「恵美理、早くご飯食べちゃいなさい。」
恵美子はようやく制服に着替えた恵美理に声をかけると、洗濯機のスイッチを押した。
恵美子は思い切って、子供を買った。
「ヤマモトヒロシ」を買った会社の、「あおい」という子供を買ったのだ。
半分人間、半分機械の「ヤマモトヒロシ」を量産したこの会社は、今日本で飛躍的に成長しつつあった。
日本の人口の実に10パーセントがヤマモトヒロシになりつつあるのだ。
ヤマモトヒロシも改良に改良を重ね、燃費の良さ、耐久性、安全性は年を重ねるごとに、確固たる信頼を得ており、半人間アンドロイドの実にシェア90パーセントを誇っている。
この会社でも人気の平均的日本人顔の子供アンドロイド「あおい」を恵美子は購入した。
ヤマモトヒロシだけでも、寂しくはなかったのだが、この前のリコールで改良された「ヤマモトヒロシ」はよりロボット感を増して、なんとなく冷たく感じて、恵美子は「あおい」の購入を決めたのだ。恵美子はかねてより、自分の子供には、自分の名前を取って、恵美理とつけることを決めていた。
恵美子が死んだ時に、一緒に死んでしまった娘の名前だ。
恵美子は、元の夫のDVから逃れ、娘の恵美理とひっそりと暮していた。
しかし、元の夫に住所をかぎつけられてしまい、子供もろとも、滅多刺しにされて殺されてしまったのだ。
恵美子は何とか、親の財力と現代医学の力で、エンバーミングを施して蘇ることができたのだが、娘の恵美理は損傷が激しくて助けることはできなかった。自分だけが助かったことに、一時は親を恨んだが、恵美子も一度は親になった身なので、親の気持ちは痛いほどわかる。もう一度死のうかと思ったが親の気持ちを考えればそれはできなかった。
恵美子の元夫は、今も服役中で無期懲役。死刑制度は、今の日本では廃止になったのだ。
日本中に「ヤマモトヒロシ」が溢れて、紛らわしいということで、最近ではヤマモトヒロシに自分の姓を名乗らせる女性が増えているが、あえて恵美子はそれをしなかった。
まだまだ、あいつが生きているのだ。恵美子はあの時の恐怖を忘れることができない。誰にも知れずに、ひっそりと娘と暮していたのに、かぎつけられたのだ。だから、恵美子はあえて「山本恵美子」として生きることにした。
恵美子は、おいしそうに朝ごはんを食べている恵美理を見つめていつの間にか、口元がほころんでいた。
その娘に死んでしまった恵美理を重ねていた。
ヤマモトヒロシが行ってきますと席を立った。恵美子は玄関までヤマモトヒロシを見送りいってらっしゃいと言った。こんな何でもない日常が恵美子にとっては幸せだった。そして恵美理を玄関で見送ると、台所からけたたましいアラームがピピピピと音をたてた。あら、もうそんな時間。
これさえなければ、恵美子は自分の生がニセモノでは無いのにと溜息をついた。
エンバーミングの時間だ。毎日、この液体を補充しなければ元夫に滅多刺しにされた恵美子の体は傷んでしまうのだ。
いつものように液体バッグを点滴棒に引っ掛けると、慣れた様子で足の付け根の静脈に針を刺す。
裸になった美代子は、冷蔵カプセルに体を横たえた。
エンバーミングが一通り終わると、恵美子は買い物に出かけた。
今日はカレーにしようかしら。ふとそんなことを考えながら買い物をしている自分に自然と、おかしくなって笑みがこぼれてしまった。うちのヤマモトヒロシは、カレーを好んで食べる。
普通、ヤマモトヒロシは食べ物の好みなどはなく、何でも好き嫌いなく食べると聞いているのだが、このヤマモトヒロシはカレーの時だけ、おかわりを要求するのだ。
最初は、また不具合かしら、燃費はよくなったはずなのにと不思議に思ったが、またディーラーに出すのも面倒なので、気にしないことにしたのだ。それに、やはりほんのしばらくでも、ヤマモトヒロシの居ない生活は寂しくて心細いものだ。ヤマモトヒロシには感情は無いから、そんな恵美子の気持ちなどわかるはずは無いだろう。
恵美子は無意識に買い物カゴに、じゃがいもと人参、玉ねぎを入れて会計を済ませるといそいそと自宅へ戻った。
玄関に立つと、顔認証で玄関が開くようになっている。最近の家はこれが標準装備で、恵美子がインターホンの前に立つと恵美子の顔を認識して、ドアの鍵が開いて、ドアノブに手をかけた瞬間、恵美子の背中に固くて冷たいものが押し当てられた。
「よお、恵美子。久しぶりだな。お茶くらい出してくれるんだろ?」
押し当てられた冷たい物が何であるかも一瞬にして理解できた。これで滅多刺しにされたのだ。
そして、忘れもしない、その声はあの男のものだった。恵美子の頭の中に走馬灯のようにあの忌々しい記憶と恐怖が蘇った。
恵美子の顔を認識したドアは、いとも簡単にその男の侵入を許してしまう。
恵美子は口をぱくぱくとさせるばかりで、満足に空気を吸えないほど怯えていた。
「よくも、俺をムショにぶち込んでくれたな。」
男は半笑いで、後ろに後ずさる恵美子を追い詰めて行く。
誰か!助けて!
そう思った瞬間、男が施錠したはずの玄関ドアがガチャリと開く音がしてヤマモトヒロシが帰ってきたのだ。
「助けて!」
恵美子はようやく声に出して叫んだ。
ああ、でもヤマモトヒロシではこいつに勝てないかもしれない。ヤマモトヒロシは量産品。
こういったシーンを想定してはいないのだ。こんなことなら、用心棒アンドロイドも購入しておけばよかった。
「へえ、これが噂のヤマモトヒロシかあ。おい、恵美子、お前、こいつにヤらせてんのか?アンドロイドとのあれは気持ちいいのか?ああ?」
恵美子は髪の毛を引っぱられて、引きずり回された。
ヤマモトヒロシがこちらに向かって来ると、恵美子にすかさず元夫は刃物をつきつけた。
「おっと、それ以上近づくと、この女を殺すぜ。お前も飼い主が居なくなるのは困るだろう?」
この男はどちらにしても、私を殺す気だ。そのために脱獄してきたのだろう。
脱獄のニュースはまだ見ていないが、この男は執念深い男だというのは重々知っている。
私も、もうこれまで。恵美子は観念した。
その時、また玄関の開く音がした。しまった!恵美理のことを忘れていた。
恵美理はアンドロイドではあるが、半分は人間の体でできているのだ。
恵美子にとって、恵美理はかけがえのない子供に違いなかった。
恵美子は、決死の覚悟で元夫に体当たりした。ヤマモトヒロシが弾けたように、元夫に飛び掛った。
「恵美子!恵美理!逃げろ!」
ヤマモトヒロシが叫ぶ。
「あなた!」
恵美子はヤマモトヒロシに向かって泣き叫んだ。
「早く逃げろ!」
ヤマモトヒロシと元夫は取っ組み合っている。
「恵美子!庭の倉庫にタイムマシンがある!あれに乗って恵美理と違う時代に逃げるんだ!この男はアンドロイドだ!お前は知らなかっただろうが、この男は永遠にお前を追い続ける。狂ってるんだ、こいつは!」
ヤマモトヒロシから信じられない事実が告げられた。
ヤマモトヒロシは全て知っていたのか。
「でも!」
「俺は死なない!ヤマモトヒロシだ!でも俺にとって山本恵美子は一人だ!ただ一人の女房だ!そして、恵美理も俺にとってはただ一人の娘だ!生きてくれ!お願いだ!」
「うるせえな、この量産野郎!」
元夫が、ヤマモトヒロシをなぐりつけると、頭がぐらりとゆれて、おかしな方向に曲がってしまった。
「あなたあああ!わああああ!」
恵美子は泣きながら、恵美理を抱えると、庭の倉庫に走った。
すぐに元夫が追ってきて、恵美子に手が届きそうになった瞬間に、タイムマシンのドアが閉じた。
かに思われたが元夫も円盤に乗り込んでしまった。
そしてヤマモトヒロシも。
瞬間、ドーム型のそのマシンは物凄い音を立てて振動した。
恵美子の体はその重圧に耐え切れず、いたる所から、エンバーミング液を噴出した。
恵美理、あなたは、あなただけは生きて。
恵美子の意識は、不思議そうに恵美子を見つめる恵美理の姿を最後に映して途絶えた。
恵美理が意識を取り戻すと、そこは見知らぬ場所であった。
ドーム型の円盤のタイムマシンは大破して、犬が自分を見下ろしていた。
犬がなにやら、わからない言葉でひそひそと話している。
どうやら恵美理以外は全員死んでしまったらしい。
どこを見ても犬ばかり。ここには犬しか住んでいないらしい。
タイムマシンは時として時空の歪にはまり、別の空間に移動してしまうことがあるらしいと聞いたことがある。
例えば別の惑星に移動してしまうことも。
今私を覗き込んで思案顔のこの犬の種類は、テリアだ。ペットショップで見たことがある。
「恵美理、お誕生日にはわんちゃんを買ってあげるね。ほら、この子、かわいいでしょう?」
そう言ったのはたぶん母親だ。
恵美理の目から、一筋のしずくが零れ落ちた。
これが涙というものか。
作者よもつひらさか
ヤマモトヒロシシリーズと「見上げてごらん128億光年離れた夜の星を」のコラボでございます。
ロビンM様 「見上げてごらん128億光年離れた夜の星を」 http://kowabana.jp/stories/28074
「ヤマモトヒロシ」 http://kowabana.jp/stories/26046
「笑うヤマモトヒロシ」 http://kowabana.jp/stories/27667
「ヤマモトヒロシ改」 http://kowabana.jp/stories/27309