権藤寅吉は四十四歳独身のフリーのセールスマンだ。
大きめのジュラルミンのバッグに、怪しげな商品をいろいろ詰め込み、
真っ赤な派手なチェックの背広に黒の蝶ネクタイ。
短めのパンチパーマの頭に、山高帽をキザに被り、
北海道から沖縄まで、全国津々浦々売り歩く。
都内のボロアパートを寝ぐらにしているのだが、
週のほとんど仕事で出歩いているので、
家で寝るということがあまりない。
ビジネスホテルか安旅館、サウナの仮眠室、たまに、今流行りのネカフェにも
泊まったりするし、駅ホームのベンチで寝たこともある。
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暮れも押し迫った十二月のある日。
寅吉は九州南部にある田舎町の公民館を借り、
ある会社の倒産品の展示即売会をした。
一日めは物珍しさも手伝って、そこそこの売上が上がったので、
その日の夕方、彼は、公民館のすぐそばにある、
ビジネスホテルに泊まることにした。
ビジネスホテルといっても、民宿に毛が生えたようなところで、
三階建ての古びたビルの脇に、『ビジネスホテルたいよう』と、看板があるだけだ。
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立て付けの悪い片開きの扉をガタガタと開けると、
いきなり広めの上がり口があり、目の前に受付カウンターがあった。
カウンターの横に、本物そっくりな寅の置物があり、ちょっとびっくりする。
カウンターの後ろに座る、六十過ぎくらいの人相の悪い禿げオヤジが、
スポーツ新聞から顔を上げる。
Kappaの真っ黒なジャージの上下に、どでかいロレックスの腕時計をしている。
ちょっと怖い。
後ろの壁の上方には、なぜかAKB48のポスターが貼ってある。
その下に、二十くらいの若い女性のスナップショットが映っているポスターが貼られていて、
「この人を探しています」とあり、下には、
「特徴として、丸顔。ショートカットで茶髪。大柄で、身長は百六十㎝くらい。」と、書かれている。
寅吉は玄関口でスリッパに履き替えると、ジュラルミンのバッグを提げて、受付カウンターの前に進んだ。
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「こんばんは。今日一晩、泊まりたいんだけど……」
いつもの人懐っこい笑顔で言うと、
オヤジはニコリともせず、
「ここに、住所と名前と連絡先、書いて」と、
小さな紙とゼブラのボールペンを、寅吉の前に置いた。
必要事項を書き終え、オヤジに紙を渡すと、ろくに見もせず、
「三千円」と、ボソッと言った。
ワニ革の財布から三枚渡したら、
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「部屋は上にあるから、そこのエレベーターで上がって。
風呂はこの受付の奥にあるから、十二時までには入って。」
と大雑把に説明してくれた。それから、後ろの壁にある蜂の巣のようなキーボックスから一つ、部屋番号の記された鍵を一つ抜き取り、渡した。
カウンターの上にも、壁に貼られた「この子探しています」のチラシが数十枚置かれていた。
寅吉が、それを見ていると、
「ああ、それは、前の酒屋の一人娘だ。去年の夏頃、突然いなくなってね。
身内とか警察とかで探しているんだけど、まだ見つからない。まあ大方、東京あたりにでもおるんだろうが」
と、オヤジは初めて、まともにしゃべった。
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がたつくエレベーターを二階で降り、
寅吉は薄暗くカビ臭い廊下を、真っ直ぐ歩く。
部屋は突き当たり右手の「二〇四号」。
鍵を開け入ると、六畳くらいの畳部屋だった。
入口横に、トイレと洗面所がある。
正面の窓はカーテンが閉まっており、
部屋の真ん中には、ちゃぶ台があった。
左手奥に押し入れがあって、その横には、クローゼット。
右側にはなぜか床の間があり、屏風が掛けてあり、古い箱型のテレビがある。
昭和時代にタイムスリップしたような風情だ。
どこか懐かしくなる。
寅吉は雪駄を抜いであがると、畳の上にバッグを置き、クローゼットを開く。
下の棚に浴衣があったから、着替える。
時計を見ると、午後八時。
─風呂でも入るか
暖房のスイッチを入れてから、タオルを持って、部屋を出た。
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寅吉は風呂からあがり、部屋に戻ると、ちゃぶ台の前に座った。そして、
ジュラルミンのバッグから、あらかじめ買っておいたカップの焼酎とサキイカを出して、ちゃぶ台の上に置く。
焼酎を開け、一口飲むと、リモコンでテレビを点けた。
NHKとローカル放送局一つしか、映らないようだ。
焼酎をチビチビやりながら下らない番組をなんとなく見ていると、
テレビの真横に、金庫のようなコインボックスがあるのに気づいた。
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『有料テレビを楽しみたい方は、こちらに、五百円をお入れ下さい』と、書いている。
寅吉はホテルや旅館に泊まると、この有料テレビをちょっとした夜のお楽しみにしている。
迷わず、五百円玉を投入する。
指定されたチャンネルに切り替えると、ありがちなアダルトビデオの真っ最中だった。
昔の作品のようで、画質もあまりよくない。
もう一つのチャンネルに切り替える。
これまた、同じようなアダルトビデオだ。
つまらないから、畳にゴロリと横になった。
部屋が狭いから室内はかなり温かくなっていて、昼間の疲れもあって、ウトウトし出した。
……
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……
変な鼻歌で、寅吉は目が覚めた。
それは何か楽しげに呟くようで、でもどこか儚げで。そんなハミングだった。
電気もテレビも点けっぱなしだ。
目を擦りながら時計を見る。二時五分。
立ち上がり電気を消し、また横になった。
暗闇の中、テレビ画面だけが、強い光を放っている。
鼻歌はテレビからだった。見ると、大きな透明のビニールシートが敷かれたどこかの板の間が映っている。
結構広々としている。
奥の方に、何か俵のようなものが、いくつか積み上げられている。
ハンディカメラで撮っているのか、かなり画質が悪く、たまにぶれたりもする。
鼻歌は続いている。どうやら、この映像を撮っている男が鼻歌を歌っているみたいだ。
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いきなり画面いっぱいに、黒マジックで紙に書かれた文字。
「X社長の怪しい休日」
─ん?
寅吉は起き上がると、画面に見入った。
調子外れの鼻歌は『ミッキーマウスのテーマ』のようだ。
タイトルが消えると、画面右端から誰かが鼻歌に合わせて、大げさに腕を振りながら行進してくる。
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─なんだ、こいつは?
現れたのは、だらしなく肥えた、全裸に黒いピチピチのパンツを履いた、油ぎっしゅな中年男性だった。
何故か、ヒョットコのお面を付けており、黒いナイロン靴下に革靴を履いていて、頭は禿げ上がっていた。
片手に画用紙を持っている。
男は画面中央で立ち止まると、正面をくるりと向いて起立し、画用紙を両手で胸の前に突き出した。
ズームされる。
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『お楽しみの時間です』と、黒マジックで大きく書かれている。
すると画面から女の苦しげなうめき声が聞こえてきた。
今度は画面左端から、ロープで両手を縛られた全裸の若い女が、よろめいて、つんのめりながら現れた。
タオルで目隠しをされていて、口にはガムテープを貼られている。
かなり怖がっている様子で、全身をブルブル震わせている。
画面中央辺りにいるヒョットコ男の隣に、立つ。
結構大柄で、男の背丈とあまり変わらない。
茶髪でショートカットだ。
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すると男は、
いきなり女の頬を平手打ちしだした。
数分の間、女の悲痛な呻き声と容赦ない男の平手打ちが続く。
たまらず女は床の上に、横坐りになった。
顔はピンク色にひどく腫れあがっており、鼻血を出している。
すると今度男は女を倒し、馬乗りになると、両手で首を絞めだした。
カメラがズームして、男の手元を映し出す。
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ヒョットコ男の右手の甲には、大きめのアザがあった。
女は手足をばたつかせて、必死に抵抗していたが、やがて、ぐったりとなった。
男は荒い息遣いをしながら、額の汗を拭う。
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だが、ここで終わりではなかった。
「社長、とどめを」と言ってカメラの男が前の床に、何かを投げる。
ヒョットコ男はそれを拾うと、片手で高々と、頭上に掲げた。
それは刃先の鋭いサバイバルナイフだった。
男は全く躊躇することなく、女の顔や胸の辺りをサクサクと刺す。
体のあちこちから血が噴き出し、女と男の体はすぐに、真っ赤な血で染まった。
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……
その凶行はしばらく続き、やがて、男の動きは止まった。
女は、あちこちの刺し傷から血を流しながら、ぐったりとなっている。
カメラがズームし、ヒョットコ男の血だらけの胸元から上の姿が映し出される。
男は静かにピースサインをした。
そして徐々に、フェイドアウトしていった。
……
替わりに、「おしまい」と書かれた画用紙が画面いっぱいに映し出されていた。
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寅吉はテレビを消し、再び横になった。
─なんだったんだ。あのビデオは?
作り物にしては、リアルで生々しかった。
画質は悪かったし、画面もぶれていたから素人が撮ったものだろう。流出ものかな?
それにしても、趣味の悪い作品だったな
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彼はさっきの映像の場所をつい最近、どこかで見たような気がしたのだが、どうしても思い出せない。
それを思い出したのは、カーテンからうっすら朝の光が射すころのことだった。
─そうだ!確か、一番最初の場面のところで、あの板張りの部屋の奥に、俵のようなものが積み上げられていた。
あれは、米の俵だ。
昨日、即売会を開催した公民館にも、窓際にあの袋のデザインと全く同じ米俵が積み上げられていたんだ!ということは、
あの映像は、あの公民館で撮ったのか?じゃあ一体、誰が?
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結局、寅吉はほとんど眠れなかった。
二日目の即売会の準備があるし、朝食もどこかで食べたかったから、身支度をして、部屋を出た。
カウンターでは、あのオヤジが制服姿の年配の警察官と、なにやら談笑している。
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何気なくカウンターの後ろを見た瞬間、寅吉の心臓は早鐘のように打ち出した。
─ポスターの女の子……
茶髪にショートカットで大柄の若い女。
昨日の夜の子じゃないのか!?
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「どうかしました?」
オヤジが後ろを振り向く。
警察官もジロリと見る。
「い、いや……今日まで泊まりたいんだけど」
焦りながら言うと、オヤジは無言でカウンターの上に、記入用紙とボールペンを置いた。
その時寅吉は、アッと思った。
─右手の甲に、大きなアザ!
思わず彼は、オヤジの顔を見た。
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「何か?」
オヤジは怪訝な顔をして、寅吉を見た。
「い、いや……」
少し慌て気味で記入していると、
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「じゃあ、また」
と年配の警察官は、オヤジに笑顔で言うと、カウンターを離れ、玄関口に歩き出した。靴に履き替え、戸を開けた時だった。彼は
「ミッキーマウスのテーマ」を鼻歌で歌いながら、外に出ていった。
作者ねこじろう
昭和時代を象徴するものというのは、いろいろありますが、私は地方のビジネスホテルの部屋にあったテレビの横に付いていた、金属のボックスを思い出します。いわゆる有料テレビを見るときの、コインボックスです。ここにお金をチャリンと入れると、視聴可能になるのです。内容はというと、これがまた、つまらない!かなりのB級アダルトビデオです。
権藤寅吉奇譚2─寒椿の女もよろしく
http://kowabana.jp/stories/30240