盆月ですのでそれらしい話をします。なんらかの教訓めいた言葉が、話にくっついていましたが、それは失念しました。
曽祖父に当たる人は、西南戦争と日清戦争に出征した人でしたが、肺結核で早逝して、家には曽祖母と幼かった祖母そして大叔父の3人が残されて曽祖母は、二人の子供と「あがら(私たち)さみしなぁ、あがらさみしなぁ」と毎日泣き暮らしていたそうで、曽祖父の三十五日の日、曽祖母の朝夢に曽祖父が出てきて「おう、お前そんなにさみしんやったら、こっちへ来るか?」という夢を見て恐ろしくなり、その日からふっつり泣くのをやめたと言います。その後曽祖父は夢に出ることはなかったそうです。
定期的に家に来る呉服屋さんもご主人に先立たれ、その方も毎日泣き暮らして心も体も衰弱、すると亡くなったご主人が、夢うつつに毎夜呼びに来るようになったそうで、なお衰弱していると、近隣の無住のお寺に堂守間借りしていた尼さんが見兼ねて、
「毎日泣き暮らしているから、魔に憑かれたんや、それはあんたの旦那さんやないで、お経も供養もきかん、一番ええ祓い方は、『糞食らえ、おのれ化かしに来くさって、二度と来るな』と怒鳴りつけることや。今度呼びに来たなら必ずそうするんやで」
呉服屋さんは、来たものに言われた通り怒鳴りつけると、それは消え失せてしまったそうです。そして呉服屋さんは直ぐに体力を回復したと語っていました。
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これは、私の大学二回生の1月4日の朝に父が急性心不全のため急逝、母親は、外では気丈に振舞っておりましたが、家では毎日仏壇の前で泣き暮らしておりまして、半年以上それが続いたために私も閉口、姑である祖母が見兼ねて母親に話したこと、そして呉服屋さんも同じく母に語った体験談です。
それでも母親は仏壇の前で泣いておりましたので、
「もう飽きたわ、泣いても悔やんでも帰ってこん者に、いつまで泣いてるんや。あゝ見っともない。見苦しい」声を荒げはしませんが冷ややかに言い放つと、母親は、ハッと顔を上げて、「ほんまやわ、私どうかしてたわ。泣いてるどころやないわ」
そして立ち上がり、
「夕飯支度するから、あんたロウソク消しといてね」
一瞬で見事立ち直りました。
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作者純賢庵
民話によくありそうな、説話文学にもありそうなフォークロアなお話