「申し訳ございません!」
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F市の斎場施設「やすらぎの園」一階奥にある待合室のドア前で、紺色の作業着の「火葬技師」古澤がひざまずき、床に頭をこすりつけている。
その向こうには、長机に向かい合うように、数名の喪服姿の男女がソファに腰かけていた。
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「あんたにそんなことをしてもらってもねえ。嫁は元には戻らないんだしね」
一番奥まったソファに座る銀縁眼鏡をかけた細面の中年男性が、ふんぞり返るようにしながら嫌みな口調で言った。
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トン、トン……
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新人「火夫」の斉場がノックしてドアを細目に開いて、
「あの、お迎えのバスが到着しましたが……」
と、遺族たちに声をかける。
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施設職員たちが、葬儀屋のマイクロバスが走り去るのを、正面玄関前で並び、最敬礼をしながら見送っている。
最後尾に並ぶ、白髪交じりでボサボサ頭をした火葬技師の古澤が、ふて腐れながらぼやく。
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「ちっ!あんな、骨と皮だけの骸骨女。形なんか残せるはずねえだろう!ぶつくさ文句言うのなら、お前らも一緒に焼いちゃうぞ!」
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横に並ぶ斉場と、その隣に並ぶ若い火夫は、古澤のいつものぼやきに、顔を見合わせながら苦笑していた。
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40歳の斉場トオルが、山あいにある斎場「やすらぎの園」に勤務しだして、三日が経つ。
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ちょうど一年前のこと、彼は二十年勤めていた工場を突然リストラされた。
独り身の彼は十分な貯えもなく、すぐに職安に行き、失業手当を受給しながら懸命に職を探した。
だが、特別な技能も資格もない四十歳の男を雇ってくれるところは、中々見つからなかった。
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そんな中、安アパートのこたつに入り何気なく市報を眺めていると、臨時市職員募集の広告が目に入る。
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─市施設「やすらぎの園」臨時職員募集。
業務内容:炉前業務、火葬炉運転操作、軽微な保守業務、清掃他
※業務上車を運転する機会有(マイカー使用)
丁寧にお教えしますので、初めての方でも安心です。
勤務日時:月曜から金曜の八時三十分から午後五時十五分まで。
各種手当あり。給与:二十万円~二十五万円。
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なんだ、この仕事?楽勝じゃないか。給与も悪くないし、拘束時間も短いし。
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翌日、斉場は仕事の内容もろくに調べずにすぐに必要書類を郵送して、三日後に市役所の応接室で面接を受ける。
すると、一週間後に採用通知が届いた。あまりにトントン拍子で決まり、彼は少々拍子抜けした。
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「やすらぎの園」は、市内から車で一時間の山あいにある市運営の斎場だ。
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十五年前に山を削り作られたその施設は、敷地五百坪、建坪が二百坪の中規模の斎場で、職員は十名。
棺の搬送、炉納、収骨、退場までの儀式を行う「火夫」が八名、
火葬炉運転操作、軽微な保守業務を行う「火葬技師」が一名、
事務員が一名、という構成だ。
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新人の斉場は、火夫や火葬技師の補助をやっている。要するに雑用係というわけだ。
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「斉場くん」
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遺族のお見送りが終わった後、先輩火夫の塩谷が、斉場の背中に声をかけた。
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「午後一番から、典礼縁さんの車が到着する予定だ。昼飯が終わり次第、エントランスホールに来てくれ」
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塩谷は、今年還暦になるベテラン火夫だ。
髪をオールバックにし、黒くごついフレームの眼鏡を掛けており、銀行員のような風体をしている。
性格も外観通り真面目で几帳面。
全てを段取り通りに進める。
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「午前中に、古澤くんの失態で少々動揺しているかもしれないが、冷静に対応してほしい」
塩谷が釘を刺す。
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古澤は、今月から他の施設から転任してきた、五十歳の火葬技師だ。
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「火葬技師」というのは、火葬の際、火葬炉の裏手でバナーの調整を行う。
機械の操作自体はそんなに難しくはないのだが、焼け残しなどが無いように、また、できるだけお骨の原型が留まるようにしないといけないため、その部分については技術と経験を要する。
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古澤は午前中に行った火葬で、五十代の女性の遺体を焼きすぎてしまい、いわゆる「灰化」させてしまったのだ。
喪主のご主人が激怒し、古澤は土下座をして謝っていたのだ。
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半径二㍍に入るとアルコールの匂いがするくらい酒好きな男で、休みの日は、朝から晩まで家で飲んでいるらしい。
日頃の言動も危うくて少し朦朧としたところがある。
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午後一時ぴったりに、典礼縁の霊柩車は施設正面玄関前に到着した。
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斉場、塩谷、他数名の火夫が並び、出迎える。
喪服姿の典礼縁スタッフたちが車の後部ドアを開くと、台車に乗った棺を降ろした。
すぐに火夫たちは、巨大なコインロッカーが並んでいるような炉前ホールに、台車を移動する。
典礼縁スタッフも、後に続く。
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数分後、今度は典礼縁のマイクロバスが玄関前に到着した。
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紫の豪華な袈裟を着た住職を先頭に、喪服姿の遺族達がゾロゾロと歩いてくる。
そして、全員が棺の両側に揃ったところで、
塩谷は喪主に故人の氏名を確認し、お悔やみの言葉を述べると、厳かに話し始めた。
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「ええ、これより○○様のご遺体を、荼毘に付していきたい、と思いますが、もし、ご遺族の方の中で、何か最後のお言葉をお掛けしたい方がおられましたら……」
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塩谷の真横に立っていた斉場は、フッと背中に冷たい風を感じた。
思わず、後ろを振り向く。
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後方の少し離れたところにはベージュ色の大きな壁があり、下にはソファが二つ置かれているのだが、そこに、人が二人座っていた。
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一人はつば広の黒い帽子を被り、黒い革のコートを着ている。顔ははっきりとは見えないが、女性のようだ。
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もう一人は、白いシャツに黒い半ズボンを履いた男の子だった。
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二人ともじっと動かず座っている。
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誰だろう?
思ったが、次のルーティンに移らないとならなかったから、斉場はすぐに前を向いた。
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「それでは、お別れでございます」
塩谷の言葉とともに棺の蓋は閉じられ、火葬炉の中へ押し込まれていく。
それと同時に、住職の読経が始まった。
火夫の一人が耐火シャッターを閉じ化粧扉を閉じると、扉横にあるスイッチを押す。
これにより、制御室で待つ火葬技師に準備完了したことが伝えられ、主燃焼炉に点火がされる。
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この後一時間弱、収骨の儀のときまで、遺族たちは別室で待つことになる。
斉場は遺族たちを待合室に誘導するとき、もう一度壁の方を見たが、もうそこには誰もいなかった。
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帰り際、斉場は火葬技師の古澤と一緒に、待合室を清掃していた。
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「古澤さん、私今日、炉前ホールで変なものを見たんです」
「変なもの?なんだそりゃ」
古澤が面倒くさそうに応える。
「お別れの儀のときですけど、ホール壁際のソファに、変な女性と男の子が二人座っていたんです」
床をいい加減に掃いていた古澤の手が、ピタリと止まった。
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「ど……どんな奴らだったんだ?」
物凄い形相で斉場を睨みつける。
圧倒されながら斉場が見たとおりに説明すると、なぜか古澤はへたりこむようにソファに腰かけ、訥々と話し始めた。
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「去年のことだ。
俺、九州の山ん中にある小さな斎場にいたんだ。
レンガ造りの薄汚いところでな、炉なんか、一つしかないんだよ。
働いていたのは、俺と、たまに来る地元のじいさんだけだった。
だから炉前業務から火葬炉運転操作、清掃まで、ほとんど全部一人でやっていたんだ。
焼き始めたらレンガの煙突から、どす黒い煙がモクモクと立ち上ってな。
なんか薄気味悪いところだった。
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忘れもしない、その日は梅雨明けしたというのに、朝からひどい雨が降っていて、薄暗くて蒸し暑くて、とにかく何か重苦しく憂鬱な日だった。
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予定ではその日は火葬は一件も入ってなくて、午後から炉前や火葬炉の掃除をしていた俺は日が傾く頃には、首にかけた手拭いで汗を拭いながら事務所で一人ビール飲んでたんだ。
そしたら、
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「ごめんください」
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突然玄関の方から女の声が聞こえる。
なんだろうと出ていくと、炉前ホールに女がポツンと立っているんだ。しかもその足元には小さな棺が一つ、床に置かれていた」
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「女?」
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「そう、真夏だというのに真っ黒いつば広の帽子に真っ黒いコートを着ていて、顔は俯いていてよく見えなかったが、白粉を塗ったような真っ白な肌に血の色のような口紅をべっとり塗っていた。
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『何かご用でしょうか?』って聞くと、『今からいいですか?』って言うんだ。『何をですか?』と尋ねると、
『亡くなった息子を焼いてほしいんです』って言うんだよ
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まあ、どうせ午後からも予定は入ってなかったから引き受けたんだ。
そしたら足元の棺を見ながら『お願いします』って言うんだよ。
本当は許可書の確認とかいろいろややこしい手続きがあるんだけど、少し酔っていたせいもあって、すぐ作業に取り掛かった。
俺は早速その棺を台車に乗せると、炉の入口前に運んだ」
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待合室の柱の時計は午後6時を過ぎていた。
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窓の外は既に暗くなっている。
いつの間にか斉場は古澤の隣に座り、話に聞き入っていた
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「『お別れの言葉はいいですか?』と聞くと、『最後に顔だけ見せてください』と言う。だから俺、棺の小窓を開けてあげたんだ。
中を見て俺は心臓が止まるくらい驚いた。
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そこには半分腐りかけているような子供の遺体が横たわっている。
女はその遺体をしばらく愛おしそうに眺めると、決心したように小窓を閉じて『お願いします』と言った。
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俺は炉の中に棺を押し込め扉を閉じると、裏に回り点火のスイッチを押した。
火の調整をしながら窓から内視をしていると、やがて棺は炎に包まれ焼け落ち、男の子の亡骸は青白い火だるまになった。
それから骸は反り返り、徐々に崩れ始めていく。
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その時だ。
俺は確かに見たんだ。
目映いくらいに燃え盛る炎の上に浮かぶ、白いモヤモヤした霧のような何かを、、、
そいつはしばらくの間、ふわふわとそこにとどまっていたんだが、やがてどこかにすっと消え去った。
それから二十分くらい経った頃かな。
火葬は完了した。
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俺は男の子の骨を専用のトレイに乗せると、女性に『お骨あげ』をしてもらうため炉前の方に回り込んだ。
だが女性の姿がない。
待合室にも行ったが、やはりいない。
首を傾げながら何気なく玄関の方を見た瞬間、
俺の背中を冷たいものが突き抜けた。
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土砂降りの中、さっきの女性が立っているんだ。
しかも、さっき焼いたはずの男の子と手を繋いで。
しばらくすると二人は背後に立ち並ぶ木々に溶け込むように消えていった」
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狭い待合室の中は、柱時計の音だけが響いている。
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窓の外では暗闇の中、いつの間にか小雨が降っているようだ。
ソファに座る斉場が顔を上げ、隣の古澤に何かを言いかけたときだ。
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フフフフフ、、、
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何処からか、幼い子供の悪戯っぽい笑い声が聞こえてきた
作者ねこじろう