俺には4つ年上の姉がいる。名前は玖埜霧御影(クノギリミカゲ)といい、聞きしに勝る変人____とだけ言っておくことにしよう。
変人と一言で言い切ってしまうのも気が引けるので、そこに小匙一杯分の注釈を付け加えることとする。変人というより変わっていると言ったほうがいいのかもしれない。変人と言ってしまえば差別的な物言いに聞こえるけれど、変わった人と言えば、ニュアンス的に柔らかく聞こえはしないだろうか。少なくとも変人というよりかは。
では、どうして変わっているのかといえば____女子高生という身分にそぐわない人間嫌いと偏屈さ加減。女子高生ともなれば、外見は勿論内面だって磨くだろう?そういうことを全くしない。まあ、姉さんは美人の部類に入る顔立ちとスタイルだし、化粧とか流行りの服でがちがちに固める必要性はないのだが。ただ、内面はもう少し飾ったほうがいいのにといつも思う。
通っていつ高校での生活のことを姉さんはあまり話さないので、というより話したがらないので、こちらからも聞こうとは思わないんだけれど。たまに思い出したように話す言葉の切れ端を幾つか繋げてみると、どうやら友達と呼べる人間は1人だっていやしないことが分かった。クラス内ではいつも席に座り、ぼうっと窓の外を眺め、過ごす。それか読書。同じ年頃のクラスメートと話に華を咲かせることなどなく、たまに何か話し掛けられても基本的には無視しているそうだ。
それは教師陣にも同じらしい。授業で当てられても、頑として口を開かず、その代わりケチはつける。例えば英語の授業。教師の話す英語の発音が正しくなかったりすると、わざわざ大きな声で正しい発音を発したりする。嘘か本当か、英語担当の新人教師が、授業の度に姉さんに発音を直されるため、それを苦にして学校を辞職してしまった、なんていう噂も聞いた。怖くて事の事実を姉さんに聞いてはいないが、もしそうだったとしたら、とんでもないことだ。
かの紫式部は、自身が描いた小説「源氏物語」に源の典侍という50代の老女官を登場させている。主人公の光源氏と源の典侍との逢引きシーンがあるのだが、実は源の典侍には実在するモデルがいたという。
それは紫式部の兄嫁であり、名前は源明子。年齢も当時50半ばとされていた。当時の女性は30代で床離れすることが一般的であり、50を過ぎても光源氏と逢引きを重ねる源の典侍の姿は、非常に滑稽ではしたないと話題になったそうだ。源明子は、源氏物語が宮中で評判になるにつれ、自身もまた淫靡な老女官と噂が立てられてはと焦り、退職願いを出したらしい。この逸話も真実かどうかは定かではないが、もし本当だとしたら、紫式部という女性はなかなかにしたたかで、底意地の悪い女性だったということになる。
もしかしたら、玖埜霧御影は紫式部の生まれ変わりなのかもしれない。陰湿なやり方で人を陥れようとする姑息な手法を取るところが似ているというか・・・・・・まあ、げに女性は恐ろしきとはよく言うしな。時代が変わっても人間の持つ本質というものは変わり映えしないのだということなのだろう。
げに女性は恐ろしき。
____姉さんをはじめ、俺の周囲には怖い女が多くいる。それは気のせいとか勘違いではなく、れっきとした事実なのだった。
〇〇〇
俺が通う公立中学校には忌まわしい部活がある。その名も心霊研究部だ。名前からしてオカルトに通じる、何とも怪しげな名前の部活であるが、実は正式な部として認められていないという現状に立たされている。というのも、オカルトなどまるで信じない現実主義者な校長と教頭が、心霊研究部の発足に渋っていること、部員数も店員割れで3名しかいないことも決定打だった。一応、同好会という名義であるなら活動を続けてもいいということにはなってはいるが、心霊研究愛好会ではネーミング的に変だからと、部長である岩下が勝手に心霊研究部と呼んでいるのだった。
実はこの俺、玖埜霧欧介もまた、この忌まわしい心霊研究部の一員である。オカルトに狂った物好きの岩下に強引に誘われ、入部届も出していないうちから部員として認められてしまった。さんざん退部を申し出たが、頑として岩下は受け入れてくれなかった。
「いいか、玖埜霧。我々は来年、受験生となるのだぞ。成績も勿論重要だが、それと同じくらいに大切なのが内申書だ。生徒会役員を務めましたとか、〇〇部を3年間続けていましたとか、そういった素行での努力も受験の時に有利に動く。成績も品行も素行も申し分ない生徒であれば、素行での努力などしなくとも実力で志望校を目指せる。だが、お前はどうだ。成績も品行も素行も中の下であって、実力だけでは到底志望校には受かるまい。それに加えて3年間帰宅部でしたなんて、有利どころか不利に動く一方だ。ここは何としてでも部活に籍を置くべきだ。帰宅部よりかは多少なりとも評価して貰えるはずだぞ」
「・・・・・・俺が受験に失敗したら、お前のせいだからな」
心霊研究部に所属していました、なんて内申書に書かれてみろ。例え成績も品行も素行も良かったとしても、確実に落ちる気がしてならない。まだ帰宅部に所属していましたというほうがマシというものだ。
心霊研究部にはアホの岩下、お人好しの俺、そしてもう1人。心霊研究部きっての女生徒で、紅一点というやつだ。名前は日野祥子。岩下や俺と同じクラスに所属する子で、チョコレート菓子に目がないことと名前の祥子からもじって、ショコラと呼ばれている。全体的に猫っぽい奴で、誰とでも仲良くなれるという技を持つ。
クラスきっての不良男子とも、お堅く真面目な学級委員長の女子とも、ショコラにかかればイチコロだ。コロコロと手のひらで弄ばれてしまうが如く、従来の親友のような錯覚に陥ってしまう。話題に長けているというか、人の心に入り込む隙間を見つけるのが得意というか・・・・・・ソツのない女子なのだ、ショコラは。
「やあねえ、欧ちゃんたら。ショコラちゃんのこと買い被り過ぎだよ。私は別に、話題に長けているわけでもないし、人の心に入り込む隙間を見つけるのが得意でもない。人と話をすることが好きなだけだよ。人と話すことというか・・・・・・人の話を聞くって言ったほうが正しいのかな。ねえ、欧ちゃん。例えば、欧ちゃんが何かに悩んでいて、それを友達に相談事したとするでしょ。その返答として【分かる分かる、私もそうだよ。私も同じような体験をしてね・・・・・・】みたいに返されたことない?」
「うん、まあ、それは・・・・・・あるかな」
「あるでしょ。実はこの時点でもう、欧ちゃんの話じゃなくて友達の話になってるってわけ。人の話を聞くつもりが、自分の話題に置き換えてしまう。無意識のうちに相手の話題を奪ってしまう。そこに悪意はなく、自分としては誠意を持って話を聞いているつもりなんだろうけどね。私、そういうのが嫌いなんだ。だって手柄泥棒してるみたいなんだもん。だから人と話をする時は、あまり茶々を入れずに相槌だけ打つようにしてるんだ。そうすると、相手も安心するのか話しやすいのか、親にも言えないような相談事を私にしてきたりね」
「何だか専門めいた話のような気がしないでもないが。まあ、言われてみればそうかもな。悩みを打ち明けているつもりが、逆に相手の悩みを聞いてやる立場になってたって話だろ。ふうん、なるほど。ショコラの周囲に人が集まる理由が、少し分かったような気がする。聞く側に徹しているお前は、あんまり自分の話をしないんだな」
「自分のことでそれほど聞いてほしい話題があるわけじゃあないしねぇ。それに思い悩むような悩みとかも別にないし・・・・・・嗚呼、でも1つだけ欧ちゃんに相談したいことがあるんだった」
そう言うと、ショコラはスマホを操作し、俺に画面を見せてきた。そこには、何やら黒い表紙の薄汚い本が一冊。相当古い物なのか、紐で括って留めてあるタイプの本だった。題名や表紙絵、原作者の名前もない。一体この本が何だというのだろう。
いぶかしげな顔をする俺に、ショコラは猫のような細い目を更に細め、薄笑いを浮かべる。
「召喚術の本だよ。良くないモノを呼び寄せるための魔法陣とか、おまじないとか、そういった知識が詰まった古本なんだけれどね。ある老夫婦がの持ち物だったんだけれど。その夫婦、お互いの喉に包丁を突き立てて心中しちゃってさ。で、遺品整理した息子が見つけて、気味が悪いから古本屋に売ったんだって。古本は巡り巡って色んな人の手に渡ったんだけれど、手に入れた人が亡くなったり失踪することが頻繁に続いてさ。神社やお寺で供養することも考えたらしいんだけれど、お焚きあげしても焼けずに残っちゃうし、厳重に封印してもいつの間にか封印が破られているしで、処分できないらしいよ」
「良くないモノ?悪魔の召喚術とかならテレビで見たことあるけど・・・・・・そんな感じか?」
「悪魔は西洋の概念だけれど、この古書は東洋の物だよ。召喚術っていうくらいだし、相当やばいモノなんじゃないのかなあ・・・・・・西洋が悪魔って言うんなら、東洋は神様かしらねえ。まあ、日本は昔から神様も妖怪も幽霊もみんな一緒くたに考えていたみたいだし」
「カミサマ、ねえ。で、その本がどうしたんだ。まさかショコラ、その本が欲しいとか言い出すんじゃないだろうな」
「あはは、まさか。欲しいなんて言うわけないでしょ」
ショコラはするりと俺の腕に自分の腕を巻き付けて囁く。
「その本、もう手に入ったも同然だから」
〇〇〇
俺と違って、心霊研究部の活動に熱心なショコラは、ネットで色々な情報収集に精を出しているらしい。都市伝説の類から始まり、ひとりかくれんぼやコックリさんといった心霊ゲーム、怪奇現象が後を絶たないアパートやマンションの物件など、ありとあらゆる情報を得ているという。その数多ある情報収集の中で、特に目を付けているのが例の古書だった。
この古書はマニアの中では結構有名な本であるらしく、中には100万で買い取りたいと言い出す人もいるとか。神田の神保町にはそれこそ古書店が多くあるけれど、そこでも見つからないくらい貴重な古書であるらしかった。あまりにも入手困難なため、その古書の存在は伝説と化しつつあった今日この頃_____ある人物がネットでこう呟いたのだ。
【例の古書を所持しております。必要とあらば、お譲りすることも考えています】
ネットは騒然となった。入手困難どころか入手不可能となりつつあった古書を所持する人間が現れたのだから、無理はあるまい。半信半疑ではあったが、欲しいという人が殺到した。本当に欲しいという人もいるのだろうが、中には高い値段で他の人間に売りつけようと企む邪な考えの持ち主もいたかもしれない。そのことを見透かしてか、古書の持ち主であるというその人物は、なかなか首を縦に振らなかった。どうやら古書を手に入れたがっている人間を吟味しているらしかった。
ショコラもダメ元で、古書の持ち主にメールした。心霊研究部の活動を話し、今後の研究に役立てたいという内容の元、何件かメールを送ったところ、その人物が【面接】を申し入れてきたらしい。
「古書の持ち主と直接会って話をして、古書の新しい持ち主に相応しいと認められれば、譲ってくれるってことだったのよ。面接の場所と時間帯も聞いたんだけれど、1つ条件があって」
その条件というのが【御祓いが出来る人間、またはそういった人間の同伴を求めます】といった内容だった。
御祓いが出来る人間、またはそういった人間の同伴が必要。その条件を目にした時、ショコラは真っ先に俺の顔が浮かんだそうだ。
「欧ちゃんのお姉さん、簡単な御祓いなら出来るって話だったよね。だったらお姉さんが、もしくは欧ちゃんとお姉さんが一緒に面接を受ければいいんじゃない?受かる受からないはともかくとして、受けてみる価値はあると思うの。上手くいけば、入手不可能とまで言われた古書を譲って貰えるんだし。ね、ね、ね?我ら心霊研究部のますますの発展には欧ちゃんの頑張りが必要不可欠なのよう」
「・・・・・・あのなあ、ショコラ。お前はいつもそうやって面倒事を押し付けてくるけれど、俺の身にもなってくれよ。こんなこと言うのも何だけれど、お前からの相談事って厄介なものばっかだぞ。俺はその度に神経や命を擦り減らしていると言っても過言ではないんだからな」
「分かる分かる、私もそうだよ。私も同じような体験をしてね・・・・・・」
「・・・・・・」
今後、何か悩みごとがあっても、ショコラにだけは絶対に相談しないでおこうと思った瞬間だった。
〇〇〇
意外だったことが1つある。それは俺より遥かに面倒事を嫌う姉さんが、今回の1件をすんなりOKしてくれたことだ。てっきり断られるか、或いはよしんば引き受けてくれたとしても、嫌々ながら同行してくるのかと思ったが、そうではないらしい。
「るん、るん、るん、るん、るん、るん、るん、るん」
学校帰りに姉さんと待ち合わせをし、俺と姉さんは古書を賭けた【面接】に出向くべく、地図を頼りに歩いていた。姉さんときたら、めちゃご機嫌さんだった。普段ならカラオケに行っても歌なんて歌わないような人が、鼻歌交じりで歩いているというのだから相当なものだ。ご機嫌ついでに俺達は手なんて繋いでいるので、周囲の人から見れば学生カップルに見えているのかもしれない。俺と姉さんではかなり身長差があるので(言うまでもなく、姉さんのほうが背が高い)、もしかしたら姉弟だと気付く人もいるかもしれないが。
それにしたって、高校生と姉と中学生の弟が手を繋いで町中を歩いているというのも一種の怪談話である。かと言ってご機嫌な姉さんに「手を離して」なんて無碍なこと言えないしな・・・・・・。そんなこと言えば、姉さんが一瞬でご機嫌斜めになることを俺は知っているし、ご機嫌斜めになった姉さんがどれほど恐ろしいかもようく知っている。伊達に弟は務めていないぜ。
「どうした、欧介。元気ないね。疲れたの?じゃあ、お姉ちゃんが肩車してあげようか」
こんな台詞が素面で言えるくらい、今の姉さんはご機嫌がいい。
「いや、肩車はいいです・・・・・・」
「じゃあ、お姉ちゃんを肩車する?そうなるだろうと思って、今日はとっておきのサイドが紐の過激な____」
「ああああああ、ここだって!ここのお宅だって!うわあ、見てみて!大きな家!」
姉さんの過激な台詞を遮るように叫んだ。そこは____この田舎町に相応しくない、洒落た洋館だった。入るのが気後れしてしまいそうな重厚な門扉をくぐると、庭には大きな錦鯉が何匹も泳いでいるような立派な池。だが、実際には錦鯉は泳いでいなかった。というより、水が張られておらず、ただの巨大な穴がぽかっと口を開けているだけだ。
「あれ・・・・・・?」
その時点で多少なりとも違和感が生じたが、特に気にはしなかった。飼っている鯉が病気で全滅したとか、そういった理由があってのことかもしれないし、何らかの理由で池を埋めるために手筈を整えているのかもしれない。何にしろ、深く考えることではない。姉さんもちらりと穴を見たものの、何も言わなかった。また、大型犬でも飼っていたのか大きなゲージもあったが、中には何もいなかった。こちらも死んでしまったのかもしれない。
インターフォンを押すと、中から1人の少女が出てきた。良く言えば姫カット、悪く言えば古臭いおかっぱ頭の美少女だ。前髪もサイドの毛も、一直線に切り揃えてある。ボブとかそういう髪型ではなく、やはりおかっぱ頭だ。色白で、繊細な雰囲気の人だった。年は姉さんと同じ高校生くらいだろうか。それを象徴するかのように、制服と思しき白いブラウスに濃紺のワンピース姿だった。
「ようこそいらっしゃいました。ええと____日野さんのご友人の方でよろしいかしら?わたくしは羽柴まゆりと申します。遠路はるばるよくいらして下さいましたわね」
羽柴さんはこちらが恐縮してしまいそうな、丁寧な口調と柔らかい物腰で迎えてくれた。俺も慌てて軽く会釈し、簡単な挨拶をする。
「嗚呼・・・、どうも。玖埜霧欧介と言います。こちらは姉の御影です。その、【面接】に来たんですが・・・・・・」
「ええ、存じております。古書を貰い受けたいとのことでしたわね。まあ、ともかく上がって下さいな。そんなに緊張なさらなくとも大丈夫よ。ささ、どうぞこちらにいらして」
羽柴さんに案内されるがまま、俺達は靴を脱いで上がり込む。長い廊下を進み、甘ったるい菓子のような匂いのする広いリビングに案内された。素人目にも高級と分かる革張りのソファーに腰を下ろす。何だか落ち着かず、そわそわしていると、姉さんに横腹を肘鉄された。これが結構痛くて、体を「く」の字にして悶絶していると、羽柴さんが紅茶とケーキを運んできた。
「ありあわせの物で申し訳ないですけれど。お口汚しにどうぞ召し上がって。お2人共、アールグレイと抹茶のロールケーキはお好きかしら。うちが贔屓にしている老舗のロールケーキ、甘さが控えめでとても美味しいの。でも、もし抹茶が苦手だと仰るならプレーンも用意してあるから遠慮なく仰って。さ、どうぞどうぞ」
「嗚呼、すみません・・・・・・」
羽柴さんは紅茶とロールケーキを取り分けてくれた。こちらもまた豪奢なもので、噂に名高いウェッジウッドのティーセットだった。可愛らしいストロベリーの絵柄に息を呑みつつ(これ、1つで1万以上するんだろ?)、そっと手を伸ばす。
「ん、」
あれ。この紅茶、あんまり味がしない。確かに色は出ているけれど、味がほとんどない。こう言っては悪いが、出涸らしな感じだ。それに、ロールケーキが乗っているお皿。これにも妙な違和感を感じた。ティーカップはウェッジウッドの高級品なのに、ロールケーキが乗っているお皿は陳腐なものだ。端がところどころ欠けているし・・・・・・フォークだってプラスチックだ。
何だろう・・・・・・。さきほど、庭で見た穴。あれを見た時と同じような、違和感があった。鯉が泳いでいそうな池だと思ったら、実際には鯉などおらず、水も張られていない。ただの穴。豪奢なイメージしかないこの洋館で、垣間見られる貧乏臭さ。このちぐはぐな感じが、ざらりとした違和感を生む。隣に座る姉さんは、そんなことを気にする様子もなく、黙って紅茶を啜っている。家族以外の人間の前では、姉さんはほとんど何も喋らないことが鉄則だ。
「単刀直入に申し上げますけれど。古書を譲って頂きたいというお話で間違いはないかしら?」
向かいに腰掛ける羽柴さんが念を押すように言う。姉さんが何も言わないので、俺が肯定の意を表すと、羽柴さんはにこりと社交的な笑みを浮かべた。
「あの古書は、元々はわたくしの父が手に入れた物ですの。父は精神病院の院長を務めていて、真面目一筋の人間なのですけれど、変わった物を収集するのが好きですのよ。よく骨董品店へ出向いては、得体の知れない壺や絵画などを買い漁っておりました。どこでどう手に入れたのかは分かりませんが、あの古書を手に入れた時は興奮していましたわ。人類の宝とも言えるべく、物凄い物を手中に収めたと、わたくしや母に自慢しておりました」
「あの、すみません。貰い受けたいと言っておいて何ですが、あの古書、そんなに凄い物なんですか?」
「わたくしもそれは同じです。父が狂喜するほど喜んだあの古めかしい書物に、一体どんな魅力があるのかさっぱりですわ。今はわたくしがあの古書を所有しておりますが、所詮わたくしではあの古書の価値を見出すことが出来ません。ならばあの古書を必要とされる方にお譲りしたほうがいいのかも、と思うようになりまして。でも・・・・・・」
羽柴さんはふっと目を伏せる。しばらくの沈黙の後、羽柴さんは心苦しそうに顔を上げた。
「本来であれば、無条件でお譲りするのがいいのでしょうけれど・・・・・・わたくしが古書をお譲りする代わりにとお出しした条件がありますわよね。御祓いが出来る方、もしくは御祓いが出来る方の同伴を求めます、と。日野さんのお話では、そちらのお姉様のほうが御祓いがお出来になると仰ってましたけれど」
姉さんは何も言わず、横目で俺を見た。俺はやれやれとばかりに肩を竦め、「ええ、まあ。一応出来るとは思いますが」と答えた。羽柴さんは安心したように胸を撫で下ろした。
「良かった、本当に。実は少々、我が家では問題事がありまして。ご高名な霊能者の方にも相談しましたのよ。でも、それでも解決には至りませんでした。多額の御祓い料をお支払いしたのですけれど、なかなか・・・・・・加えて、父が失踪致しまして。稼ぎ頭の父がいないことは我が家にとっても痛手です。経営していた病院は人手に渡り、家の中の物も少しずつお金に換える日々です。かつて父がコレクションしていた池の錦鯉達も、先日売ってしまいましたの。そうでもしませんと、食べていけませんもの。それに____」
____事の発端は、母なのです。母がおかしいのです。
羽柴さんはそう言い終えるのと同時に、リビングに誰かが入ってきた。少し皺が目立つものの、長い黒い髪の綺麗な女性だった。ピンクのブラウスに黒のロングスカート。にこにこと微笑んでいるその人は、良く見れば羽柴さんによく似ていた。
「・・・・・・お母様」
羽柴さんが呟くように言う。急な来客に驚いた様子もなく、ただにこやかに笑っている。こういう場合は、客のほうから先に挨拶することが礼儀だろう。俺は立ち上がり、軽く会釈した。
「どうも初めまして。すみません、急にお邪魔してしまって。俺、玖埜霧といいます」
「どうもはじめましてすみませんきゅうにおじゃましてしまっておれくのぎりといいます」
彼女は____俺が喋った台詞を、ままオウム返しに繰り返した。それも、その言い方には感情がまるで籠っていない。台本を何の感情もなしに読み上げたかのような声音だった。それもにこにこしながら。ギョッとして押し黙ると、羽柴さんが深い溜息をついた。そして立ち上がると、母親の腕を引き、ソファーに誘導する。
「お母様、こちらにいらして。____そう、わたくしの隣に座って頂戴。お行儀よくしていてね。この方達はお母様を救って下さるかもしれないのよ」
「おかあさまこちらにいらしてそうわたくしのとなりにすわってちょうだいおぎょうぎよくしていてねこのかたたちはおかあさまをすくってくださるかもしれないのよ」
羽柴さんの母親は、やはりオウム返しに言葉を繰り返す。どうやらふざけているわけではなさそうだ。精神病を患っているのだろうか。それにしても、羽柴さんは俺達のことを「この方達はお母様を救って下さるかもしれない」と言っていたが、いち中学生といち高校生に精神疾患をどうこう出来るノウハウはない。今は失踪しているという羽柴さんの父親が健在だったのなら、そちらで診て貰うほうが賢明だろう。そうでなくとも、精神科のある病院に受診したほうがいいのでは、とも思う。
羽柴さんは頬を引きつらせ、困ったように笑みを浮かべた。
「驚かせてごめんなさい。実は・・・・・・半年ほど前から母の様子がおかしくて。半年前といえば、ちょうど父が例の古書を手にした時期と同じくらいです。最初は何故か周囲から焦げるような臭いがすると騒ぎ立てましたの。わたくしも父も、そんな臭いはしないからとさんざん言って聞かせたのですけれど、母は臭い臭ういと言って騒ぐばかり。そのうち、家中に高価なフランス製の香水を振り撒いて回ったり、何種類ものアロマを1度に焚いたりしました」
「おどろかせてごめんなさいじつははんとしほどまえから母の様子がおかしくてはんとしまえといえばちょうどちちがれいのこしょをてにしたじきとおなじくらいですさいしょはなぜかしゅういからこげるようなにおいがすると、」
「・・・・・・お母様。申し訳ないけれど、少し黙ってて頂けるかしら。お話の妨げになってしまうから。ね?」
尚もオウム返しを繰り返す母親に対し、羽柴さんは何を思ったのかポケットから電気コードを取り出した。何でそんな物を羽柴さんが持っているのか疑問だったが、電気コードを見た母親の姿がとにかく衝撃的だった。喉の奥で引き攣るような声を上げたかと思うと、びくびくと痙攣し出し、じわーっと白目を剥いた。そして口から泡を吐きながら、がくんとソファーに倒れ込んでしまった。
驚く俺に対し、羽柴さんは大丈夫だと言わんばかりに手で制する。そして横たわった母親を尻目にこう続けた。
「どういうわけか、電気コードを見せると失神してしまって・・・・・・。嗚呼、ご心配には及びません。数時間もすれば意識を取り戻しますから。お話を戻しましょう。さきほどのように、母は人の喋る台詞をオウム返ししたり、時に失禁を繰り返すようになりましたの。
「父は精神科医師の妻が精神疾患にかかっていることが世間に露見したら一家の恥だと申し、母を病院に連れて行くことを拒み、この家に閉じ込めました。わたくしは通っている高校を休学し、母の面倒を見るようにと父から言われたのです。母は日を追うごとに病状は悪くなる一方でした。それまで大きな病気など1つとしてかかったことがない母の、この極端な変わりように、わたくしは怯え、慄き、やり場のない思いを抱えながら、母の面倒を見続けました。
「ある時、父がご高名な霊能者の方を家に招き入れたのです。父も母のことはそれなりに気掛かりだったようで、病院に連れて行くことは断じて許して貰えませんでしたが、多額の口止め料と御祓い料を支払う代わりにと、その方をお招きしたそうです。父は母に何か良くないモノに取り憑いているのではないかと考えたようでした。そしてその予感は的中したのです。
「霊能者の方は母を見るなり、相当質の悪いモノに取り憑かれてしまっていると仰いました。そして御祓いには長い年月がかかるとも。それでも母が元に戻ってくれるのならばと父もわたくしも了承しました。それから毎日、霊能者の方は母の御祓いに来て下さいました。
「神棚を設置し、お神酒をお供えし、祝詞を唱え、家中に魔除けの御札を貼りました。しかし、全くと言っていいほど、母の状態は良くなりませんでした。むしろ悪化しつつあるように、わたくしには思えました。父は多額の御祓い料を支払うためにと、毎日夜勤をこなし、休日も働き、そのせいか鬱病を患いました。そしてそれを苦に失踪致しました。霊能者の方も、まるで良くならない母の状態に焦りを覚えたのか、いつしか家に来なくなりました。
「わたくしが途方に暮れたことは言うまでもありません。父が失踪し、霊能者の方に多額の御祓い料をお支払いしたため、家にはほとんど財産が残っていなかったのですから。父がいない今、母を精神科に連れて行こうとも思いましたが、そんなお金はありません。家にある物を売って、細々と生活していかなくてはならない。わたくしの学費もありましたし、売れる物は何でもお金に換えるしかありませんでした。そんな時、わたくしはネットで見たのです。かつて父がどこからか手に入れた古書____あれを多くの方々が手に入れたがっていると。
「最初は高額で買って頂こうとも考えました。でも、頭をよぎったのは母の顔でした。穏やかで優しい、大好きな母。母が元通りになってくれるならと、わたくしは考えたのです。なので、この古書をお譲りする代わりに母に憑いている良くないモノとやらを御祓いして頂こうと。ネットの掲示板にその旨を掲載しましたところ、多くの書き込みがありました。まさかこんなに大勢の方が古書を欲しがっているとは思ってもみませんでしたから、本当に驚きましたわ。その中で選抜させて頂いたところ、日野さんからの書き込みに目がいったのです。わたくしは彼女なら信頼出来そうだと思い、さっそくお返事を出しました。
「そして日野さんのお巡り合わせでお招きしたのがあなた方です。日野さんによれば、こちらのお姉様はかなりの才能の持ち主だということ。嗚呼、どうかお願いです。母を御祓いして頂きたいのです。御祓い料はこの古書、そして成功報酬ということを呑んで頂けるのなら、あなた方に託します。どうでしょう、この依頼を受けて下さるかしら?長々とごめんなさい。でも・・・・・・どうか、わたくしと母を救うと思って」
羽柴さんは懇願するように両手を組んで俺と姉さんを交互に見る。なるほど、込み入った事情があり、彼女は大いに苦労しているようだ。姉さんは善人と呼べるようなタイプの人間では断じてないので、快く人助けに手を貸すとは思えないけれど、俺からも頼み込めば引き受けてくれるだろう。羽柴さんの母親には、相当質の悪いモノが憑いているという話だが、姉さんの実力は本物だ。それは弟の俺が1番よく理解している。
きっと姉さんなら、羽柴さんの母親を、そして羽柴さん自身を救ってくれるに違いない。
だが。
「断る」
にべもなく、姉さんがきっぱりと言った。羽柴さんは目を丸くし、俺はぽかんと口を開けた。断るって____どうして。姉さんだってあの古書が欲しいから、わざわざこの家に足を運んだはずなのに。
「・・・・・・理由を、お聞きしてよろしいかしら」
羽柴さんは声を震わせながらも、表面上では冷静に落ち着いた様子で口を開く。姉さんは紅茶を一口啜ると、「だって、」とぶっきらぼうに言った。
「あなたの母親には何も取り憑いていない。それに精神疾患が原因で奇行を繰り返しているわけでもない。彼女に本当に必要なのは、御祓いでも精神科に行くことでもない。____脳外科を受診することだ」
びくり、と。羽柴さんの肩が震える。彼女は強張った表情のまま、じっと姉さんを見つめていた。姉さんは右手にティーカップを持ったまま、左手で羽柴さんの制服を指差す。それはちょうどポケットの辺りで、電気コードが入っていた場所だった。
「これは不良達の間で一時期流行った制裁の仕方なんだけれど。用意するものは電気コードの付いたクリップを2つだけ。まず、相手の両手両足を拘束して抵抗できなくする。そして相手がしている左右のピアスにクリップを挟み、電気を通す。この時、相手が死んでしまわないように電流の量を加減したり、コンセントを出し入れしたりする。たったこれだけ。相手は死なないし、傍目には失神しているだけ。そのうち目を覚ますし、助けも呼べるようになる。ただ・・・・・・」
姉さんは左手をピストルの形にすると、自分のこめかみにトンと当てた。
「電流は脳に流れ、約140億個あるとも言われている神経細胞を破壊する。まあ、つまりは脳を電気で焼くってわけ。当然、耳に開けたピアスの穴から感電するわけだから、耳も焼け焦げて変形する。____あなたのお母さん、髪の毛長いね」
そう言われて、俺はふとソファーに倒れたままの羽柴さんの母親に目を向ける。倒れた拍子で、サイドの髪の毛が乱れ、耳が僅かに見えていた。だが・・・・・・言われて気が付いたが、耳というより木耳のようだった。一般的な耳の大きさに比べてかなり小さく縮こまっているし、色も真っ黒だ。表現は悪いが、中華料理によく入っている木耳がへばりついているような感じだった。思わず口元を抑える。そうか・・・・・普段は髪の毛が長いから、耳が隠れて見えないんだ。
「脳は生ものだからね。電気が流れれば脳は焼ける。それは当たり前のこと。そして人間の感情、欲求、意欲、行動の全てを司る脳が焼けるなんていう現象が起きれば____日常生活が困難になることは、まず間違いないだろうね。奇行や失禁を繰り返すようになったっておかしくはない」
「・・・・・・」
羽柴さんは何も言わない。だが、強張った表情が次第に緩んでいき、口元にはうっすらと笑みを浮かべている。姉さんの考察を肯定も否定もせず、まるでこの状況を楽しんでいるかのような様子だった。そんな彼女には、最初に出会った時のようなたおやかさは微塵も感じない。感じるのは得体の知れない恐怖だけだった。
そう。この家は最初からおかしかったのだ。裕福そうに見えて、どこそこに存在しているちぐはぐな違和感。その違和感の正体が垣間見えた気がした。
姉さんは左手をピストルの形にしたまま、ゆっくりと銃口の先を羽柴さんに向けた。
「お父さん____どこに行ったの」
羽柴さんは吹き出し、快活に笑った。笑い方こそ気持ちのいいそれだったが、目が完全に据わっている。ひとしきり笑い終えた後、彼女はしとやかに言葉を続けた。
「言いましたわよね、父は変わった物を収集するのが趣味だと。今はもう手放してしまいましたけれど、猛獣を飼っていた時期もありましたのよ」
「・・・・・・うっ、」
更に吐き気が込み上げてきた。喉に込み上げてくる酸っぱい物を何とか胃に戻そうと、すっかり冷めた紅茶を一気に煽る。胃液は胃に戻ったものの、気分は悪いままだ。羽柴さんは笑みを浮かべたまま、降参というように両手を上げた。
「交渉決裂、ですわね。あなた方なら何とかして下さると思いましたけれど、無理でしたわね。ええ、ええ、全て御影さん。あなたの仰る通りです。まるで見てきたように仰るから、驚きました。わたくし達の家族間に一体何があって、こうした結論になってしまったのかは申し上げることは出来ませんけれど・・・・・・これでも、去年までは仲の良い普通の家庭でしたのよ。それと、1つだけわたくしは事実を述べました。【ことの発端は母である】と。これは嘘偽りのない事実であり、実際に1番悪いのは母ですのよ。母があんなことしなければ、わたくしだってお利口な娘でい続けましたし、父だって失踪することはなかったのに」
羽柴さんは立ち上がり、優雅にお辞儀をした。そしてにこりと微笑んで続ける。
「こうなってしまったことは残念ですけれど、仕方ありませんわ。どうぞお引き取りを。もし、庭にいた猛獣を手放していなかったら、是非ともあなた方に見て頂きたかったのですけれど、それも叶いませんわね。わたくしは引き続き、母を、そしてわたくしを救って下さる方を探すことにします。今日はわざわざお越し下さいましてありがとうございました。それではごきげんよう」
〇〇〇
一連の流れをショコラに話すと、えらい勢いで叱られた。そりゃもうことごとく罵られた。
「もーっ、欧ちゃんたら莫迦じゃないの。莫迦を通り越して、大莫迦だよ。もう死んじゃいなよ。あ、でも莫迦は死んでも治んないんだっけ?せいぜい、莫迦のまま生き恥晒し続けるんだね!せっかく入手不可能な古書が手に入るところだったのにぃ。何でそこですごすご引き帰ってきちゃうかな!?何だったら、盗んでくれば良かったじゃん。羽柴さん、だっけ?その人も警察が介入してくれば困るだろうし、例え欧ちゃんが古書を盗んでも通報出来ないっての。欧ちゃんが警察に捕まれば、自分の罪だって洗いざらいバレちゃうし。てか、そんな告白聞かされたんなら、その場ですぐ通報しなさいよ」
「俺もそう思ったんだけど、姉さんが止めとけって言うからさ・・・・・・」
「何で。だって、これは明らかに殺人事件に傷害事件でしょ。羽柴さんて人、聞いてる限りじゃ相当やばそうだし、野放しにしておいていいわけ?」
「まあ、遅かれ早かれすぐバレるだろうよ。女子高生の考えた陳腐な偽装工作だ。ところどころ穴は開いているし、周囲の人間が____しいて言えば、父親の経営していた病院関係の人間が気付くんじゃないのか。姉さんは姉さんで、これ以上関わり合いになるのが面倒なんだろうよ」
つまり、警察に事情聴取されることこそが何よりも面倒だからという理由で、羽柴さんの一件を放置しているのだろうが。彼女に関わった新たな人間が犠牲者にならなければと、不安に思うこともある。だが、幾らお人好しの俺でも、そこまでどうこうしてやる術はない。案外、俺もまた姉さんと同じように善人な人間ではないのかもしれなかった。
ショコラは大袈裟に溜息をつくと、じとりと俺を睨んだ。
「あーあ、莫迦な欧ちゃんのせいで・・・・・・せっかく入手不可能とまで言われた古書が手に入るチャンスだったのに・・・・・・あれがあれば岩下君だって喜ぶし、心霊研究部に大きな成果を齎すであろう希望の光だったのにぃ・・・・・・」
「仕方ないだろ。あんな古書1つなくったって、部の活動は影響されたりしねえよ。もういい加減で諦めろ」
「やーだぁ、やーだぁ、ショコラちゃんはあれが欲しいのー。欲しいのー。欲しいー。あれ欲しいー」
「だったら、自分で何とかしろよ。羽柴さんに交渉したらどうだ」
冗談交じりのつもりで言ったのだが、ショコラはジタバタ暴れるのを止め、にやりと八重歯を見せて笑った。
「それもそうだね」
作者まめのすけ。