1
私は血の匂いが好きだ。
ただそれは自分の血ではなく、他人の、それも若い女性の血なら尚良い。
私が血の匂いに魅了されたのは、とある交差点で起きた人身事故がきっかけであった。
タクシーの下敷きになった自転車と、前輪に踏まれ、まるでスイカのように潰されてしまった中学生の頭。ここからでも目玉が二つとも飛び出しているのが見て取れる。
近づいてみるとやはり、周囲には彼女の肉片が散らばり血の匂いが立ち込めていた。
普通なら目を背けてしまうような恐ろしい光景だが、なぜか私は興奮に満ちていた。お腹の辺りから熱いものが込み上げてくるのがわかる。
「もっと嗅ぎたい」
一先ず、アスファルトの血溜まりに指を滑らし、誰にも見えないようにして舐めてみた。
「うまい」
調子に乗った私はハンカチを落とすフリをして血を充分に染み込ませ、それをポケットにしまった。私の手はその時、喜びに打ち震えていたように思う。
この時、私は三十二歳。思わぬところで自分の知らない自分と出会ってしまったという訳だ。
かくして吸血鬼のそれになった私はその一件以来、少年少女の血に魅了される事となる。
2
罪悪感はあった。
ただ初めの内は、だ。
人は自分の欲求を満たす為なら時として恐ろしい事を考えつくものだ。
コートに包丁を忍ばせた私は、深夜を待ち、一人歩きしている若い女性を次々と襲った。
大抵の場合、いきなり背中をひと突きもしてやると声も上げずに倒れこむ。私はすぐさま四つん這いになり犬のように傷口を舐め回す。ある程度堪能すると、持ってきたタオルや布などに血を充分に含ませて持ち帰る。
その布を嗅ぎながら眠ると昼まではグッスリと眠れる。どんな子守唄や睡眠導入剤も敵わない。いやはや我ながら悪趣味である。
テレビのニュースでは通り魔事件多発地帯として、私の住む町には厳重な警戒体制が敷かれている。
被害者はどれも重症だが、幸い亡くなった者は一人もいないと報じられていた。
信じられないが本当らしい。
3
来月で私は四十二歳の誕生日を迎えるが、心身は頗る健康、目覚めも良く、食欲も、まあ、人並みにある。
もちろん独身の私に祝ってくれる者などいない。寂しいが、致し方無い。
外は雨。
窓を叩く雨粒とは別に、硝子を小突く赤い指先がヒラヒラと視界に入ってくる。
私が寝ようとすると決まってこの女は現れる。今日も血の様な顔を硝子窓に押し付けて部屋を覗きこんでいる。
思えばこの女は私が血の悦びに目覚めたあの夜から、毎日のように私の部屋へやってくる。額には二本の角が生えており、更にそれは少しづつ伸びているようにも思う。
いや、私が人を襲うたびに角は確実に伸び続けている。
鬼女。
そう、私の人生の末路は、もうあの夜から既に決まっていたのかも知れない。
この女が私を狂わせたのか、偶然出会った赤い鮮血が私を狂わせたのか、はたまた、これは血を啜り続けた私のみに視える幻覚なのだろうか。何れにせよ私の犯した罪は重い。
さあ、私が何年もかけて採取した血布を繋ぎ合わせて作ったこの死装束が、ようやく明日には完成する。
鬼女の期待通り、私はこれを着てこの窓から飛び降りるつもりだ。
「地獄に連れていくのはそれまで待っていてくれないかな?」
私が鬼に向けてウインクすると、彼女はニタリと黄色い歯を見せて笑った。
4
うまそうだ。
私が死んだら、この女の血も舐めてやるとしようか。
了
作者ロビンⓂ︎
ぺろぺろ、愛犬のちょこちゃんを見ていて思いつきました…ひひ…