私には玖埜霧欧介【クノギリオウスケ】という友達がいる。数少ないというより、唯一の友達である。彼のことは追々話していくとして、先に自分自身ーーー國達晃【クニダチアキラ】について話していくとしよう。
國達晃は、公私共に認める「変人」だ。まず、分かりやすいように私のビジュアルから見ていこう。腰まで伸ばした長い髪。病的なほど白い肌。右目には別に怪我をしているわけではないのに、眼帯をしている。常にニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべているし、「きひひひっ」などという、中学2年生の女子とは思えないような笑い方をするもんでね。通っていた中学校では浮いていた。当たり前だけど。
浮いていたというより、クラスから総スカンを食っていた。私の存在そのものが、異質な存在に思えたのだろう。ビジュアルに加え、輪をかけたオカルトマニアでもあった私の愛読書といえば、西洋の魔術本だ。悪魔が召喚出来る魔法陣だとか、マンドラゴラという呪術に使う植物話などは、涎が出るほど興奮する。そんな奇妙な話が数多く載っている西洋の魔術本を、休み時間に1人で眺めているのだから、そりゃ確かに異質であり異様だ。
苛められもしたし、集団で無視もされた。上履きを隠されたことなんて、自慢じゃないが10回を優に超す。大抵はゴミ箱に捨てられていたり、校庭に埋められていたり、酷いと女子トイレの便器に投げ込まれていたりとかね。給食が私の分だけ配られなかったことも、授業で使う教科書やノートに「死ね」「消えろ」なんていう、実に子どもらしいセンスのない台詞を書き込まれていたり。
私が苛められていたことは、クラス全員から周知されていた。恐らくは、担任も知っていたんだと思う。だけど、私は苛めを受けたからって、いちいち傷ついたり凹むような性格ではなかったし、むしろ「その勝負、受けてたつ!」みたいなところがあったから。クラスメートからの苛めがだんだんと辛辣過ぎるものになっていっても、屈しなかった。むしろ、自分から更に煽っていた。火に油を注ぐようなもの。私が在籍していた間は、クラス全体が大荒れだった。
優等生ならぬ劣等生。クラスをかき乱す私の存在は、クラスメートにしろ、担任にしろ厄介だったと思う。現に担任は私のことを本気で煙たがっていたようだ。「頼むから、進んで苛めの的になるような行動は避けてほしい」と、何度も言われた。1度だって私はその言いつけを守らなかったけど。
今、考えれば。どうしてそこまでクラスに馴染もうとしなかったのだろうと時々思う。子どもならではのいきがりとか、反抗心みたいなものだったのだろうけど。反抗ーーー母親に対する反抗だ。
私の母親は、褒められた人じゃない。早くに両親が離婚した私は、母親に引き取られたのだが。あの人は、元々「母親」向きじゃなかった。シングルマザーになった不安からだろうか。すぐに酒浸りになり、昼夜構わず酒に溺れ、仕事もクビになった。挙げ句、娘の私に殴る蹴るの暴力を振るう。精神的に追い詰められていたんだろうけど、毎度殴られる私の身にもなってほしい。クラスメートから受ける陰湿な苛めは、私自身が撒いた種でもあるから、甘んじて受けるけど。親が子どもに虐待していい理由など、皆無だ。どんな理由があったって認められるか。
自分の人生に悲観していたわけじゃない。クラスメートから苛められていようが、母親から虐待されていようが、私は悲劇のヒロインなんて演じるガラじゃない。悲劇のヒロインどころか、悪役に相応しい。それも、とびきり雑魚な小悪党。クラス中をかき乱し、担任を翻弄させ、母親からは嫌われる。どうだい、こんな嫌な奴はなかなかいないだろう。
嫌な奴である私はーーー人生の終わり方も、最も嫌なものだった。
その日は珍しく寝坊した。前の日、目覚まし時計をセットしなかったのがいけなかった。既に朝の8時を回ったところ。ホームルームは8時半からだ。私の家から中学校まで、片道30分はかかるというのに。
朝食を取る間もなく(母親が朝食を用意してくれたことは、ここ数年1度もないけど)、慌てて家を飛び出した。学校が大好きだったわけではないけど、無遅刻無欠席である自分の記録を破りたくなかったから。
がむしゃらに走り、大通りに出たところまでは良かった。その後がいけなかった。信号が青に変わったのと同時に、1歩踏み出したのが間違いだったのだ。信号無視のダンプカーが突っ込んでくるなんて、誰が予想出来ただろう。私の体は、一瞬で宙に舞った。痛みを感じる間もなく、死んでしまったらしい。
事故直後から、私の意識はあった。といっても。死んでしまったので、幽霊としてだけど。重力に逆らうように、ふわふわ飛んでいる自分自身。あーあ、やっちまったな。こりゃもう蘇生は不可能かな。そんなことを考えてた。それからしばらくふわふわしていたけど、一向に成仏するとか、そんな気配がない。あれか?この世に未練を残してるから、成仏出来ないとか、そんな理由か?残すような未練なんてないけどさ。
それとも、もしかしたら蘇生もありかとも思って、待ってはみたけど。空から眺めてたけど、救急車に自分が乗せられて病院に運ばれてたけど、やっぱり無理だった。てか、打ち所が悪くて即死だった。母親にも連絡がいったけどーーーあいつ、電話口で何て言ったと思う?
「今から仕事の面接があるから後にして」だとよ。母親がこんな調子だもん。葬式すら執り行われないんじゃないかって思ったね。
病院を出た幽霊の私は、特に行く当てもなかった。自分自身が死んでると納得すれば、或いは成仏出来るかとも思ったけど、そうでもなかった。仕方なしに向かったのは、本来であれば、生きている私が行くはずだった中学校だ。普通に昇降口から入る。行き掛けに職員室をこそっと覗く。中学校にも私が事故死したという連絡は入っているらしく、バタバタしていた。
職員室から出てきた担任の後をつけるようにして、教室に入る。当然だが、幽霊の私は、誰の目にも見えていない。時間帯は、8時55分。いつもより遅いホームルームに、クラスメート達は違和感を覚えているようだ。
担任が席につくようにとみんなを促す。私も一応、自分の席についた。担任から、私が今朝、登校中に事故死したことを伝えると。クラス中がざわざわし出した。
「マジか」「國達が事故?」「即死だってよ」「うわー、かわいそ」「信じらんない」
クラス中がいきり立つ。担任は亡くなった私のために、黙祷を捧げようと言い出した。クラスメート全員が起立し、およそ1分の間、黙祷が続いた。私は1人だけ立たず、頬杖をついてその様子を見ていた。やがて黙祷が終わり、全員が着席する。そして何事のなかったかのように、授業の準備をし出したのである。担任も同様だ。彼はクラス委員長の女子と談笑を交わしていた。
……まあね。泣いて貰えるとか、そんな甘ったれたことは考えてなかったけど。人が1人死んだという事実。毎日顔を合わせているクラスメートが死んだというのに、みんな平気そうだ。担任も平然としている。クラスメートもまた然りだ。驚愕も同情もない。泣くこともない。何くわぬ顔をして、次の授業で使う教科書やノートを出したり、隣の席の友達と歓談したり。
普通に日常生活を送っていた。私がいなくとも、クラスメート達にとって不利益は何1つないのだ。いや、鼻摘み者がいなくなったのだから、喜ばしかったのかも。
だけど。
だけど。
……私だって、傷つくんだ。これでも一応、血の通った人間だからね。
自ら進んでクラスから孤立しておいて何だけど。これもまた、報いなんだろうけど。
「まあ、仕方ないよね」
人の価値は人が死んだ時に分かるもの。私の価値は、クラスメートにとっても担任にとっても、ましてや母親にとっても「どうでもいい」ことに過ぎないらしい。
だが。1人だけ風変わりな奴がいた。既に黙祷の時間は終わり、各々行動してるにも関わらず、1人立ち尽くしてる。そいつは玖埜霧欧介という男子生徒だ。クラス内ではあまり目立たない、至って普通の男子。こいつ、何してるんだ?
私は玖埜霧の机に、ふわりと下り立つ。玖埜霧の顔を覗き込んでーーー引いた。正直に言って引いた。
玖埜霧が泣いていたからだ。泣いていたって言っても、子どものようにギャン泣きしていたわけじゃないけど。無表情に近いが、ほんの少しだけ眉を寄せて、静かに泣いていた。涙が一筋頬を伝って落ちていく。
別に私と玖埜霧は仲が良かったわけじゃない。というか、仲が良くなるきっかけも、仲が悪くなるきっかけもないくらい、接点がなかった。玖埜霧は私を苛めたりはしなかったけど。クラスメートの苛めから、私を守ってくれたわけでもない。お互いがお互いにとって、空気みたいな奴としか思っていなかったーーーはずなんだけど。
……おかしな奴。というか、変な奴だ。
仲良くないクラスメートが1人死んだだけで、何を泣いてるんだよ。
だけど。
「泣いてくれて、ありがとう」
この時点で、私の魂は浄化され、めでたく成仏出来るかと思ったが。どうやら、私には未だに未練があるらしく、未練がましく、この世に居座り続けている。ただ居座っているのも退屈なので、桐島という風変わりな男が経営する骨董品店に絶賛居候中だ。その店の手伝いをしながら、いつか成仏出来ることを夢見てるーーーーとは言えない。
ヘタしたら、私は成仏出来ないかもしれない。桐島に店番を任された時に、暇潰しに読んでた夏目漱石先生の「こころ」。その中の1文を読んだ時、はっとなった。
【恋は罪悪ですよ。解っていますか】
私が成仏出来ない理由。もしかしたら、それは「恋」なのかもしれない。
うわあ。言ってて自分で鳥肌が立つ。幽霊にも怖いと思う感情はあるんだね。今まで恋だとか愛だとか、そんなことに無縁だった分、余計恥ずかしい。
例えば。ふっと彼のことを思い出すとか、1日に何度も彼のことを考えてたり、彼の好みを考えることは恋なのか?彼は年上が好きみたいだから、大人っぽくなりたいとか、そう考えてることって恋なの?誰か教えて。
私はも既に死んで幽霊やってるけど、彼はまだまだご存命だ。幽霊と生きてる人間の恋は、漫画とか小説ならあり得るし、面白そうだけど。現実的には上手くいかないだろうとは十も承知だ。そもそも、私がしているのは恋は恋でも片恋だろうし。
今までに何度か意図的に彼に会いに行ったことがある。彼は私を怖がらないし、気味悪がったりもしないが、口癖のように「早く成仏しろよ」と諭してくる。悪気はないんだろうが、その言葉に軽くショックを受けてる自分がいることは、ここだけの話だ。
【恋は罪悪ですよ。解っていますか】
でもね、漱石先生。私はこう思うのさ。
「罪悪な恋ほど、人は燃えるのですよ」
きひひひひ。
◎◎◎
Kのことなら、小倉第一高校通う全生徒が知っている。彼女は、それほどまでに圧倒的な存在であるのだ。その理由としては、近寄りがたい美人であることや、常に成績がトップクラスだということ、人間嫌いなのか対人恐怖症なのか、誰にも心を開かない野生動物みたいな性格だということもあるのだろうけれど。
特筆すべきなことは、ただ1つ。彼女は【視える】人間だということ。
幽霊が。妖怪が。魑魅魍魎が。この世ならざるモノがーーー【視える】のだという。
直接的に彼女から話を聞いたわけでもないし、噂に尾ひれが付くことも珍しくはない。だが、その噂は小倉第一高校に留まらず、巷へと拡散されつつあるようだ。近隣の高校でも、噂は広まっているらしく、放課後になると知らない顔触れの高校生達が人だかりを作って校門前に押し寄せているのだから、相当なものだ。中には熱狂的なファンまで存在すると聞いたが、それが本当なら、人気アイドル並じゃないか。
だが、Kはそういった行為の一切を無視した。自分を特別扱いされることがよほど嫌なのだろう。誰に何を言われようとも耳を貸すことをしない。誰とも話さないし、目すら合わせない。それがかえってファンを煽る結果になったようだが、どこまでも知らぬ存ぜぬの姿勢は崩さないつもりらしい。
Kの人間嫌いな性格は、同世代の人間に留まらない。教師に対しても同じような態度を取るため、成績は優秀、生活態度は醜悪と嘆かれているとか。誰に対しても媚びないKは、誰に対してなら心を開くのか気になるところだ。
アタシこと名蟻鈴【メイアリリン】は、以前からKに興味があった。興味があったとはいえ、下劣な好奇心からきているものじゃない。純粋に、Kに協力して貰いたいことがあったのだ。しかし、私はKとは同じ小倉第一高校に通っていることと、同じクラスであること以外に接点はない。
そもそも、何であんな無愛想な女がちやほやされるのかが分からない。美人でオカルトに通じていることがそんなに珍しいか?そんなの、テレビをつければ幾らでもいる。本物のアイドルやタレントの中には、【視える】ことを売りにしている奴らなんか、掃いて捨てるほどいるというのに。
……いけない。本題が別の方向へと流れてしまった。本筋に戻そう。
Kの持つ【視える】能力というものが本物かどうかは、まだ分からない。だが、Kがアタシに協力さえしてくれれば、それは証明出来るはずだ。
事が事だけに、内密に動かなくてはならない。幸いにもKはその日、委員会の仕事があったそうで、放課後は1人で学校に残っていた。アタシは所属しているテニス部の部長に体調不良だと嘘をつき、まんまと部活を休んだ。そして委員会の仕事を終え、教室に戻ってきたKに声をかけた。
「お疲れ様。ねえ、この後暇だったら付き合ってほしいんだけど」
間髪入れずにそう切り出す。Kはちらりとアタシを見たが、何も言わない。アタシの横を通り過ぎ、自分の席へと戻る。まあ、そうなるだろうとは予測済みだ。
「ちょっと待って。ねえ、話だけでも聞いてよ。でないと、これから毎日待ち伏せしてやるから」
我ながら子どもっぽい脅し文句だと思うけど、人間嫌いな人間には、1番効果があると思ったのだ。それに、脅し文句とは言ってみたが、アタシは本気でもあった。Kが話を聞いてくれないのなら、毎日だって待ち伏せてやる。
「………」
帰り支度をしていたKが、鬱陶しそうな眼差しをこちらに向けた。チャンス到来‼アタシはここぞとばかりにKに近付き、敢えて神妙な顔をしてみせる。
「ごめんね。こうでもしないと話を聞いて貰えないと思ったから」
「……さっさと話して。私はあなたほど無駄に生きてはいないんだから」
ーーーチキチキ。チキチキ。
「あ、ああ、ごめん。実はさ、協力してほしいことがあって」
アタシは一呼吸おいて、ゆっくりと言った。
「遺体探しをしてほしいの」
◎◎◎
アタシの母親は、希に見る甘ったれだった。男にすがりつき、面倒を見て貰わないと生きていけない女だった。
アタシは本当の父親を知らない。母親に聞けば教えてくれたかもしれないけど、何となく聞けないまま今に至る。あんな女に引っ掛かるような男だから、どーせろくでもない奴なんだろう。
母親は何度も結婚と離婚を繰り返した。母親は甘え上手なためか、男が途切れたことはない。だが、長続きしないのも確かだった。理由は分かる。男に頼りっきりで、依存し過ぎるためだろう。それしか考えられない。
今から4年前に母親が結婚した男はーーーアタシが知る中で、最も下劣な奴だった。
そいつはTという。母親とTは飲み会の席で知り合ったらしい。Tは母親より一回り年下だったか、瞬く間に意気投合。会ったその日のうちに家に連れ込み、「この人と結婚するから」と紹介された。
Tは確かに顔立は整っていたし、優男風で態度も優しかった。アタシにも勉強を教えてくれたり、時にはお小遣いをくれたりもした。アタシもだんだんとTに気を許すようになってきていた。父親だとは思えなかったが、歳の離れた兄として見ていたのかもしれない。
当時、母親は看護士をしていた。週に2度ほど夜勤があり、母親がいない夜は、必然的にTと2人きりになる。
……その時点で警戒するべきだったのかもしれない。だが、当時14歳だったアタシは危機感がまるでなかった。Tのことを本当に兄だと思うようになっていたからだ。兄は妹を守ってくれるものだと勝手に信じた。
勝手に信じて、裏切られた。
Tは母親がいないと豹変した。最初は晩酌に付き合えと絡まれる程度だったが、そのうちエスカレートしてきた。未成年が飲んではいけないアルコールを無理に飲まされ、目が覚めたら裸だった。
自分の身に何が起きたか分からなかった。動揺を隠せないアタシの隣で、やはり裸のTが寝息を立てている。アタシは恐怖のあまり、ベットから抜け出そうとしたが。Tに腕を掴まれ、またベットの中へと引摺り戻された。
薄笑いを浮かべたTは言う。
「お母さんに秘密が出来ちゃったね」
Tによる強姦は、幾度も続いた。好きでもない人と行為を繰り返すことかどれだけ地獄かーーーこれは体験者でないと分からないだろう。
短期間で10キロ近く痩せ、食欲もない。毎日寝不足で、ストレスのあまり血尿も出た。だが、あの男に陶酔しきっている母親に話せるわけもない。友達にも誰にも、気恥ずかしくてずっと黙っていた。
だけど。そんな地獄は、ある日唐突に終わった。
母親が夜勤に行った夜。アタシはまたしてもTによって強姦されていた。その最中に母親が帰ってきたのだ。母親は喘息の発作を抑える薬を自宅に忘れてきてしまったことに気付き、取りに戻ってきたらしい。
そこで裸同然のアタシ達を見た。
母親は、その光景に神経の糸がプツリと切れてしまった。母親は罵声とも奇声とも分からない声を上げて、Tに掴みかかった。母親は小柄で華奢なほうだったが、背の高いガッチリした体格のTは、バランスを崩して仰向けに倒れ込む。
母親はTに馬乗りになり、Tの頬を何度も殴り付けていた。流石にTもヤバイと思ったのだろう。2人は取っ組み合い、ごろごろと縺れたまま転がった。
アタシは怖くて、半泣きだった。自分の部屋に隠れたままじっとしていた。母親がTをなじる声、Tの罵声、殴打する音……どれくらい聞いていただろう。罵声や悲鳴は聞こえなくなった。その代わり、妙な物音がする。ゴリゴリと硬い何かを削るような音。バキッと何かが折れる音。何だか分からなかったけど、作業じみたことをしてるように思えた。
「……?」
部屋の扉をそっと開け、隙間から外を窺う。すると血走った目がこちらをじっと見ていた。
「ゴミヲステニイッテクル、カラ、ネ」
母親とTの間に何があったのか。それはすぐに判明した。半狂乱に陥った母親は、思い余ってTを殺したのだ。絞殺だった。
更に遺体の損壊にかかった。家にあった包丁、鋏、カッターなどを使い、両腕と両脚を付け根部分からそれぞれ切り落とした。それらを庭に埋めたのだ。庭でゲラゲラ笑っている母親は、その後すぐに近隣の住民から通報された。遺体も回収された。
だがーーー妙なことが1つあった。
「頭と胴体が発見されなかったの」
両腕、両脚はそれぞれ発見されたものの。頭部と胴体だけが見つからなかったと言うのだ。家の中には、確かに遺体を損壊したと思われる痕跡が残っていたものの、家の中からも発見されなかった。自宅近辺にまで手を広げ、隈無く捜索したがーーー結局、発見出来なかった。
あれから4年の歳月が流れた。遺体が未だに発見されていないため、未解決のままだが。警察も、もう本腰を入れて探そうとはしないだろう。
「あなた、幽霊が視えるんでしょ。死者の声ってやつも聞こえるんじゃない?」
だから。
「探して。Tを」
Kはしばらく目を伏せていたが、顔を上げた。腕組して、無駄に偉そうな態度のまま、淡々と言った。
「あなたの言っていることーーー所々よく分からない箇所がある」
チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「今更になって、どうして父親を探そうとか思うの。警察に任せておくことが1番いいと思うけれど」
チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「言ったでしょ。4年も経ってるんだし、警察だってもう何もしてくれない。今までだって、何度も担当の刑事に連絡しているけど、まだ捜査中だって言われてそれっきりなの!あいつらにはもう頼れないの!」
「お父さんを見つけてどうしたいの」
ヒートアップするアタシとは裏腹に、Kはどこまでも余裕の表情。こいつのスカした態度が気に入らない。
チキチキ。チキチキ。
畳み掛けるように、Kは続ける。
「正義感や同情から、亡くなったお父さんを探したいってわけではなさそうだし。仮に見つけたとしててもどうするの。警察にも見つけられなかった遺体をあなたが見つけたらーーー母親とあなたが共犯だと警察は思うかもしれない」
「アタシが通報するとでも思ってるの?まさか。遺体が見つかって、あいつの顔を拝んだら、それで満足だよ」
「あなたーーー父親の遺体が見たいの?」
そう。アタシはTの遺体が見たいのだ。
でも、それこそ単なる好奇心からじゃない。未だに遺体が発見されないことが可哀相だからとか、そんな下らない同情心からでもない。
「頭と胴体を見つけたら、ようやくあいつが死んだって思えるでしょ」
◎◎◎
この4年間、何度も悪夢を見た。夢の中ではTは生きていた。両腕、両脚を無様に切り落とされてる癖に、ニヤニヤしながらアタシを見てくるのだ。
そして擦り寄ってくる。じとりとした上目遣いで、甘えるように身を寄せてくる。アタシは何故か身動きが取れず、抵抗が出来ないのだ。得体の知れない巨大な芋虫を相手にしているようで、気持ち悪くて仕方ない。
自分の悲鳴で目が覚める。目覚めた時は汗ぐっしょりだし、動悸も速い。背筋が寒い。腕を見たら、鳥肌が立っていた。
「頭と胴体が見つからないせいで、未だにあいつが死んでるっていう実感がないの。だから早く見つけて楽になりたいの」
アタシとKは、ある更地に来ていた。ここは4年前、アタシの自宅があった場所だ。事件が起きた1年後、自宅は取り壊され、更地と化した。売り地になっているが、流石に買い手はつかないと聞く。
ここに来る途中、百円ショップに寄った。スコップを購入するためだ。一応、軍手も買っておいた。
「さ、Tを探そう」
軍手を嵌め、スコップで土を掘る。この場所から、Tの両腕と両脚が見つかった。頭部や胴体だって、ここにあるはずなのだ。まだ見つかっていないだけ。探せば、きっとどこかにある。
ザクザクと土を掘り進める。どれくらい深く埋めたのだろう。母親はTを殺して遺体を解体した後、庭に埋めた。大の男を解体し、埋めたとなると、相当時間がかかるはず。だけど、母親が「ゴミヲステニイッテクルカラネ」と言ってから、それほど時間の経過を待たずに近隣の住民から通報されたはずだからーーーそこまで深い場所には、埋めてないはず。
「ない、ない、ない、ない、ない、ない、ない」
ここではないのかもしれない。立ち上がり、数メートル離れた場所を掘る。ない。掘り出される物は土塊だけだ。
また別の場所を掘る。このスコップだと非常に効率が悪い。子どもが砂遊びで使うようなちゃちなスコップしかなかったから、仕方がないが。とにかく、掘って掘って掘り進めるしかないのだ。
「ない。ない。ない。ない。ない。ない。ない。」
新地にはボコボコと穴だけが増えていく。辺りは薄暗くなり、肌寒くなってきたが構っていられない。Tを探さなきゃ。Tの頭部と胴体さえ見つけたら、アタシはようやく奴の呪縛から解放される。
だが、見つからない。
チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。
見つからない‼
「ーーーどこを探しても、お父さんは見つからない。見つかるはずもない」
背後で声がした。振り向く間でもない。Kだ。
チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「だって、あなたのお父さんはここに埋められてなんかいないもの」
チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「……埋められてなんかない?じゃあ、Tはどこに埋められてるって言うの。ここじゃなくて別の場所なの?」
「違う。そもそも、Tという人物は存在していない。全てあなたの妄想であり、空想話。あなたは父親に強姦されてもいないし、母親が父親を殺してもいない」
チキチキ。チキチキ。
「……何言ってるの。何でそう言い切れるの。アタシが嘘ついてるって言いたいの」
チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「4年前とはいえ、そこまで猟奇的な殺人事件が起きれば、誰だって記憶に残るもの。だけど、そういった事件が報道された記憶は、私にはない」
チキチキ。チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「人間を解体することは、生易しいものじゃない。一般家庭にあるような包丁や鋏、カッターなんかじゃ歯が立たないはず。せめて鋸でもあれば、話は違ってくるだろうけど」
チキチキ。チキチキ。
「巷で噂になっているようだけれどーーー確かに私には怪異が視える。視えるし、声も聞こえる。対処も出来る。だけれど、この場所から何も感じたりはしない。ここは猟奇的な殺人事件があったから、更地になった場所じゃない。ただの区画整理が行われただけ」
チキチキ。チキチキ。チキチキ。
「あなたーーーポケットに何を入れているの」
チキチーーーキ。
ポケットの中には、カッターが忍ばせてある。歯を出し入れする度に、チキチキ、チキチキと音を立てていた。
Kは、言う。いつもの淡々とした調子で。
「馬蟻さん。あなた、私のフルネームを言える?」
何を言っているのか分からない。Kのフルネームを言えるかだって?言えるに決まっている。小倉第一高校では、クラス替えがないのだ。アタシとKは、約3年間同じクラスなのだから、フルネームくらい。
……フルネーム、くらい。
「分からないでしょう。私のフルネーム」
分からない。Kのフルネームは、何だったか。確か、苗字がカ行だったことは覚えているけど。それ以外、全く思い出せない。
あれ?あれ?あれ?アタシ、どうしちゃったんだろ。
「激しい妄想癖。自己中心的。病的に嘘をつく。他人の名前を覚える必要性を感じない。如何に自分に同情させるかを考えている。ポケットにカッターを忍ばせ、いつでも臨戦体勢に持ち込めるように手配している」
Kは、人差し指をアタシに向けた。
「あなたーーーサイコパスなんでしょう」
サイコパスと聞くと、精神病と捉えることも多いけれど、それは間違い。パーソナリティ障害のこと。この障害を持つ人間は、他人の尊厳や感情を軽視し、呼吸をするように嘘をつき、時に暴力的になる。その一方で、表面的には凄く魅力的であり、リーダーシップを取りたがる傾向にある。
基本的に自己中心的な考え方しか出来ないから、他人の苦痛や悲哀を理解出来ない。どうしたら自分が1番目立つことが出来るか、どうしたら他人が自分に同情し、献身的になるか。そればかりを常に考えている。
サイコパスが起こした凶悪事件は、世界各国に存在している。その事実が先走り、サイコパス=凶悪犯罪者、または凶悪殺人者と思われがちだけれど。異常人格者と捉えたほうが正解に近い。あなたみたいに、普通に高校に通って、普通に日常生活を送る女の子だっているんだしーーーねえ?馬蟻さん。
父親からはレイプされ、母親は殺人鬼。かつての自宅は新地になった。今尚、死んだ父親の悪夢を見て苦しんでいる。そんな自分が誰よりも可哀相で、可愛くて、愛おしいんでしょう。
私にも同情してほしかったんだものね?あなたが私に語って聞かせた妄想話……実はクラス中に言い触らしているんだものね?みんな、あなたに同情し、献身的に尽くすのに。私だけはあなたに同情しなかったことが許せなかった?
「……ふざけるな。私はお前の妄想に付き合ってやれるほど、お人好しじゃない」
次の瞬間、Kは素早く動いた。アタシのブレザーのポケットから、カッターを取り上げると。チキチキと歯を出し、切っ先をアタシに向けた。刃先が微かに額に触れる。Kはアタシを睨みながら呟いた。
「お前、嫌い。お前みたいな人間に騙されるような奴も大嫌い」
だから。
「私は友達を作らない」
◎◎◎
桐島にお使いを頼まれた私こと國達晃は、帰りがけにある人物を見かけた。ショートカットの黒髪を揺らし、足早でこちらに向かって歩いてくる人影。何度か界隈で見かけたことがある。
「玖埜霧御影だ。きひっ」
玖埜霧欧介の姉。玖埜霧欧介とは血の繋がりはない、義理のお姉ちゃんなんだっけか。2人が仲睦まじく、並んで歩いているのを何度か見た覚えもある。
その時の玖埜霧御影はーーー本当に幸せそうで。楽しそうで。恋する少女みたいな顔をしていた。
だが今は、酷く不機嫌そうな雰囲気だ。口を真一文字に結び、肩で風を切るように歩くその姿に、私は圧巻されてしまう。玖埜霧御影は、私に気付いているのかいないのか、歩くペースそのままに近付いてくる。
すれ違う瞬間、私は思わず声に出して言ってしまった。どうしてその言葉が口を突いて出たのかは、私自身も謎だった。
「恋は罪悪ですよ。解っていますか」
私からの問い掛けに、玖埜霧御影は素早く答える。
「充分過ぎるそのほどに」
作者まめのすけ。