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雨の日は苦手だ。
蒸し蒸ししてジメジメして、鬱陶しい。
しかも傘なんていう、一種の凶器まで皆々軽率に持ち歩いている。
地に溜まった雨水や泥がズボンの裾に跳ねて汚れる。
ああ、雨の日は気分が憂鬱になる。
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しかし、それと同時に湧き上がる高揚感。
…そうだ、あの日からか。
あの日も今日みたいに雨が降っていた。
ああ、本当に憂鬱になる。
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あの日、俺は職場の馬鹿上司にあらぬ言いがかりを付けられ、職場のミスを俺のせいにされた挙句、酷い叱責を受けた。その場には俺の片思いの彼女も居て、そんな醜態を晒した俺を見て、彼女は幻滅しただろう思うと、ムカムカして、勝手に失恋した気分になって、一人居酒屋でやけ酒をしていた。
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「すいません、隣良いですか?」
そう声を掛けて来たのは、髪の長い女性だった。
これがまた驚くことに、超美人で、片思いの彼女に少し雰囲気も似ていて…
「ど、どうぞ…!!」
なんて、みっともない上擦った声を上げてしまった。
「すいません、ありがとうございます。席がいっぱいでカウンターしか空いてなくて。」
そう言って俺の隣に腰を下ろし、彼女は生ビールを注文した。
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女性と2人で飲み屋なんて十数年ぶりだった俺は、何を話せば良いのか分からず、注文していたハイボールをチビチビと飲みながら、会話の種を脳内でまさぐっていた。
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「女性が一人で居酒屋なんて、ちょっと変わってますよね。」
そう切り出した彼女は、少し恥ずかし気に長い髪を耳に掛けながら俺を見た。
「いっ、いや、そんなことないですよ!俺はよく見ますよ?一人で来られる女性!でも、今日は金曜の晩ですしご友人と飲みに行ったり…なんて事にはならなかったんですか?」
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「今日は少し嫌な事があって、一人で飲みたいなーと…でも、いざ一人で来たら、やっぱり寂しくなってしまって、貴方に声を掛けたんです。おひとりのようだったので。…迷惑でしたか?」
心配そうに眉尻を下げつつ、俺を見るその視線に、ドキドキが止まらなかった。
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「そっ!そんなことないです!!俺も丁度一人は寂しいなって思ってたところでしたから!」
「良かったです…。」
安堵したように微笑む彼女を見て、俺は思った。
『ヤバい。めっちゃ可愛い。こんな可愛い子と飲めるなんて、もう二度とないかもしれない。』
そんな俺の顔は酒に酔ったこともあって、さぞだらしない顔をしていたことだろうな。
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彼女の頼んだ生ビールが届かない。
再度注文をした。今日は店が混んでるから仕方ないか。
ようやく届いた生ビールと、半分ほどに減った俺のハイボールで乾杯をした。
「素敵な出会いに乾杯。」
「で、出会いに、乾杯っ。」
カチンとグラスを合わせ、俺たちはグイッと酒を煽った。
『神様ありがとう。こんな出会いをくれて…かんぱーい!!!!』
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出会ってから1時間程ですっかり俺たちは打ち解けて行った。
どうやら彼女が一人酒をするに至った経緯は、今日、まさに先程、恋人に別れを告げられたらしい。
「本当は一緒に此処へ来るはずだったんですけど…ね。」
そういった彼女の表情はとても沈んでいるようで、安易に励ますのもどうかと思った俺は「今日は飲みましょう。俺、明日休みですし、全然付き合いますから!!」そういって彼女の開いたグラスに注文した瓶ビールを並々と注いだ。
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「ふふ…優しいんですね…?ありがとうございます。」
泣きそうな顔で笑う彼女。
とうに俺は恋に落ちていたのだろう。
話はますます弾み、お酒もいくら飲んだか分からない程になっていた。
彼女も俺も、相当に酒がまわっており、終電なんてとっくに終わっている時間だった。
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「家、何処ですか?タクシー、呼びますよ?」
少し残っている理性でそう告げる俺の腕に、彼女は指を絡めて来た。
「私、まだ帰りたくないんです。初対面でこんな…はしたないですよね…。でも__。」
彼女の言葉を遮るように、俺は彼女に口づけた。
なけなしの理性なんて、とうにぶっ飛んでいたようだ。
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そこからは、ご想像の通り。ホテルへ行き、大人の時間を過ごした。
裸でベッドへ横たわっていると、彼女が俺に擦り寄り、こう言った。
「もっと早く出会いたかった。そしたら、こんな思いしなかったのに…。」
そうすすり泣く彼女を抱きしめながら、眠気と疲労のピークを迎えた俺はいつの間にか夢の中へ落ちて行った。
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ふと目を覚ます。
となりに彼女はいない。
シャワーの音が聞こえる。
シャワーを浴びているのか。
20分ほど待ってみた。出てこない。
…まさか。
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俺の中で嫌な予感がよぎった。
バスルームの扉を静かにあける。
出しっぱなしのシャワーがあるだけで、彼女の姿は無かった。
『良かった…でも、彼女は何処に行ったんだろう。』
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不意に浴室内の鏡に目をやった。
俺は戦慄した。手が震え、服が上手く着れない。
頭の中は真っ白で、カチカチとなる自分の歯の音が煩わしい。
半裸の状態でホテルを転がり出た。
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鏡には赤い口紅で記されたメッセージ。
【____________】
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「うわああああああああああああああああああああ!!!!!!」
奇声を上げながら道端に転がり、蹲り、在らんばかりの声で叫んだ。
俺の悲痛な叫びは雨音に消され、消えて行った。
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それからの俺は変わってしまった。道行く髪の長い綺麗な女性に目を付け、鋭い傘の先端で喉元を貫く。こんな時にだけ、雨は良いと思う。汚れても気にならない。勝手に雨が洗い流してくれるのだから。
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雨の日は憂鬱だ。嫌な事を思い出してしまう。
雨の日は気持ちが高揚する。彼女を思い出せるから。
髪の長い女を殺せ殺せ殺せ殺せ。脳内に響く彼女の声。
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殺して、殺して、殺して。
私の代わりに、髪の長い綺麗な女を、たくさんたくさん、殺して?殺して?ねえ。
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彼女はまだ探しているんだろう。
自分をこんな風にした元凶の女を。
『さて、今日も雨よ。いきましょうか。』
「…ああ。」
彼女が果たして、現実なのが、幻なのか。
そんなことは、どうでも良い。
今は、ただ遂行したいだけだ。彼女の想いを。
作者雪-2
はてさて、皆さまお久しぶりです。
長い間多忙より潜っておりました、雪です。
ええ、雪です。
…え?忘れたって?
………いやああああああああああああああああ!!!!!!