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子供の頃、家の近くの河原にダンプカーが転落したという事故の記憶がある。
突然鈍い地響きがして、何だ何だと居間の窓から身を乗り出すと、緑色のダンプが道路から約三メートル下の河原にひっくり返っているのが見えた。
ガードレールが飴のようにひん曲がっていた。
橋を渡りきり、曲がった途端砂利道にハンドルを取られたのだと思う。
しばらくして血まみれの運転手が運転席から引きずり出されて…
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と書いたが、この記憶が事実かどうか確証が無い。
家族に聞いてみたが誰も覚えていない。
あったかもしれないが、なかったと言われればそうかもしれない。
という、実に頼りない返答だった。
昔の新聞を調べればわかるのだろうが、それもわざわざ億劫だ。
このように記憶というのは非常にあやふやだ。
美化され消去され改竄され捏造され、事実は遥か遠くに見えなくなってしまう。
今から書くのはそんな不確かな話。
知り合いの女の子が話してくれた。
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彼女は小学校低学年まで母方の実家で夏休みを過ごした。
その村はいわゆるど田舎で、村の面積のほとんどが農地。
見渡せばたんぼや畑、そして山、川、山、山、山…
買い物といえば小さな商店が一軒きり。
舗装路は極めて少なく、村には信号が一つしか無い。日が沈めばすぐ闇に包まれる。見事なほどに何もない。
けれど、彼女はそこで過ごす夏休みが大好きだったそうだ。
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「じいちゃんの家の方が友達がたくさんいたし、見渡す限りの風景全部が遊び場になった。
たまに行くからかもしれないけど、みんな優しかったしね」
と、彼女は言った。
彼女は小学校の頃にひどいいじめを受けている。
そのせいもあったのかもしれない。
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田舎のこどもたちにとっても、都会から一年に一度やってくる彼女は遠い国のお姫様のような存在だったのではないかと、勝手に想像する。
彼女の容姿から考えても妥当な推測だろう。
違う街、違う人、違う世界。
幼い者には貴重なものだ。
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しかし、彼女は小学三年の夏を最後にその世界との縁を断ち切られる。
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村の子供会主催のラジオ体操にも彼女は当然のように出席し、毎日朝早くから友達と遊び回っていた。
そんなある日。
ラジオから掛け声が流れる中、おかしな人影が畦道(グラウンドというか集会所はたんぼに囲まれただだっ広い平地にあった)の向こうから近付いてきた。
「…ひょうたん?」
彼女は一本道の向こうから歩いてきた何者かを見て、そう呟いた。
刹那、怒号と悲鳴が辺り一帯を包んだ。
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「ビグ(ビドゥかもしれない。よく聞き取れなかったそうだ)だ!来たぞぉ!」
誰か大人がそう叫んだ。
彼女は意味が分からず立ちすくむ。
一番仲の良かった女の子が彼女の手を引いて必死に逃げ出した。
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「何? 何が来たの?」
その子は首を振るだけで何も答えなかった。
「見るな、見るなよぉ!」
また、大人の声。
次いで聞いたことの無い女の子の泣き声。
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ウエェェエエエ…
ウェェエエエェエエエ…
彼女は振り返り
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そこで、記憶が飛ぶ。
気が付けば田舎ではなく自分の部屋だったそうだ。
机に座り、ノートに何か書いていたという。
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この年以降、母親の実家に行くことはなかった。
話題に上ることもほとんどなくなった。
そして二十年が過ぎ、今となっては実際にあったことなのかもわからない。
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ひょうたんに見えたのは頭が二つ縦に連なっていたからだ。
小さな娘の頭の下に中年男の頭。
ノートにはそんな絵が描いてあったそうだ。
作者退会会員