既視感 ~前編~【A子シリーズ】

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既視感 ~前編~【A子シリーズ】

大学三回生の夏、前期試験をつつがなく終え、一息つけた頃のこと。

 大学校内のカフェで、ブリリアントなティータイムをアンニュイにエンジョイしていると、私の背後に不穏な影が忍び寄って来るのを感じました。

 「やっぱり、ここにいた」

 聞き慣れすぎて、耳にタコどころかクラーケンが這い出して来そうな声に、私は息が止まりそうになります。

 「よっ……こらしょーいちろう」

 同じ平成生まれとは思えないことを、そこそこの音量で吐きながら、空いていた向かいの席に勝手に座るA子に、嫌な予感しかしない私。

 「何か用?」

 つっけんどんに言う私に、A子はニヘラと緩い笑みを浮かべながら返します。

 「連れないなぁ…アンタ、せっかく旅行に誘おうとしてあげてるのに」

 頼んでないし……しかも、何で上から?

 そう思いましたが、口に出すと何かと面倒なので、黙っていると、A子が有名な旅行雑誌を開いて、テーブルの上に広げて見せました。

 「ここ!……じゃなかったな……あれ?どのページだったっけ?」

 広げて見せたページはどうやら違う場所だったらしく、パラパラと捲り出すA子。

 そういうトコだよ?アナタの悪いトコ……他にも沢山あるけど……。

 しばし、段取り悪子の準備を待つ間、ハーブティーの香りを楽しみましたが、ことさらに時間を要し、せっかくのハーブのリラックス効果を打ち消します。

 「あったあった!ここだ!一緒にここに行こう」

 最初に開いたページより、大分進んだページにその場所はありました。

 私はむしろ、最初のページの方が気になりました……何で間違えたのかが。

 「結構、遠い場所だね。A子の田舎だったっけ?」

 写真の場所は、なかなかにノスタルジックな自然溢れる田舎で、都会に生まれ育った私でも、何処か懐かしさを感じる場所でした。

 「ううん、違うよ。確かにアタシの田舎もかなり田舎だけど……てか、アンタ、都会生まれだからってアタシのこと、バカにしてない?」

 熱い被害妄想に、私は辟易しました。

 「どうせ、アタシはド田舎の造り酒屋の末っ子長女ですよ……」

 自虐的なA子の台詞に……何か、然り気無く金持ち自慢ぶっ込んでるし。

 「そんなつもりないよ……気を悪くさせたならゴメン」

 何で私が謝ってるの?

 誠に遺憾ではありますが、この後の被害拡大を鑑みて、予防線を張るクセが染み付いていた私は、自分が嫌いになりそうでした。

 「何か良くなくない?」

 幸薄そうな笑顔で私に笑いかけるA子に、「その言い方だと『良くない』と思われるよ?」とは言えず、受け流す私。

 「うぅ~…ん。どうかな?確かに空気や水は美味しそうだけど……」

 難色を示す私を、無垢な幼子のようなキラキラした瞳で見つめるA子でしたが、持ち前の三白眼のせいでちっとも可愛くありません。

 「行こうよ!名物はジビエだよ?ジビエなんだよ?これはチャンスだよ?」

 ジビエに全く興味がない私には、1ナノメートルも魅力的ではなかったのですが、執拗に推すA子の態度に興味があり、とりあえず話に乗ることにしました。

 「よかったぁ!実はもう予約入れてたんだよ!!」

 確定事項だったのか……。

 早速、謎が解けたところで脱力してしまった私に、A子が越後屋みたいな悪い顔をして言いました。

 「楽しい旅になるよ?絶対後悔させないから」

 ミステリ好きな私にしたら事件へのフラグにしか感じない一言を囁くA子に、心もハーブティーもすっかり冷めてしまい、不吉さを覚えつつも、私はアルバイト先の休み調整に骨を折るのでした。

 旅行当日、例に漏れず遅刻をかますA子のお陰で、列車に乗り遅れ、到着時刻を大幅にずらさずを得なかったため、宿泊先への連絡と謝罪をやらされた私は、怒りに打ち震え、移動中は能面のように表情を殺して不快感を露にしましたが、A子は我関せずにご機嫌です。

 列車を乗り継ぎ、ようやく駅に降り立ったA子と私は、無人の改札を出ると、閑散とした駅前に軽く引きました。

 目の前は一面の田畑、店も何も無く、人っ子一人見えません。

 「迎えは?」

 私が絶望の中でA子に問いかけると、満面の笑みを向けて言います。

 「頼んでない」

 ガーン!!

 私の心に初めてこの音が響き渡りました。

 それと同時にA子に殺意が芽生えます。

 「どうするのよ!?」

 私の抗議にA子は楽観的に答えました。

 「歩くんだよ。これだから都会っ子は……」

 嘲笑するように溜め息混じりで滑らかに私をディスるA子が、憎らしくて堪りませんでした。

 道を知ってるのか、さっさと先に行くA子を追い、私も歩きます。

 申し訳程度に舗装された道を歩くA子と私、同じような景色に、何故か懐かしさを感じます。

 旧き日本の原風景の力は、斯様に訴えるものなのかと、感慨深く思いました。

 集落のような民家の集まりが見えてくると、その想いは一層強まってきます。

 本当に何もない田舎で、雑誌の謳い文句は全く偽り無しでした。

 道沿いにちらほら並ぶ民家を通っていると、私の頭の中に一瞬、寂れた神社の映像が浮かび、消えました。

 「あの道を曲がったら神社があるよ」

 A子が指差す道の先に、右手に見えているこんもりした山へ行くための丁字路があります。

 この時、私もA子の言葉に何の疑問もなく、確かにあると直観していました。

 案の定、その道の先には神社の鳥居が見えます。

 「アンタも分かってたでしょ?」

 見透かしたように言うA子に、私は黙って頷きました。

 自他共に認める天才的方向音痴の私が、初めて来たはずの場所の神社の在処が分かったのに、私自身はこの時、田舎の山には神社が多いだろうと言う推理が、頭に浮かんだだけだと思い込んでいました。

 既視感と言う言葉は知っていましたが、体験したのはこれが初めてです。

 そのまま進むこと5分、本日の宿泊先である宿に到着した私達は、その趣ある堂々とした佇まいに、思わず息を呑みました。

 昔話に出てくる長者の家、歴史で習った庄屋の家、それがそのまま現代にタイムスリップしてきたような立派な平屋のお屋敷です。

 そして、何処か懐かしさを感じていました。

 歴史的価値の高い宿の外観を目の当たりにして、立ち尽くしていると、A子は私の手を引いて、ズカズカと中へと入って行きます。

 「ただいまぁ~!!」

 入って早々、馴れ馴れしさ全開のA子を、私は慌ててたしなめます。

 「ちょっと!!やめてよ、恥ずかしいじゃない!!」

 A子と私の小競り合いを見ながら、奥から和装の女将さんが出て来ました。

 「いいんですよ?ここを我が家だと思って、どうぞごゆるりとお寛ぎください」

 ニコニコしている女将さんに、申し訳ないやら恥ずかしいやらで、私は赤面して頭を下げました。

 「しかし……立派なお屋敷ですね」

初めて間近で見る伝統的な日本家屋に、私は少し興奮していました。

 「いやぁ……いい柱だねぇ……」

 立派な欅の柱を撫でながらA子が呟きます。

 あまりにも自由なA子の挙動が、女将さんの業務に支障をきたさないかハラハラしている私など、何処吹く風のA子はあっちベタベタ、こっちベタベタと触りまくりです。

 「お客様のお部屋はこちらになります」

 長い廊下を進んだ先の奥の部屋に通された私達は、その部屋の広さに驚嘆しました。

 私の実家のリビングよりも広いその部屋は、目測で20畳はあります。

 そして、何もない……。

 だだっ広い部屋の真ん中に一畳くらいの重厚なテーブルが1つ、その周りを座椅子が囲んでいます。

 A子は荷物を部屋の端っこに置くと、座椅子にドッカリと座りました。

 「よっこら……しょーいちろう」

 結局、誰なの?それ……。

 部屋の入口で冷やかな視線を送りつつ、立ち尽くしていると、A子が隣の座椅子の座布団をパンパンして言います。

 「アンタも座ったら?」

 何で隣に座らなきゃならないの?

 私も部屋の片隅に荷物を置いて、A子の対面に座ると、女将さんがお茶を入れてくれました。

 「都会から、しかも若い女性のお客様方なんて珍しいから、とても嬉しいですよ」

 女将さんが人懐っこく笑うと、A子が品性の欠片もない笑顔を返します。

 「いやぁ……相変わらず何もないねぇ」

ば…ばっきゃろぅ!!

 「申し訳ありません!!この子は頭が病気なんです!!どうかお気になさらないでください」

 言わなくていいことを事も無げに言ってのけるA子のデリカシーの無さが大嫌いです。

 「いいんですよ?本当に何もないですから」

 人の良さが溢れる笑顔で屈託なく笑う女将さんに、私はすっかり恐縮してしまいました。

 「どうか、ごゆっくりお寛ぎくださいね」

 深々と一礼して部屋を出ていった女将さんを見送った後、A子は膝を打って私を見ました。

 「さて、風呂でも行きますか?」

 スックと立ち上がって、私を妖し気な瞳で見下ろすA子に、私は悪寒を禁じ得ませんでした。

 「行ってらっしゃい」

 さらりと突き放すと、A子はベタベタと私にまとわりついて言います。

 「一緒に入ろうやぁ~♪体洗いっこしようやぁ~♪グヘヘへへ」

 ただただ気持ちが悪いA子の行動に、私はドン引きするだけでした。

 「一人で入って来てよ……私は疲れてるんだから」

 私がその場にゴロリとふて寝すると、A子は「ちぇっ」と言って部屋を出て行きました。

 ホントに「ちぇっ」なんて言う人を初めて見ました。

 寝転んだまま、黒く煤けた天井を見つめていると、クスクスと小さな笑い声がしました。

 声のした方を見ると、着物姿の幼い女の子が部屋の奥で正座したまま、私を見つめていました。

 「サァ……」

 女の子は微笑みながら、私に言いました。

 「お姉…ちゃん?」

 私の口が勝手に発した言葉に呼応するように、女の子は音もなく立ち上がり、私の頭の方に座り直すと、優しく私の頬を撫でました。

 それは青白く華奢な冷たい手でした。

 その手の冷たさに、ハッと我に返った私が上半身を跳ね上げると、部屋には元の静寂が戻り、孤独感が私を襲いました。

 穏やかな時間に包まれた室内で、私はいつの間にかうたた寝をしていたようです。

 何だか怖くなった私は、部屋から出て、宿の中を散策することにしました。

この何とも喩えようのない恐怖が、この後に起こる出来事の単なる序章にしかすぎなかったのですが、この続きはまた別の話です。

Concrete
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