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第一次世界大戦終結から16年。
白川 康夫
昭和8年7月14日、四国の阿波【徳島県】に生まれる。
父 白川 正、母 サヨの間に5番目の子として生を受ける。晩年になってからの授かり物に、正とサヨは大層喜んだ。
生まれて 1、2年までは…。
しかし、康夫の身体は生まれつきの障害を持っていた。2、3歳ころには 同年代の子たちは走り周って居るのに対し、康夫は普通に歩いていても遅く、何も無い所でつまづいて転んでいた。
「進行性筋〇ストロフィー」
今でこそ、原因はわかって居るが治療法は確立されていない。
当時は「忌み子」として見られる事も少なくは無かったそうだ…。
父 正は自営の飲食店の経営で大忙し。康夫の顔も見れない日も多々有った。
しかし、母サヨは違った。
毎日忙しい店をこなし、それから家の炊事、洗濯と康夫の世話。8歳のこの時の康夫はどうにか、一人で歩く事が出来たが 風呂と便所は困難な場所で有った。
兄弟姉妹で助け合いはしていたが、母サヨの力に頼らざるを得ない場合も有った。
どんなに辛かろうと、どんなに惨めだろうと 母サヨはいつも「笑顔」を忘れない、優しく 気丈な人で有った。
康夫が10歳になった頃、病状は更に悪化しており車椅子無しでは生活が出来なくなっていた。それに加え、第二次世界大戦の真っ最中で白川家は我が子を3人も徴兵されていた…。残された兄弟姉妹は、康夫と1つ上の姉のイツコだけになった。
そして康夫の介護と規制される生活に家族も疲れ果てていた。
母サヨもつい、口ずさむ…。疲労困憊で言いたくも無いそんな言葉をあろうことか、康夫は聞いてしまう。
「はぁ〜、あの子さえ…あの子さえ居なければ…。」
…どんな時も、いつ如何なる時も笑顔で居てくれたお母さんが…。それは自分のせいだとわかって居ても、涙が止まらなかった…。
その日の夜、康夫は決意する。
この家から僕が居なくなれば、皆んなは幸せになるんだ。僕なんかいらない子なんだ。
……しかし、死ぬ方法も制限されるその身体。思うように動けば、どこからでも飛び降りたり喉を刃物で突いたり出来て楽に死ねるのに…。そんな事を考えながら寝床で目を閉じた。
日曜日、父と母は飲食店に行って居る間に車椅子で家を出ようと考える。姉のイツコは康夫を避けるように友達の家に行く。無言の別れ。そして康夫は思う。
「明日から皆んなは自由になるから。今までありがとう。そしてごめんなさい。お父さん、お母さん、ごめんなさい。」と。
溢れそうな涙を抑え、車椅子で玄関を出る。
……さて、これから何処に行けば死ねるのか、どうやって死のうかと考えて居るとリヤカーを引いた老人が康夫の前を通る。
康夫「あのう、、すみません。どちらまで行かれるのですか?」とその老人に問う。
老人「あ?今から土佐の知人宅まで行くんじゃが。」
と、老人は康夫の身体を見定める。
康夫「そこは海が側にある所ですか?」
老人「ああ、裏手は全部海じゃよ。よいしょ!」
掛け声と共に老人は歩を進めようとした。
が、その時、
康夫「何も言わずに、僕をそこまで連れて行ってくれませんか?お願いします!!」と言うと、今まで車椅子の下に隠していた100円札3枚を老人に差し出した。
老人「ほう、タダとは言わないつもりだったが…。」老人は康夫の手から100円札3枚を受け取ると、満面の笑みで、
老人「商談成立!さあ、乗ってくれ!」
康夫は車椅子から這いずるようにリヤカーに乗り移る。その後に車椅子を老人がリヤカーに乗せてくれた。
康夫の居る阿波【徳島県】から、土佐【高知県】まで約、120キロ。常人ならばリヤカーを引きながら進むと大体、5日から7日掛かる距離である。
カラカラカラ…
今は夕方5時。秋口の夕方は綺麗な夕焼けと気持ちの良いそよ風が吹いていた。
道中、老人は康夫に問いかけた。
老人「少年の名前は何と言うのかね?」
康夫「白川 康夫と言います。」
老人「そうか、では 康坊とでも呼ぶかの!。」と、
はにかんだ笑顔で康夫にウインクする洒落たジジイ。
康夫「ははは!良いですね!ありがとうございます!」と照れくさそうに笑う。
康夫「失礼ですが、おじいさんのお名前は何と言うのですか?」
老人「ワシの名は簡単じゃぞ!ワシはな、銀助。兄がおってな、そいつの名が…金助じゃ。な?」と
その後もユーモアの有る語り口調で話す銀助に少しだけ心を許したのか、康夫は知らぬ間に目を閉じていた。
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ガラガラッガラガラガラガラガラガラ…。
康夫はふと目を覚ます。
周りは既に真っ暗になっており、スズムシとマツムシが鳴いていた。
歩くとは言わない、少し小走りの感じで進むリヤカー。その速度のまま、小1時間老人は休憩無しで引いている。
康夫「あ、銀助さん!ゆっくりで良いですから!
僕には時間が沢山有ります。銀助さんが間に合うと思う速度で行って下さい。」と康夫は言う。
銀助「ほほほ、これでもゆっくりの方じゃよ。ワシも沢山時間があるからの。いや…そうでも無いな。だってワシ、82歳なんじゃもん。老い先短いかものー。」とまた、はにかんだ笑顔で 次は舌を鳴らす。
康夫「えー?82歳なんですか?凄い!どうやったらこんなに早く走れたり、体力が長持ちするんですか?」
銀助「なぁーに、簡単じゃよ。ココを少し変化させるんじゃよ。」と、人差し指を頭にコンコンと打つ。
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それから10日後、康夫は自分の足で土佐から阿波まで帰ることを 今は知らない……。
続く…。
作者マコさん