俺は明日のために米を洗い、タイマーをセットすると、エプロンのまま薄暗いテーブルに腰かけ、既に冷え切っている夕食を食べ始めた。時間は午前二時になろうとしている
リビングからは、妻のアキ子の暴力的なイビキが聞こえてくる。大方、ソファでポテチでも食べながら寝そべっていたら、そのまま眠ってしまったのだろう。いつものことだ。
俺は後ろを振り向き、ソファに横たわっているトドのごとき生き物を一瞥し、舌打ちすると、テレビのリモコンのスイッチを押す。
すると画面に、荻野目洋子のリバイバルヒットソングと大きな拍手をバックに、鉢巻きにはっぴ姿のテンション高めのおじさんと、ゴールドのラメ入りの派手な着物を着た女性が現れた。
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「さあ、この番組もいよいよ佳境に入ってきましたよー!西園寺さん、これまでご覧になっていかがですか?」
「いやあ、藤田さん、もう本当に素晴らしい商品の数々で、私も感動で胸がいっぱいになっていますのよ」
どうやら、テレビショッピングのようだ。
女性の方は、昔はよくテレビにも出ていた演歌歌手のようだ。一曲だけヒット曲があったと思うが、忘れてしまった。いわゆる一発屋というやつだ。
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「さて、次にご紹介する商品ですが、その前に、こちらをご覧ください」
そう言って、司会の藤田が、後方を指さすと、大画面に、顔にモザイクのかかった男性の静止画が映し出された。
背景は真っ暗だ。白いポロシャツを着ているが、かなり痩せているようだ。右手には包帯を巻いていて、ちょっと痛々しい。
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「この方は、都内に在住の四十八歳の会社員、Tさんです。Tさんは今年でご結婚二十年目になられました」
「うらやましいわあ。私なんか、三回も結婚に失敗しているんで、夫婦円満の秘訣とか聞かせていただきたいものですわ」
「それが、そうとはいえないんですよ」
「え?」
「まあ、Tさんのお話をお聞きください」
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すると、静止していた画面の男性が、動き出した。
「ええ、良かったのは、最初の三年だけでしたね」
声も音声処理されているようだ。なんだか「警視庁〇〇時」の一場面を思わせる。
「初めのうちは、きちんと三食、食事を作ってくれていたし、掃除も洗濯も、きっちりこなしてくれていました。体形もスリムで、独身時代のままでした。本当に自慢の嫁でしたね。
それが、最初は朝食をしなくなり、やがて、夕食もしなくなり、最後にはとうとう掃除も洗濯も全くやらなくなりましたね。文句でも言おうものなら、『カス』、『ボケ』、『死ね』、『役立たず』と、その数百倍の罵倒を浴びせられます。最近は暴力です。見てください、これ」
男性は包帯を巻かれた右手を上げ、次にシャツをめくり、背中を見せた。そこには、痛々しい青黒いあざが、あちらこちらにある。
スタジオ内に観客たちの悲鳴があちらこちらから沸き起こる。
「しかも、ここ数年の間にぶくぶくと肥えだして、現在はソファの上の巨大なアシカのようになっています。
今ですか?今は家事の一切を私がやっております」
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再び画面に、司会の藤田と演歌歌手の西園寺がアップされる。
「最近、このようなTさんのような、DV嫁に苦しむ男性が急増しているんですね」
「うう……このままでは、Tさんがあまりにも可哀そうです。ねえ、藤田さん、なんとかならないんでしょうか?」
西園寺がわざとらしくハンカチを目にあてながら、藤田に訴える。
「そうですね。このままでは、Tさんがあまりにもみじめですよね。
Tさんのような男性をなんとか救ってあげられないのか!そのような切なる思いで作られたのが、これからご紹介する商品『嫁コロリ』です」
「嫁コロリ?」
「そうです。それでは、こちらをご覧ください」
藤田の前には机があり、その上には、錠剤の入った透明の瓶が一つ、置かれている。
「こちらの『嫁コロリ』は、T大学の研究チームが八年の歳月をかけて作った、錠剤タイプの医薬品です」
藤田は、瓶の一つを手に取り蓋を開けると、中から小豆くらいの透明な錠剤を一粒、手のひらに乗せた。
「この錠剤は、どんな効き目があるんでしょうか?」
西園寺が、藤田の顔を見ながら尋ねる。
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「従来の青酸カリや農薬などは確かに即効性はあるのですが、体内に成分が残留してしまい、目的は達成できるのですが、臭い飯を食べないといけなくなる、という、かなりのリスクがありました。
その点、この『嫁コロリ』は、即効性はないのですが、一週間、一か月と、毎日一粒をお茶などに混ぜて。こっそり与え続けていると、じわじわ効き始め、ある日突然心不全を起こしたかのように、自然にあの世に逝かせることができます。
錠剤ですが水分に混ざると、あっという間に溶け、しかも、体内には一切、薬の残留物は残らないという優れものです」
─おお!
スタジオ内の観客から驚きの声と拍手が沸き起こった。
「まあ、素敵!これで、警察対策も万全ですね」
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「今回は、効き目の強さにより、強、弱の二種類ご準備させていただいております。
できるだけ早く逝かせたいという方は、強タイプ。
ゆっくりと、今後の生活設計を考えてから、という方は、弱タイプ。
それぞれの家庭のご事情により、選ぶことができます。
ちなみに、先ほどのTさんは、三か月前に強タイプを選ばれ、今は、優雅な独身生活を謳歌しておられます。
こちらが、現在のTさんです」
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二人の背後の画面に、海岸沿いの道を赤いオープンカーで走るTさんが映し出された。レイバンのサングラスを掛け、こんがりと日に焼けている。助手席では、茶髪の若い女性がにこやかな笑顔で手を振っている。
スタジオ内に歓声と拍手が沸き起こった。
「さあ、みなさんも、Tさんのように、自由気ままな独身ライフをもう一度手に入れませんか?」
「わあ、Tさん素敵!なんだか別人のようですね。でも、藤田さん、この商品、お高いんでしょう?」
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「今回は皆様の熱いご要望にお応えしての特別価格、強が一粒、税込み一万八百円、弱が五千四百円にて、ご提供となります。今からお電話番号を言いますので、メモのご準備を!
なお、今回三十分以内にご注文の方には、演歌一筋三十年の西園寺直美のニューアルバム『平成枯れすすき』を、お付けいたします」
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俺は寝ている妻を起こさないようにして、急いで紙とペンを取りに行った。
作者ねこじろう
深夜のテレビショッピング。こちらの商品も品切れ続出中です!
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