ねえ、穂花ちゃん。
僕を初めて見た時の君のあの笑顔を、僕はずっと忘れないよ。
毎日どこへ行くにも一緒。ご飯を食べる時もお風呂に入る時も、もちろん寝る時だってずっと一緒だったよね。
眠れない日にはよくお喋りしたよね。パパやママには内緒だよって君は沢山の秘密を僕に打ち明けてくれた。
僕は君の事を本当の兄妹のように思っていたんだ。
「そんなに顔を出したら危ないよ、穂花ちゃん」
だけどきっと、あの時ガードレールから線路を覗きこむ穂花ちゃんには、僕のこの声が届かなかったんだね。
静かな町を切り裂いた悲鳴と、金属を削るブレーキ音。
でも、穂花ちゃんは自分の身体が真っ二つになっても僕のことを離さなかった。
ありがとう、穂花ちゃん。
ねえ死んじゃったの?
まだ温かいよ?
だいじょうぶ心配しないで、僕たちはこれからもずっと一緒だよ。
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僕の中に入ってからの穂花ちゃんはずっと泣いていたよね。ママに会いたい、パパに会いたいってさ。
安心してよ穂花ちゃん。僕が君の願いを叶えてあげるから。
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ねえ穂花ちゃん。
どうも君のママは僕の事が嫌いみたいだ。
穂花と一緒に燃やした筈なのになんで此処にあるんだとか、何度捨てても帰ってくるとかなんとか言っちゃってさ。僕のことをまるでオバケ扱いさ。
いつも穂花ちゃんの写真を見ながら帰ってきてとか言ってるクセにおかしいよね?君のママはどうして分かってくれないんだろう。
僕が穂花ちゃんなのに。
ねえ、穂花ちゃん?
そんなに泣いてないで、昔みたいに楽しいお話でもしようよ。
ねえ、ねえったら。
おい!
泣くなよ!
あんな頭の堅い大人たちなんてどうだっていいじゃないか!君には僕がいるんだからそれで充分だろ?
それでも寂しいだって?
そうか、穂花ちゃんが僕に言ったことは全部ウソだったんだね。
穂花ちゃん。
それじゃあ、あの大人たちがいなくなっちゃえばもう寂しくはないかい?
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「で、その傷はヌイグルミに噛み付かれて出来たと?」
バーのマスターである黒木氏がそう尋ねると、女性は頷きながら左手首の包帯をおさえた。
「ええ、そうなんです。寝ていたら突然左手に激痛が走って。毛布をめくってみたらコレが噛み付いていたんです。
でも、こんな現実離れした事、とても亭主には相談出来なくて」
女性は涙声に変わり、ヌイグルミから目をそらした。
「これは娘の大事な遺品です。それは分かってるんですが正直、気持ちが悪くて。
何度もお寺や神社へ預けたんですが、翌朝には必ず家に帰ってきてしまうんです。このヌイグルミ…」
所々、黒く変色している部分は恐らく、女性の話から察するに亡くなった娘さんの血を吸った痕だろうと黒木氏は推測した。
「で、お知り合いである喫茶店の店長さんに私の事を聞いて、此方へいらっしゃったというワケですね?」
黒木氏がそう言うと、女性は黙ったまま頷いた。
黒木氏は暫くの間ヌイグルミをジッと睨みつけて何やら考えている様子だったが、突然「ある決意」をしたかのようにヌイグルミを抱えて立ち上がった。
「わかりました。このテディベアは私が預かりましょう。この子を私のコレクションルームへご招待致します!!」
突然の黒木氏の変貌ぶりに、女性は面食らったような顔をした。
「奥さん、気持ち悪いとお思いでしょうが、実は私、昔から曰く付きの人形やヌイグルミなどを収集する癖がありましてね。
失礼な言い方をさせて貰うと、このヌイグルミも明らかにその手のモノです。
突然、命を失った事を理解出来ない娘さんの魂が宿っておるようです。ただ…」
黒木氏は眉を顰めた。
「このヌイグルミからは、悲しみとは別に嫉妬や怒りの念が伝わってきます。
恐らくこの中には娘さんとは別の、もう一つの人格が出来上がってしまっているようですね」
「別の人格ですか?」
「ええ、大事にされた人形にはよくある事ですよ」
黒木氏は入り口の表札をクローズにすると、振り返って言った。
「奥さん、ご心配はいりません。
私のコレクションルームにはこの子達とよく似た境遇のお友達が沢山いますから、すぐに打ち解けて寂しさも無くなる事でしょう」
「そ、そうですか。では宜しくお願いします」
…
女性を見送った後、黒木氏は雨の中を高級車の助手席にテディベアを座らせ、悠々と家路を急いでいた。
「さて、この子はどこに置こうかな?
そうだ、フジツボのお姉ちゃんの隣りなんてどうだい?」
黒木氏はチラリと助手席に視線を向けた。
「…っ……あ… 」
どこからか響いたその微かな声はしかし、ワイパーの音に掻き消されて黒木氏の耳には届かなかった。
【了】
作者ロビンⓂ︎
よもつ先生、フレール先生、長らくお待たせ致しました!えっ?誰も待ってないですって?…ひひ…
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