蝉が忙しなく鳴く夏の盛りの頃、とある山間にある田舎の集落に、一組の三人家族が都会から旅行にやって来た。
よく言えば、自然がいっぱいで空気も美味しく、喧騒を忘れて落ち着ける場所。
しかし、都会育ちの幼い娘にとっては、何一つ楽しいことはない退屈な場所だった。
何処を見ても山しかなく、子供の娯楽なんて、とてもあるとは思えない。
「のんびりできそうね」
三人家族の妻が嬉しそうに旅館の部屋に入るなり、室内を見渡して言った。
「そうだな!やっぱり田舎は落ち着くなぁ」
妻の言葉に同調する夫も、和室の中で大きな伸びをすると、愛娘を見た。
娘の方は畳にちょこんと正座して、何やら本を読んでいる。
「……どうだ?父さんとその辺を散歩しようか?」
娘は退屈そうに見えていたのかと、自分に気を使ってくれた父の誘いに応えるべく、読書の手を止めて黒ぶちメガネを直すと、一緒に外に出ることにした。
「やだ、娘とデート?」
妻が茶化すように夫に言うと、夫も嬉しそうに「一緒に来る?」と誘うが、妻は娘を想い、笑顔で遠慮した。
「私はいい。温泉に浸かってのんびりしたいから」
「そうか、じゃあ母さんは置いて、父さんと二人で行こうか」
いつも忙しく働く父との貴重な時間を、娘も楽しみにしていた。
極度の人見知りで生粋の方向音痴の黒ぶち娘は、父の手をしっかり握り、小さな旅館を出発するが、古い町並みの中を歩いていても、子供心には全くトキメかない。
時々話しかけてくれる父も、無言で首の動きだけで返事をする娘に、父もそうとう困った。
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散歩の道中、親子がフラリと立ち寄った小さなお土産屋で、黒ぶち娘は友達へのお土産を物色するが、どれも子供には渋すぎる物しかなく、ギリギリ可愛いと思えるキーホルダーで妥協し、父に渡した。
その時、店の外から女の子の泣き声がしたのに気づいた黒ぶち娘が、何気なく外に目をやると、道でべそをかいている自分より少し小さな女の子が見える。
黒ぶち娘が駆け寄って見ると、女の子は膝に血をにじませてシクシク泣いていた。
「大丈夫?転んだの?」
心配した黒ぶち娘が声をかけると、女の子は顔から手を放し、黒ぶち娘をジッと凝視する。
「え?誰?」
その女の子の表情は、テレビから這い出る女の顔を思わせた。
ホラーテイストの女の子が訝しげに黒ぶち娘を見て言ったが、それはお互い様だった。
「血が出てるよ」
黒ぶち娘が女の子の膝を指差すと、女の子はわずかに出ていた血を見て、また泣く。
これは面倒なことに首を突っ込んじゃったな……。
黒ぶち娘はそう思いながらも、今さら見捨てる訳にもいかず、とりあえずは傷の手当てをと、ポケットティッシュで膝を押さえてあげると、黒ぶち娘の背後から声がした。
「それじゃアカンで」
女の子の膝に向かい、屈んでいた黒ぶち娘の後ろからの声に振り返ると、黒ぶち娘より少し背の高い薄い赤ぶちメガネの女の子が立っている。
その黒いTシャツの胸には、白の毛筆体で『だんじり』とデカデカと書いてあるのを見て、その独特なファッションセンスに黒ぶち娘は軽く引いた。
「ちょ、貸してみ」
関西訛りのだんじり少女は、黒ぶち娘からティッシュを一枚受け取ると、店先の水道の蛇口をひねり、水を出してティッシュを濡らして膝を拭いてあげた。
「痛いよぅ」
グズるホラー少女に、だんじり少女がキリッとした顔で捲し立てる。
「エェか?傷にバイキンが入ったらアンタ死ぬで?そんな若さでまだ死にたないやろ?アンタは強い子やからウチの言うてること分かるな?」
圧の強めな関西弁の迫力に、ホラー少女が黙って頷くと、だんじり少女はニコッと笑って訊ねた。
「エェ子やな!それはそうとオカンは?おれへんの?」
だんじり少女の言葉で思い出したのか、ホラー少女は辺りを見回し、また泣き出す。
「何やアンタ迷子かいな……参ったな」
困ったように頭を掻いただんじり少女は、店の中にいる黒ぶち娘の父を指差して訊いた。
「あれ、アンタのオトンちゃうん?」
「あれは私の父さんです」
父を取られたと少しヤキモチを妬いたのか、黒ぶち娘はだんじり少女の言葉を喰い気味に否定する。
「ほんなら、アンタら姉妹なん?」
「違います!私も今、この子に会ったばかりです!!」
今度は姉妹扱いされたことに、不機嫌さが増した黒ぶち娘は強めの口調で異を唱えた。
「そ、そうなん?」
怒ったような黒ぶち娘の言葉に、だんじり少女は少し不服そうな顔をしたが、すぐに切り換えてホラー少女の頭を撫でながら黒ぶち娘に言う。
「弱ったなぁ……一緒に探してやりたいけど、ウチ、これから帰るトコやねん」
「はぁ」
機嫌を損ねた黒ぶち娘にも、だんじり少女の言葉の意図は薄々見えていて、それを警戒する。
「アンタ、探してやってよ!」
「何故、私が?」
だんじり少女の予想通りの提案に、つい冷たく突き放すような言葉が出たことに黒ぶち娘自身も驚き、思わず息を止めた。
そんな娘を非難することもなく、だんじり少女は赤ぶちメガネを直し、強めの口調で黒ぶち娘の良心に訴えかける。
「アンタ……アンタはオトンがおるからエェやろうけど、見てみ?この子はアンタより年下やで?」
「まぁ、そうですね」
だんじり少女の正論の前に、自己嫌悪していた黒ぶち娘は相槌を打つしかなく、もはや完全にだんじり少女のペースだった。
「こんなちぃちゃい子が親とはぐれてたら心細いと思わへんか?」
「そうですね」
獅子はウサギを狩るのにも全力でやるとは言うが、だんじり少女はジワジワと娘の良心を追い立てた。
「せやろ?誰も引き取れ言うてるんちゃうんや。ちょっと迷子を助けたってくれ言うてるだけやん?アンタ、賢い子やから分かるやろ?立派なメガネかけてんねんから」
メガネは関係ないでしょ?あなたもメガネだし。
そう言おうとした瞬間、だんじり少女は「ほな!頼んだで!!」と言い残して手を振り振り颯爽と去って行った。
その場に残された黒ぶち娘とホラー少女は、駆けていくだんじり少女の背中を呆然と見送るしかなかった。
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「お名前は?」
出来るだけ穏やかに黒ぶち娘が声をかけると、ホラー少女は小さな声で「さや子」と名乗る。
「何処から来たの?」
不安そうなさや子に問うと、さや子は一言「おうち」と答えた。
そりゃそうだ……だが、黒ぶち娘が知りたいのはそういうことではない。
この状況に黒ぶち娘が途方に暮かけていると、また背後から声がかかる。
「どうかしましたか?」
振り向くと、見るからに利発そうな女の子が、困っている黒ぶち娘達を心配そうに凝視していた。
「迷子みたい」
困り果てた黒ぶち娘が答えると、利発そうな女の子は、さや子に駆け寄り、柔らかく話しかける。
利発そうな女の子は、さや子と年の頃は同じくらいに見えた。
「迷子になったのね……きっとお父さんもお母さんも探してるよ?どっちから来たか分かる?」
優しく問いかける聡明な女の子に、さや子が「あっち」と指差して答えた。
さや子が指差した方は、黒ぶち娘が父と来た方角だった。
「あっちにおうちがあるの?」
その問いかけに、さや子は首を横に振る。
「じゃあ、この町の子じゃないの?」
今度は黒ぶち娘が訊ねると、さや子は首を縦に振った。
「……と言うことは、旅行で来たんだね?」
「りょこぉ?」
ウソでしょ?旅行は旅行だよ?
不思議そうにしているさや子に、心の中でつっこむ黒ぶち娘を他所に、聡明少女は笑顔で訊く。
「パパとママとお出かけして来たのかな?」
さや子は、その問いにまた首を縦に振った。
「この町で泊まる所は、あの旅館しかないですね」
「私達も今日はそこに泊まるから、父さんと一緒に送って行くよ」
黒ぶち娘が申し出ると、聡明少女はパッと笑顔になって言った。
「そうでしたか!助かります!!」
「いやいや……ついでだし」
あまりに眩しい笑顔に、黒ぶち娘は照れ隠しでメガネを直す。
「ありがとうございます!」
聡明少女からあまりに丁寧にお礼を言われ、言われる相手が違う気しかしなかったが、黒ぶち娘的には悪い気はしなかった。
「申し遅れました。私、在所と申します」
「あ、私は……」
黒ぶち娘が名乗ろうとすると、在所の後ろから「いーちゃん!行くよ?」と、ご夫婦が手を振っている。
在所は「はーい!」と手を振り返し、黒ぶち娘に深々とお辞儀をした。
「お手数ですが宜しくお願いしますね。では、ごきげんよう」
黒ぶち娘がナチュラルに「ごきげんよう」と言われたのは、この日が初めてだった。
また取り残された黒ぶち娘は、さや子と手をつなぐと、父の所へ戻る。
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さや子は黒ぶち娘の父を見上げるなり、カッと目を見開いて「誰?!」とのたまった。
「私の父さんだよ……さっき言ったでしょ?」
いろいろ大丈夫かな……この子。
黒ぶち娘がそんなことを朧気に思っていると、お土産屋さんの片隅で木刀を振り回していた女の子が、いきなり黒ぶち娘達に言う。
「早く駅に連れてきなよ……置いてかれるよ」
「は?」
思わず女の子に目をやると、女の子は木刀を肩に乗せながら小さな黒目で見据え、言葉を重ねた。
「だからさ、その子を早く駅に連れてかないと親に置いてかれるって言ったんだよ」
「どういう……」
黒ぶち娘の質問が途中にも関わらず、突然、三白眼の女の子がさや子の手を取って走り出す。
「ちょ!!」
さや子が黒ぶち娘の手をしっかり掴んでいたせいで、黒ぶち娘もろとも外へと引っ張られてしまい、黒ぶち娘が放そうにも放せなかった。
「ちょっと!木刀!!木刀!!」
三白眼の女の子の肩にある木刀に気がついた黒ぶち娘が声を上げたが、三白眼は聞こえてるのか無視してるのか、ぐんぐんスピードアップしていく。
泥棒の仲間だと思われたらどうしよう……。
そんな心配を抱きながら、ただ引かれるままに走る黒ぶち娘。
幸いにも駅は近くにあり、駅前でキョロキョロしているご夫妻を見たさや子は、大きな声で叫んだ。
「パーパー!マーマー!!」
小さい体ながらもなかなかの声量のさや子の声に、駅前の夫婦は手を振りながら駆け寄って来る。
「もぅ!さやちゃんはいっつも勝手に何処か行っちゃうんだから!!」
さや子ママは、三白眼達に連れられて無事に戻ってきたさや子にキツくは怒れず、語気を強めに言うくらいだったが、さや子パパは能天気に笑っていた。
男親は娘には甘いのが、自然の摂理なのだろう。
「まぁ、いいじゃないか!こうして戻ってきたんだし」
そこはちゃんとしといた方がいいですよ?
なんてことを子供である黒ぶち娘は言えるはずもなく、何度もお礼を言いながら去って行くさや子一家を、木刀を持ち出した三白眼と見送った。
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「あの……」
電車が見えなくなった後、黒ぶち娘は三白眼に恐る恐る声をかけた。
「何?」
ニヘラとだらしなく笑う三白眼に、黒ぶち娘は木刀を指差して訊く。
「それ……まずいんじゃないですか?」
三白眼は木刀に気づき、肩にポンポン当てながら答えた。
「不味いだろうね……食べたことないけど」
ストレートの質問を後ろへ向かって打ち返す三白眼の少女に、物静かな黒ぶち娘もカチンときた。
「そうじゃなくて!お金も払わずに勝手に持ってったら、泥棒ですよ?」
誰が木刀の味を気にするもんか!
黒ぶち娘は泥棒の仲間と思われるのが心配なのだが、そんなことなど何処吹く風の三白眼の少女。
「大丈夫だよ!盗んだ訳じゃないし」
「誰が見ても盗んだようにしか見えませんけど?」
あまりにも呑気な三白眼に、黒ぶち娘はイライラした。
絶対、友達になれないタイプの二人だ。
「買うもん、コレ」
「それはお店を出る前に言いなさいよ!」
黒ぶち娘は呆れ果てて他に言葉も見つからない。
戻ったら怒られる……。
そんなことが黒ぶち娘の頭を駆け巡っていたが、戻らない訳にもいかず、トボトボと重い足取りでお土産屋さんに戻ると、店の前では憤怒の形相の和服美人が仁王立ちして待ち構えていた。
「えぇぇぇ子ぉぉおおお……」
体から覇気を吹き出し、さながら汎用人型決戦兵器のようだった。
母でもあんなに怒る所は見たことがない黒ぶち娘は、体が硬直し、震えている。
「か、かぁちゃん……」
恐怖に引きつる三白眼に、ゆっくりと近寄る和装の女性。
その迫力たるや、もはや人殺しの領域だ。
蛇に睨まれたカエルという言葉を肌で覚えた女子児童二人は、その言葉を一生忘れることはないだろう。
「このぉぉおお!大バカモンが!!」
振り下ろされた拳が、三白眼の脳天に直撃すると、鈍器で殴られたような鈍い音が響いた。
「いだっ!!」
致命傷になりそうなほどの音にもかかわらず、その程度で済んでいる三白眼の頭蓋骨は、きっとチタンか何かで出来ているんだと、黒ぶち娘は勝手に自己完結し、納得することにした。
鉄拳制裁の後、返す刀でお土産屋さんの主人に、深々とお詫びを述べる鬼神……もとい、三白眼の母は、無断で持っていった木刀を含む全ての木刀を買い取ると言いだし、これにはお店の主人も驚いた。
押し問答の末、ゴリ押しで木刀を買い占めた三白眼の母に何本もの木刀を抱えさせられた三白眼は、よたよたと歩きながら、母親の後に続いて店を出て行く。
去り際に三白眼は、黒ぶち娘に向かって「またね」と言ったが、黒ぶち娘はもう二度と会わないことを切に願った。
「豪快な人だなぁ……」
流石の黒ぶち娘の父も呆気に取られていた。
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何にもない退屈な旅行だと思いきや、そんなトラブルに巻き込まれてしまった自分を呪いつつ、旅行を終えた黒ぶち娘だったが、十数年の時を越え、あの女の子達と奇しくも再会することになる。
だが、それはまた先の話だ。
作者ろっこめ
今回は、むぅ様からのリクエストにお答えしまして、私とA子、その他のキャラが実は昔、会っていたというエピソードになります。
オバケも何も出てきませんが、怖い人が出てるからいいよね?
わたしも幼い時、迷子になったことがありますが、本当に怖かったです。
もう父さんにも母さんにも会えなくなるんじゃないかと、それはそれは怖くて、淋しくて、辛かったことを思い出してしまいました。
むぅ様、リクエストありがとうございます!!
次回作は、雪様からのリクエストにお答えしまして、【三題怪談】を書きたいと思います。
さらにその後は、はと様からのリクエストと雪様からのリクエストを合わせた新しいA子シリーズをお送りしたいと思っております。