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長編9
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獣の道

慶長八年...というのは西暦で言うと1604年の事である。

当代随一の剣法指南と名高い吉岡一門約100名が足下で陣形を整えるのを、松の大木の上から眺める男があった。

「ま、一人でノコノコ来るとは思ってなかったけどな。」

その男、宮本武蔵が吉岡の長兄を再起不能に追い込み、次兄を殺害したのは前年の事。すっかり面子を潰された吉岡家は長兄の嫡男・又七郎を立て、ここ京は一乗寺下り松にて武蔵に決闘を申し込んだのである。

2月の京は日が沈むと特に冷える。

「あぁ、寒いな~」

武蔵の潜む木の根元で立ち小便を始めたのが、吉岡の名代・又七郎だ。年の頃は12歳程だろうか?元服もまだであろう。

「何人いようが、大将首を取りゃコッチの勝ちよ。」

武蔵が木の上から身を踊らせる。

グシャッッッ!!

頭の潰れる音に、門人達が振り返った時には又七郎はその短い生涯を終えていた。

骸の傍らに立つ宮本武蔵は、身の丈六尺(約180㎝)はあろうかという偉丈夫である。その手に握られているこれまた巨大なモノは木刀...だろうか?ボロボロの身なりにボサボサの髪、返り血を浴びた相貌は松明の光にハレーションして正に鬼の如くである。

「この卑怯者!!先生方の敵(かたき)宮本武蔵、この守永源次郎が討ち取ってくれる!!」

鞘から抜き払い、切り下ろした一閃が敵のそれと交差する。戦場(いくさば)での経験豊富な源次郎には勝算があった。

狙うは指だ。

奴の得物には鍔(つば)がない。ソレに沿って切り下ろして、指を落とす。得物を握れなくなった所でなぶり殺しだ。

ザクッ!!

動きを止めたのは、しかし源次郎であった。何処から抜いたのか、武蔵の小刀が一瞬早く突き立てられたのだ。それは無慈悲にも、源次郎の腹を横一文字に切り裂いた。

「あああああああああああああああああ~~~」

悲鳴とも嗚咽とも取れる声が響く。腹膜が破られ、鮮血と共に源次郎の膓が地面にぶち撒かれた。外界の冷気に晒されたそれからは湯気が上がり、活きた膓の血生臭さが鼻を突く。

「二刀流よ。お前らコレが見たかったんだろ?」

舌舐めずりしながら武蔵は言った。

「束になって掛かって来なよ。でも何人かは...」

木刀の先で、まだ呻いている源次郎を小突く。止めは差さない、敢えて。

「コイツみたいになるかもな。」

目前の醜態を見せつけられ、圧倒的多数の筈の門人達は誰一人動けない。

大将首を取ったら終わり。

又七郎が死んで跡取りを失った今、吉岡家に先は無い。彼らには、最早命を掛けるだけの大義が無いのである。

「ウガァァァァァァァァァァ!!!!」

武蔵は咆哮しながら疾風の如く駆け出す。目前の者達が畏れて道を空けると、彼は闇の中に消えていった。

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「武蔵よ、お前は殺しすぎる。」

沢庵和尚はため息交じりに言った。

「殺生は憎しみを呼び、憎しみは恨みを呼ぶ。お前の周りに渦巻いた恨みが呪いに変わっても何の不思議もあるまいよ。」

「確かに俺を恨む者は数多く居るだろうが、しかし呪い等と面妖なモノが本当に在るものなのか?」

「ではお前はお前に起こっている出来事をどう解釈するのだ?」

武蔵の身にそれが起こったのは、一乗寺での決闘から十日程もたった頃である。

風呂で眠ってしまった武蔵が目覚めると、湯船の中が真っ黒なドロドロした何かで一杯になっていたのだ。

「ややっ!!」慌てて湯船から出ると、それは蠢きながら彼の方に向かって来たのである。

「喝ーッ!!!」

武蔵が気合をぶつけると異形のモノは消え去り、湯気の立つ元の湯船が表れた。

それ以来、水のある所に必ずそのドロドロが現れる様になった。風呂場は勿論のこと、井戸や厠、酒までソレに変わった。

「お陰で風呂に入れん様になってしまった。」

「道理で、お前チト臭うぞ。まあよい、呪いは私が返しておく。」

沢庵は数珠を弄りながら言った。変わった数珠だ、武蔵はいつも思う。

「但し武蔵、心してかかれよ。相手が誰かは分からんが、その呪いを手引きする者が必ずいるものだ。その者の力次第では、返した呪いがまた返って来るやも知れぬ。

呪いは返し返されする内に増幅され強くなるのだ。コレは本当に恐ろしい事で、お前が手を染めている人斬りとは次元が違う。」

沢庵はそう言って、その青い瞳で武蔵を見詰めた。

和尚は不思議な男である。その肌は透ける様に白く、立ち上がると武蔵よりも一回り背が高い。彼以外に自分よりも大きな者を、武蔵は知らない。

そして、見たこともない文字で記された聞いた事もない経を読むのだ。

「ま、お前とこうして会うのも久しぶりだな。理由は兎も角これも何かの縁、一呑付き合っても罰は当たるまい。おい、お由美!!」

その名を聞いて武蔵はまた気が滅入る。

薄気味悪い女。能動性というものが全くないのである。和尚に申し付けられない限り、座敷の一隅に座って身動ぎ一つしない、声も発する事無く俯いている女。

殊に不気味なのは眼だ。

別々の有り得ない方向に振り切れて、白眼が剥き出しになったあの眼。それを見たのは、酒に酔った武蔵が女を手籠女にしようとしたその時だったのだが...。

「お由美は戦場で拾った。」

沢庵は言った。生臭坊主!!よくもまあ、あんな女と。

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鎖鎌は、鎌と金属製の分銅を鎖で繋いだ武器である。

鎖を回転させる事で分銅に遠心力を加えて相手に投げつける。分銅で直接相手に危害を加える事もあれば、手にした武器を絡めとる事も出来る。

厄介なのは間合いだ。鎖を持つ位置を変える事でそれが自在に変化するし、接近戦となれば鎌を使う。使い手の腕と状況次第では危険な得物である。

「ブオンッッ!!」

その分銅が唸りを上げて武蔵の鼻先を掠める。

今のは危なかった。遠心力の加わった分銅には骨をも砕く威力があるのだ。

彼の目前で分銅を振り回しているのは、宍戸梅軒。武蔵が三年程前に殺した筈の鎖鎌の使い手である。

「ビュウウン!!」

梅軒の放った鎖が蛇の様に空中で畝ると、武蔵の持つ木刀に絡み付いた。ガクン!!と鎖が引かれる。

「そう来たか。でもな、」

その力に引かれるまま武蔵は走る。袖口の小刀に手を掛けながら、尋常ならざる速さで間合いを詰める。

「もらった!!」

首に鎖が巻き付いたのは、武蔵が勝利を確信した刹那であった。幾重にも巻き付いた鎖は、それ自身の重さで彼の気管を圧迫する。

「おのれ、二本目とは...」意識が遠退き、膝を尽く武蔵の目前に梅軒が迫る。

その梅軒の足を、武蔵が踏みつけた。最後の抵抗か?否、相手は悲鳴を上げつつ後退りしたのだ。その隙に巻き付いた鎖を打ち捨てる。

再び構えようとした梅軒の眉間に、武蔵の投げた小刀が突き刺さった。途端に彼の鼻や耳、眼といったあらゆる穴から黒いドロドロが流れ出す。

「和尚、今だ!!」

物陰から沢庵が現れ、呪い返しの経文を唱える。

全て黒いドロドロと変した梅軒の身体は、そのまま地面に吸い込まれていった。

「危なかったな、武蔵よ。」

「まあな。コイツを仕込んどいて助かったよ。」

そう言って沢庵に草履の裏を見せる。そこには小さな刃が仕込んであった。

「呆れた奴だ。そこまでして求めるお前の兵法とは何だ?」

「鎖鎌なんて初めてだからよ。用心に越した事はないだろう?」

「初めて?武蔵、お前は三年前に...」

「まぁ、あの時は寝込みを襲って...そんな事より何回目だよ!呪いを返すのは。」

沢庵が呪いを返すのは、これで五回目である。黒いドロドロだったそれは、現れる度に具体化して行った。

「此度は梅軒。呪いはまるでお前の心の闇を映している様だな。」

武蔵はいささか疲れていた。生涯負け無し、と唄っているがその殆どは、待ち伏せ・不意討ち・隠し武器等で成し遂げた物である。

今回の様に「何等の情報も無い相手と対峙して命のやり取りをする」など彼の兵法には有り得ない事なのだ。

ましてや相手は人外の物、いつどこで襲って来るか分からない。

「獲物はこの俺...」武蔵の中に恐怖が広がる。

「和尚、返すだの返されるだの何時までもやってないで、もっとズバッと断ち切れないのかよ?」

「方法はある。呪いは呪う者と呪われる者、両者がいないと成立しない、要するに呪う者を殺してしまう事だ。これ以上お前に罪を重ねさせたくないがな。」

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しとしとと雨の降る三月の晩。大きな屋敷の前に立つ3つの影があった。

闇の中に「吉岡剣法道場」の看板が浮かび上がる。

「和尚、本当にここなんだろうな。」

「いいから黙って入れ。」

通用口に二~三度蹴りを入れると、閂が壊れて扉が開く。宮本武蔵、凄まじい力である。

大きな物音に門人達が駆け付ける、等という事はない。戦いに敗れ、主を失った屋敷から、皆去ったのである。

「こっちだ。」沢庵が先導して奥に進む。廊下を進み襖を幾つも開けた先、大広間に奇妙な祭壇が設けてある。その前に女が立っていた。

女は武蔵の姿を見て全てを悟ったのか、

「おのれ宮本武蔵!!かく成る上は主人と息子の敵、この場で果してくれようぞ!!」

気丈にも短刀を構える。

「吉岡の長兄、清十郎の女房で又七郎の母親。お前を呪ったのはこの女だ。」

沢庵が告げる。

「そうか、この女か...旦那は不具者となり息子は死んだ。女房一人生きても甲斐の無い事よ。だがその前に」

武蔵の視線が女の身体を舐める。

「たっぷり悦しませてもらうぜ。」

武蔵の剥き出しの欲望に女は気圧され、後退った。彼女が自ら喉を掻き切ったのは次の瞬間である。迸った鮮血は部屋中を濡らし、一行のもう一人、由美の貌を赤く染めたのだった。

その時。

「うおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

由美はその場に突っ立ったまま、地の底から沸き上がる様な唸り声をあげたのである。

「何だよ、コイツ...」この女の声なぞ初めて聞いた。

「怨霊だよ、武蔵。返し返されする内に強くなった呪いは、呪う側と呪われる側と言う軛(くびき)が外される事で怨霊となるのだ。」

武蔵には、沢庵が何を言い出したのか良く分からない。呪いが消えるんじゃないのかよ?

「由美は怨霊が宿る依り代として、私が造った肉人形なのだよ。戦場に転がる骸から一つ一つ膓を集めてね。呪う側のこの女が死んだ事で、お前に掛けられた呪いは怨霊となって由美に宿ったのだ。」

由美の唸り声が止んだ。その唇が歪んでいて、武蔵にはそれが笑っている様にも見えた。

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「また人を斬るのか。」

苦々しい顔で沢庵は言った。

「そこまで憎しみと恨みの渦に身を置きたいなら、お由美を連れて行くがよい。これは恨みや呪いをお前に代わって引き受ける器だ。きっとお前の守りになる。」

そしてニヤリと笑って、

「伽をさせても中々だぞ、コイツは。」

そう付け加えるのだった。

漂泊の剣士、宮本武蔵。その旅路に女が同伴した事はついぞ知られていない。

「我、生涯に六十四戦して負け無し。」

晩年、そう書き残した彼であるが、相手の中には人ならざる者もいた事は想像に難くない。

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一方、見送る沢庵の側に近づく人影があった。

「あんたか?あの女房の呪いを手引きしたのは。」

相手に顔を向けて、沢庵が言った。

その相手は沢庵と同じ、青い瞳・白い肌の男である。二人の間に敵対心や警戒感は無い。

むしろ抱擁を交わしたのである。

「ついにこの国に種を蒔く事が出来たな。」

「ああ、憎しみは恨みを呼び、恨みは呪いを呼ぶ。宮本武蔵、あの男の周りにはそれらが渦を巻いている。」

「依り代に宿った怨霊は、人の悪想念を取り込み成長する。」

「そして産まれるソレは...」

沢庵は手に持った数珠を空に掲げる。数珠には怪しく光る逆さ十字が付いているのだった。

「我らが末弟、この国に憑く悪魔。取り敢えず『呪い屋』とでも呼んで置こうか。」

Concrete
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コメントありがとうございます。
頑張ってこのシリーズ、続けて行きたいと思います。

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とても読み応えありました!後ほど初作から読ませていただきます。

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