「ものは相談なんだが」
低い陽射しは暖かくとも、容赦なく吹き荒ぶ風はやっぱり真冬のとある昼下がり。
俺たちふたりを学食に呼んで、ありかちゃんが言った。
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「妊娠したかもしれない」
「は?寝言ほざいてんじゃねぇ殺すぞ」
衝撃発言に間髪入れず、六佑(ろくすけ)がドスをきかせる。
これは相当動揺しているな。
ぶっきらぼうで口の悪い幼馴染みは、慌てる程声が低くなるのだ。
かく言う俺も、まあまあ驚いてはいる。
ありかちゃんは、異性やそういうコトにあんまり興味がないし、当然彼氏もいない。
元々突飛なことをする娘だから何を言ってもおかしくはないが、普通にせっくすをして子どもができたとはちょっと考えにくかった。
となると、ありかちゃんの言い方が悪い…すなわち誤解の可能性がある。かもしれない。
「勘違いってことは?」
俺が探って正してやらないと、埒があかなそうだ。
「多分、ない」
「うーん、そもそも妊娠するような心当りあるの?」
「ある」
おっと、これは雲行きが怪しいぞ。
「えーと…どうしたら子どもができるかは知ってる、よね…?」
ちなみにありかちゃん、ハタチは越えている。
正確な年齢は知らないが、俺たちより年上だと言っていたから確実だ。
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「当然だろう。性交渉によって卵子が受精し、その受精卵が子宮壁に着床」
「あ、もういいや黙って」
知ってたみたい。
…やばいな。六佑がどんどん白くなってきた。
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「で、なんでそんなことになっちゃった訳」
溜息混じりに訊ねる。
ありかちゃんの今の状況が本当に相手の男を好いた結果であれば、俺は応援できる。
六佑には悪いけどね。
けれど、そうでないのならば。
俺も、隣で死にそうになってるこいつも、相手をぶっ飛ばす覚悟を決めるだろうし、最悪ぶっ飛ばすだけでは済まないかもしれない。
そんな俺たちの心配をよそに、ありかちゃんは普段と大して変わらない調子で話し始めた。
「うむ、実はな…」
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事は1ヶ月前に遡る。
ありかちゃんは「お一人様ゲーセン」の帰りに、近道をしようと中央公園に入った。
時間は19時過ぎだったが、季節柄既に暗い。
この辺りでは大きめのその公園は、面積の割に街灯が極端に少なく、昼間はいいが陽が落ちてからは危ないことで有名だった。
実際、レイプ事件もニュースになったくらいだ。
噂だけならほかにもよく耳にするし、明るみに出ていない事件もないとは限らない。
…うん、六佑が何か言いたそうにしているが、言葉になっていないな。
今は耐えるのだ。
俺からも後で彼女には説教がある。
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兎も角、公園を横切ることにしたありかちゃんは、両側に背の高い木々がこんもり繁っているこれまた特に危険そうな遊歩道を足早に歩いていた。
足早だったのは怖かったからじゃない。
見たいアニメがあったからだ。
足早なだけでなく、集中もしていた。
袋にも入れずてんこもり抱えたUFOキャッチャーの戦利品を落とさないように。
だから、気付くのが遅れたのかもしれない。
いつの間にか、背後数メートルの距離に何かがいた。
微かに音が聞こえるのだ。
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ぺちっ、ぺちっ、ずっ、ずっ
ぺちっ、ぺちっ、ずっ、ずっ
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何の音だろう。変質者にしても妙だ。
振り向く。
…誰もいない。
いや、いた。
辛うじてシルエットのわかる位置に猫くらいの大きさの何かがいて、それが動く度に奇妙な音が鳴っていたのだ。
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ぺちっ、ぺちっ、ずっ、ずっ
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それは明らかに、こちらに向かって来ようとしていた。
猫ではない。
猫はあんな音は立てないし、動きもなんだかおかしい。
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ぺちっ、ぺちっ、ずっ、ずっ
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小さい所為かあっという間に近付きはしないが、案外速く見える。
ありかちゃんが止まってしまった今、それとの距離は確実に縮まっていた。
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「なんだ。私に何か用なのか」
止せばいいのに、律儀に声をかけるありかちゃん。
その優しさが彼女の欠点であり美点であり、大抵の面倒事の引き金だ。
影が、街灯の下に姿を現す。
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「あぅ、あー」
髪の伸びていない、丸っこい頭。
道路を這いずって、傷だらけになった腕。
音の主は赤ん坊だった。
ありかちゃんの腕から、小さなひよこのマスコットが転がり落ちる。
赤ん坊は、にま、と笑って消えた。
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「それから生理が来てない」
ありかちゃんが真顔で言い放った。
2、3日中には来るはずだった月のモノが遅れ、今日に至るという。
「いつもの霊障じゃねぇか…」
俺の隣で、六佑がげっそりとしている。
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そう、いつもの、だ。
ありかちゃんは何と言うか、非常に「憑かれ」やすい体質なのだった。
「ていうと何かな、ありかくん。つまり、赤ん坊オンリーが寄ってきて自らお腹に入っちゃった処女懐胎だと。相手の男などいないと、そういうことだね?」
俺が確認すると、ありかちゃんは心底おかしそうにケラケラと笑った。
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「あはは、私に男なんている訳ないだろう。要らないし」
六佑ドンマイ。
さて、ほかの女の子なら、レイプという現実から逃避するために本当は起きていない心霊現象を脳内で作り上げてしまった可能性も考慮に入れるところだ。
だけどまあ…ありかちゃんならその心配は必要ないかな…
「でもね、暗くなってからあの公園はもう通らないように。ありかちゃんが男に興味なくても、襲われる可能性は十分あるんだから」
「…?」
おいそこ、きょとんとするんじゃない。
六佑がこっそり溜息を吐いた。
全くもって同感である。
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「で、どうする?六佑」
「今日の19時、中央公園」
「もたもたしてて、万が一産まれたり?しても困るしなあ…」
彼氏がいる疑惑も乱暴された疑惑も晴れたとは言え、霊の障りを放置する道理はない。
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「おお、それは有り難い」
ありかちゃんが快諾して、そういうことになった。
ここから先は六佑の出番である。
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19時前、俺たち3人は公園内の遊歩道にいた。
六佑がありかちゃんの腹に手を当てて、眉間に皺を寄せている。
「…だめだ。やっぱこいつ、すっげわかりにくい」
「いないっぽい?」
「いや、腹になんかあるのはある。けど、意思っつーか念っつーか、そういうのがなあ…」
薄いらしい。
女性の子宮に入り込むなんてのは、産まれたい気持ちが強いからこそだろうに、確かに妙な話だ。
六佑曰く、ありかちゃんは憑かれてもほとんど気の流れ?が変わらず、霊の念が表に顕れにくいらしいから、その所為もあるとは思う。
しかしそれにしても意思薄弱すぎるようだ。
となると、こちらから働きかけようにも暖簾に腕押し、糠に釘でどうしようもない。
「うーん…婆ちゃんとこ行くしかないのか…」
六佑が唸っている。
彼の第六感は婆ちゃん譲りだ。
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もっとも、婆ちゃんにしても見えるだけのただの一般人なので、その除霊に保証はない。
やり方も、経験則の出鱈目である。
まあ、効けばいいんだよ効けば…。
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「来たぞ」
唐突に、ありかちゃんが呟いた。
六佑はもう、視線をそちらに向けている。
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ぺちっ、ぺちっ、ずっ、ずっ
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ありかちゃんから聞いていた通りの音が、闇の向こうから響いていた。
「ちょっと待って。赤ん坊は今、ありかちゃんの腹の中なんじゃないの?」
俺が口にしたのは当然の疑問のはずなのに、ありかちゃんも六佑も「そう言えばそうだな」みたいなノリで顔を見合わせている。
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「ということは、どういうことだ?」
と、ありかちゃん。
「赤ん坊がふたり以上いるか…」
考え始めた俺の台詞に重ねて、六佑が言った。
「違う!あいつ、赤ん坊じゃねぇ」
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「「えっ?」」
ハモる俺たち。
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ぺちっ、ぺちっ、ずっ、ずっ
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辛うじて視認できるようになってきたそいつの輪郭は、ハイハイしている赤ん坊にしか見えないのに?
「母親の方だ」
俺たちに言い置いて、六佑が一歩前に出た。
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「聞け!あんたの子どもはこんなとこにはいねーぞ!」
よく通る声が、暗闇を震わせる。
「ちゃんと、天国とやらに行ってる!あんただけが気に病んで、迷い続ける必要なんてないんだ!」
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ぺちっ、ぺちっ、ず…
這いずりが、止まった。
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「お互いもっかい生まれなおして、今度こそ母親になってやればいいだろ。今度こそ……正しい、納得できる形で」
赤ん坊の姿を模した何かは動かない。
六佑の話に耳を傾けているようだった。
「在処…、お前もなんか言え」
肩に手を置かれて、ありかちゃんが深く息を吸う。
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「あなたの子どもを代わりに産んでやることはできない。赤ん坊が望んでいないからだ。その証拠に、私の腹に本当の赤ん坊はいないと六佑が言ってる」
人ならざるものにも真っ直ぐに注がれる、ありかちゃんの視線。
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「その代わり、私が生きている内に転生して子どもを産んだら連れて来い。子守りくらいなら手伝おう!」
なんだそれ。
ぷ、と俺が思わず吹き出したのが先か、赤ん坊の影が消えたのが先か。
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「…逝けたろ」
六佑が呟いた。
と、同時にありかちゃんが「ひっ」と短く悲鳴をあげる。
「まずい」
「え?何?」
「ちょっと、お手洗い」
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言うや否や、変な姿勢で公園のトイレに走って行ってしまった。
数分後に戻ってきたありかちゃんは、大量のトイレットペーパーの上に血塗れの小さなひよこぬいぐるみを乗せていて、それを見た六佑が卒倒したのは言うまでもない。
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「落とした時に回収しそびれたと思っていたが、まさかお腹の中だったとは…」
「………生理来てよかったね」
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そして、後日談。
というか答え合わせかな?
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赤ん坊の姿が偽物で、中身は母親の情念だと気付いた時、六佑は思い至ったらしい。
ありかちゃんの中にあるものもまた、母親のみに由来していると。
どうしても産まれたい子どもそのものではなく、子どもを産ませたい母親が作り出した、紛い物の赤子だったという訳だ。
ひよこのマスコットは、丁度いい媒体になったというところだろう。
では何故、産ませたいのか。
それは、自分が産んでやれなかったからではないのか。
産まれなかった子どもが苦しんでいるとの思いに、囚われてしまっているからではないのか…。
そう考えての、あの一連の発言だったらしい。
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「気休めだけどな」
あの世や生まれ変わりがあるかどうかなんて、俺にはわからないと六佑は言った。
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中央公園のレイプ事件。
思い返してみると、確か被害者は最終的に自殺している。
レイプ自体の心の傷が原因だろうという認識だったが、もしかすると、その時できた子どもを堕ろした罪の意識がそうさせたのかもしれない。
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自分を傷付けた男への憎しみよりも、どうしても産んであげられなかった我が子への想いが勝ったのだとしたら…。
母と子の繋がりは尊いなと、俺は思った。
まあ、今回の母親が彼女だったとは限らないし、真相は結局のところ闇の中だ。
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「お、ふたりとも。先日は助かった。どうもありがとう」
学食のお決まりの席にありかちゃんがやってきて、深々と頭を下げた。
手には山菜うどんと水の乗った盆を持っている。
ありかちゃんは学生でもないくせに、何故か毎日ここの学食で昼を食べるのだ。
座れば、と六佑が引いた椅子に素直に腰掛けるありかちゃん。
「特に六佑。倒れたから心配したぞ。もう何ともないか?」
そう言って顔を覗き込んだもんだから、六佑が盛大に噎せた。
これは大変だ、とありかちゃんが背中を叩いて、余計に悪化している。
荒い息の下、涙目で「あ?」とか凄んでも怖くないぞ、幼馴染みよ。
なんとも平和ないつもの光景を横目に、俺はまったりと塩ラーメンを啜った。
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はいはい。
恋には障害が憑き物ってか。
うん、爆発しろ?
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例のひよこがキレイに洗われて六佑の部屋に飾られていることをバラしたら、本当に爆発するかもしれないが…
今はまだ、黙っておいてやるとしよう。
この幕間の平穏を、心ゆくまで楽しむために。
作者いさ
ありかちゃんシリーズ①
ラノベ風味の創作です。ホラーの雰囲気は薄め。
そういったノリが苦手な方はご注意ください。
また、一部の人には不快かもしれない表現が含まれております。
閲覧は自己責任でお願い致しますが、不快にしてしまったらごめんなさい…。