やられたと思った。
久しぶりに、高校の時の同級生のYから電話があり、私は懐かしさに浮かれていた。
そもそもYは、私とはさほど親しくはなかったが、社会人となり、ごく限られた行動範囲での人間関係以外からの、しかも旧知の人間からのコンタクトは嬉しいものだ。
「元気ぃ?久しぶりやね。」
懐かしい方言とともに、当時の朗らかなYの姿が目に浮かぶ。
最初はお互いの近況報告で、他の同級生の近況、担任の教師が退職したことやら、私の知らない情報ばかりで、ついつい話が弾んで長話になってしまった。
「せっかくやから、今度会わない?私、今度そっちに行く用事があるんよ。」
もちろん、断る理由は無い。
Yは、駅まで車で迎えに来た。車から颯爽と降りてきたYは、故郷に残って就職したとは思えないほど、垢抜けており洗練された女になっていた。逆に都会に出てきた私のほうが、よほども田舎臭くて、Yは彼氏でもできたのかもしれない。女二人でのドライブ。郊外の隠れ家的なレストランでランチを楽しみ、私達の会話はあれほど電話で話したにも関わらず尽きなかった。
「ちょっと付き合って欲しいところがあるんよ。」
Yは、その風貌にも似合わず、方言丸出しで私にそう切り出してきた。
「うん、いいよ。どこに行くん?」
私も思わず、懐かしい方言で答える。
「いいところ。」
そう言うと、Yは私に微笑んだ。
そこは、大きな会館のような施設だった。訝しげに見る私にYは、やっと本性を現したのだ。
「実はね、今日、ここで講演会があるんよ。すごく興味深い話が聞けると思うよ。私なんて、最初に先生の講演を聞いた時には、感動して泣いちゃったくらいだもの。」
私は会場に連れて行かれ、入り口で名前を書かされて、小さな小冊子を受け取ると、椅子に座った。
しばらくすると、壇上に、初老の男性が現れて、マイクに向かって話し始めた。
Yに騙されて連れてこられたことがショックで、話は何も耳に入ってこなかった。当の本人は私の隣でキラキラした瞳で、壇上の初老の男の話にうっとり聞き入っているのだ。これが洗脳ってやつなのか。一通り話が、終わると、会場に集まった人々が一斉に立ち上がり、ポクポクと何かを叩きながら、呪文のような経文のような意味不明の言葉を喚き始めた。
こんなの、付き合ってられない。私は、こっそりと、立ち上がって無心に何かを唱えている人々の間を縫って、出口へと向かった。
「どちらへ?」
そう声をかけられ、飛び上がりそうになった。
「ちょ、ちょっとトイレに。」
振り向きざまにそう言うと、そのスーツを着た中年の幹部の人間と思われる男は、トイレはこちらですよ、と出口と真逆の方向を指した。
どうもと言いつつ、したくもないのに、トイレの個室に籠もって一思案した。
まさか、男性が女子トイレの前で見張ってることも無いだろう。都合の良いことに、会場は薄暗い。
そっと、女子トイレのドアを開けると、そこには誰もいなかった。私は、ほっと胸を撫で下ろして、そろりそろりと、抜き足差し足、姿勢を低くして、なんとか出口までたどり着いた。
玄関でスリッパを脱ぎ、自分の靴を探した。その会場には下駄箱などなかったので、靴は玄関一面に男女入り乱れて脱いであるので、自分の靴を探すのは一苦労だ。
無い、無い、無い....。私の靴はどこへ行ったのだろう。確かに、このあたりに脱いだのだ。
「無駄ですよ。」
私は、また後ろから声をかけられて、飛び上がりそうになった。先ほどの中年男性だった。
「あのう、私の靴が見当たらないのですが。」
おずおずと、男に尋ねると、
「あなたは帰れないんですよ。靴なんて、あるはずがない。」
と冷ややかに私を見下ろした。
「は?」
私は意味がわからず、問い返した。
「あなたはここから帰れない。さあ、まだ尊いお話の途中ですよ。戻りましょう。」
そう言うと、男は私の手をつかんだ。
「ちょっと何をするんですか。私はただ、友人に連れられてきただけなんです。こういうの、興味ないんですよ。」
私は憤慨して、男を睨んだ。
「興味あろうが無かろうが、あなたは、もう、帰れない。」
そう男は言うと、薄く笑った。
いつの間にか、私の周りには、老若男女、たくさんの人が集まっていた。
ポクポクポクポク、我らはやがて、土となり水となり風となりて~
呪文か経文だと思っていた音がやっと意味を持つ言葉として鼓膜をワンワンと震わせる。
頭がズキズキと痛み出した。やめて、やめて。私を、私を、家に帰して。お願い。
私はそこで、目が覚めた。冬にも関わらず、額に汗をかいていた。なんだ、夢か。ほっと胸を撫で下ろす。妙にリアルで嫌な夢だった。枕元の時計を見やると、まだ5時だった。もうこの時間では、眠ることはできない。仕方なく体を起こすと、私は、身支度をして、いつもの時間に会社に向かった。
どうして夢にさほど親しくないYが出てきたのだろう。そもそもYは、私の携帯の番号など知るはずも無い。だから、Yから私にコンタクトをとるなどありえないのだ。私は、あるアドレスにメールした。唯一、高校からずっと付き合いのある、マナミへのメール。
私とマナミは、その夜、居酒屋で合流した。他愛ないおしゃべりのついでに、私は今朝見た悪夢のことをマナミに話した。
マナミは、しばらくそれを聞いて、私の顔をじっと見てこう言った。
「ねえ、Yって誰?」
そんなことあるはずがない。だってYは、あんなに朗らかで、クラスでも目立つ存在だったのだ。マナミが忘れてるだけなのだろうか。私は、別の友人にもメールで尋ねた。答えは、知らない、誰それ?
Y,Y,確か彼女は...。私の記憶が曖昧になっていく。
彼女が所属していた部活は?彼女はどこに住んでいただろうか?どこの中学校出身だっけ?
彼女の風貌もあやふやになってきた。
きっと、私の記憶が間違っているのだ。人間の記憶ほどあてにならないものはない。もう寝よう。
たかが夢の話だ。
ポクポクポクポク、我らはやがて、土となり水となり風となりて~。
ワンワンと鼓膜を震わせるのは、老若男女の合唱だ。頭の中をサラウンドして、脳みそがかき混ぜられるよう。
頭が痛い。またあの夢の続きか。夢ならさめて。
Yが私を見下ろして、クスクスと笑っている。誰も知らないと言った、Y。
ねえ、あなたは誰なの?モヤモヤとした輪郭が、だんだんクリアになっていく。
「私が誰か、ですって?知らないの?」
ううん、知ってる。よく知ってるはず。
だって、あなたは。
「私は、ユミよ。」
********
ユミが失踪して、一ヶ月になる。
あれほど頻繁にラインのやりとりをしていたユミからぱったりとラインがこなくなった。
心配になった私は、ユミのアパートを訪ねたが、インターフォンに応答はなかった。
両親に連絡をとってみたら、逆にユミを知らないかと訊ねられた。
ほどなくして、捜索願が出されて、今に至る。
そんな折りに、Mから電話があり、私は懐かしさに話が弾んだ。ユミが失踪したことを伝えると、Mは驚いて、会って話をしないかと言って来た。もちろん、断る理由は無い。
軽く食事のできる喫茶店で待ち合わせてランチをした。とりとめのない話、ユミの失踪の理由についてあれこれとお互いに考えをめぐらせたが、答えは出なかった。しばしの気まずい空気を遮るように、Mがこう切り出してきた。
「ちょっと付き合って欲しいところがあるんよ。」
私はデジャヴュを感じた。
どこかで聞いたようなシチュエーション。
Mの車に乗って、大きな会館のような施設に連れて来られた。
「実はね、今日、ここで講演会があるんよ。すごく興味深い話が聞けると思うよ。私なんて、最初に先生の講演を聞いた時には、感動して泣いちゃったくらいだもの。」
Mは目を輝かせて、私にそう言って、私を会場に誘った。
壇上には初老の男性が何かを声高に話している。
私は、Mが宗教に傾倒しているとは知らずに、こんな会場に連れてこられたことにショックを受けて話は何も頭に入ってこなかった。帰りたい。ただただ、私はそう思った。
一通り話が、終わると、会場に集まった人々が一斉に立ち上がり、ポクポクと何かを叩きながら、呪文のような経文のような意味不明の言葉を喚き始めた。
帰りたい、帰りたい。私はそっと抜け出しても、きっと後ろから、中年の教団幹部の男に声をかけられるのだろう。
「どちらへ?」
「ちょっとトイレに...。」
そのスーツを着た中年の幹部の人間と思われる男は、トイレはこちらですよ、と出口と真逆の方向を指すのだ。
デジャヴュ。
そして、私は女子トイレを抜け出して、玄関に向かう。
靴が無い。思った通りだ。
「無駄ですよ。あなたは帰れない。」
ゆっくりと振り向くと、先ほどの中年男と、ユミが無表情に手には、木魚と思われるものを持っている。
ポクポクポクポク、我らはやがて、土となり水となり風となりて~。
ワンワンと鼓膜を震わせるのは、老若男女の合唱だ。頭の中をサラウンドして、脳みそがかき混ぜられるよう。
そしてその中に、私はMを見つける。
きっとそのMは、誰も知らない。
そうか、ユミ。
靴が無くて、帰れないってこのことなんだ。
私は、分かりきったことをMに聞いてみた。
「あなたは誰?」
Mはクスクスと笑い、だんだんと曖昧なMという符号を解くと共に輪郭をあらわにした。
私のよく知っているあなた。
「私は、マナミよ?」
******
「ねえ、聞いた?マナミが行方不明になったんだって!」
作者よもつひらさか
よく帰りたいのに靴が無い夢を見ます