「おまちっ!」
カウンターに置かれた、美味しそうな湯気をたてるラーメンを夢中で啜った。空腹がある程度紛れるまで忘れていたが、私は無一文だったことに気づいた。さて、どうやって逃げようか。半分ラーメンを啜ったあたりから、そのことが頭の中の大半を占めた。それにしても、なんて美味いスープなんだろう。こんな美味しいラーメンは食べたことが無い。
「美味いだろう?このスープ。」
心の声を見透かされたように、白い顔の店主はしたり顔をした。
「ええ、とても。ダシは何を使ってるの?」
そう問うと、店主は腕組みをしてニヤニヤしながらそれは企業秘密だよという。
それはそうだ。そう簡単にレシピを教えるはずは無い。それよりは、これからのことだ。
残さずスープを飲み干して、トイレを借りる。
トイレのドアを開けた瞬間、笑みが漏れた。顔はあんなだったが、体系だけは細身に産んでくれた親に感謝しなければならない。この窓なら、余裕ですり抜けられるだろう。私は、自分のアパートを抜け出した時のように、窓枠に手をかけ、高い窓によじ登った。肩を斜めにねじると余裕で通り抜けた。肩さえ抜ければ、楽勝だ。私はなんなく、細い路地に下りることができた。顔を上げ立ち上がると、私は悲鳴をあげた。
いつ移動したのか、そこには腕組みをした先ほどの中華店の店主が立ちはだかっていたのだ。
「おきゃくさーん、無銭飲食は困りますねえ。」
私は青くなって平謝りした。
「ごめんなさい。バッグをひったくりに遭っちゃって。お金、ないんです。」
「どうして、警察呼ばなかったの?そういうの言い訳にならないから。」
「本当なんです。信じてください。二人乗りのバイクの男たちにひったくられたんです。」
私が泣いて訴えると、店主は思案顔になった。
「ははーん、ここ界隈を荒らしてるやつらにやられたんだな?まあ、信じるにしても、やっぱり無銭飲食はねえ。」
「警察だけは!カンベンしてください。」
私は細い路地裏で土下座して店主に謝った。警察につかまれば、きっと今まで騙された男達が私を結婚詐欺で訴えるだろう。もうそうなったら、私の人生は終わりだ。
「・・・なんか、ワケアリのようだね。・・・ひ・・・」
とりあえず、私は、しばらくアルバイトをすることで、無銭飲食を許してもらうことができた。今の私にとっては、ありがたいことだった。とりあえず、ここに匿ってもらえれば、しばらくは追っ手から逃げることができるだろう。そう思い安心すると、急に眠気が襲ってきた。そういえば、もう夜中の三時だ。でも、この状況でこんなに眠気が襲ってくるのはおかしい。もしや・・・。そう思いながらも睡魔に抗えなかった。薄れゆく意識の中で、白い顔の店主が、ひ・・・と笑った。
気がつくと、私は、布団に寝かされていた。しかも、全裸で。ああ。私は全てを理解した。もう、別に悲しいとか悔しいとかいう感情はとっくの昔に消えうせていた。男はみんなクズでケダモノよ。弱みにつけこんで、こういうことをする動物なのだ。おそらくあのスープに睡眠薬でも仕込んでいたのだろう。のろのろと、周りに散乱した自分の下着や衣服を身につけはじめた。
私が黙って店を出て行こうとすると、店主が後ろから私の腕をつかんだ。さすがの私も、これには頭にきて、店主に向かって叫んだ。
「もう、これでいいでしょ?私の体で払ったんだから!ラーメン一杯以上の価値くらいあるでしょ?」
すると、店主は、一瞬驚いた顔をした。
「ああ、全裸だったから。まあ、あの状況でそう判断するのは仕方ないけど、俺は何もやってないよ。」
そう言うとニヤニヤ笑った。
「嘘ばっかり!そんなわけないでしょ?もうさっさと認めて私を解放してよ!ラーメン代なら、何とか工面してくるから。」
「そうは、いかないんだな。・・・ひ・・・・・」
ひ、というのは、この店主の口癖だろうか。しかし、ラーメン一杯でさすがにここまでされるいわれは無い。
もう一度、手を振り払おうとすると、ますます店主の指が強く腕に食い込んできた。
「い、痛いっ!」
「実はうちの店ね、結構、この界隈では有名なのよ。裏メニューでね。これを食べに、今日は上得意様がいらっしゃるんでね。アンタにここを出て行かれるのは困るんだよ。」
「はあ?それと私がどう関係あるのよ!」
店主は、またさらに力を込めて私の手を握る。ヤバイ、これ以上逆らうと何をされるかわからない。
「世の中はね、グルメで溢れていてね。並大抵の味では、そういう人たちの舌を満足させることができないんだよね。グルメっていうのは、往々にして悪趣味でね。珍味を好むものなんだ。ほんと、注文が多くて、俺たち客商売は、それに対応しなくちゃならないんだよ。だから、裏メニューもだんだんとコアになって行ってさ。」
そう言う店主の目は爛々と不気味に輝き始めた。
「中国四千年の歴史は、凄いよね。四足のものは、机以外は何でも食べるってんだから。でも、日本のグルメだって負けちゃあいないよ。だって、今日のお客様のご注文は、四足ではほど足りない人達だからね。いやあ、俺も二足のものを料理するのは、初めてだからね。・・・ひ・・・。食材に逃げられちゃあ困るのよ。」
作者よもつひらさか