わたしは…
わたしは
幼い頃から背の高さを揶揄われていました
背を丸め、俯き
少しでも小柄に見せようとしました
自然と上目遣いになり
目付きも悪くみられました
そんなわたしに投げつけられる言葉は酷いものでした
特に男子達…
言葉は
時に固い石のようでも
へばりつく泥のようでもあり
心は傷をつけられ
土のように動かなくなっていきました
髪を長くしていたのは
そんな目つきを隠すためでしたが
止まったままの表情を人に見せない為でもありました
すぐに
笑い合う友達もいなくなりました
笑顔の作り方も
忘れました
両親は共に世間体を気にしてか
そんな私を疎ましく見ていました
父には
家が暗くなるから笑え、と言われ
笑おうとすると口が引きつり
母には
それ気持悪いから笑わないで、と言われました
いつしか
両親との関係も悪くなり家での居場所は
自分の部屋だけになりました
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高校生になっても身長は止まりませんでした
ただし
同級生があまり進学する事のない他県の高校に進学したこともあり
静かに高校生活を一人で過ごす事が出来ました
話しかけられることも無ければ
話しかけることもありません
高校へ行き
授業を受け
帰ってくる
今までと違うことは
虐められないことでした
それ以外は同じ…
耳に入って来る会話もどこか遠くから聞こえて来るようで
目の前で起きていることも
手を伸ばしても届かない
まるで
同じ空間に存在するものとは思えませんでした
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高校2年生になる頃には大きさの合う制服はなくなってしまいました
わたしは
仕方なく制服を直すことをはじめました
規制の制服以外でもよかったのですが
兎に角目立ちたくないわたしは
最初は直し
次に同じものを作りました
規制のものと遜色のなく出来上がると
味わったことのない達成感がわたしを包みました
学校でも家でも干渉されることないわたしは
服を作ることに夢中になり
没頭しました
高校を卒業する頃にはどんな服でも作れるようになっていました
その自信は
わたしを1つ前向きにさせました
服飾の専門学校へ進み
服を作りました
集団の中で自分の居場所を確認することができました
ここで
はじめて向けられる感情がいくつもありました
羨望
嫉妬
戸惑いました
それに
私の容姿をからかう者はなく
自然と友達も出来て俯く事も少なくなりました
髪も短く切りました
ただ
長年笑っていなかったせいか
笑うと左の口角だけが上がりました
仲間からもそれはからかわれましたが
悪い気はしませんでした
わたしは成績も良くアパレルメーカーに就職することが出来ました
その頃には両親との関係も少しずつよくなってきていました
会話を交わすようにもなりました
普通の…
しばらくして職場の女友達に食事会に誘われました
男性の友達も来ると聞かされると
話を楽しむような場所に行っても
背の高さを話題にされるに決まっている
そう思いました
もう人数に入ってるから、と
逃げ出せない状況に困りながらも
ほんのすこし期待する気持ちもありました
それは
わたしが自身の変化に気がついていたからです
わたしは食事会に参加することにしました
そこで
彼と知り合うことになりました
彼も背が高く、そのことをコンプレックスにしていた、とそんな話で盛り上がりました
初対面でお互いの背の高さを笑いあえました
わたしたちは
交際をはじめました
いまだに左側しか口元の上がらない笑い顔
それも彼は綺麗だと言ってくれました
小学校の教員の彼は真面目で、責任感もあり将来を約束しあうにも時間はかかりませんでした
服作りを趣味にもしているわたしに
彼は2人の名前が刻まれた裁ち鋏をプレゼントしてくれました
家庭を持つ、
その鋏を眺めることは遠くない未来を想像できました
彼は担任する子供達にも職場の先生たちにも
笑顔が綺麗な人と結婚するんだと自慢したと言って笑っていました
わたしが恥ずかしがって笑うと
その笑顔だよ
と、からかわれました
お互いの両親への挨拶も済ませ
全てが順調に進んでいると
そう思いました
貰った鋏で白いドレスを作り始めたのもその頃です
1つずつの工程に幸せを感じました
彼を紹介してくれた同僚は
あいつは本当にいい奴、幸せにしてもらいな、と
わたしの制止するのも構わず
みなさん!と声をあげ
所属する部署を巻き込みお祝いの言葉をくれました
両親も見たことのない笑顔で喜んでくれました
わたしは
空白だった時間の全てを取り戻せたと思っていました
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彼に私以外の女性との子供が出来たのは
あと少しでドレスが出来上がるころでした
今、7ヶ月なんだ
同じ小学校の教員で飲み会のあとに一度だけ関係をもったみたいなんだ
泥酔していて記憶がないんだ
でもお腹の子供に責任は感じている
その女性がいま不安定な状態なんだ
子供が産まれるまではそばにいて欲しいと女性の両親にも泣かれてしまった
産まれて落ち着いたらまた君のところに戻ってくる
信じて欲しい
今はお腹の子供が無事に産まれてさえくれれば君のところに帰ってこれる
彼は泣きながらわたしにすがりました
彼はわたしだけではなく
みんなに優しい
それに
誠実すぎるその性格が
わたしはとても好きでした
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もう産まれたのでしょうか
あれから5ヶ月ほどが経ちました
携帯は繋がりますが
忙しいのか
折り返し電話をもらえることはありません
彼のアパートに行ってみましたが
表札は違う苗字でした
彼の職場だった小学校に一度電話してみました
夫婦で退職しましたよ、と言われました
「夫婦」…
電話に出てくれた教員が
聞きもしないのに教えてくれました
奥さんの実家は大きな会社を経営しているらしく
そこの一人娘なんだ、と
わたしはどれくらい待てばいいのでしょうか
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あれから1年ぐらい過ぎました
彼を紹介してくれた同僚は半年前に
寿退社していきました
職場では何時までも結婚しそうにない私に
嫌な噂が流れ始めました
男に騙された、とか
結婚の話は嘘だった、とか
再び向けられ始めた
負の視線
わたしは戸惑いました
職場で親しい人には事情を説明しました
わたしに向けられたのは憐れみでした
腫れ物に触るように扱われ
幸せに思えるような話は聞こえなくなり
周りから人がいなくなりました
上司からも
だから少し休んでみないか、と言われました
わたしがいると空気が悪いんだ、と
血の気が引くのがわかりました
また
存在を否定された気がしました
何がわかるんですか、と
泣きながら訴え続け
止めに入った同僚に持っていた鋏で傷つけてしまいました
わたしは勤め先にいられなくなりました
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両親にも彼が戻ってくる事はないと言われました
わたしが彼の誠実さ責任感の強さを必死で説明しても無駄でした
両親との関係はふたたび悪くなりました
母にはご近所様にもなんて説明すればいいのよ、と罵られ
父にはわたしの過去をほじくり返され
家にも
居られなくなりました
また
笑えなくなりました
髪をのばし顔を隠し背を丸めました
彼を今も信じています
わたしを救ってくれたのですから
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いつからか
彼からの連絡を待つ携帯は反応しなくなりました
蜘蛛でしょうか
顔の上を何かが歩きます
払いたくても
腕が動きません
口に入って来ても
噛み潰すこともできません
時々
ドアをノックする音が聞こえます
返事をしたくても
わずかに口が動くだけで
声は出ません
先ほども訪ねて来られたみたいですが
また
行ってしまいました
目を瞑る
これくらいの力しか無さそうです
もう…
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また眠っていたようです
長い夢を見ました
私と彼と彼の子供が暮らす夢を
それは幸せな眺めでした
わたしは
気がつきました
わたしが待っているだけでは駄目だということを
彼は言いました
子供に責任を感じている、と
女にでは無いのです
その子をわたしが愛することが出来れば
彼があの女と一緒にいる理由は無くなります
夢で見た暮らしをすればいいんです
今、すぐにでも彼に伝えなければいけません
わたしはその子を愛せます
彼とともに
わたしは携帯を手に取ると
彼の職場だった小学校に連絡してみました
事情を説明して住所を聞いてみたのですが
何人も電話の向こうで人が変わり
そのうち警察に連絡しますよ、と言われて切られてしまいました
わたしは彼を救おうとしているんです
彼はどんな思いで今の生活をしているのか
毎日わたしのことを想っては
引き裂かれるような
気持ちで…
わたしは今、自分の愚かさに悔いています
震えています
あの女にずっと夢だった教師の仕事も奪われ
わたしという存在からも引き離されました
この2人の名前が刻まれた裁ち鋏
見せて説明すれば彼のいた学校のみなさんも気がつくはずです
彼が将来を約束していた女性がわたしだったということを
すこし黄ばんでしまいましたが
このウエディングドレスを着たわたしを見たら
彼はなんと言ってくれるでしょうか
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女は鏡の前に立ち
顔を覆う艶の無くなった髪を手で払うと
肩が落ち、煤けたドレス着た姿を見つめた
白く濁り窪んだ目と肉の削げ落ちた頬
笑うことの出来ないこの顔では彼に申し訳ないと
手にしていた裁ちバサミを左の頬にあてた
僅かに開いた口にハサミを通し
それをゆっくりと閉じていく
鋏は抵抗なく閉じられ
支えが無くなった下顎と頬の皮がだらしなく垂れ下がった
女はもう一度鏡を見て
少し首をかしげた
笑顔に見えるかしら、と
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外へ出ると街の日は翳り始め
脚を早める女が手にした長い鋏が
僅かに残る日を反射させていた
ぎこちない脚の運びとは対照的に
女は滑るように道を急いだ
左の頬が垂れ下がり歪んだ口元からは
笑みがこぼれた
自分を待ちわびていた彼
それを想像し
その高揚感に
女は髪を振り乱し
声にならない咆哮をあげた
女は彼の勤めていた校舎の前に立っていた
すっかり日が暮れたが
わずかに一角明かりが見えるところがある
女はそこが職員室だと理解した
再び歩を進めようとする女の目に1人の子供の姿が映った
居残りさせられたのだろうか
ぽつぽつと校門に向かってくるその児童に
女はふわふわと近づいた
児童は女に気がつき
その異様な姿に身体を強張らせた
見上げるような長身に
薄汚れた白いドレスからのぞく
骨と皮だけの腕
その手に握られている
刃の長い鋏は暗いというのに
妖しいまでのひかりを見せていた
そして
腰まで伸びた髪
顔は覆われて表情は見えない
児童がその場に動けずにいると
女がゆっくりと髪をかき上げた
左の頬から耳まで裂けた口が現れる
女はその口を大きく開き
覗き込むようにたずねた
ねぇ
わたし
きれい?
作者月舟
かつて別のハンドルネームで投稿した作品を
もう一度、推敲しました
当時、事情がありハンドルネームを変えなければならず
不義理をしてしまいました
申し訳ございませんでした