1
これはいつの事だったか、風の心地よい季節だったから、たぶん春だったような気がする。
龍と立ち飲み屋でたらふく飲んだ後、フラフラとタクシーも使わずに歩いて帰っていた。
龍が小便をしたいというので、近くに見えた公園の便所に入る。
妙に薄暗くて小汚い便所だった。内部には曇った蛍光灯が一つあるだけで、手洗い場の上でジリジリと嫌な音を立てている。
二つある個室は開きっぱなしで光も届かず真っ暗、酒で馬鹿になった鼻でも思わずつまみたくなるほどの悪臭を放っていた。
「あ、あ、兄貴これ!!」
龍が手洗い場の鏡にボオと映り込む老婆の顔を見つけた。
目を閉じて、口元を真一文字にしたその不気味な顔は、何を言うでもなくそこに映り込んでいる。
俺たちは「なんだよこいつ?」とか言いながら、老婆とのにらめっこが始まった。
が、先に動いたのは向こうだった。
口元がモゴモゴと動きだしたのだ。
「きんも!!」
龍の一声で「バチン!!」と凄い音がして唯一の蛍光灯が切れてしまった。
真っ暗な静寂。
すかさずスマホの光を当ててみたが、鏡の中にはもう老婆の姿はなかった。
2
ジャンジャジャーン!、龍がポケットから缶ビールを2本取り出した。
俺たちは気晴らしがてら公園のベンチで飲み直す事にした。
「あ、あ、兄貴あれ!!」
龍がひっくり返ったゴミ箱を漁っている小型犬を発見した。
こちらからは後ろ姿しか見えないが、恐らくあの毛のモコモコ具合からいって、トイプードルかフィジョンフリーゼ辺りだろう。
「こんな夜中に小型犬だと」
犬好きの龍が「迷子でちゅかー?こっちにおいでー」なんて言いながら近づいて行くと、犬の顔がクルリとこちらを向いた。
「ぎゃほほっほっふーい!!」
龍が飛び上がる。
なんと驚いたことに、モコモコの体には先ほどの老婆とおぼしき不気味な顔面が張りついていたのだ。
目を半開き、口いっぱいにゴミをほうばりながらモグモグいっている。目は完全に逝っていた。
「きんも!!」
その時、中学時代センターフォワードで鳴らしたエースストライカーの龍が素晴らしい反応を見せた。
反射的にその人面犬をノーモーションで縦に蹴り上げたのだ。
ぎゃふうううん!!
犬は無回転で藪の中へと消え去り、俺たちは「キモいんだよバーロー!」と吐き捨てて公園を後にした。
3
「あれは何だったんだろうな?」
龍には俺の声が聞こえていないのか、涼しい夜道で鼻歌なんぞを口ずさんでいる。
「好きな男のー、腕の中でもー、違う男のー、夢をみるーうー、うーううーうー♪
わたしのなーかで、お眠りなーさーい♪」
それ誰の曲だよ!
「あ、これすか?去年死んだ婆ちゃんがよく歌ってた曲なんすよー。誰の曲なんすかね?」
「ふーん」
どうでもいい。
俺たちはいつもの三叉路で別れた。
「兄貴お疲れっす!!」
「おう、またな」
だが、ものの数秒で龍が何やら叫びながらこちらに向かって走ってきた。
「あ、兄貴!ひ、人魂が!!」
「な、なんだと?」
確かに龍の後ろ、暗闇の中にひらひらと青い人塊らしき物が浮遊しているのが見える。
しかもよく見ると、その人魂には先ほどと同じく、老婆とおぼしき不気味な顔面が張り付いていた。
「しつけーんだよ!!」
俺はたまたま足元に落ちていた虫取り網で、怪しい人魂を一発でゲットした。
そこへすかさず、高校時代に器械体操で県大会決勝までいった軟体動物の龍が、見事な月面三回転半宙返りをみせた。
ばちこん!!
龍の身体に押し潰された人魂は、一瞬にして跡形もなく消え失せた。
4
龍はこの時あばら3本と右足首を捻挫し、そのすぐ後にカブに轢かれた。目立ちたがり屋で途方もないバカである。
俺は龍の大好物のくるみゆべしを抱えて、やつの家に見舞いにいった。
龍の母ちゃんにゆべしを渡した時に気づいたのだが、仏壇がある和室の壁上に、あの時3回も俺たちの前に現れた老婆の遺影が飾られていた。
そう言えば最初に便所で老婆を見かけた時、モゴモゴと口が動いていたな。
『りゅうや
けがにはきをつけんしゃい』
ふむ、つまり婆ちゃんはただ可愛い孫のことが心配で現れただけなのか… そう考えた時、俺の胸に何か熱いものがこみ上げてきた。
「悪い事をしちゃったな」
俺は婆に手を合わせた。
「ちくしょう龍め、自分の婆の顔も忘れて2度も酷い仕打ちをしやがって」遺影の中の婆は泣いているようにも見えた。
「婆ちゃん、龍の事は俺に任せてくれ」
俺の中の熱いものは、すぐにメラメラとした激しい怒りの感情に変わった。
そっと2階に上がるとドアの隙間の向こうで、大袈裟に包帯を巻いた龍がだらし無い顔でエロ本を読んでいた。
「やあ、調子はどうだい?」
「あ!あ、あ、兄貴!!」
俺がその後、龍の左足も骨折させてやった事は言うまでもないだろう。
了
作者ロビンⓂ︎
最上級の恐怖を貴方に…ひひ…