A地区には広大な墓地がある。
墓地は子供たちの格好の遊び場となっていた。 とても古い墓地なのだが、特に中心部には円状に並べられた墓群があるらしく、そこに入ることは固く禁じられていた。
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子供たちはそこを「留まり」と呼んでいる。
ある日、学校で怠く授業を受けていると、隣の一郎が居眠りをしていた。
珍しい。
彼は真面目で優等生なのだ。
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しかし、眠っていると言うよりは、彼にだけ強い重力がかかっているように見える。
まあ、ただ、彼が寝まいと頑張っているだけなのかもしれないが。
もうひとつ気になることがあった。それは彼の頭上にある陽炎のようなモヤモヤしたものだ。
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授業後、一郎の後ろの友達が今日は授業参観なのかと聞いてきた。私がそれを否定すると、彼はなにか察した感じで口をつぐんでしまった。
まったく意味不明だったが、その後の授業で一郎はいつも通りだったのでそんなことは忘れてしまった。
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翌日から私はインフルエンザにかかって出席停止になった。
数日後、熱は下がったので近所を散歩していた。
すると途中、一郎を見かけた。
今日は学校があるはずだがなぜここにいるのだろう。気になったのでつけることにした。
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彼は人気のない道に入ると一直線にび墓地の方へむかっていく。私もそのまま墓地にはいった。
どこまではいるのだろうか。彼はどんどん奥に入っていく。そのうち墓石の配列が変わってきた。
あれは「溜まり」だ。
流石にそこに入るのは躊躇われた。
しかし、一郎は迷わずに中心部に向かっていくのであった。
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私は意を決してなかにはいることに決めた。
辺りには異様な静けさが立ち込めている。
墓石の裏に隠れていると、「留まり」の墓石の古さがよく分かった。
明らかに現代の墓とは作りが違う。
一郎は円の中心にある墓石の前で立ち止まった。
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驚くべきことにそこには先客がいた。
それは見慣れない男の子だった。
白い法衣のようなものを見にまとっている。
そして、一郎はその墓石に向かって、深い礼拝を捧げた。一郎の頭上にはまだ変なモヤモヤがある。
だが、それは少しずつ何かの形に変わっていく。
腕だった。
華奢な白い腕が一郎の目と耳をおおっている。
後ろの正面だあれの体だった。
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驚いた私は顔があるはずの場所に目をやった。
たしかに顔はあった。
しかし、顔しかなかった。
顔と手が空中に浮かんでいた。
その顔はゆっくりこちらを振り向いた瞬間私の頭に''死''の文字が浮かんだ。
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その顔は腕からは想像もできない男の顔だった。 しかも、男の顔は''逆''だった。
目が下に、口が上にある。
それは私を見るとにたあ、と笑った。
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私は無我夢中で来た道を戻り、逃げ続けた。後ろからおってくる気配はないが、アレに気づかれてしまったのが致命的である気がしてならない。
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家に駆け込むとリビングにいる弟に今見たことを訴えた。しかし、返事はない。
彼はテレビをつけたまま寝ていた。
いや、寝ていたというよりはそこにだけ強い重力がかかっているようだ。
弟の上にもあの陽炎のようなモヤモヤがある。
私はあの腕と''逆''顔を思い出した。
弟も目と耳を覆われているのだろうか。
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悲鳴を圧し殺しながら、恐る恐る父の書斎に助けを求めにいった。
父は本を呼んでいる顔をあげ、私を認めるとどうかしたかと聞いてきた。ほっとした私は子との顛末を洗いざらい話そうとした。
しかし、話し始めると父はすぐにすまない、眠くなった、あとにしてくれないかと言って眠ってしまった。
これもやはり、落とされたといった方が適切かもしれない。
父もまたモヤモヤにとりつかれている。
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母は外出中のようだった。私は玄関で半ば放心状態のまま、立ち尽くしていた。
sound:16
チャイムが鳴った。カメラを確認すると母だった。助かった。
母に父と弟の異常を訴えると、母は二人の様子を確認して、だらしないわねえとか言って笑って流してしまった。
私は墓地でのことも話そうとした。
その時、手ぶらで帰って来た母に違和感を覚えた。買い物にいっていたんじゃないのか?
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今、母は私の後方にあるキッチンで昼飯の準備をしている。
私は何となくスマホを見る振りをして暗い画面に肩越しに映るキッチンの様子を確かめた。
そこには反り返って私を凝視している母の姿があった。背中を反らせて睨んでくるその顔は''逆''ではなかった。
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私は家を飛び出した。
あれは母ではない。
なにが起こったのか分からないまま私はとにかく家から離れようとした。
そうやって走っているうちに、目の前の交差点をちいさい男の子がとおった。あの''留まり''にいた白い法衣の子供だった。
何を思ったのだろうか、私はその子を尾行することにした。
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男の子は軽い足取りで道を進んでいく。
彼は墓地の方向に向かうので、また''留まり''にいかなければならないのかと憂慮したが、彼は墓地に入る直前で曲がった。
やがて、彼は大きな館に入っていった。
その館は一郎の家だ。
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一郎の一族はいわゆる貴族の末裔と言うやつで、ここら一帯の大地主である。
ただ、両親にもあったことがあるが、別にそれを鼻にかけることはなかった。
例えば、一郎は私と同じ公立学校だし、特に高い服を着てきていることもなかった。
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こうなったら一郎に直接話を聞いてみるしかない。そう決心して、呼び鈴を鳴らした。
返事はない。
ドアノブに手をかけると鍵はかかっていなかった。重厚感のある扉はあっけなく開いた。
まず、目に入ったのは公衆浴場のそれ並みの広さをもつ玄関だった。左右と正面にドアが見える。
一つ一つ開けてみた。
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左右のドアは連絡路に通じていた。
そして、正面のものはリビングだった。
まず、リビングを探す。
電気は消えていて、人との気配はしない。 ただ、奥にも部屋があった。
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その部屋には家具ひとつなかった。八畳くらいの地下室のような部屋の中心には、米俵と特産品が積まれている。そして、その前には白い法衣を纏った一郎の父が立っていた。
すると一郎の父は祈祷を始めた。 私はその様子を食い入るように見ていた。
どれくらいそうしていただろうか。
後ろから空気が部屋に流れ込んきた。
それは霧のような質感を持っていた。
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霧は中心の作物に群がる。
だんだん現れてきたものは十人ほどの異常に華奢な人間だった。その体はとても細く、上半身は裸で、縫ったような痕が胸から腹にかけて見える。
体は全て男だったが、顔は女のものもある。
そのなかに母?もいたが、すべて''逆''だった。
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それらは、一郎の父の前にある作物の前に膝まづくとものすごい勢いでそれをむさぼり始めた。
折れそうな手に入る精一杯の作物を、口に押し込んでいる。
そこにある作物を全て食らい尽くすと、それらは糸が切れたようにその場に崩れた。
すると一郎の父はおもむろに自分の顔に手をかけた。
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その顔はべらりと剥がれた。
私は嗚咽を押さえるのに必死だった。
剥がれた顔の跡は血だらけである。
そしてそれは倒れた''逆''の顔から顔を引き剥がそうとしている。
私は耐えられなくなって玄関へ走った。
玄関には陽炎のようなものが立ち込めている。
吸い込みたくない恐怖とは裏腹に私はパニックで過呼吸になるのを止められなかった。
その場にしゃがみこんだ。
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風の流れがある。
見ると玄関の扉、左右のドアすべてか開いている。そしてモヤモヤが外から左右の連絡路に流れ込んでいる。霞んだ視界には、左右の奥の部屋の中心にある作物、そして、その前にいる少年、一郎が映った。二人とも白い法衣のようなものを着ている。 やがて、作物の周りにモヤモヤが集まり、人の形となってそれを貪り食い始めた。
さっきと同様にそれらが倒れた跡、男の子と一郎は自らの顔を剥がし、倒れた者の顔を引き剥がそうとしている。
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私は朦朧とそれを見るしかなかった。一連の動作を終えると一郎の父、一郎、男の子の方からあり得ないほど低い声が聞こえる。
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『ちから奉らで、きみ数多の天恵給はず
されば玉の緒弱れど、我等郡家にちから納めよ。納めざるはひとにあらざるなり。いま、多くの民浮浪、逃亡したり。このさま
天子に見せ奉るべからず。さらば、我ら非人が代わりにならむ。汝が性いつはるものあらば、我等が守とならむ。かみいませ。かみいませ。かみいませ、、、』
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三人は玄関の扉に向かって礼拝を繰り返す。
何かが来る。
ここにいると死ぬ。
しかし、体はお腹に鉄のかたまりがあるように重い。陽炎に視界を覆われるなか、開かれた扉から外を睨むことしかできない。
突然すべての音が止んだ。
サー、サーという音が聞こえる。
まもなく、それは館内へ這ってきた。
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それは女だった。
髪の毛は全身を覆うほど長く、時おり見える足は虫のようで、引きずる音からはおよそ質量を感じない。
サー、サー。
近づくにつれて骨が削れる音も聞こえた。
私は目を閉じた。
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気がつくと私は病室にいた。
周りを囲んでいるのは家族ではなく警察だった。
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一千年以上前、ここ一帯を支配していた豪族が連合政権、そして律令国家の成立によって、徐々に官僚化していった。
しかし、この豪族は独自の宗教的権力により地域を統合せしめ、その形態は豪族が郡司と呼ばれる官僚と化した後も続けられた。
独自宗教は律令制下で、その最高崇拝対象を天皇とすることで存続を試みた。
しかし、実際に現地で崇められたのは郡司の長官、すなわち「かみ」だった。
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元来、その豪族内では女性が最高崇拝対象として君臨していた。たとえ、それが天皇になって一族を統率するのは女性であることに変わりはない。
しかし、支配を担う官僚に女性がなることは難しかった。かくして一族の長が男性として戸籍登録を欺き始めた。
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その戸籍詐称は宗教的儀礼となり、申請な行為と位置付けられた。
だが、その戸籍詐称を一般農民も行い始める。男性が、より納税負担の軽い女性として登録するのだ。これはこの宗教において禁忌だった。
さらに与えられた田のみを耕し、納税を行うより、自分で開墾して生きていける実力のある者が、国家に支給された土地を捨て始めた。
そのようなことを浮浪・逃亡と言った。
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徴税の停滞は郡司としての評価低下につながり、さらに体制の崩壊により、郡司の地方支配力は委譲されていく。
危機のなか、一族が産み出した解決策は、いわゆる恐怖政治だった。
彼らは偽籍者や、浮浪・逃亡者の顔を剥ぐことで殺害(罰っ)し、それを国司(中央から派遣された役人)視察の際には他農民に被らせて、あたかも存在するかのように見せた。
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その奇行が露見しないはずはなかった。
一族は国家によって、郡司職をおわれた。
一族にとっては独自宗教の存続が最優先されたため、彼女らは地域の崇拝者に命名し、その名を未来永劫守り抜くことを誓わせた。
それと共に、今や宗教的儀礼となった顔剥ぎを毎年数人の規模で存続させ、その死体用の墓地をあらかじめ作っておいた。
それが今''留まり''と言われるところである。
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顔剥がしにあった人々の死体は罪人の証として、頭蓋骨を逆にして埋葬された。
後世になり、宗教的拘束力が弱まると、人々の間にも諸儀礼に疑問が出てきた。
それと共に殺された人々の怨霊が現れ始め、宗教を保守しようとするものたちはそれに作物を捧げて'監視者''として、神格化した。
それにより怨霊は、一般民をも呪い始めた。
怨霊は真理に近づきそうな者、背いた者の知覚を遮断し、一時的な仮死状態へ誘った。
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やがて、一族内でも女性が長を拒否し始め、その時の長(かみ)が後の長としても君臨し続けることになった。
死体は保存され使い古されることになる。
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その異常な風習は、多数の犠牲をはらみながらも存続し、しかし、ついにここに露見したのである。
作者ブラック
すべてフィクションです。
一郎は一族の風習に反対したため、''監視者''にとりつかれました。
見知らぬ男の子は、一郎の反抗的態度に反省した一族により、そとの世界に出されることなく育てられました。そうでないと、本人が異常性に気づいてしまうからです。
新しく移住してきた人たちはこの悪習を認知してませんでした。墓地の中心は夜光もなく、また比較的失踪などから、治安的に問題視されていました。