僕の時間は止まってしまった。
彼女の両親から彼女の死を聞かされたあの瞬間から…。
何故?どうして?
そんな事すらどうでもいい…。
彼女はもう帰って来ないのだから…。
彼女の両親から通夜の時間を聞かされたが行ける筈も無い。
行ける筈も無い…。
時計の針は19時を指している。
彼女の通夜が始まる時間。
僕は真っ暗な部屋の中、彼女と写した写真をただ眺めていた。
いつも僕に見せてくれた優しい笑顔…。
写真が苦手な僕と写した…最初で最後の一枚。
二人に子供が産まれれでもすれば、二枚、三枚と増えていたかも知れない。
でも…。
もうそれは叶わない…。
本当に最初で最後のたった一枚の写真。
僕はそれをただ眺めていた…。
彼女の両親には結婚の報告をする以前から良くして貰っていた。
まるで本当の息子の様に。
結婚の報告に訪れた時は、僕達以上に喜んでくれた。
そんな彼女の両親は、通夜に顔を見せない僕の事を心配してくれているのだろう。
僕の携帯が休む事無く鳴り続けている…。
ごめん…。
僕は鳴り止まない携帯を見つめながらそう呟いた。
次の日。
僕は彼女の葬儀が行われる会場にいた。
まだ準備の整っていない会場で、僕は一人写真を眺めている。
あの優しい笑顔で笑う彼女の遺影を。
そんな僕に、背後から声が掛けられた。
振り返るとそこには彼女の両親の姿が。
彼女の両親は僕を見るなり、良かった。と呟き涙を流した。
いくら掛けても電話に出ない僕に、最悪の事態も想像していたらしい。
こんなにも心配を掛けてしまうとは…。
情けない…。
僕がこんなだから彼女は…。
僕は何も言わず、彼女の両親に頭を下げた。
「今なら誰もいない。
会ってやってくれ。」
頭を下げる僕の肩に手を置き、彼女の父親がそう言ってくれた。
僕は黙って頷き、彼女のいる部屋へと向かう。
誰もいない部屋…。
そこに彼女は横たわっていた。
綺麗な顔…。
まるで眠っている様だ。
恐らく落下した衝撃で、体の損傷が激しいのだろう…。
顔以外は頭部に至るまで全て布で覆われ、見る事は出来ない…。
僕は、そっと彼女の頬を撫でる。
ずっとずっと一緒だよ…。
僕の脳裏に彼女の言葉が甦る。
僕と…僕と結婚して…下さい…。
嗚咽を必死に抑えながら彼女にプロポーズをした僕は、彼女の唇にそっと口づけをした。
彼女は僕の中で生きている…。
だから僕は生きなければならない。
ゆっくりと部屋を後にした僕は、自分にそう言い聞かせた。
血の滲む包帯が巻かれた手首を握り締めながら…。
僕が会場に戻ると既に葬儀の準備は整っていて、会場は沢山の人で埋め尽くされていた。
辺りからは彼女の死を惜しむ声や啜り泣く声が聞こえて来る。
そんな会場で僕は静かに目を閉じた。
何故なの…。
どうして…。
お願い!かえって来て!
彼女が亡くなった事を惜しむ、友人や同僚の声が僕の耳に届く。
どうし…て?
そんな声を聞く中、ここに来て僕の中に芽生えた一つの疑問。
彼女はどうして命を絶たなければならなかったのだろう…。
余りに突然訪れた彼女の死にそんな事を考える余裕すら無かった僕に、不意に沸き上がって来たこの疑問は、僕をすぐに行動へ移させた。
僕はその日会場へ訪れた彼女の友人や同僚に手当たり次第、自殺の理由について思い当たる節が無いか訪ねて回った。
彼女の両親や兄弟、親戚に至るまで…。
だが、誰の口からも彼女が自殺をする様な理由は聞く事が出来なかった。
それどころか、皆は口を揃えて彼女は幸せの絶頂だったと聞かされた…。
なら…どうして…。
彼女の葬儀が滞りなく終わり、僕は一人帰路についた。
マンションに辿り着き、不意にポストを見るとチラシで溢れかえっている。
そう言えば暫くポストなんて見て無かったな…。
僕は別にどちらでも良かったのだが、目についてしまったので、ポストを開け中身を取り出した。
パサ…。
どうせ用の無いチラシだからと乱暴に握り、取り出した時、足元に一通の手紙が舞い落ちた。
手紙?
僕はマンション備え付けのゴミ箱にチラシを捨てると、足元に落ちた手紙を拾いあげた。
手紙を拾った瞬間、僕はその場に固まった。
手紙の差出人…。
◯◯ 由実。
それは紛れも無く、命を絶った彼女の名前だった…。
彼女から…僕への…手紙?
命を絶つ前に僕に宛てた手紙?!
僕はこの手紙にきっと何かがあると思い、急いで自室へと戻る。
部屋へ戻った僕はすぐに手紙を読もうと封を開ける。
綺麗に糊付けされているのが今はもどかしい。
僕は耐えきれずに、中身を破らない様に上部を破り取る。
ごめんね。
封を開け、中の便箋を広げると一番最初にそうかかれていた。
それは間違い無く彼女の文字…。
僕は涙で滲む目を何度もこすりながら手紙を読み進める。
僕に対する謝罪から始まった手紙はその後、僕と過ごした五年間の思い出が楽しそうに綴られていた。
二人で遊園地のお化け屋敷に入った時、彼女よりも僕の方が悲鳴を上げていた事も、彼女が風邪をひいた時、風邪薬を買いに行った僕が間違って胃薬を買って来た事も…。
五年間の僕達の思い出が詳細に綴られていた…。
「本当に夢を見てるんじゃ無いかって何度も思ったよ。
だって…こんなに幸せになっていいの?って思うでしょ?
嬉しかったなぁ。
ううん!嬉しいなんて言葉じゃ足りないよ!
本当に本当に…すっごく幸せな気分でした。」
僕からプロポーズを受けた時の彼女の心境もこんな風に綴られていた。
五枚に渡り、僕との思い出が綴られた便箋。
たが、その中に彼女を自殺へと追いやった理由は書かれていなかった。
そして便箋は六枚目に突入する。
??
六枚目の便箋を手にとった僕は、違和感を感じた。
今までと違い、それだけ水に濡れた様に紙が波打っている。
書かれた文字もインクが滲み、所々読めない程だ。
泣きながらこれを書いた…のか?
僕はこの六枚目に真実が隠されていると感じ、今まで以上にしっかりと読み進めた。
そしてそれを読み終える頃…。
僕の体は震えが止まらなかった。
歯を食い縛り、鼻から抜ける荒い息づかいだけが部屋に響く。
彼女から届いた大切な手紙も、それを強く握る僕の手によってしわくちゃになっている。
この六枚目の便箋には、確かに彼女が自殺を選んだ理由が書かれていた。
それは、僕が想像すらしなかった程に残酷で悲しいものだった。
彼女は僕からのプロポーズを受ける前日に、ある男に乱暴を受けていた…。
その男の名は「江川 孝」。
彼女が勤める会社の副社長であり、いずれ社長である父親の跡を継ぐ御曹司だ。
ヤツはその日、仕事上の話があるからと彼女を連れ出し、乱暴をはたらいた。
彼女はヤツに乱暴を受けた事を短く綴っていた。
辛かったのだろう…。
そして手紙の最後に彼女はこう綴っていた。
「忘れようと思ったの。
私には貴方との幸せが待っているんだから。
私には貴方しかいないから。
でも、駄目だった。
貴方にプロポーズされた時、本当に幸せだった。
でも、幸せを感じれば感じる程、貴方を裏切った私が許せなかった。
貴方はきっと私は悪くない。って言ってくれる。
貴方は優しい人だから。
でも…」
ここから先はインクの滲みが激しくて読み取れない。
そして、一番最後にかかれた、辛うじて読む事が出来た文字を僕は声を出して読んだ。
「ごめんね。」
彼女の手紙は僕への謝罪で始まり、僕への謝罪で終わった…。
涙が止まらない。
彼女に会いたい。
もう一度あの笑顔が見たい。
僕は彼女への想いを募らせる。
それと同時に彼女を死に追いやった江川への怨みが僕の心を支配していく。
そして…。
僕の心に巣食う鬼が目を覚ます。
作者かい
(T-T)