暦の上では春とは言え、まだ肌寒い三月下旬の真夜中のことだった。
煤けた安アパートの一階の角部屋にあたる猫の額ほどの庭に、季節はずれの薄着姿の小さな女の子がそこにいる。
年の頃は四つか五つくらいの幼子が、部屋への出入口の大きめな窓の側で三角座りをしながら、小さな背中を壁に預けていた。
時間からしても子供が独りで外に出ているなど有り得ない。
赤い紅葉のようになった掌に「はぁー」と息を吐きかけ、擦り合わせてはささやかな暖をとっている。
女の子は膝を抱き締めて体を小さく折り畳み、頭を膝の上に乗せた。
身を小刻みに震わせ、夜闇の凍てつく寒さに耐えている女の子の前に、小学一年生くらいの少女がしゃがみ込んで声をかけた。
「こんばんは」
不意にかけられた優しい言葉に反応した女の子が顔を上げると、少女は眉をひそめて訊いた。
「お家……入らないの?」
少女からの当然の問いに、女の子は弱々しく頭を振って答える。
「はいれないの……ママが『ここにいなさい』って」
女の子が寒風に晒されて紅く染まった頬で言うと、困った顔をしていた少女はニパッと笑った。
「ちょっと待っててね」
少女はそう言うと、窓ガラスをスルリと通り抜けて部屋の中へと体を入れた。
よそ様の部屋に土足で上がり込んだ少女は、少しすると閉まったままの窓ガラスから顔だけを覗かせて、女の子に言う。
「アタシと遊ぼっか!動いてたら暖かくなるよ!」
少女の細く白い手が、かじかんだ女の子の手を取る。
女の子は少女をキョトンと見ていたが、すぐに嬉しそうに笑った。
「アタシ、はとって言うんだ!あなたの名前は?」
はとに名を訊ねられた女の子は、キュッとはとの手を握り返して微笑んで答える。
「リカちゃんね、リカちゃんってゆうの」
小さな手を取り合った二人は、空が白々と明けるまで姉妹のように仲良く遊んだ。
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数日後の夕方──。
町のスーパーマーケットで、若い女が買い物をしていた。
片手に買い物カゴ、背中では乳児がスヤスヤと寝息を立てている。
野菜の鮮度やパック肉の色味などを一々手に取り、じっくりと品定めしながら、特売シールが貼られた物と比較検討していると、視線の端にぼんやりとした人影が映り込んだ。
何気なくそちらに目を向けると、商品棚から半身を出した背の小さい女性が立っている。
肩よりも少し短い黒髪に縁なしの眼鏡、服装も黒を基調としたジャケットから覗く純白のブラウスが、一層目立っていた。
その女性の目は間違いなく自分を見ているようだが、何故か視線が合わない。
むしろ、その瞳の奥に拡がる闇が、まるで自分を呑み込もうとしているかのようだった。
その見覚えのない女性に、言い知れぬ恐ろしさを感じながらも、目を逸らすことが出来ない。
ジワジワと染み込み、ゆっくりと侵食してくる恐怖が、女の体の自由を奪っていた。
「ふぇぇえええ」
静かに眠っていた背中の愛息の泣き声で、女の意識が弾かれたようにハッと引き戻される。
奪われていた視線を我が子に戻して愛想をかけてやると、息子は安心したのか再び夢の世界へ遊びに行った。
我が子の愛しい寝顔に癒され、今しがたの出来事を一瞬忘れられた女だったが、自分でも分からない内に、目は自然とあの女性の方に向けられる。
しかし、ほんの数秒の間に女性は姿を消していた。
見たくないのに……見られたくもないのに……。
意思とは裏腹に、女の目は女性を探していた。
自分に向けられた憎しみとも言い難いあの瞳──。
引き寄せられるかの如く、意識ごと魂を持っていかれるような感覚は、何だったのか。
女は奥底から湧き上がる不安を抱えたまま買い物を済ませると、得体の知れない何かを振り切るように気を張らせて逃げ帰った。
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はとはリカをとあるマンションへ連れ帰った。
マンションの部屋には、同居人の姉がいつものように親友の所に転がり込んでいるのが幸いし、、リカも少し緊張していたものの、すぐに馴染んだようだ。
はとは慣れた様子で冷蔵庫を開けると、中を覗いて舌打ちした。
「肉とお酒しかないや……姉め」
忌々しげに呟いたはとだったが、卵を発見して小躍りする。
「あっぶねー!買っといてよかったぁ♪」
卵を取り、台所に立ったはとが手際よく料理を始めると、リカはその様子を興味深そうに見つめていた。
「お姉ちゃんに作り方教わっといてよかったよ……何でカレシ出来ないのかなぁ……黒ぶち眼鏡のせいなのかも」
大きな独り言を呟きつつ、はとはオムライスを完成させると、テーブルに並べてリカを呼ぶ。
「さ!食べよ?」
ケチャップのいい香りに誘われたリカが席につくと、目を輝かせて言った。
「はとちゃん!スゴい!!まほーみたい!!」
純真な眼差しを向けるリカに、はとは照れ臭そうに笑う。
「これはね、アタシのお姉ちゃんのお友達に教えてもらったんだよ!アタシのお姉ちゃん、料理が出来ないから……」
「リカちゃんも、おりょうりできるようになりたい!リカちゃんにもできるかなぁ?」
口の周りをケチャップで真っ赤にしながら笑うリカに、はとはニパッと笑って言った。
「出来るよ!リカちゃんなら♪」
はとがリカの頭を優しく撫でてやると、リカは少しはにかんだ。
「そうだ!まずはお風呂でキレイキレイしなきゃね?お料理の魔法は清潔さが大事なんだから」
リカの口をティッシュで拭いてやりながら、はとが言う。
「魔法使いには、カワユサもないとね!」
「はーい!せんせぇ!」
リカは両手を上げながら、お風呂場へ向かうはとについていった。
脱衣を済ませた二人は仲良くお風呂に入ると、はとがリカにかけ湯をしてやる。
お湯の温かさにはしゃぐリカを、はとが優しくたしなめる。
「コラコラ~、リカちゃん?これも魔法使いになるための修行なんだよ?」
「しゅぎょぉ?」
「そう!ステキな魔法使いは、お行儀よくしてないとなれないのだ」
「リカちゃん!ステキなまほーつかいさんになるー!だから、イイコしてる!」
キャッキャしていたリカがしおらしくすると、はとはアハハと笑った。
「えらいっ!アタシ、リカちゃんに追い抜かれちゃいそうだなぁ……」
はとに褒められてモジモジと照れたリカは、はとと一緒に湯船に入る。
「ふぅ~……」
はとが幸せそうな溜め息を吐くと、リカも真似して溜め息を吐いた。
「はとちゃん……おふろってきもちいーね」
「そうだねぇ」
「はとちゃん、おふろってあったかいんだね」
「えっ?」
リカの口から吐き出された言葉に、はとが一瞬固まる。
「リカちゃんのおうちのおふろ……いっつもさむいから……ママといっしょにはいったら、こんなにあったかかったのかなぁ?」
幼い子供から聞かされた衝撃の言葉に、はとは答えることが出来ずに、リカを見つめていた。
「ママもリカちゃんとはいれば、いっしょにポカポカできるのにね?」
リカの無邪気な笑顔に、はとは切なさの入り雑じった笑顔で返す。
「ホントだね……一緒に入れば、温かいし気持ちいいのにね」
はとは声を震わせながら言うと、湯船の柔らかな温もりの中で、リカをキュッと抱き締めた。
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さらに数日後──。
都会から少し離れた郊外の住宅街にある、こじんまりとした建て売りの一軒家に、あの親子がいた。
旦那が仕事に出て、いつものように二人きりになった母と息子。
優しい夫に愛らしい我が子と三人で、慎ましく暮らす女は、ささやかでも満ち足りた幸せな日々を過ごしていた。
朝食の後片付けをしながら、甲斐甲斐しく息子の世話をし、一息つく間もなく掃除にかかる。
それが終われば洗濯機を回し、その隙に愛息と戯れて、猫の額ほどの庭に洗濯物を干す。
そんな毎日を飽きもせず続けていた。
お昼を済ませ、束の間のお昼寝につく頃、不意に玄関のインターホンが鳴る。
微睡みかけた頭を奮わせて玄関に向かった女は、玄関ドアの側にある磨りガラスの向こうに見える人影に、思わず息を呑んだ。
シルエットの中に見える顔の輪郭から、辛うじて眼鏡をかけていることが分かる。
それに気づいた瞬間、忘れかけていた記憶が鮮烈に甦った。
ドアを開けてはいけない……。
女の頭で警鐘が鳴り響き、足は竦んで動かない。
それでも目だけは放せずに立ち尽くしていた。
胸を締め付ける重圧で呼吸もままならない女は、廊下の壁に手をついて体重を預ける。
「ピンポーン」
再度鳴らされたインターホンの音で、女の体に電撃が走った。
玄関ドアから迫り来る、どす黒い悪意とも思えるソレは、床を這うように女の足元へと流れ込む。
出ちゃいけない……。
女は後ろに重心を移す要領で後ずさりし、リビングへ戻ると、スヤスヤと寝息を立てる息子をあの時の女性が覗き込むように正座していた。
「あ…あぁぁ……」
許容量を超えた恐怖と驚きが、言葉にならない声となって女の口から溢れ出す。
その場にペタリと崩れ落ちる女に目を移した漆黒の髪をした女性が、薄紅色の口角を歪めた。
「可愛いお子さんですね」
耳と言うより直接頭に問いかけられたような何処かくぐもった女性の声に、女は答えを返すどころか悲鳴すら上げられない。
女性は女の返答を待つ素振りもなく、子供に目を戻すと、白々とした手を子供へ伸ばした。
「さ、触らないでっ!!」
咄嗟に女の口から吐き出された言葉に、女性は一瞬手を止めたが、しなやかな指が子供の頬を優しく撫で上げる。
「本当に……愛らしい子……」
目を細めたまま掌で頬を包んだ女性に、女は戦慄した。
愛する息子に何か危害が加えられる……。
そんな予感が渦巻いて、沸き上がる怒りにも似た情念が女の体を突き動かす。
女性を体当たりで突き飛ばし、愛息を取り返すと、女は立ち上がって叫んだ。
「早く出ていって!!警察を呼びますよ!!」
足元で項垂れている女性に言い放つと、女性は顔を向けることなく小刻みに体を震わせる。
ククッ………クスクスクス──。
女の脅しを孕んだ警告にも動じることなく、女性はほくそ笑んだまま女を見上げた。
細まった眼から覗く深い闇色の瞳が女を捕らえ、意識ごと引きずり込まれそうになる。
自分に向けられた純粋な憎しみに、女はまたも体の自由を奪われた。
目を逸らそうにも瞬き一つ出来ているかも分からない。
長い長い一瞬から解放してくれたのは、息子の泣き声だった。
火が着いたように泣き出す息子を胸に埋め、体を揺すってやると、息子はブラウスを握りしめて徐々に落ち着きを取り戻し、その声の音量を弱めていく。
ほんの僅かな時間だったが、目を放したその隙に水蒸気が気化したかのように音もなく、女性はその姿を消していた。
白昼夢でも見たのかと、女は息子を抱いたまま呆然とする。
夢と言うにはあまりにも生々しく、不気味過ぎた。
自分を執拗につけ回し、愛する我が子にまで魔手を伸ばそうとする女性に対し、嫌悪以上のそら恐ろしさが心に満ち満ちていく。
まさか、夫に女でも出来たのか?
そんな考えが、ふと頭を過った。
だが、それを女は一笑に伏す。
あんなに自分を、息子を愛している男に、そんなことが出来るはずもない……。
そう、私は昔の私ではないし、夫は昔の男とは違うのだから。
自分にそう言い聞かせ、胸で眠りにつく我が子の頬を優しく突いた。
女はベビーベッドに息子を寝かせると、自分も貴重な休憩に入ろうと傍らのベッドに横になる。
すると、メールの着信音が鳴った。
『ごめん!仕事がトラブった!今夜は帰れないかも知れない。その代わり、明日は休みを入れるから、朝には帰る。寂しい想いをさせるけど、必ず埋め合わせするから』
夫からのメールだった。
女は夫に励ましの返信をして、スマホをサイドテーブルに置いた。
よりによって、こんな時に夫がいないなんて……。
女の心は不安と恐怖に押し潰されそうになっていた。
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その夜、夕方から雨が降り始めた雨足は強くなる一方だった。
暗雲が月や星々を覆い隠し、時折地を震わせるような轟音と共に稲光が一瞬外を照らす。
夫のいない夕げを終え、息子とリビングで身を寄せ合っていた。
知らぬ間に時間も経ち、時計が11時を回った頃、一際大きな雷が鳴った刹那に、家中の明かりが消える。
突然、視界を奪われた女が慌てて手探りで息子を探すが、いるはずの場所に息子はいなかった。
息子の名を呼びながら、女は必死に息子を探す。
少しずつ暗闇に順応した目が、部屋の中の輪郭を映し出してきたところで、女の少し先に人の影が立っているのに気づいた。
スラリとした線の細い人影──。
女性の影ではあるものの、それは昼間見たものとは明らかに違っていた。
身長が少し高めであるし、何より髪の長さが違う。
あの女性ではないが、二人きりの家の中に他人がいること事態、大きな問題だった。
女が恐る恐る声をかけると、影が振り向いたように見える。
そのシルエットは、何かを胸に抱いているようだった。
まさか……。
女の背に悪寒が走る。
「あなた、誰なんですか?」
女が声をかけるが、影は微動だにしなかった。
闇の中で対峙すること数分、長かった静寂を影が破った。
「可愛いお子さんね……本当に」
その言葉で、女は気が狂いそうになる。
「返して!私の大切な子を!!」
女が半狂乱で叫ぶも、影はそれを嘲笑った。
「それは、どの子を言っているのかしら」
嘲る影に向かって、女が苛立たしさをぶつける。
「あなたが抱いているその子よ!早く返しなさい!!」
女の怒号が室内に響き渡るが、それでも影は全く臆することなく返した。
「あなたには大切なものが、まだあるでしょう?」
影からの問いかけに、女は何一つピンとこなかった。
その問いの答えよりも、『早く我が子をこの手に戻したい』一心だった。
「どうやら、あなたには母たる自覚がないようね……この子が可哀相」
影の台詞に、女は激昂した。
再婚当初からの姑の嫌味に耐え続け、ようやく息子を授かった。
息子を産んでから、何よりも愛情をかけ、片時も離れず、甲斐甲斐しく世話をしてきた。
苦労に苦労を重ね、やっと掴んだ幸せを否定された気がしたのだ。
「ふざけるな!私は息子を愛してる!その幸せを奪うなら、私はお前を許さないっ!!」
女が怒りをぶつけると、影はゆっくりと歩いて来た。
輪郭だけだった影が、少しずつ露になっていく。
少し赤の混じった髪と、陶器のように白い肌、その眼には三白眼が光っている。
「冗談じゃない!!」
三白眼に女の姿が映る。
「幸せは不幸の上にあることも確かにある……でも、何より先に幸せにすべきものを棄てて、母親面をするんじゃない!!」
三白眼は全てを見透かしていた。
その三白眼には、女の封印した過去が映し出されている。
女は過去に娘を棄てた──。
男に棄てられて自暴自棄になり、憎い男の遺伝子を持つ娘を愛せなかった。
寒空の中、娘を外に追い出して放置していたら、それをすっかり忘れてしまい、気づいた時にはもう、娘は冷たくなっていた。
恐ろしくなった女は、娘の亡骸をアパートの裏に埋めた。
幸い、人目に付きにくい場所だったのと、ボロアパートのため、一階の住人は自分たちだけだった。
深く深く掘った穴に娘を落とすと、女は土をかけ、しっかりと踏み固めた。
しばらくは見つかることを恐れてビクビクしていたが、ちょうどアパートの裏に駐車場を作るために、厚いコンクリートが流し込まれた。
それにより、娘を掘り起こされる心配もなくなり、女は娘を記憶からも葬った。
「何故……何故、あなたがそのことを……」
女は恐れた。
あのことがバレたら、今の幸せは粉々に砕けてなくなってしまう……。
そんなことだけが女の頭を駆け巡る。
「やめて!お願い!!」
女は三白眼の女性にすがりついて懇願した。
「誰にも言わないで!娘には本当に悪かったと思ってる!!でも、もう済んだことじゃない?!私には家族がいるのよ!!」
泣きすがる女を三白眼の女性が振り払い、凍りつくような冷たい眼で女を見下す。
「……アンタに少しでも母親としての気持ちがあったなら、チャンスをあげても良かった……でも、その気は失せたよ」
三白眼の女性は声を発することなく女の額に右手をかざした。
「自分の罪を死ぬまで償いなさい」
そう言った途端、女は後ろへ弾かれるように仰け反り、その勢いでソファーへ深く腰を下ろす。
女が我に返ると、いつの間にかリビングに明かりが戻っていた。
「ママ……」
女の目の前には、見知った女の子が立っている。
「リカ……まさか、生きてたの?」
目を見開いて驚愕している女の胸へ、リカが飛び込んだ。
「ママ…会いたかったよ!リカちゃん、ママのこと、ずっと、ずぅーっと待ってたんだよ!」
数年ぶりに抱いた娘の体がひんやりと冷たかったことで、女はあの日のことを思い出す。
身を切るような寒さの中、何時間も独りで寒い想いをさせた上に、ついには死なせてしまった。
寒かった、怖かった、何より寂しかった……。
娘の想いが女に流れ込んできて、ようやく自分のした残酷な仕打ちを心の底から詫びることが出来た。
「リカ!ごめんね!ママ……どうかしてた!!これからはずっと一緒だよ!!」
「うん!もうリカちゃんをひとりにしないでね?」
数年の時を超え、リカは母の胸の中へ還ることが出来た。
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翌朝──。
早朝の清々しい空気の中、マンションの一室で簡単な朝食を前にして新聞を広げている女性がいた。
女性は地方欄に小さく載っていた記事を見つけ、読み始める。
『三月○日、××町の□山△司さん方で、幼児とみられる白骨遺体を抱き締めた女性が発見された。
女性は□山△司さんの妻理恵子さんで、命に別状はないものの、精神に異常をきたしているらしく、事情を訊ける状態ではないようで、警察は理恵子さんが抱いていた白骨遺体の身元も含め、慎重に捜査を進めている』
女性は記事を読み終えると縁なし眼鏡を直し、新聞を折り畳んだ。
「今回は手を貸してくれてありがとね。双葉さん」
テーブルの向かいに座っているはとが、女性にお礼を言うと、双葉は微笑んだ。
「いいえ……私は貴女に感謝してもしたりないほどの恩があります。私でよければいつでもお力になりますよ」
助太刀してくれた双葉から心強いことを言われ、はとはニパッと笑って言う。
「そう言ってもらうと、アタシもありがたいよ」
はとが目の前の目玉焼きに手を伸ばすと、双葉は不思議そうな目を向けて訊いた。
「はとさん、貴女には元々私が持っていた『過去を変える力』があったのに、何故使わなかったんですか?」
双葉からの質問に、はとはケチャップをかけたサニーサイドアップを上手に切りながら答えた。
「あの人は、数年経っても自分のことしか考えてなかった……そんな人が過去に遡っても、結局同じことを繰り返す……リカちゃんに二度も悲しい想いはさせたくなかったからね」
はとの答えに満足したのか、双葉は「なるほど」と呟いてコーヒーを一口啜る。
少しの間が空いて、双葉が独り言のように言った。
「それで、あの人はどうなるんでしょう」
その言葉に、はとも誰に聞かせる訳でもない口調で話し出す。
「あの人にはリカちゃんから奪った未来の分くらいは償わせる……少なくともリカちゃんがこの世に戻ってくるまでは、ずっとリカちゃんの母親でいてもらうよ」
いつもの天真爛漫なはとらしくない抑揚のないトーンに、双葉もそこに情は一切入っていないように思えた。
「それはそうと」
双葉がはとの目玉焼きを見て口を開いた。
「目玉焼きにケチャップってどうなんですか?」
唐突な質問に、はとが「は?」と聞き返す。
「目玉焼きに塩コショウや醤油なら分かるんですが、ケチャップは」
「何で?んまいよ?」
はとが食い気味に答え始めた。
「白地に黄色、そこに鮮やかな赤の三色でキレイでしょ?」
「えぇ……まぁ」
「味気のない白身にトロリと濃厚な黄身の旨味、そこにケチャップの甘さとほどよい酸味のアクセントが、寝起きで鈍った頭と舌を活性化させるんだよ?おはよーございまーす!って」
「そうなんですか……」
予想以上に熱いはとの目玉焼きウィズケチャップ論に、若干引いた双葉をはとが身を乗り出して追撃する。
「双葉さんもやってみ?ケチャップ貸してみ?」
「いや……私は……」
やんわり遠慮する双葉に、はとはケチャップをずいっと近づけた。
「食わず嫌いはいけないなぁ……双葉さんもケチャップ教の信者にしてあげるよ!さぁ!目玉焼きをよこしなさい!!」
「や、やめてくださいっ!私には私の流儀が……」
「何を言うんだ双葉くん!新しい扉はもう目の前にあるのだよ?」
朝からワイワイと騒がしいこの室内とは裏腹に、白々としていた空に陽が昇り、新しい今日が静かに始まろうとしていた。
作者ろっこめ
眠い……。
書き始めてから数日……。
書いたり書かなかったりしていたら、何故か急に筆がノリ、完成させてしまいました。
寝ボケて書いたので、クオリティや誤字脱字はお見逃しください。
これでふたば様との約束も果たせたな!
よし!しばらくは動画観て過ごそう!