佳代子とその家族は、貧相なちゃぶ台の上の皿にそれぞれに一つずつ、細い芋が配られた夕飯をポソポソとかじっていた。母親はすまなさそうに、つぶやく。
「ごめんねえ。今日はこれだけなんよ。ずーっとここんとこ、日照りが続いて、畑の作物は実らんし、米も今年は、ならんかったんよ。」
佳代子には四人の兄がおり、佳代子は末娘だった。生活が苦しいというより、その村全体が貧しかった。もともと、土地がやせているため、作物はすぐに天候の影響を受ける。唯一、実ったものといえば、この細い芋以外にはなく、細々と、これで食いつなぐしかなかった。
佳代子は、この家から出たことがない。家の敷地内に、生まれてこのかた、ずっと幽閉されていた。両親からは、決して家から出てはならないと言われ続けた。佳代子の唯一の楽しみと言えば、裏庭に来る鳥を眺めたり、季節の移ろいに咲く花を眺めることだけだった。表では、子供たちの遊ぶ声がする。佳代子には、生まれてこのかた、家族以外の者と交流を持ったことがない。親戚縁者が来ると、佳代子は納屋に閉じ込められた。
物心ついたころ、佳代子はなぜ、自分だけがこんな仕打ちを受けるのかと悲しんだ。それを母親に話すと、ごめんねとしか言わず、理由を話してくれない。
その理由を知るのは、この年の冬になる。その日は雪が降り積もり、あたりは一面銀世界であった。佳代子は、その日、日が昇るとともに目を覚まし、家族のものはまだ寝静まっていた。佳代子はチャンスだと思った。
そっと家を抜け出して、言いつけを破り、家の外に出たのだ。外の世界は、佳代子にとって見るものすべてが新しく、まだ踏みしめられていない、雪の道を走った。すると、遠くから、佳代子と同じくらいの子供がじっとこちらを見つめていた。男の子だ。
佳代子はその男の子と、すぐに打ち解けて友達になり、雪だるまを作って遊んだり、鬼ごっこをして遊んだりした。佳代子にとっては、兄以外の子供と初めて遊んだ、楽しい思い出となった。
家に戻ると、母親が鬼の形相で玄関で待っており、いきなり佳代子は頬を打たれ、なぜ言いつけを破ったのかと責め立てた。佳代子は泣きながら、謝った。母親の顔を見ると、青ざめており、母を心配させてしまったことを、佳代子は心から後悔したが、今日の日は、佳代子にとって一生の宝となった。
数日後の夜、なぜか、家族は重苦しい雰囲気のなか、粗末な食事をしていた。今日は、米がほとんど入っていない、重湯のようなおかゆだ。皆、押し黙って、おかゆをすすっている。誰一人、言葉を発することはなかった。母親が、箸をおくと、急に席をたち、お勝手のほうに口を覆いながら駆けていった。お母ちゃんは気分でも悪いのだろうか、と佳代子は心配した。
「なんで、なんでうちの佳代子なんよ。」
その夜、佳代子は母親のそんな呟きとむせび泣きで目がさめた。
兄たちと、布団を並べて寝ていた佳代子は、こっそりと布団を抜け出し、ふすまを薄くあけると、隣の部屋を覗き見た。
父親の深刻な顔がこちらを向いており、背中を向けた母親の肩が震えている。母ちゃん、やっぱり気分が悪いのだろうか。
「うちが、佳代子を隠していたのがバレてしもうたらしい。はす向かいのゲンさんとこの息子が、うちから佳代子が出てきて、一緒に遊んだことをうれしそうに話したそうだ。」
「あれほど、出るなと、きつく言ってたのに。ゲンさんとこの息子も、なんで話したか!」
「子供に罪はねえ。いつかは、バレることだったのかもしれない。」
幼い佳代子には、意味がわからなかった。
「今時、こんな風習バカげてるよ。山の神様に、女の子を捧げなくちゃならないなんて、そんなバカなことがあってたまるか!」
固く握った、母親の手が真っ白になり、いくつもの涙が畳に落ちた。
「村の昔からのならわしだから、仕方ない。」
父親がうなだれると、母親は泣いてしがみついた。
「ねえ、アンタ、この村を出よう?今すぐ、逃げよう?」
「無茶を言うな。子供5人連れて、そんなのすぐに村人にバレて連れ戻されてしまう。もしかしたら、俺たち、みんな闇に葬られてしまうかもしれないんだぞ?」
「何のために!今まで、佳代子を隠し続けたと思ってるのよ!山の神に捧げられないようにするためじゃない。」
佳代子はその時に、幼いながらもすべてを悟った。
私は、山の神にささげられる?
佳代子は足に力が入らなくなった。
ふらふらと自分の布団に戻ると、その言葉の意味することに恐ろしくて震えた。
「佳代子」
息を殺して、一番上の兄の吾作が佳代子の布団に近づいてきた。
お兄ちゃんと言おうとすると、吾作は人差し指を口に当てると、しーと言う口をした。
足音を立てずに、土間まで行くと、草履をはき、兄に手を引かれて、こっそりと引き戸をあけて外に出た。
「佳代子、逃げろ。」
引き戸をあけて、しばらく忍び足で歩くと、ようやく普通の声で吾作が佳代子に告げた。
「いやだよ、お兄ちゃんも来て。」
すると、吾作は佳代子の手を引くと、一緒に走った。
いけにえだとか、バカげてる。
この現代にそんなものがあってたまるか。
ていのいい口減らしじゃないか。
吾作は知っている。村が飢饉になるたびに、口減らしのため、山の神にささげるというおかしな理由をつけて、働き手にならない幼い女の子や、年寄りを山に捨てるのだ。
山の神なんていやしない。人は自分の罪の意識をごまかすために、山の神の所為にして、子や親を捨てるのだ。
幼い佳代子の足は、もどかしいほど遅かった。
「こねな、夜中に、子供だけで、どこに行くだね。」
目の前に、誰かが立ちはだかった。
その男は、この集落を束ねる、庄屋だった。
吾作と佳代子はあえなくつかまり、家へと送り返された。
その夜、庄屋が佳代子を迎えに来た。
堪忍してくれと、両親は懇願したが、佳代子は庄屋の男に手を引かれると、山の方へと連れていかれた。
「佳代ちゃん、おじさんがいいところに連れて行ってあげるけな。そこに行けば、まんまがたんと食えるでな。」
嘘だと佳代子は思った。でも、佳代子は庄屋の目が恐ろしくて逃げられなかった。
佳代子が逃げないように、手はしっかりと握られている。
どんどん、暗い山道を登っていき、ある祠の前に来ると、庄屋は佳代子の手を放した。
「悪く思わんでくれ。これで、山の神様のお怒りが鎮まって、村に雨を降らせてくれるだろう。お前は、ここにいなくてはいけないよ。そうでないと、この村は干上がってしまって、お前の家族も村もみんな滅びてしまうのだよ。」
自分に言い訳をするように、庄屋の男は、後ろを振り返らずに佳代子を置き去りにすると、一目散に山を下りてしまった。
真っ暗な山の中、佳代子は走って、お庄屋さんのあとを泣きながら追ったが、幼い子供の足では、とうてい追いつくことなどできない。仕方なく佳代子は、来た道を引き返した。佳代子は幼いながらも必死で、生きる道を探した。一晩、この祠の前で体力を温存して、朝日とともに、山を下りれば帰れるかもしれないと考え、祠の前で丸くなり、じっとしていた。薄い着物に素足に草履で、真冬の山の中へ捨てられたのだから、最初は、寒くて歯の根も合わないほど震えていたが、しばらくすると、佳代子はどうしようもなく眠くなった。そのまま、佳代子は祠にもたれて眠ってしまったのだ。
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吾作はその夜眠れなかった。
佳代子が連れて行かれたあと、すぐに後を追ったが、再び村人に阻まれて、連れ戻されてしまった。
おそらく、両親もほかの兄弟も眠れぬ夜を過ごすのだろう。
吾作は、佳代子の生まれた時のことを思い出していた。
産婆は、佳代子を見て、すぐに青ざめたのだ。
「この子は忌み子だよ。」
そう呟いた。女の子が産まれたというだけでも、佳代子の運命はもう決まっていたというのに、さらに、佳代子の背中には、蝶々の幼虫のような模様のあざが点々とあったのだ。
畑で見た芋虫のようだと、吾作は思った。しかし、妹は天女様のように可愛らしかった。
すぐに始末しろと言われたが、村には始末したことにしておいて、ずっと隠れて佳代子を育てていたのだ。
庭で、吾作のあとをお兄ちゃんお兄ちゃんとついて歩いた佳代子のことを思い出すと、涙が止まらなかった。
吾作は朝を待って日が昇るころに、こっそりまた山へと向かった。
吾作は走った。早く、佳代子を迎えに行かなければ。
吾作がようやく、山の神の住むと言われる祠についた時には、佳代子はもう冷たくなっていた。
「佳代子、起きろ。朝だぞ。」
肩を揺さぶると、佳代子の小さな体がゆっくりと横に倒れた。
足は凍傷でやぶけ、すでに死んでしばらく経っているから、硬直がはじまっており、体は丸めたままの形で凍っていた。
「佳代子!佳代子~~~~!なんで死んだ!帰ってきてくれ、佳代子~~~!」
吾作は喉が裂けるかと思われるほど泣き叫んだ。
「何が山の神だ!神様なんかいねえ!こんな村、滅べばいい!」
おいおいと泣いていると、いつの間にか祠の後ろに女の人が立っていた。
吾作は、生まれてから一度も見たことのないような、はっとするような美しい女だった。
唖然とする、吾作の前まで音もたてずに進み出ると、佳代子の亡骸を抱き上げた。
「坊主、この子はこの世に帰ることはできぬが、わらわが預かり受ける。」
静かな声で、吾作に語り掛けてきた。
「アンタが山の神様か。」
吾作は、恨めしい目で睨みつけた。
すると、その女はゆっくりと首を横に振った。
「お前の言う通り、山の神などおらぬ。私は、こちらの者ではない。だが、この子はあちらの世界で生を受けることになるだろう。そういう定めの子なのだ。」
吾作は、佳代子の背中の不思議な模様のあざを思い出していた。
「佳代子は、幸せに暮らせるのか。」
吾作は唇をかんだ。
女はゆっくりとうなずいた。
「わらわが、責任を持って、この子を預かり受けるから心配するな。」
そう言うとその女はほほ笑み、佳代子を抱いて、霧の中へと消えてしまった。
その日、村には久しぶりに雨が降った。
山の神のお怒りが解けた。生贄は無駄ではなかったと喜んだ。
しかし、その日から雨はずっと降り続いた。雨が止む日はなく、何日も何か月も、何年も降り続いた。
佳代子の家族は、山の神の怒りに触れたという理不尽な理由で村を追われた。
その後も雨は降り続き、村は土砂崩れ、水害に襲われ、田んぼの稲のほとんどは流され、実に10年にわたり雨が降り続けた。
村の庄屋の家は、子供が生まれるたびに背中に芋虫のようなあざができ、長くは生きられなかった。
村人は、佳代子の呪いだと恐れ、次々と村を離れた。
おのずと、人々は村を捨て、とうとう村は誰一人居なくなった。
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「佳代子、良い穢れが手に入ったぞ。さあ、お食べ。」
「主様、ありがとうございます。」
「佳代子の村は、穢れだらけで、もう滅んでしまったぞ。」
佳代子は、たぶん、自分を拾ってくれた、この主様が滅ぼしたのだと思った。
佳代子は何も思うことはなかった。
ただ、佳代子の家族が、どこかで幸せに暮らしていますようにと願うばかりだった。
「佳代子、良い卵を産んでくれよ。」
主様に、こうして優しく頭を撫でられる時だけが幸せだった。
たとえ自分が産みだすものが、どれだけの穢れを産もうとも、佳代子は主様が喜んでくれさえすれば幸せだった。
「はい、主様。佳代子は主様の言うことは何でも聞きます。」
佳代子は、大きな蟲の姿になると、ゆっくりと10年の穢れを飲み込んだ。
作者よもつひらさか
佳代ちゃん推しの誰かさんに捧げますw