ある日の夜のことでございました。
賃貸集合住宅の一室を借りて住んでおりました一人暮らしの女性が、不法侵入した変質者に乱暴された挙句に殺害された事件が起こりました。
その女性を殺害した変質者は逃亡いたしました。
◇
殺害された女性に仮名としてWというアルファベットを与えましょう。
Wは家族に可愛がられた幼少期を過ごして参りました。それはそれは大層な可愛がられ様で、三つ子の魂百まで、と申しましょうか、幼少期のその経験が、現世には地獄に蠢く餓鬼などおらぬと信じて疑わぬ性格を形成させました。
小学校に入学したWは、それはそれはすくすくと健気に育ちました。小学二年生の頃でしょうか、現在で言うところのロリータ・コンプレックスの男性に誘拐されそうになりましたが、間一髪のところで誘拐されずに済みました。運よく巡回中の警察官に救われたのです。Wはしかし、地獄に蠢く餓鬼のような人間はごく一部だと信じて疑いませんでした。
中学生となったWは、己の肉体が大人への変貌を遂げる第一歩を踏み出した事に戸惑いながらも、勉学に励みました。将来の夢を明確に描けたからでございます。
高校に進学したWはますます勉学に励みました。その一方で、これは誰もが青春期には通る道でしょうか、Wはある男子生徒に告白され、また逆にある男子生徒に告白をいたしました。そのどちらの恋愛も成就することはありませんでした。Wはひとり枕を涙に濡らす夜を過ごす日もありましたが、勉学を怠ることはございませんでした。
大学に入学して卒業し、中学生の頃に描いた夢を実現できる会社に入社しましたWは幸せいっぱいでございました。入社後のWは充実した日々を過ごしました。学生時代、勉学に励んだように自己研磨の日々でございました。その勤務姿勢が会社に評価されたのでしょう、Wはあるプロジェクトのチームリーダーに抜擢されました。Wは胸を膨らせました。
現世に地獄に蠢く餓鬼のような人間はFの目には映りませんでした。
その矢先、Wは変質者に殺害されました。
◇
Wを殺害した男性に仮名としてMというアルファベットを与えましょう。
不思議なことにMの幼少期、小学生時代、中学生時代、高校生時代、大学生時代、そして大学を卒業したあとの社会人時代を私は見ることができませんでした。Mの人生を見ようとする私の目を何者かが手で覆い、視界を塞ぎました。
ただ、MがWの首を強く掴んだ時の光景を知っております。Mは涎を垂らしながらニタニタ笑い、光る何かを振りかざしておりました。
◇
警察は懸命にMを追っておりました。Wの遺族は駅前に立ち、自己負担で作成したチラシを配っておりました。しかし、Mは何食わぬ顔をして次の対象者を狙っておりました。
私は居ても立っても居られなくなり、警察とWの遺族に真実を打ち明け、Mの居場所を打ち明けました。そして、次の対象者を狙っているMに警告いたしました。
しかし、その誰もが私の訴えに耳を貸しませんでした。私は口惜しくて口惜しくて泣き叫び、何度も何度も訴えました。それでも、警察、M、そして、Wの家族さえ耳を傾けてくれませんでした。
◇
私はこのまま地獄に蠢く餓鬼となるのでしょうか。
Mに狙われ、乱暴されて殺害されるかもしれない対象者も私と同じように苦しむのでしょうか。
どうか、私の声に耳を傾けてください。
もう誰にも、首を絞められた苦しさや出刃包丁で胸を刺された痛みに悶え苦しんでほしくはありませんから。
どうか、私の声に耳を傾けてください。さもなければ、私が地獄に蠢く餓鬼になってでも……。
◇ ◇ ◇
それから数年後のある日、ニュースキャスターがテレビカメラを前にして淡々と原稿を読む。
「……月……日の夜、一人暮らしの女性が殺害された事件で、……県警捜査本部は近くに住む男を殺人容疑で緊急逮捕しました。逮捕された男は自ら警察署に出頭し……男は警察の取り調べに対して容疑を認めているということですが、『夜な夜な、夢の中に殺した女が現れ、首を絞められる』などと意味不明なことを口走っており、警察はさらに取り調べを進める方針です。次のニュースです……」
◇
そのニュースが報道された日の夕方、土砂降りのあとに西の空に虹がかかった。
その虹を撮影したある者がツイッターに『天国への架け橋』とその虹の画像付きでツイートした。
そのツイートを他のアカウントが次々とリツイートして拡散されていく。
『天国への架け橋』の画像が使命を与えられたように無限に拡散されていく。(了)
作者退会会員
こんばんは、シタセキです。
今作で三作目です。
どうぞよろしくお願いします。
なお、本文中の「W」はWoman、「M」はManの略語であり、特定の人物の名前を指すものではありません。
◇ ◇ ◇
前作「地鳴り」では数多くの方に読んでいただき、ありがとうございました。
週に一度の更新となりますが、今後ともよろしくお願いします。
「地鳴り」http://kowabana.jp/stories/28422