こえる事言っちゃダメなんだって思ったんだけど、
音や声がする方を見てしまうの…。
お母さんは、そんな私を見て、また怖くなっちゃって、
ここに来る前に…、
今までで1番ひどく、私をぶった日があったの。
その日、聞こえたのは、とても強い声だったから、
私も怖くて、
本当に聞こえるって、お母さんに言ったの。
そしたら、どこから?ってお母さんが怒って聞くから、
私、この壁ん中からだよって、教えた。
お母さん、私が言った壁に近寄って行って、
『何も聞こえないじゃないっ!』って言いながら、
耳、壁にくっつけたの…。
そしたら、そのまま、後ろ向きに、転んじゃって、
私、お母さんが死んじゃったのかってビックリして側に行ったら、ものすごいおっきな目して、黒目が上に向いてた。
『お母さん!お母さん!』って呼んだら、
目だけが、グッてこっち見て、
こっち見たまま、起き上がってきて…、
『あんたのせいで、こんなになった…』って、
そう言ったの。
それからお母さん、スプーンに塩乗せて、コンロのところでスプーンを焼いて、
私の腕に、
しね
って、
何回も何回もコンロでスプーン焼いては、腕に押して、焼いては押して、って、
そうやって、
これ、書いたの。
仕事が早く終わって帰ってきたお父さんが、寝てる私の腕見て、ビックリして病院に連れて行って、
私は熱も出てたから入院して、
…家に戻ったら、お母さんは、居なくなってた。
ごめんね、怖いもの、見せてごめんなさい。
でもね、お願い…、秘密にしてほしい。
誰にも言わないでほしい。
先生やおじさんやおばさん、それからおばあちゃんは、知ってるの。
言えなくて、ごめんなさい。
隠せなくて、ごめん…。
…お願い。
separator
ミドリが謝る様な事はなく、
お願いする事などもないのです。
ミドリ…、私は誰にも言ったりしない。
あなたが謝る事もない。
秘密にするよ、約束する。
そう言うと、ミドリは、ありがとう、と言いながら、
ボロボロボロボロ涙を流し、声をあげて泣きました。
私は、彼女の横で、ずっと頭を撫でていました。
nextpage
私達が中学に上がる年、
ミドリのお父さんは、本社の営業部長さんになる事になり、夜に1人でいる心配のなくなった彼女は、お父さんと一緒に、
会社の家族寮に引っ越す事になりました。
中学2年の夏には、お父さんが探してくれた病院で、
腕の火傷後を消す手術をし、
あの、ひどい傷は、消すことが出来ました。
お見舞いに行った私に、
『少し、歪なとこあるけど、すごく良くなったでしょ?』と
笑って見せてくれた彼女の声は、
以前の優しさはそのままで、とても清々しいはつらつとした声になっていました。
今でも、彼女とは、時間を合わせ、たまに食事に行ったりします。
今は、1人で息子さんを育てる、逞しいお母さんになっております。
お父さんもまだご健在で、
3世代で仲良く、田舎ぐらしを満喫している様です。
『お母さんには、あれから、会ってない…。』
1度、息子さんが生まれた時、やはり、お母さんに会いたいと、探したことがあったそうですが、
見つからなかったそうです。
『お母さん、本当に怖かったんだと思うの。
私の聞こえるものが、普通じゃない事に、
お母さんが1番恐怖してたんだと思う。
どうして、普通じゃないの?
どうして、この子なの?
どうしてって、お母さんが1番、思ってたんじゃないかなぁ。
お母さんのした事は、確かにとんでもないことだったけど、
私、思うの。
『しね』って、
私に対してじゃなくて、
『聞こえすぎる力、しね』って、言いたかったんじゃないかな?
腕に、火傷作ったのも、
ここなら、自分で消毒したり、薬塗ったりしてやれるって、思ったんじゃないかな。
まぁ、少しでも良いように取らないと、自分の母親、思い出す時、辛いってのもあるんだけどね〜。
お母さんに火傷作られてる時、私、大泣きしてたのに、
お母さんがさ、大粒の涙、ボロボロ流しながら、
『どうして?どうして?』って、そう言いながら、押してた姿、忘れられなくて…笑
彼女は、そう話しながら、左腕を服の上からさすっていました。
ミドリのお母さんは、壁に耳を当て、何を聞いたんでしょう。
『あんたのせいでこうなった…。』と、
誰に言ったんでしょう。
ちなみに、ミドリのいろいろ聞こえる耳は、
今では、全くに近いほど、私たちと同じ音しか聞こえなくなったと言います。
それでもたまに、
とんでもないところから、、、、
よく耳を澄まさなければわからないくらいの声や音が、
聞こえることがあるそうです…。
作者にゃにゃみ
私の、大切な友達、ミドリのお話です。
本人了承のもと、投稿させて貰えることとなりました。
ミドリの身に起きた出来事、
当時の私には、とてつもなく深いものを背負って見えました。
読んでいただければ、幸いです。