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南九州のある村で商売を終えた、
流しのセールスマン権藤寅吉は、
今度は、長崎のとある漁村を訪れていた。
元旦早々行われる、
その年の大漁を祈願しての祭りで、
商売を行うためだ。
地元の小さな神社の参道には夕刻から、
綿菓子屋、たこ焼き屋、お面屋、……
お馴染みのお店が軒を連ねている。
そんな中に混じり、寅吉も寒空に負けじと、
ドラ声を張り上げている。
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「さあさあ皆さん、寄ってらっしゃい!
見てらっしゃい!」
目の前の机の上には、
季節外れのサンタの人形が
ズラリと並んでいる。
以前の売で売れ残ったものだ。
小さな村の小さな祭りだからか、
参道を歩く人はまばらだ。
お店には見向きもせずにそそくさと、
本殿に向かって歩いていく。
時折、海からの冷たい風が、
狭い参道を通り過ぎていく。
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「ねえちゃん、やっぱ不景気なのかなあ。
朝からさっぱりだよ」
隣で、怪しげな「幸福の石」を売っている
紫色の髪のど派手なおばちゃんに、
寅吉は、足元のストーブにあたりながら、
ぼやく。
「なに辛気くさいこと言ってるんだよ。
そんな心意気だから売れないんだよ」
おばちゃんは、寅吉の猫背をばしりと叩き、
ハッパをかける。
「いててて……そうだな。気合いだよな」
そう言ってまた彼は、また小気味よい啖呵を
きり始めた。
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「あの一つ、もらえるかしら」
寒椿をあしらった着物姿の女が、
寅吉の前に立っていた。
透き通るような白い肌が夕暮れで朱色に染まり、
首から肩の辺りが
めっぽう色気のある女性だ。
年の頃は三十後半くらいだろうか。
ただ、何か幸薄い雰囲気を醸し出している。
「は、はい。あの、
隣の坊っちゃんにですかい?」
女の横で上目遣いで見ている坊主頭の男の子を
チラリと見て、寅吉は言った。
女は何故か少し驚いた様子で「あっ」と言うと、
「そ、そうです。この子のために」
と、焦りながら言った。
「へへ、こいつはね、ちょっと面白いんですよ」
そう言って寅吉は人形の前で、ぱんっと
手を叩く。するとそのサンタの人形は、
くねくねとダンスを踊り出した。
女は楽しそうにその様子を眺めていた。
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人混みに紛れ本殿に向かって歩いていく、
女と男の子の後ろ姿を見送りながら、
寅吉は
「いい女だねえ……」
と腕を組み、しみじみ呟いた。
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その日寅吉は、船着場のそばにある、
小さな旅館に泊まった。風呂から上がり、
六畳ほどの殺風景な畳部屋で、
イカの刺身を魚に熱燗を引っかけていると、
「あの、よろしいでしょうか?」
と襖の向こうから、女の声がする。
「ああ、いいよ」
と答えると、すーっと襖が開く。
廊下には、
艶やかな寒椿の着物姿の女が正座しており、
「女将です。今日はようこそ」
と頭を下げる。
よく見るとそれは、夕刻に、
人形を買ってくれた女だった。
女の後ろの薄暗い廊下に、
一緒にいた男の子も立っている。
「よおお!あの時の、お姉さん!」
明るく微笑みながら、寅吉が手を上げると、
女はちょっと驚き、
「あら、あの時の……」
と嬉しそうに微笑む。
「へえ……あんた、ここの女将だったの。
まあ、こっちにおいでよ」
と、寅吉は手招きをした。
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「じゃあ、まずは一杯」
そう言って寅吉は、
目の前に座る女将のお猪口に、熱燗を入れた。
「そっちの坊っちゃんは、酒はダメだから、
コーラでも頼むか?」
女将の隣に正座する、赤いトレーナーを着た
坊主頭の男の子に、寅吉は言った。
「いえ、この子は、お構いなく」
女将は横目で男の子を見ながら言う。
ひとしきり地元の話に花を咲かせた後、
思い詰めた様子で女将が切り出した。
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「ところで、お客さん。お客さんは本当に、
この子が見えているんですか?」
女将の唐突な言葉に、寅吉は
「見えてるもなにも、
だって、そこにいるじゃないか」
と言って、正座して俯く男の子を見た。
すると、女将は急に真顔になり、
「お兄さん。実は、この子はもう、この世の
者ではないのです」
と、きっぱり言った。
「は?」
寅吉は目を丸くする。
「二年ほど前のことでした。この村にも、
きちんとした総合病院が出来たんです。
そこの院長さん……とても素敵な方で、
ゴルフの後よく、
うちを利用してくれてました。
この子も私も本当によくしてもらっていて。
特に、
この子は早くに父親を亡くしているので、
本当よく慕っていたんです。
それで、
去年のちょうど今頃のことなんですが、
突然夜に院長さんが見えられて、
泊めて欲しい、と言うんです。
本来ならダメなんですが、そこはまあ、いつも
お世話になっていたので、
特別にお泊めしました。
そしたら翌朝、何時まで経っても
起きて来られないんです。おかしいなあ、と
部屋を見に行ったら、
中はもうもうと煙が上がっていて……。
布団の上で亡くなっておられました。
練炭自殺でした。見ると、布団の中に、
息子もいたんです。かわいそうに……
この子、なんにも分からずに……」
寅吉はじっと、座っている男の子を見ていた。
「なにも考えずに、こっそり夜、
布団に潜り込んだのでしょう。寝てる間に
そのまま、亡くなったみたいだから、
今だにこうやって、普通に現れるんです。
まだ生きている、と思ってるんでしょうね」
男の子はどこか遠くを見るようにして、
座っている。
「院長さんは何で自殺したんだろう?」
「分かりません。色々と、女性の噂のある人
でしたから」
「女将さんも、この子が見えるのかい?」
「はい。私は昔から霊感が強い方でして。
しかも、わが子ですから」
そう言うと女将は改めて正座して、
「それでは、ごちそうさまです。ごゆっくり」
とお辞儀をすると、
男の子とともに部屋から出て行った。
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船着場に出入りする、
船の汽笛や漁師の荒い声で、寅吉は目覚めた。
カーテンから強い朝の光が漏れている。
飲み過ぎたせいか、少し頭が痛い。
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「おはようございます!
入ってよろしいでしょうか?」
女性の素っ頓狂な大声が聞こえる。
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「はい、どうぞ」
目を擦りながら寅吉が言うと、
ガラリと荒々しく襖が開き、関取級の女が、
朝の膳を持ってドカドカと入ってきて、
寅吉の枕元に置く。
寅吉が布団から出て、朝飯を食べ始めると、
女は、テキパキ布団を片付け始めた。
いつの間にか昨日の男の子が、彼女の足元を
うろうろしている。
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「ほら、賢一くん、じっとしてなさい!」
女は、男の子を嗜めた。
寅吉はびっくりしながら、尋ねた。
「もしかして、お姉さんもその男の子、
見えるのかい?」
「何言ってるんですか?賢一くんは普通の
男の子ですよ!
見えるに決まってるじゃないですか?」
「で、でも、昨日の夜、女将が……」
すると女の手がピタリと止まった。
そして改めてまじまじと寅吉の顔を見て、
「お客さん、何言ってるんです?」
と真顔で言った。
女は静かに寅吉の傍らに正座すると、
まじまじ顔を見ながら、こう言った。
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「お客さん、女将さんは去年の今頃、
亡くなりました。」
「は?」
一瞬、寅吉の頭の中は真っ白になった。
「な、なんで?」
「練炭自殺です。ちょうど去年の今頃、
女将さんは妻子ある人と、この旅館の部屋で
練炭自殺の道連れになったんです。
女将さんは旦那さんを早くに亡くされて、
女手一つで息子さんを育てていたんです。
二年ほど前に、
この村に病院が出来たのですが、女将さん、
そこの院長とできてしまってですね。
院長の方がかなり押したみたいですよ。
ただ、院長さんにはちゃんと妻子がいて。
奥さんすごく気の強い人で、院長さんは
もともと婿養子だったから、
頭が上がらなかったみたいで、
もう、にっちもさっちもいかなくなって。
結局、女将さんと賢一くんを道連れにして……
ただ賢一くんだけは途中で逃げだして、
何とか命拾いしたんです」
「でも俺、昨晩、女将と息子さんと、
話したんだけど」
女は呆れたようにため息をつくと、言った。
「またですか?この間も他のお客さんが、
夜に女将さんと話したらしくて、
朝方、お兄さんと同じように、
女将さんは?と聞くんですよ。
女将さん、どういうわけか、
まだ自分が死んでることが
分かってないんでしょうね」
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午後、権藤寅吉は、
次の商売の場所に行くため、
漁村にある小さな駅のホームのベンチで、
電車が来るのを待っていた。
ホームには誰もおらず冷たい風が吹き、
寒々しい風情だ。
やがて、マッチ箱のような電車が入ってきた。
苦しげな軋む音を響かせながら止まり、
ガラリとドアが開く。
車内はガランとしている。
彼は入口のドアの脇に立った。
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─プシュー!
白い煙を立ち上げながら、
ゆっくりとドアは閉まった。
寅吉が何気なくホームを見ると、
いつの間にかそこには、
グレーの背広姿の初老の男性と、
寒椿をあしらった着物の女将、
そして、赤いトレーナーの男の子が
並んで立っており、
少しづつ小さくなっていった。
作者ねこじろう
権藤寅吉奇譚1─有料TV
も、よろしゅうに
http://kowabana.jp/stories/30228