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その日もいつも通りに仕事をしていた。いや、いつも通りにふるまっていた。
3連日夜勤が続いていて、頭は重く体は思うようにスムーズに動かせない。
ノロノロ仕事をすることはできない。先輩や上司に嫌味を言われる。物を取りに行ってくると嘘をついて病室を離れ、物陰に隠れてうたた寝する。長く休んでいると先輩が探しにきてしまう、だから2~3分目を瞑る。壁に体を預け、全身の力を抜く。この時間が好きだ。
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sound:32
プルルルー プルルルルー
物置に置かれた電話が鳴った。狭いこの部屋に電話の音が厭に大きく響き渡る。耳障りな爆音。
「んーどこからの電話だろう」
電話の画面をみると、業者さんの名前がのっていた。よく来る医療機器の業者さんの名前だ。
暫く経って電話の音が止まった。きっと事務さんが出たのだろう。
腕時計をみると既に5分経っていた。
「うっわやば..早く戻らなきゃ!」
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「も~誰か~誰か~誰か~助けてよ助けてよ~!」
戻ると患者さんが大声で叫んでいた。いつもよく叫ぶ患者さんだったけど、今日は特に激しかった。わたしの姿をみると、両手を挙げながら口をぱくぱくさせている。
「お待たせしました、どうしたんですか木村さん?」
「んぅうう...怖かったよう...怖かったよぅ...ううああああん!」
患者さんは泣きだしてしまった。慌てて宥めるも、なかなか泣き止まない。
「怖い怖い、怖い怖い...んううう..怖い...」
木村さんの横に座り、両手で背中をさすった。
だんだん落ち着いてきたようで、泣き叫ぶのを止めわたしに寄りかかってきた。
「ほら、もう怖くないですよね?木村さん」
うんうんと頷き、眠そうに目を擦っている。肩をぽんぽんと叩くと、わたしの手に自分の手をのせてきた。
次に私の肩に手をのせてきた。のせたあと、すーっと人撫でされた。
木村さんの手をみると、今は両手を自分の胸のところに置いている。
今撫でたのは木村さんではない。後ろを振り向くと...誰も居ない。
shake
ぐぐぐぐ...
「痛い!どうしたんですか木村さん」
木村さんがわたしの手を力強く握ってきた。顔をみると、また泣き出しそうな顔になっている。
「どうしたんですか?木村さん?」
「怖いよ怖いよ、また怖いよ怖いよ、なんかいるよいるよ!」
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怖い 怖い と言いながら手を強く握る。握る力がどんどん強くなっていった。お年寄りでもこんなに強い力で握れるんだと思った。
「木村さん、もう怖くないですよ。大丈夫です、大丈夫」
隣のベッドの患者さんの平井さんが言った。体をこちらに向け優しい表情で木村さんを落ち着かせようとしてくれた。平井さんは患者さんの中で一番若い人だ。
木村さんは平井さんの声を聞いて落ち着いていった。
うん、うん、ありがとうと言いながら木村さんは目を閉じた。
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「木村さん大丈夫?落ち着いた? 落ち着いたのならこっちに来てくれない?頼みたい仕事があるから」
いつ来たのか、わたしの後ろに先輩が立っていた。
「紫藤先輩..」
先輩は眼鏡の奥で早く来いと訴えているように見えた。木村さんと平井さんに軽く会釈をし、病室を出た。
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廊下に出ると先輩が腕を組んで仁王立ちして待っていた。
顔は不安と疲労が混ざった様な、なんともいえない表情だ。眼鏡を外し、目頭を押さえている。
「お待たせしました、長く対応してしまいすみませんでした」
「謝らなくていいよ、あの対応の仕方でいいよ。最近疲れてるでしょ?俺も疲れてるし、他の先輩もみんな...みーんな疲れてる。このクリニック全体が疲れてる、なんていうのかな黒い煙が全体を覆っている気がするんだよ。時々みるんだよ、煙だったり人型だったり様々なんだよ。ああ...俺は相当疲れてるな...はは、ごめん変な事言って」
言い終わると先輩は、別の病室へ行ってしまった。お説教されると思っていたのに奇妙な話をされ、なんだか肩透かしを食らった気分だった。
「は?黒い煙って...なに」
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それから数日後、木村さんは亡くなった。
自宅を訪れたヘルパーさんが、リビングで倒れている木村さんを見つけたのだそうだ。
ヘルパーさんからの電話を対応した看護師さんからこの話を聞いた。
わたしは今まで患者さんが亡くなるという経験をした事がなく、今回が初めての事だった。
淡々と木村さんの話をする看護師さんの顔をみながら、わたしの頭の中で木村さんとの思い出が映画のコマ送りの様に流れていた。すーっと涙が頬を伝う。堪えよう堪えようと上を向いたり別の事を考えようとしても止まらなかった。
「大丈夫?休憩室で少し落ち着くまで休んできなさい。ここでずっと泣いていたら他の患者さんびっくりしちゃうから、ね?」
看護師さんの優しい声色と、優しく触れる手に余計に涙が出た。
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「ありがとうございます、すみません落ち着いたらすぐに戻ってきます」
「うん、行っといで」
はいと言おうとした時、視界の端に黒いものがみえた。それは看護師さんの後ろにゆらゆら漂っていた。
目をこすりもう一度みると、そんなものはなかった。
鼻をすすりながら廊下に出た。
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「ふあああーあ」
廊下から声が聞こえた。聞き覚えのある声。
「木村さん?木村さん?」
わたしは咄嗟に木村さんの名前を呼んでいた。勝手に口から木村さんという言葉が出てきた。
廊下を見渡しても誰もいない、もちろん木村さんの姿もない。わたし一人が立っている。
休憩室にも誰もいない、わたしひとりだけ。
なんだか寂しい気持ちになり、また涙がでてきた。机に突っ伏すとまた木村さんの映像が頭の中で流れた。同じような映像が流れる中で木村さんが、”こわいこわいなんかいるよ”という言葉が繰り返された。
「あれ、なんだったんだろう。本当になにかいたのかな」
sound:14
sound:14
コンコンコン コンコンコン
誰かが休憩室のドアを叩いた。叩くドアに返事をする。
「はい、どうぞ」
「大丈夫?」
その声は紫藤先輩の声だった。わたしはドアを開けようと席を立とうとした。
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sound:26
ガチャ!
「お疲れ様です...あれ、いたの?どうした?なにかあったのか?」
紫藤先輩が慌てた様子で駆け寄ってきた。
「木村さんが亡くなって...先輩、今さっき大丈夫?って言ってましたよね?何度もドア叩きましたよね?」
「大丈夫?なんて言ってない、ドアも叩いてない」
「え、じゃあ誰だったんですか?」
sound:32
プルルループルルルルー
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休憩室の電話が鳴った。いつもより何倍も大きな音で鳴り響いた。
先輩は片手で片耳を押さえ、片手で受話器を取った。
「はいもしもし休憩室紫藤です。はい...え、はい...はい。わかりました、はい失礼します」
「誰からですか?」
先輩は真面目な顔でこちらに振り返った。
「看護師の杉山さんが今倒れたらしい...それから、看護助手さんの三上さんが10日間入院が決まった。最近通院してただろ?三上さん。看護師の山口さんは身内の人が亡くなったから明日と明後日と休むらしい」
「そうでしたか...さっきまで杉山さん元気そうだったのに...急ですね」
「うん、なんだか悪いことが続いてるな。こんなに連続することってなかなかないと思う、ある意味奇跡だよ」
「あの、紫藤先輩が話してくれた黒いモヤモヤのアレはなんですか?それのせいで色んな人に悪いことが起こっているんですか?黒いやつのせいで木村さんは!」
「落ち着け!...落ち着け、深呼吸して...」
わたしは無意識に立ち上がり先輩に詰め寄るように立っていた。
椅子に座るよう促され、深呼吸をして気持ちを落ち着かせようとした。患者さんが一人亡くなっただけでこんなに取り乱すものなのか。
悪いことが重なったせいか、日々の疲れがピークに達したためなのか、今日のわたしはいつものわたしではなかった。
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病室に戻り部屋を目で一周すると、一瞬黒い塊が見えた。
もう一度一周すると、黒い塊はみえない。
患者さんをひとりひとりみてまわり、一番奥のベッドについた。
そこには北村さんという患者さんが窓を眺めていた。わたしに気が付き笑顔を返してくれる。
北村さんはわたしがこのクリニックに来る前からいる患者さんで、他の患者さんとは違ってギラギラしたオーラをもっている人だ。
「なにかあったのかい?」
「はい?」
「うーん、これはなにかあったね」
北村さんはわたしの顔をみて言った。
「はい、ちょっと色々ありまして...」
「そうか、内容は聞かないけど、お姉さんは安心していいと思うよ。そんな気がするんだよなぁ」
そう言うとまた北村さんは窓を眺め、どこか遠くをみた。
「そうですか...ありがとうございます。そう仰って頂けて、嬉しいです」
「うん、そうそう、笑顔が一番だよ」
「ありがとうございます!」
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残りのベッドをみてまわり、出入り口に視線を移した。
shake
「ふああああーあ」
またあの声がし、黒い塊が一瞬見えた。
声は廊下からではなく、この部屋の中から聞こえた。
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music:2
「どうかしましたか?」
患者さん達に向かって問いかけた。ほぼ全員の患者さんが眠っている。起きている患者さん達に聞いても、なにも言っていないと言われてしまった。
「ふああああーあ」
shake
また声が気こえた。周りをみても誰も声を出したようにみえない。
shake
「ふああああーあ」
声はベッドの方からではなく、病室のドアの方から聞こえた。
わたしはドアに向かって歩き出そうとした。
「雪村さん!」
「はい!」
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不意に北村さんから呼ばれ、振り返る。北村さんがおいでおいでと手招きしていた。
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「はい、どうなさいましたか?」
「まだ出て行かないほうがいいよ」
「どうしてですか」
北村さんは真剣な目で諭すように言った。
「今出て行ったら...お姉さんも真っ黒になっちまう...」
「真っ黒?それはなんですか?」
少し黙った後、北村さんは柔らかく笑って言った。
「ふ、冗談だよ。もう行っても大丈夫だよ。ごめんね、驚かせちゃって。ちょっと揶揄ってみたくなってね」
「びっくりしましたよ~良かった。別の病室で仕事があるので、行きますね」
「うん、行ってらっしゃい」
北村さんは優しく笑いながら手を振ってくれた。
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その後、北村さんは転院となった。
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「杉山さんまた休みだね、相当悪いのかな」
先輩看護師さんがコップにコーヒーを淹れ席についた。
「そうねぇ、悪いのかもねぇ。三上さんもまだ入院しているし...ここのクリニックのスタッフ全滅しそうで怖いわ」
「いやーねーそんな事言わないでよー気味悪いわ」
わたしは二人の看護師さん達の話を横で聞いてた。二人の話に入る気にはなれず、静かにコーヒーを飲んでいた。
「祟られてるのかしらね。患者さんが黒いものがいる怖いって言ってるのを聞いちゃったし」
「え?なにそれ、黒いものってなに?幽霊?」
「わかんないんだけど、そういうのがいるらしいのよ。全員から聞いたわけじゃないんだけどね?雪村さんも聞いたことある?」
不意に話を振られ、驚いた拍子にビクッと肩が上がった。
「いいえ、聞いたことはないですけど..木村さんがまだここにいた時、こわいこわいなんかいるよって...言ってました」
「雪村さんはみたの?黒いもの」
「いいえ...みてません」
どうして嘘をついたんだろう、正直に言えばいいのに。幽霊がみえるだとか、霊感があるだとかそういう括りに入れられて変な扱いにされると思ったのか。無意識に嘘をついていた。
居心地が悪くなり、わたしは早めに休憩を済ませて部屋を出た。
休憩室を出る時にチラッと看護師さん達をみると、二人の座る席の横に黒い塊が立っているのが見え、わたしは静かにそっとドアを閉めた。
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帰り道の途中、今までにない位の頭痛が襲ってきた。
「っ...いったーい...なにこれ」
鉄アレイで思い切り頭を殴られているような痛みだ。
目尻を押したり額を押したりしても痛みは治まらない、むしろもっと痛みが増したよう。
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近くの薬局に入り、頭痛薬の棚へ向かった。
頭を抑えながら歩いていると、だんだんと痛みが治まってきた。
「どうしましたか?」
店員さんに声をかけられた時には頭痛は完全に治まっていたが、適当に頭痛薬を選んで店を出た。
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やっと家に着き、誰もいない部屋の電気をつける。
「ただいまー」
返答が返って来ない部屋に向かって叫ぶ。
キィーンと耳鳴りがし、再び頭痛がやってきた。痛みに目を瞑り、両手で頭を抑える。
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shake
「ふああああーあ」
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部屋の奥から声が聞こえた。
薄く目を開けると、部屋の角に黒い塊が見えた。
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「わたしのところにもきたんだね...」
作者群青
友人から聞いた話に少し手を加えて書きました。登場人物の細かい心情の描写は友人に聞いた部分と、僕が考えた部分とあります。
職場にはまだ黒いものが出てきているそうで、友人の家に来たのは一度きりだそうです。
誤字脱字などございましたら、ご指摘頂けると幸いです。
最後まで読んで頂きありがとうございます!