生まれてこの方、霊やら霊感やらとは無縁の生活を送ってきたつもりなのだが、一昨年の夏に新しいバイトを始めてから、ちょっと雲行きが怪しい。
肌が粟立つ…とまではいかなくとも、微妙にざわつく体験を幾つかしたので、そのうちのひとつを聞いて欲しい。
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新しいバイトと言うのはメール便の配達である。
朝、決まった時間に出社して、2~3人組で会社の車に配達用の電動自転車を積んで現地に行き、そこから手分けして近辺の町に商材を投函していく。
「現地」は何ヵ所かあって、日替わりで順番に配達に行くのだが、場合によってその配達地域は増えたり減ったりする。
一通何円で委託されて行う配達に比べて時間の融通がききにくく活動範囲も広い代わりに時給で働かせてもらっており、立場的にも雇われの身でいられるのが有り難い。(委託になると個人事業主の肩書きが付く。)
配達に出てしまえば交わす会話は挨拶くらいで、一日ほとんど人と関わらずに仕事だけできるところが私の性に合っていた。夏暑いだの冬寒いだのは許容範囲だ。
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しかし、バイトの関係上行動範囲が広くなっただけで、大した契機もなく不思議な話に触れる機会が増えたことを思うと、彼岸を垣間見るのに素質は必要ないのかもしれない。
ほんの少しいつもと違う道を通るだけで、いつも見ないものに目を向けるだけで、もしかするとそこには何かが……。
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前置きが長くなった。
さて、何丁目かは隠すが、代々木のとある大型マンションの話だ。
玄関から入ってすぐ左にある集合ポストにメール便を投函していた時のこと。
その日は物量が多く、投函に時間がかかっていたため気付いたのだと思う。
ひとつのポストの蓋がカタカタといつまでも鳴っている。
蓋というのは、集合ポストにはよくある、上からさがっているだけで完全に入り口を塞ぎはしないタイプのものだ(伝わりにくくて申し訳ない)。
さがっているだけの蓋だから、投函直後は確かにある程度長く揺れる。
ところが件の蓋は、その後に投函したポストの蓋が次々と止まっても、ずっと変わらず大きな音をさせ続けていた。
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カタカタカタカタ。
多少不思議に感じながらも、そのポストだけネジが緩んでいるんだろうと自分を納得させてマンションを出た。
それ以降、つい気になって音を確認してしまうのだが、やはりいつ行っても蓋はカタカタ鳴っている。
しかもだ。鳴っているのは毎回違うポストなのだ。
同じポストがいつも鳴り止まないのなら、最初に思った通りそのポストの具合が悪いだけなのだろう。
けれど、そうではない。
前回鳴り止まなかったポストが投函後すぐ静まり、前はなんともなかったポストがいつまでも揺れている。
いつもそんな感じだった。
配達をしているとたまにポストを挟んで使用者と鉢合わせることもあるので、向こう側で郵便物を確認する弾みに揺れている可能性もなくはない。
とは言え毎回というのも妙だし、基本的には誰かがいればポスト越しでもわかる。
第一、ポストを開けたり手紙を取り出したりする音はなく、ただ、蓋が揺れる音がするだけなのだった。
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「代々木○丁目の△△△ってマンションなんですけど、あそこの郵便受け、なーんかいっつもカタカタいってません?」
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現地から会社に戻る車の中で、一度先輩に訊いてみた。
この先輩、仮に岩城さんとする。
40代50代のおじさまが多い職場で、岩城さんも例に洩れずそのくらいの歳のベテランだ。
当然、件のマンションにも何年も配達に行っている。
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「あー、あっこな」
「しかも毎回違うとこが鳴ってるっぽいんですよね…」
ただの不思議な現象、くらいのつもりで話を振った私に、岩城さんは車のハンドルを切りながら言った。
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「おっ、わかってるねー。ま、カタカタ煩いだけで、ポストんとこまでは降りて来ないから安心しな」
「は?」
……おりてくる?
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意味深な発言に、一瞬思考が止まる。
私は、怖い話は好きだが、誰かと一緒でないとホラーゲームもできないタイプの人間である。
身に降りかかりそうな心霊現象?は正直御免被りたい。
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「どーいう原理か知らんけど、丁度その時居座ってる部屋のポストがカタカタいうんじゃねーかな」
岩城さん曰く、そのマンションにいる「モノ」は、建物内を巡回しているそうだ。
そいつがいる大体の距離や方向とその時鳴っているポストの番号を照らし合わせてみての大雑把な結論らしい。
勿論、オートロックで玄関から先に入れない以上、実際にそいつがいる部屋番号まで確かめることはできない。ただの憶測である。
1階、2階のポストは粗方揺れているのを見たことがあるが、干渉されそうな程近くにいると感じたことはないから多分大丈夫だと、岩城さんは豪快に笑った。
いや、多分ってなんだ。
「っていうか…、岩城さんって所謂『見える人』ってやつなんですか?」
少々不躾な質問だったが、配達員のおじさまにこのくらいのことを気にする人はいない。
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「やー、俺にどーいうのが見えてて、お前やほかの奴らにどーいうのが見えてないかわからんから、なんとも言えんなあ」
そこで話はおしまいになった。会社に着いたからだ。
岩城さんの話が本当なのか冗談なのかは、結局わからないままである。
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例のマンションには、当然その後何度も配達に行っている。
何かに出会したことも何か感じたこともまだないし、これからもないことを願っている。
ただ…やはりいつでも、鳴り続けているのだ。
集合ポストのどれかがひとつ、
カタカタと。
作者いさ
メール便の配達アルバイトをしている私のちょっとだけ不思議な体験談その①