高校をわずか一カ月足らずで退学になった俺は、地元にいても悪さばかりするからとの理由で、九州で建設業を営む親戚の元へ強制的に預けられた。
親戚の家はとても大きくて、俺以外にも数人の従業員が住み込みで働いていた。
小指の無い者や背中に刺青が入った者がほとんどだったが、社長の甥っ子という事からか、こんなガキの俺を皆んなは「さん付け」で呼び、誰も優しくて面白い話を沢山聞かせてくれた。
中でも俺と年の近い、最近刑務所から出所したばかりだという二十歳過ぎのケンさんは未成年の俺をよく飲みに誘った。
弟分だというカズさんの運転するミニクーパーで夜の街を行くのだが、入った店で料金が高いだの付いた女がおばさんだのと、いちいち難癖を付けては暴れるため、だいたい一度行ったら出禁になるケースが多かった気がする。
ミニクーパーのカズさんは俺たちが出てくるまでいつも店の前で待ってくれていた。「また揉めたんすかー兄貴?」と言うカズさんに「うるせー帰るぞ!」とケンさんが返すのがいつもの光景だった。
ある日、カズさんが死んだ。
詳しくは覚えてないが、後から聞いた話によると誰かに撃たれたか刺されたらしい。とにかく殺されたのだ。そして兄貴分のケンさんもその日から行方が分からなくなった。
親戚のおじちゃん(社長)は何か知っているようだったが、俺には何も教えてくれなかった。
それから何週間かした日曜の昼ごろ、みんな競馬で出払ってガランとした家で留守番をしていたら、玄関からケンさんの低い声がした。
飛び上がって見に行くと、ケンさんはいつもとかけ離れたビシッとした黒いスーツ姿で立っていた。凄い似合ってて格好良かった。
ケンさんは俺の目をまっすぐに見つめて「◯◯さん今までお世話になりました。社長にもそうお伝え下さい!◯◯さんは俺みたいにならず立派な大人になって下さい」、それだけ言って一礼するとケンさんは俺の言葉も待たずにそそくさと出ていってしまった。
ふと、もう二度とケンさんに会えなくなるような気がして慌ててカーテンの隙間から表の車道を覗いたら、ちょうどケンさんがミニクーパーの助手席に乗り込む所だった。
ちらっと見えた運転席のカズさんはいつもの笑顔だった。二人の乗る車を無言で見送った後、先ほどの俺の予感が当たっていた事を理解した。閉めた覚えのない玄関扉が閉まっている、ケンさんももう生きていない。
さすがは刑務所に行った人間は違うなー義理堅いと、一人泣きながら納得したのを覚えている。
あれから十数年、俺はケンさんのいう立派な大人にはなれてないかも知れないけれど、あなたの言葉を一日も忘れた事はないと伝えたい。
ケンさん、カズさん、色々と勉強させて頂きました!アザっす!
了
作者ロビンⓂ︎