「ここでな、ぐーっと!力を込めていくんや。
ほならなあ、ほらほら見いや見いや、必死に暴れだすやろ」
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と上下真っ赤なスエット姿のゲンちゃんは得意げに鼻を膨らませながら、地味なブラウスに黒のスカートを着た白髪の老婆の喉ぼとけに、節くれだった両手の親指をぐいぐいと食い込ませていく。
老婆は白目をむきながら皺だらけの顔にさらに深い皺を刻ませ、その手を両手で握り、必死に外そうともがくが、
ゲンちゃんはますます興奮した様子でドンドン力を込めていく。
その目はゲームに夢中な小学生のそれに近いというか、そのものだった。
隣にいる黒のスエットに金のネックレス姿の、今年二十歳になるジュンくんが、その様子を楽し気に眺めていた。
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やがて老婆の握った手は力が抜けていき、口から白い泡を垂らしながらぐったりとなると、ずるずるとリノリウムの床の上に倒れこむ。
同時に買い物袋が倒れ、ミカンが二、三個コロコロと転がっていった。
失禁したのか、アンモニアの匂いがプンと漂う。
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「ここや。ここなんや!この命が途切れていくこの瞬間や。ここが最高なんや!エクスタシーなんや!
どうやジュン、自分今見えたやろ?」
今年三十路になる坊主頭でギョロ目のゲンちゃんは得意気にさらに目を大きくすると、茶髪でロン毛のジュンくんの顔を見た。
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「何がですか?」
そう言って慌ててキョロキョロ辺りを見回す。
「あほか!今、白い大きい煙みたいの飛んでったやろー」
「ええ!?ホンマに?」
と言って頭を掻きながら、頭上を見上げる。
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「そやから、自分は何時まで経っても一人前になれへんのや」
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四月某日の正午。
雲一つない日本晴れの日。
郊外にある某大型スーパーの二階専門店街には、人通りがほとんどない。
様々な種類の店舗に混じって、青いビニールシートに囲まれた空き店舗がチラホラあった。
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その一つの中に、ゲンちゃんとジュンくんはいる。
二人の足下には、十分前には「人」だった老婆の骸が、
芋虫のように丸くなって転がっていた。
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さっさと歩き出すゲンちゃんの背中に向かってジュンくんが、
「なあ、この婆さん、どないすんの?」
と尋ねる。
「さあ?……どっか端っこにでも置いとけや」
ゲンちゃんは面倒くさそうに答えた。
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「ブーーーー……ン!」
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スーパーを出た二人はセスナ機の真似をしながら広い駐車場をかけ抜け歩道を真っ直ぐ走り、交差点角にあるコンビニに立ち寄りコーヒーを買うと、
店の入り口横に並んで座り、一緒に飲み始めた。
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駐車場には、車は一台も停まっていない。
店内にも客の姿は見えない。
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「なあ、ジュン、ええ天気やな……」
「うん。ほんまにええ天気や」
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二人の目の前のアスファルトを、1匹の大きな蜘蛛がヨタヨタと横切っていた。
ジュンくんはにやつきながら足を伸ばし、踏みつぶそうとする。
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「かわいそうやから、やめえや。一寸の虫にも五分の魂やで」
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ゲンちゃんがジュンくんの顔を睨みつける。
彼はきまり悪そうに頭を掻くと地面に唾を吐き、コーヒーを一気に飲みほした。
すると、
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黒い大型のベンツが大げさにエンジンをふかしながら駐車場に入ってきた。
それは座っている二人の目の前にバックしてきて停まり、大きく一回エンジンをふかす。
ゲンちゃんは大げさに咳き込むと立ち上がり、ツカツカと車の運転席の横まで歩くと、運転席側のガラスをトントンとノックした。
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ウィィィーン
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パワーウインドウがゆっくり下がりだし、黒のダブルのスーツを着た恰幅の良いパンチパーマの男が、上目遣いでゲンちゃんをジロリと睨みつけて凄む。
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「なんや、われ、何か……」
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言葉はまだ途中だった。
ゲンちゃんは尻のポケットから素早くサバイバルナイフを出して、男の首筋を躊躇せず鋭い刃先でシュッとなぞった。
同時にウィンドウの閉じるボタンを押す。
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ウィィィーン
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ゆっくりと上がっていくウィンドウの向こうで、
男の首筋からピューッと赤黒い血が勢いよく、フロントガラスに飛び散った。
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ドクドクと血の溢れ出る首を左手で懸命に抑えながら、男は右手で必死にドアを開けようとしている。
だがゲンちゃんが背中で寄りかかっているので、ドアはびくりともしない。
ゲンちゃんは寄りかかったままポケットからタバコを出し、一本咥えると火を点けた。
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男は必死の形相で何か叫びながら、ドンドンと窓を叩いている。
その顔を見ながらジュンくんは、ゆったり煙を吐くゲンちゃんの横で腹を抱えてゲラゲラ笑っている。
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やがて男は窓に手の平を当てながら、そのままずるずると下に下がり出し、血だまりのできた座席シートの上でぐったりとなった。
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「ほらほら、見いや、あれや、あれ」
ドアに寄りかかったままゲンちゃんは、車のボンネットのはるか上の青空を、眩しそうに指さす。
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「え、どこどこ?」
ジュンくんは必死に指さす方向を探す。
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「あそこに白くて長いのが、ヘビみたいにニョロニョロしながら飛んでいってるやろ。
お前、アホやなあ、見えへんのか?あかんわ」
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そう言うと、ゲンちゃんはタバコを咥えたままドアを開け、ウォッシャー液を出しワイパーを動かして、フロントガラスの血をきれいにすると、ぐったりとなった男を運転席にきちんと座らせた。
そしてエンジンを止め車のキーを抜くと、ドアを閉め、外からロックし、キーを思いっきり遠くに投げた。
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歩道を歩きながら、ゲンちゃんは横を歩くジュンくんに呟く。
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「ジュン、俺な、三十年間生きてきて、三十人以上はバラしてきたんや。
そやけどまだ一回も臭い飯を食ったことないんやけど、何でやと思う?」
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「そんなん分からんわ。何で?」
そう言ってジュンくんは上目遣いでゲンちゃんを見た。
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「だいたいな人が人を殺すときちゅうのは、何かまっとうな理由があるもんや。
金とか女とか、それから恨みつらみとかな……。
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でも、このわいといったらどうや。
わいが殺す理由は、あの最後の瞬間の最高のエクスタシーを味わいたいのと、空に消えていくあの白いモヤモヤを見たいからなんや。
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この広い世界でそんなことで人を殺す奴なんかおるか?おらんやろ?
そやから、わいは捕まらないんや。
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人間ってやつはな、すぐにへ理屈を探したがるもんや。
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ああじゃない、こうじゃないってな。
特に賢いやつほどそうや。
そんなやつらがお偉いさんでおる限り、わいは捕まることはないんよ」
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ゲンちゃんはそう言って嬉しそうに一つ笑うと、得意げに大股で歩き出した。
作者ねこじろう
サイコパス2
http://kowabana.jp/stories/30908