ピーちゃんの捕食を見てしまった僕は、再三、マユにピーちゃんを捨てることを提言してきたが、いっこうに聞き入れてくれなかった。あれから、マユは熱も下がり、元気になったので、今まで通り変わることなくベランダへ、冷蔵庫の中の肉や、床下収納にある野菜などを与えていた。
マユが幼稚園に行っていたときに、僕がピーちゃんを追い払えばよかったのだろうけど、僕には姿が見えないし、ベランダに近づくのが恐ろしかった。
そして、僕達のいつもと違う夏休みがおとずれた。
その日は、僕らの気持ちのように、どんよりと低い雲が垂れ込めて、今にも泣きそうな空模様だった。
夏休み前から体調を崩していた母の入院は長引いて、僕達は、父の実家に預けられることになった。
ところが、マユがそれを頑なに拒んだのだ。
「マユがいなくなったら、ピーちゃんの面倒は誰が見るの?」
僕は密かに、これはチャンスだと思っていたのだ。ピーちゃんとマユを引き離す、絶好のチャンス。
「マユ、心配するな。ピーちゃんの面倒は父さんが見てくれるから。」
僕は、マユに嘘をついた。それでもなお、ピーちゃんと離ればなれになるのは、嫌だと駄々をこねたが、父も会社に行かなければならない。背に腹は変えられず、渋々マユは頷いた。
「おーい、早くしろー。」
夏休み初日の土曜日、父は車の中で僕とマユを待っていた。
マユは未練たらしく、まだベランダでピーちゃんに何事か話しかけているようだ。
「マユー、もういいだろ?父さん、もう車で待ってるぞー。」
僕がマユに声をかけると、マユがはぁい、ちょっと待ってねーと返事をした。
その直後、叫び声がした。
「ぎゃあああ!お兄ちゃん!」
僕は、ベランダへと走った。
「マユ!どうした!・・・・・!!!」
僕は、我が目を疑った。マユの頭が消えて、ベランダで手と足をジタバタさせていたのだ。
「マユ!マユーーーー!」
僕が叫ぶと、ベランダで物凄い風が起こった。目も開けられないほどの風圧で、バサバサと、何か大きなものが羽ばたくような音がした。あっという間に、マユの胴体、手、足の順に何も無い空間に、その姿は消えてしまった。一瞬、稲光がピカッと光った時に、僕はついに、その姿を見た。
そいつは、まるでライオンのような頭を持った、体は大きな鳥のようであった。
騒ぎを聞きつけて、父が駆けつけた時には、ベランダに、マユの履いていたサンダルの片方のみが残され、羽音は遠ざかっていた。
「どうしたんだ!マユはどこへ行った!」
父が呆然としている僕の肩を揺さぶった。
僕は、今あったことを、父に説明したが、とうてい信じてもらえるはずはない。
父は誘拐として、すぐに警察に捜索願を出した。
マユは助からないかもしれない。
入院先から、まだ完治していない母が急遽帰ってきた。
その日から、警察、町内会による、大捜索が始まった。
僕だけが知っている。マユはあいつに連れ去られたんだ。
必死の捜索にも関わらず、マユは見つからなかった。
母は毎日、泣き暮らし、父はビラ配りに余念がなかった。
僕ら家族の生活は、めちゃくちゃになった。
僕の面倒を見切れない父と母は、やはり僕を父の田舎に預ける決断をした。
「行って来ます。」
僕は、自分の荷物をリュックに詰めて、駅のホームに立っていた。
「ごめんな、ユウキ。」
父さん、そんなに心配そうな顔をしないで。僕は大丈夫だ。
僕は改札で、笑顔で父に手を振った。
父の背中を見送ると、僕は、すぐにリュックの中から、自分の携帯を取り出した。
「ああ、おばあちゃん?僕だよ。ユウキ。今日そっちに向かう予定だったんだけど、ちょっと予定が変わったんだ。一週間後にそっちに向かうから。」
そう告げると、僕は電話を切った。
そうだ。僕しか、あの化け物の正体を知らない。誰も信じてくれるはずが無いから、僕は僕のやり方で妹を探す。
だから、僕は、旅に出る。
あては無かった。だけど、マユがあの卵をもらった日から悲劇は始まったのだ。
あの卵はたぶん、夜店でしか手に入らないものだ。
リュックには、旅支度、お金だって、今まで貯めて来たお年玉がたんまり入っている。たぶん一週間はもつはずだ。あの卵屋を探し出して、手がかりを得る。僕は必ず、マユを取り戻してみせる。
僕は、その日から、近隣のいろんな町の祭りや花火大会、夜店を渡り歩いた。
三日目の朝、電器店のテレビで僕が公開捜査で捜索されていることがわかった。
もうバレたのか。きっと心配した親が、田舎に電話してバレたのだろう。
ごめんね、父さん、母さん。僕にもう少し時間をください。
僕は足早に、帽子を目深に被ると、その場を去った。
その日の夜、僕はついに見つけた。
その店は、屋台の片隅にひっそりと薄暗い灯りを灯していた。
「おや、坊やは、この店が視えるのかい?」
男とも女とも、若いとも老いてるともよくわからない店主が声をかけてきた。
店先には、所狭しと、乱雑に白い卵が置いてある。
卵を差し出してきた店主に要らないと告げると、明らかに嫌な顔をした。
「お代は要らないってのにねえ。」
と残念そうに、口を尖らせた。
「それより、僕の妹がここで卵をもらっただろう?ほら、〇〇神社で。」
するとわざとらしく店主は思案顔を作り、思い出したというふうに答えた。
「ああ~、あの迷子のお嬢ちゃんかい?不安そうにしていたから、卵をあげたのさ。これを持っていると、家族とあえるよ、ってね。」
「あの卵はなんなんだよ。あれから妹はおかしくなった。姿の見えないあの卵から孵ったものを飼いはじめた。」
そう睨むと、その店主は口が耳元まで裂けるかと思うほど満面の笑みをたたえた。
「すごいねえ、あの子。あの卵を孵したんだねえ。やはり卵が選んだだけのことはあるねえ。」
「妹は、そいつにさらわれたんだ。」
そう告げると、店主は驚いた顔をした。
「その卵から孵ったものは、どんな姿だったんだい?坊やは見たのかい?」
そう聞くので、僕は答えた。
「頭がライオンで、体が鳥の形をしていた。妹を飲み込んで、どこかに飛んでいってしまった。」
そう伝えると、店主はどこか焦点の合わない視線を空に這わせた。
「そうかい。あの卵は、ズーの卵だったんだねえ。」
そう呟いた。
「ズー?」
僕がたずねると、店主は視線を僕に戻すと答えた。
「そうだよ。悪魔さ。ヤツは狡猾で、幻術を使うから、きっとあの子は騙されたんだろうねえ。」
人事のように話す店主に怒りが沸いてきた。なんでそんな恐ろしい卵を妹に渡したのか。
「妹を返せ!」
僕が叫ぶと、店主は不敵にニヤリと笑った。
「あたしも、あれが何になる卵かまではわからないからねえ。妹に会いたいのかい?」
「どこにいるのか、知ってるのか?」
「どうしても、会いたいのかい?」
「僕は必ず、妹を連れ戻す!知っているのなら案内してくれ。」
店主はしばらく考えると口を開いた。
「お嬢ちゃんを連れ戻すのは、かなり難しいと思うよ。よほどの覚悟がないと無理だよ?」
僕がなんとしても連れ帰る意思が変わらないことを告げると
「仕方がないねえ。こっちに来な。」
と席を立った。
罠かもしれない。そう思ったけど、妹を、マユを連れて帰るためだったら何だって怖くない。
僕が臆病風に吹かれて、あのベランダのピーちゃんを追い払わなかったことにも責任があるのだ。
「ここさ。」
神社の裏山に小さなお堂があり、そこの扉が開いていた。
そこから、小さな手が出ていた。
(お兄ちゃん、助けて)
脳に直接、マユの声が助けを求めてきた。
「マユ!マユ!今助ける!」
僕は、お堂の扉から出た、小さな手を掴んだ。
その途端、手に激しい痛みが走った。
手の甲を見ると、何かカギ爪のようなもので引っかかれたような跡が三本残っていて、そこからダクダクと血が流れた。それでも、僕は、マユの手を離さなかった。凄い力で、マユの手を誰かが引っ張っているような気がした。マユの力ではない何か。思いっきり引っ張ると、マユの頭が出てきた。
「お兄ちゃん!」
マユが叫んだ。
「もう少しだ。今、助ける!」
僕は渾身の力で、マユの両手を引っ張ると、ズルリとマユの体がこちらに抜けた。
マユがワンワン泣き出した。
「マユ!マユ!良かった!助かった!」
僕も泣いていた。しばらく、僕とマユは抱き合って泣いた。
ここに案内した卵屋の姿はあとかたもなく消えていて、卵屋の屋台も消えていた。
あれは何だったんだろう。
神隠し。僕の頭をその言葉がよぎった。
僕はすぐに、携帯で父に連絡をとり、僕とマユは無事家に帰ることができた。
そして僕らに元通りの平和な生活がおとずれた。
マユは、ピーちゃんのことも、自分が化け物にさらわれたことも、一切忘れていた。
元通りの生活に戻り、僕は普通の生活がいかに幸せに満ち溢れているかを実感した。
「マユ、ユウキ、ご飯よ。」
母の優しげな声と、白いご飯の湯気。
僕は今、幸せをかみ締めて、いただきますと手を合わせた。
お皿には、色とりどりの野菜が並んでいて、そこにはトマトも乗っていた。
マユはトマトが嫌いだ。
「マユ、好き嫌いしないで、ちゃんと食べるのよ。」
母はマユを甘やかしすぎたことを反省して、これからは嫌いなものも食べさせる方針のようだ。
でも、僕はせっかく帰ってきたマユが嫌いなものを食べさせられるのがかわいそうになった。
だから、小さな声で、マユに耳打ちした。
「マユ、お兄ちゃんが食べてやろうか?」
そう言って、箸をつけようとすると、僕の右手の甲に痛みが走った。
手の甲には、三本の爪あとが残り、薄っすらと血が滲んだ。
僕は、信じられない面持ちでマユを見た。
「がるるるるる」
マユが低く唸り、トマトに箸を刺すと、口に放り込んでぐちゃぐちゃと咀嚼した。
【怖話】http://kowabana.jp/stories/26832
よもつひらさか 著
作者よもつひらさか
夜の卵 其の六 (前編) http://kowabana.jp/stories/26827