入ってくる【配達員シリーズ】

中編6
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入ってくる【配達員シリーズ】

一昨年の夏、メール便配達のバイトを始めた。

配達する際のルールに、「完全投函」というものがある。

要は、商材をはみ出さないよう完全にポストの奥まで入れなさい、ということだ。

ドアポストなどでよく見かけるのだが、公共料金の請求書なんかを蓋に挟んで床まで落ちないようにするのは不完全投函であり、私のバイト先ではNG行為なのである。

ポストのサイズや形状によって難しい場合も多いとは言え、極力完全に投函できるよう心がけるのが基本だ。

理由のメインはイタズラの防止だろう。

商材がポストから少しでもはみ出していると、ポストの使用者以外の人間でも簡単に中身を引っ張り出すことができるからだ。

実際、「盗難が相次いでいるため、郵便物は奥までしっかり投函してください」といった主旨の貼り紙を見たことも何度かある。

ほかにも、メール便に記載されている宛名が外から見えれば、それだけで個人情報を流出させているに等しいし、屋根のない場所にあるポストだと、雨が降れば商材が濡れる。

こういった諸々の理由から、完全投函することが重要視されているのだが、どうやらこんなクレームが来たこともあるらしい。

「商材が挟まっていた所為でできた隙間から、蜂が家の中に入り込んで大騒ぎになった」

確かに蜂は危険だ。

可能性は高くはないだろうが、あり得なくもないな…と、完全投函の重要性を噛み締めていた私に、「それ、本当は蜂じゃなかったみたいなんだよなあ」と教えてくれた先輩がいる。

岩城さんだ。勿論仮名である。

岩城さんは50歳前後のベテラン配達員で、もうずっと同じ会社に勤めていた。

そのクレームがあった時も、丁度電話の近くで聞いていたのだそうだ。

「蜂じゃなかったら何だったんですか?ムカデとか?」

「ムカデじゃない。わからん。何かだ、ナニカ」

結局それが何かは判明しなかったし、表向きには蜂だったということにされている。

ただ、クレームの電話をかけてきた相手は傍からでもわかる程狂乱していたらしい。

蜂に対する反応とは思えなかったと岩城さんは言った。

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「いや、でもなー。めちゃくちゃ蜂が苦手な人だったのかも」

「そりゃそうかもしれんが、蜂が人間に集(たか)ったりするかあ?」

すっかり興奮状態の相手から、電話を受けた当時のボス(支部長のこと。バイトが顔を合わせる中では一番偉い)が聞き出せたことは、大体こんな感じらしい。

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・入ってきたナニカは赤黒いゼリー状の物体で、5センチくらいから20センチ近くまで伸び縮みする。

・蜂やゴキブリなどの虫を捕らえて食べている?ようだ。

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・昼間は物陰に隠れているが、夜寝ているといつの間にか、耳や鼻の穴、口の周りに集まってくる。そのため、ナニカのいない閉めきった部屋に籠って、用心のため更に耳栓とマスクをしないと眠れない状況らしい。

・不完全投函の度に入ってきて、もう6匹家にいる。

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すぐに現状の確認とお詫びに伺うという話になり、ボスは慌ただしく出ていった。

上記の詳細は、受話器を下ろした直後のボスが謝罪訪問の準備をしつつ半信半疑で口にしたものだとのこと。

半信半疑というか…お客様の手前笑い飛ばせなかっただけで、半分信じることすら恐らく難しかったのではないかと思う。

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その日、ボスが戻って来る前に岩城さんは仕事を終えて帰宅してしまったらしい。

次の日には「昨日のクレームはやっぱり蜂だったよ」ということになっていた。

ボスの様子を見るに、これはきっと隠すしかない事態だったんだなと察した岩城さん。

とは言え、上司が蜂だったと言うのならば蜂だったのである。

追及することなく過ごしている内に、ボスは仕事を辞めてしまったのだそうだ。

クレームの件から2ヶ月くらい後のことだった。

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その年の暮れ、かつてのボスとサシで飲む機会があったらしい。

ボスの方から岩城さんに電話がかかってきたのだ。

誘われた店に出向くと、久し振りに会うボスは少しやつれたように見えた。

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「蜂じゃあなかったんスよね」

今度は黙ることなく、岩城さんは言った。

話したいことがあるのだとすればその件だと、わかっていたからだろう。

「はは…やっぱ岩城くんは気付いてたかあ…」

ボスが力なく笑う。

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「あの人が言ってた蜂じゃないナニカね、実際にいたよ」

「赤黒い、ゼリー状の」

「そう。電話で聞いた通りのモノが、家具の隙間や天井の隅に確かにいた」

「……それで?」

「………僕はねぇ、…そのナニカを…」

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ーーー持って帰ったんだ。

そう、ボスが言った。

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呼び名はボスでも、結局のところ支部長だ。

対応しきれない問題は本部に持ち込んで指示を仰ぐ。

もはや電話報告だけでは済まない事態になっていることを考えると、物証があるに越したことはなかった。

そこで彼は、家に持ち帰ったのだという。得体の知れない赤黒いスライム擬きを。

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ボスは詳細を口にはしなかったそうだが、それの捕獲には相当手間がかかったらしい。

一匹だけ持ち帰り、残りの駆除と「そのほか」についての話し合いはまた後日ということで、その場は一旦収めた。

不完全投函が原因での不利益ということならばできる限りのことはしたかったが、確たる証拠もない話である。

他の配達業者やビラ配りで、不完全投函する人間は山程いる。

何処までがこちらの配達員がしでかした不手際かなど、わかるはずもなかった。

その辺りの事情と、「ナニカ」が入り込んでしまった事態の重大性を秤にかけて、上層部に判断してもらうしかない。

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二重にして空気穴を開けたビニール袋に入れて持ち帰った「証拠品」を、ボスはそのまま空のゴミ箱に放り込んでお盆で蓋をした。

お盆は、空気が入るよう少しずらして隙間を作ったという。

廊下や家族の使う部屋に放置する訳にもいかないため、置き場所は自分の部屋だ。

寝る際には、帰りがけに調達した耳栓とマスクをしっかり着けた。

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翌朝。

目が覚めたボスは、下腹部に違和感を感じたのだそうだ。

ざっくり言うとお腹が微妙に痛い。

耳栓とマスクを外し、(トランクス一枚で寝ていたが、そのまま自室を出ると娘に怒られるので)ズボンを履いて手洗いに行った。

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最初は、血便が出たのだと思ったという。

何かしらの病気かと心配して観察しようとしたところ、便器に落ちた赤黒いそれが、ごそりと動いた気がした。

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…いや、確かに動いていた。

ごそり、ごそりと。

意思を持って。

その上、その塊の中にはゴキブリのものと思わしき黒茶の翅や千切れた足が、半分溶けかかって見え隠れしていた。

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咄嗟に水洗レバーを引いてしまったのは、致し方ないことだったろう。

部屋に戻ってゴミ箱を確認すると、案の定例の「ナニカ」は消えていて、溶けて破れたビニールだけがそこにあった。

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「口や鼻に集まるって聞いてたけど…、入れる穴があれば何でもよかったんだよねぇ…」

結局、証拠は流れてしまったし、身体の中に入ったアレが全て外に出たかどうかもわからない。

もしかすると、千切れた肉片がまだ消化官をさまよっているかも…。

精神的に参ってしまって会社を辞めたのだと、ボスは少し薄くなった頭を掻いた。

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その時点では身体に異常は出ていなかったらしいが、それも随分昔の話。

現在の彼がどう暮らしているかは、岩城さんも知らないとのことだった。

ボスはその後暫くして携帯の番号を変え、音信不通になってしまったそうだ。

Concrete
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鏡水花さま、こちらにもコメントありがとうございます!><*
私もGは苦手です…。
入ってくるならせめて、体の中のGを全て消化しきった後にして欲しいと思います(真顔)

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