§ 魔女と王女と §
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フードの女は私の手を引いて、暗い森の中を歩き続けた。ランプを吊り下げた杖を突きながら、彼女は無言で歩いている。
「どこへ行くの?」
「…………」
改めて、私は彼女が正体を明かしていないことに気が付く。
「あなたは、誰?」
フードが僅かに振り返った。
「王女様のくせに、せっかちな人ね。いいから大人しくついてらっしゃい」
冷たくそう言い放ち、女は再び前を向いた。思っていたよりも声が若い。もしかして、自分と同じくらいの年齢ではないか。
やがて辿り着いたのは、粗末な山小屋だった。
「さあ、ここよ」
女は短く言って先に入ってしまった。何か物凄いものを見せられると思っていた私は拍子抜けしながら彼女に続く。
室内には豊富な種類の──薬草だろうか? 珍しい草花があちこちに整理され、あるものは棚に積まれ、あるものは瓶に詰められ、またあるものはざるに載せた状態で柱から吊り下げられている。
薬草を煎じたような香りが充満する中、炎を噴き上げる釜戸の前に向かい合う私と女。
「そこにお座りなさい」
「その前に、顔を見せて貰えるかしら」
女がフードをめくった。その下から現れたのは、やはり自分とさほど変わらない年頃の娘だった。栗色の髪を三つ編みにして束ね、白く細い顔に切れ長の瞳が強い光を放っている。光の反射のせいだろうか。心なし彼女の瞳は黄金色に輝いて見える。その細い瞳に不敵な笑い湛え、彼女は真っすぐに私を見つめた。
「これでご満足? 殿下」
「あなたは誰?」
何度目かの質問に、女──少女はうっすらと笑い、古びて黒ずんだ椅子に腰を降ろした。
「全て、あなたの父君のせいよ」
「一体何が?」
「座りなさいよ。行儀が悪いわね」
忌々しい思いを堪えながら、仕方なく対面に腰を掛けた。すると少女は口元を歪めて、しかし目元は笑わずに獲物を狙う蛇のような眼差しを私に向けた。
「事は、あなたが生まれる十年ばかり前──」
少女は語り始めた。
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【幻夢ノ館/Phantom Memories】
第三話 死者の輪舞曲 (後編)
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§ 魔女への鉄槌 §
「いいえ、最初から順を追って話しましょう……昔々、とある王国に魔女が住んでおりました。魔女は薬草から薬を作っては人々に安く売って生計を立てておりました。また時には占いによって天災を予知したり、あるいは庶民に生活の知恵を授けることもありました。そんな魔女を人々は尊敬しておりました。
しかし時は移り、教会の権力が強くなると、精霊や旧来の神を信奉する魔女は異端とされ迫害を受け始めました。魔女はそのような世を疎い、人里を離れ山に籠るようになりました。
折しも、異教徒が王国の奉ずる信仰の聖地に侵略を開始しました。激怒した教皇は異教徒の皇帝に使いを送り、聖地から撤退するよう促しましたが、無論そんな抗議など聞き入れられません。
業を煮やした教皇は遂に、討伐軍を差し向けるよう諸国に呼びかけました。
殿下、あなたの王国にもまた、教皇からの檄文が届いたのです。しかし、余り豊かとは言えない小国のことです。王は初め、事態を静観しておりました。
しかし、戦火が広がるにつれ、小王国にも参戦を促す圧力が大きくなっていきます。そして、教会は当時流行りだしていた異端審問を行いました。それによって教会の力を見せ付けようとしたのでしょう。
それに拍車をかけたのが、王国内の教会の神父が著した魔女弾劾の書『魔女への鉄槌』。あの書のおかげで、庶民にも魔女迫害の機運が高まっていきました。敬虔な信徒だったあなたの父は、魔女への迫害を容認し、それどころか教会に協力さえしたわ。
異教徒の圧力が高まる中、民の鬱憤を晴らそうとしたのかも知れないけれど、迫害を受けた側から見ればそんなことは弁解にもならない。
標的とされた者の中に、あの魔女の姿もありました。捕らえられた彼ら・彼女らは皆魔女や悪魔の使いとされ、火刑に処せられました。
既に世も変わり、隠遁の身にある年老いた魔女を救おうとする者はおりませんでした。今までに彼女に救われた者も大勢いた筈ですが、誰も抗議の声をあげません。その身をたちまち炎が包み込み、肉が焼ける苦痛の中にあって、魔女は叫びました。
『教会に災いあれ、王国に滅亡あれ!! いずれ悪魔の刻印を持つ者が生まれ、この国を破滅に導くであろう!!』
人々はその言葉を笑い飛ばすことが出来ませんでした。というのも、その最後の言葉が紡がれた直後、魔女を包む炎が唸るような音を立てながら一段と大きく燃え盛り、教会の塔をも超える高さにまで吹き上がって火の粉を周囲に撒き散らしたのです。
その結果、処刑を行っていた広場を中心に方々に火の手が上がりました。町中の人々が慌てふためいて鎮火に走りましたが、死者数十名を数える大惨事に発展したのです。
人々は魔女の最後の金切り声を忘れることができませんでした。程なく、その言葉は王の耳にまで入ることになります」
「悪魔の刻印──」
父上と母上の会話が蘇る。それがどのようなものかは知らない。だが、それが原因で私は六度の生を──。
「お察しのようね」
少女は──魔女はおかしそうに笑い声を漏らした。
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§ 刻印の王女 §
「始まりは王と妃に王女が生まれた時。王は魔女の死に際の言葉を伝え聞いておりましたから、第一王女の背中にその刻印を見出した時は卒倒しかけたそうよ。それで──」
後のことは分かる。魔女もそれ以上の説明はしなかった。
「それから六年が過ぎ、王妃は七度目の懐妊をしました。そして今度こそ、刻印などどこを探しても見い出せない、まっさらな肌を持つ赤子が生まれたそうです。王の喜びようは大変なものであったとか」
「それが──」
「ええ、それが第一王女……いえ、正確には第七王女ミレイユ──あなたのことよ」
何かを言わなくてはならない。だが、怖い。何が怖いのか──。自分の中で、煙のように湧き上がってきた不安が形を成そうとし始めている。それから目を逸らすかのように、先を促した。
「それで、どうなったのです」
「それで──その後は、あなたもよくご存知でしょう。長期化した聖戦が激化し、前線がいよいよ王国の目前に迫りました。国堺間近の異教徒の軍勢と和睦を結ぶか、あるいは劣勢のまま全面戦争に突入するかの決断をしなくてはなりませんでした」
そうだ。王国はあの時、八方塞がりで打つ手なしという状況だった。
「無論、和睦の意味する所は神や教皇に対する背信に他ならず、さりとて目の前の強大な軍勢に対し援軍はなし。進退窮まる状勢にあって、臣下たちの間でも激しい議論が巻き起こりました」
「そこで──殿下……。あなたは国運を左右する決定的な一言を漏らしてしまいましたね」
「…………」
「『我らが神に仇なす異教の民を打ち滅ぼさん。さすれば神の国はここに来たらん』、と」
「私は……皆と一緒に王国を守ろうと──」
「そうね──でも、時の宰相はこのような局面にどうするべきか、国王に幾度も進言しました。即ち王女を人質に差し出し、秘密裏に交易を行う用意をすること、それによって双方が利益を得ることが出来るのだと敵将に伝え、取引を行うようにと──しかしその進言を国王は無視し、王女ミレイユの発言で鼓舞された家臣達の勢いに流されるまま、戦争に突入しましたね」
「それが……それが一体あなたと何の関係があるというのです?」
「分からないの? 世間知らずの王女様には難しすぎたかしら? 私は死ぬ間際に三つの呪いをかけたわ。一つ目は、これから生れ出る赤子に痣を付けること。それも醜い、悪魔の顔のように見える痣をね──」
「それで?」
魔女は抑えきれないというように笑い声を立てた。
「クフフフ、国王がしたことをあなたも見たでしょう? 親が我が子を呪われた子供であると思い込み、死に至らしめる──呪われた赤子という“刻印”を背負った六人のあなたの亡骸は、それ自体が悪魔への供物となった」
「供物?」
「ええ、それが二つ目の呪い。赤子の亡骸を贄となし、悪魔を召喚すること」
「悪魔の召喚? あの六人の──」
「そう。でも、三つ目の呪いはもっと早くに実現していたわ。何だと思う?」
この魔女が考えていることが分からない。目的が王国への、父上への復讐であること以外は。
「私はあなたが、聖女であるようにと祈ったのよ」
「聖女──?」
「もっと砕けた言い方をすれば、潔癖なまでに神への敬虔さを持つようにと」
「それがどうして呪いだなんて──」
さっきの魔女の言葉が頭をよぎる。国の存亡を賭けた宰相の案を葬らせたのは何だったのか。
「私が願った通り、あなたは民を導き、聖人の教えを広める伝道師たる資質を備えていた。その言葉を、声を聴いた者を心酔させるくらいにはね」
「私が──、私が国を滅ぼしたというの」
「さあ……どうかしら。少なくとも、なまじ分かり易い悪事、悪人の存在で国は容易には揺るがない。でも、歴史を紐解けば分かる筈よ。行き過ぎた理想主義こそ国を亡ぼす元凶たりうると。
考えてもみなさい。神への信仰によって私達を殺戮した王国が、同じ神への信仰によって滅んでいくなんて……実に滑稽だったわ。ウフフフフ、アッハッハッハッハ!!!!
笑い話ついでに教えてあげる。ねえ、ご存知? かの聖人、神の子と崇められる男も、民を惑わし王国の復活を妨げた張本人という見方があるのよ!! あなた達は自らが崇める経典の民と同じ命運を辿ったという訳ね!! なんて愚かなのかしら!! アッハッハッハッハ!!!!」
勝ち誇る魔女の哄笑。かつて民を愛し、民に愛された彼女を歪ませたのは歴史の荒波──そう簡単に片付けてはならないものだということは、王女たる自分は身に染みて理解している。
だが、彼女にも良心は残っている筈だ。かつて平穏に生き、その幸福の価値を知っている者ならば、復讐の悪魔に堕ちる前にこちら側に引き寄せることも可能ではないか。
「──あの戦争で多くの庶民が犠牲になったわ。かつて救った者たちが殺されたのも、あなたが望んだことだと言うの?」
魔女は天井を見上げ、溜息を一つ漏らした。短い沈黙の間、彼女は遥かな過去に思いを走らせたのだろうか。しかし魔女の心を翻すには至らなかったらしい。私の儚い希望などかき消さんばかりの、冷たい眼差しを私に向けた。
「その彼らは、焼き殺される私を見殺しにしたのよ。中には石を投じる者までいたわ……それに、何もかも終わったことよ。
でも、あなたの悪夢はこれから始まるの。滅びた王国であなたの肉体が何を為すのか、見届けるがいいわ。今再び、あなたの魂をあの肉体に戻してあげるから。そして、終わることのない絶望の時を永遠に過ごすことになる。
ああ、こんなにも簡単に復讐が成就するだなんて──愚かな王に愚かな民──実に相応しい末路だわ!!」
けらけらと大口を開けて笑う魔女が突如、私の首に何かを投じた。まじないの道具だろうか。一見アミュレットにも見えるそれは、首にするすると巻き付いて外すことが出来なかった。
一方、魔女が見る見る皺だらけの老婆の姿となり、その肉が焼け爛れ、黒焦げの骸骨と化していった。煤けた衣が灰燼と化して舞い散り、力を失った髑髏は嗤い続けるように大きく顎を開いていた。最後にはそれすら、煙のように消えていく。
魔女が消えた後には、埃まみれの、長らく放置されたままの室内がただそこにあった。釜戸の火も絶えて久しい様子だった。
ここにはもう、何もない。私はそう悟った。
小屋を出ると、それは内部以上に荒れ果てた外観を呈していた。これから何をすべきかを考え始めたその時、強力な力に意識が引き寄せられるのを感じた。
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§ 死せる姫君 §
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ミレイユが自害して果ててから数刻。時は既に日を跨いでいて、空は闇に覆われている。勝ち戦に酒宴を開き酔い痴れていた敵の将兵も、殆どが疲れ果てて眠りこけていた。
ミレイユは──ミレイユの薄く濁った両眼が見開かれていた。
目覚めたミレイユは上体を直角に起こし、踵を起点に膝を曲げることもなく起き上がる。彼女は虚ろに開いた眼を宙に彷徨わせ、覚束ない足取りで城内を徘徊し始めた。
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ミレイユは柱に凭れ掛かり眠りこける敵の兵士を掴み上げ、その胸に片手を突き刺した。鋼の鎧の装甲がいとも容易く破れ、その内部をまさぐる粘着質な音が部屋に響いた。程なく心臓をえぐり取った彼女は、心臓から滴る赤い液体を貪った。
更に、酔い潰れて床に転がる敵兵の首を林檎の実のように捥ぎ取り、首元を狼のような犬歯で噛み切ってぐちゃぐちゃと噛み砕いた。
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それから起こったことは惨劇の一語に尽きた。勝利の余韻に浸る敵兵は、闇夜に紛れて襲い掛かる魔性の女に次々と襲われ、為す術もなく惨殺され、血肉を啜られていった。
一夜のうちに残存兵力の半数までもが正体不明の魔物によって失われた。これに恐れおののいた異教の将は元々この地域の制圧に大きな戦略的価値を見出していなかったこともあって早急に兵を引いたのだった。
だが、悲劇はそこで終わらなかった。獲物を探し求めるかの如く、王女の姿をした魔物は麓の村や町を襲った。かつて愛した領民をその手にかけ、その肉を食らう王女に領民は恐れをなして逃げ出した。もともと峡谷と深い森の間に育まれた小さな国は、こうして時を置かず滅んでいった。
その一連の成り行きを自らの肉体を通して見続けたミレイユは、必死で体内に救う悪魔に抵抗しようとしたが、その全てが徒労に終わった。ただ一つを除いて──。
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§ 死せる騎士の亡骸と §
ミレイユだったもののなれの果てが、暗い城内をふらふらと覚束ない足取りで進んでいた。
色褪せた絨毯の廊下を進み、地下へ深く降りていく。蜘蛛の巣が張り、埃が堆積し、鼠が駆け回る陰気な石廊下を澱んだ空気を掻き分けるように進み、ようやくとある部屋の中へ入っていった。
部屋の中央には、横たわる一人の青年の姿があった。短い金髪の髪、近衛兵の青い衣装。既に肉体はミイラ化してはいたものの、死因となった胸の刺し傷の痕跡が見られた。
身に巣食う悪魔には言葉も通じず、交渉すら出来なかったが、真夜中の十二時、極僅かな時間だけは身体の自由が利いたのだ。
彼の亡骸と共にあるこの瞬間だけが、唯一人の心を取り戻すことの出来る時間だった。
そして時は過ぎ──
隣国から派遣された討伐隊を何度屠ったことだろう。一体何人をその手に掛けたのか、自分でも思い出せない。彼らの断末魔の恐怖、叫び、悲鳴が幾度も己が心を責め苛む。
そして悟った。こ城には、王国だったこの地には、そして私の胸の内にも、もはや絶望しか残されていない。ここに魔女の復讐は完遂されたのだと思い知らされた。
わが身体を、そこに棲む悪魔を滅ぼさなければならない。だが、無力な私に何ができよう?
ひたすらに近衛兵の傍らで泣き伏せる夜が続いた。そして、ある日、首に巻き付いていたアミュレットがほろりと外れたのだった。
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§ 幻夢ノ館 §
気が付くと、暗黒の空間にいた。
立ち尽くす私の前に、青い炎の列が走る。その奥に、赤煉瓦の館が聳えていた。私を誘うかのように、鉄柵の門が開いていく。外灯に青白く照らされる道は正面玄関に続いている。
その道を真っ直ぐに進んでいくと、正面に人影が佇んでいた。
「お待ちしておりました、殿下」
女中が、玄関の前で片膝を付いて深くお辞儀した。
「──殿下はやめて。私はもう王女ではない。いいえ、それどころか……」
言葉に詰まる。幾百年もの間の蛮行を、悪魔の所業をどうやって説明すればいいというのか。
「大体の事は判っているつもりです。終わらせたいのですよね? “あれ”を」
女中の言葉に、私は深く頷いた。
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§ 終焉の時 §
女中は尚も尋ねた。
「あれをお持ちですね?」
私は頷き、この館の地下倉庫で見つけたそれを差し出した。動物の骨に、様々な古代文字が刻まれた首飾り──アミュレットを、彼女は仔細に調べ始めた。
「随分と凝った術式だわ」
呆れ顔の女中はしかし、微笑んで言った。
「でもそのお陰で、悪魔の召喚儀式も、魂魄の捕獲方法も全てこれで分かりました」
そして、アミュレットを放り投げて古い響きの言葉を呟いた。
途端──
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赤黒い煙がアミュレットの輪から溢れ出した。そこから、民を恐怖の底に陥れたあの女が現れた。この私と鏡合わせの姿で──。
「彼女は悪魔じゃないわ──」
女中が振り返った。
「でも、もはや無垢でもない。何も知らずに殺された恨みだけで存在する、純粋な悪意の塊──」
彼女は六度も殺された私の魂の欠片、その成れの果てだ。
「もはや滅するしかないわ」
女中が片手を振り上げる。そのしなやかな指先の指し示す漆黒の虚空に、突如轟音と共に閃光が走った。
その稲妻は一瞬で消えることなく、天空を漂い続けている。その姿は遠い異国の伝説に語られる幻想上の生き物に似ていた。
「待って。彼女だけが裁きを受けるなんて道理に合わない。お願い、私も一緒に消し去って」
「──殿下?」
女中が戸惑うような表情を浮かべる。
「あれも私の一部だから……彼女が犯した罪は私の罪でもある。私は十分に幸せだった。彼女たちだけが苦しむなんてあってはならない」
「しかし……それはあなたの責任では……」
私は首を振った。
「あるべき輪廻に私を還すのでしょう? あなたが為すべきことを為しなさい」
私は女中の返事を待たず、既に私に狙いを定めていた女──もう一人の私に、私は抱き着く。女とは思えない力で、”彼女”は狂った笑顔で私の首を締め上げていく。全身の力が抜け、意識が遠のいていく。
女中の叫ぶ声が遠くに聞こえる。
霞んだ視界の隅に、青い姿が見えた。その首元に、もう一つのアミュレット────。
そう、アミュレットは二つある。この館で見つけたものと、我が居城で私の首から落ちたもの。それを彼の、死せる恋しき君の、名も知らぬ若き衛兵の首に巻いて私はここに舞い戻ってきたのだ。
あのアミュレットは魂をその肉体に呼び戻す。ならば彼の魂にも同じことが起こるはず。その賭けは成功したらしい。
衛兵は腰のサーベルをすらりと抜き、“女”の首を貫いた。私を投げ捨てた女は、次に衛兵に向かって襲い掛かろうとする。その一瞬の隙を突いて、天空の竜が、駆け抜ける稲妻が女を捉えた。
鳴り響く絶叫。閃光とそれに伴う轟きがしばしの間続いた。雨粒一つない暗闇の中で、意思を持つ雷が呪われた魂を捕食し、粉微塵にしていく様子を私は眺めるしかできなかった。気が付けば、涙が頬を伝っていた。
やがて雷の爆ぜる音も、その眩い光も消えて、漆黒の虚空が再び天を覆った。
「お見事でございます、殿下」
女中と騎士が畏まった口調で、膝を付いた姿勢で同時に同じ言葉を口にした。それが何だかおかしく感じられたが、改まった声で私は返した。
「大儀でありました」
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§ エピローグ §
「『滅びし王国、そして死せる王女にまつわる記録』──ねえ、エルジェ──この本には、後代の著述家、歴史家たちの調査内容が記されているわ」
数々の美術品が集う豪奢な一室に、二人の娘の姿があった。尤もそのうちの一人は安楽椅子に深く身を沈めたまま微動だにしなかったが。
既に王女と騎士の二人の魂は、石門を通じて元の世界に送り返した。後は世界の因果律によって、転生という名の再生の時を待つことになるだろう。
「二度目の来訪で、やっと本懐を遂げられましたね。ミレイユ殿下────」
アミュレットがあの地下倉庫で見つかったのには訳があった。王女は記憶を失っているようだったが、遥かな過去に一度この館を訪れていたのだ。もっとも、女中自身もそれを途中で思い出したのだが。
薪が爆ぜる音に誘い込まれるように、彼女は瞼を閉じる。
「きっと…………あれほどの悲惨な歴史であっても、それは人の心を惹き付け続けるのだわ。伝承というのは、不思議なものね。呪いを起こした張本人たる魔女は、完全に忘れ去られているというのに──」
深々とした安楽椅子に腰を降ろし、蝋燭の明かりをブランデー入りのグラス越しに眺めながら、女中は赤らんだ顔で歌うように呟いた。
「あの二人、見ていて妬けてきちゃったわ────来世ではきっと、どうか幸福に──」
作者ゴルゴム13
長らくお待たせしました。
クリスマスまでに書き上げるはずが一月遅れになってしまいました。
最後まで読んで下さりありがとうこざいます。
前編 http://kowabana.jp/stories/30256
中編 http://kowabana.jp/stories/30339
それではまた。