バウムテストというものを、ご存知でしょうか。
被験者に一本の木を描いてもらい、その絵を分析することで、被験者の感性や深層心理を解き明かす、心理テストの一種です。
現代ではおもに、子どもの発達検査や心理判定に広く用いられています。
完成した絵は、専門的な分析にかけられ、その結果として、被験者の感受性やトラウマ(心のキズ)、内向性、攻撃性、コミュニケーション能力、知性や知能、内面に秘められた残虐性などを推定することができます。
私は、児童養護施設に勤務する20代の女性です。
児童養護施設とは戦後、孤児を保護する施設として始まった歴史がありますが、近年では、虐待を受けた子どもの保護施設と言っても過言ではありません。
なので、家庭内で身も心もズタズタになった子どもたちが、私の施設にも数多く入所してきます。
施設と言っても、家庭を離れた子どもたちにとってはかけがえのない生活の場です。
親元から離れた子どもたちにとって、親代わりを務めるのは、施設の職員たちです。
子どもたちの健全な成長を支えていくためには、まず、その子どものありのままの姿を知る必要があり、そのため、私の施設でも頻繁にバウムテストが行われているのですが…。
虐待を受けて育った子どもたちが描く絵は、心の歪みや闇が投影されたような、奇妙なものが多くあるのも事実です。
葉がなく枯れ木にしか見えないもの…
色彩がなく黒など一色のみで塗り潰したもの…
斧で木を切り倒そうとする人間が描かれたもの、等々…。
なので、心理判定の結果、心理学や精神医学の観点から、医学的な治療やサポートが必要であると診断される子どもも少なからずいるのです。
私は、臨床心理士として、これまで幾度も心理判定に携わり、その中で、バウムテストも数多く実施してきましたが、つい先日、新たに入所してきた7歳児のT君に実施したバウムテストで、これまでで最も驚愕する絵に出会ったのでした。
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絵を描き終えたT君から受け取った画用紙に描かれていたのは、画用紙からはみ出そうなほどの、一本の大きな木。
枝葉は大きく枝分かれし、画用紙全体を覆い尽くすように描かれている。
その枝葉のいたるところには、果実のようなものが無数にぶら下がっている。
よく見るとそれは、人間だった。
その人間一人一人に目を凝らすと、首にはロープのようなものが巻き付いている…。
そう…それは果実ではなく、無数の首吊り自殺の死体だったのだ。
全体的に色彩は乏しく、それが逆に、死体から流れ出る真っ赤な血の色を強く印象付けていた。
「不気味」
その絵に感想を述べるならば、その一言に尽きた。
子どもはどんなに酷い虐待を受けても、親に対する愛情を、心のどこかに宿していると言うことを、この施設で学んだ。
しかし、このT君は違っていた。
無数の首吊り死体の中に、ひときわ大きく描かれたものが2体…。
聞けば、両親だと言う。
そして言った。
「死ねばいいのに!!」
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それから数日後。
心理判定の分析がまとめられ、その結果、T君の心の闇はとても深く、長期間にわたって、医学的なケアを必要とすることがわかった。
そこで、通常よりかなり頻度が高い、半年ごとの心理判定を実施しながら、慎重に経過観察と心のケアを行っていくことになった。
しかし、子どもの成長とは、本当に目覚ましいものである。
それは、T君も例外ではなかった。
入所当初は心を閉ざしていたT君も、施設での生活に馴れていくにつれて、親しい友人もでき、次第に笑顔を見せるようになっていった。
気付けば、仲の良い友人も増え、入所に伴って転校した小学校でも、明るく元気に学校生活を送ってくれていた。
担当する私も、T君との信頼関係を築くのに、さほど時間はかからなかった。
すれ違いから衝突することもあったが、そんなことをキッカケに、互いに成長しあうこともできた。
慌ただしくも平穏な日々の中、入所当初のT君に抱いていた不安や心配も、いつしかすっかり和らいでいた。
時として、仕事であることを忘れてしまいそうになるほど、家族のように、子どもたちと寝食を共にする日々が、楽しくて仕方がなかった。
T君への心理判定でも、彼の成長ぶりが顕著に現れていた。
回数を重ねるごとに、数が減っていくバウムテストの首吊り死体…。
心の中に巣食っていた闇が、少しずつ取り払われていくようで、私も自分のことのように嬉しかった。
3年程経った、ある日の心理判定のこと。
首吊り死体の数が、とうとう一体だけになった。
「この子はゆっくりだけど、着実に他人を信じる力を身に付けている」
私はとても嬉しくなった。
心理判定の最中だったが、T君をこの場で抱き締めてあげたいほどに…。
今の私はもう、一職員としての立場を越え、T君の存在が、まるで我が子のように、誰よりも愛おしいと思えるまでになっていた。
きっとT君にも、その想いが伝わっているに違いなかった。
ただ、この絵の中で、ひとつだけ気になる点があった。
最後の一体の首吊り死体の正体だ。
さりげなさを装い、聞いてみた。
「それで、この人は誰なのかなぁ~?」と、笑顔の私。
T君は、私を指差した。
作者とっつ
ちょっと長いです。