私の父は消防団の部長を長年していた。
消防団はもちろんボランティアだったが、地区の為に!と誇りを持ってやっていた。
自営業で時間に融通のきく人がどの地区も消防団部長をしているところが多く、父は土木関係の会社を経営していたので、それもあって部長をしていたのであろう。
父は仕事中、食事中、ギャンブル中、いつでもサイレンが鳴れば、消防団の"はっぴ"を着て飛び出して行く。私の小さい時は火事だの行方不明者だの、呼び出しが多かった。
今は年に2~3度だ。私なりに理由を推測すると、まず大前提に田舎の方でも老人ホームが受け入れられた。というのが大きいと思う。
痴ほう症のお年寄りでも、私の実家周辺の町や市は田舎の為、家にいてもらうのが普通だった。一軒家に痴ほう症のお年寄りが一人で住むのである。その時はまだ痴ほう症という考えもなかった。今では老人ホームが田舎でも当たり前になってきた。少子化の影響もあるだろう。
また、時代の流れで高熱を感知して自動で止まるガステーブルやオール電化が進んだのもあるだろう。なので、最近は火事や行方不明が減少した。との私見だ。
もちろん、とても良いことだと思っている。…余談が長くなって申し訳ない。不動産業の悪い癖だ。
小さい時に父と外出先で一緒にいるときにサイレンや連絡が入り、直接現場に行ったことがある。その時の体験を紹介したい。いくつか紹介したい体験があるが、おいおい全て紹介する。
その日は父と打ちっぱなしに行っていた。記憶が定かではないが、私は小学校に入るか入らないかくらいの年齢だった。父は打ちっぱなし、私はパターでボールを入れる(パット練習のやつ)ので遊んでいた。打ちっぱなしに置いてある自販機のココアが買ってもらえるのが嬉しくて、打ちっぱなしには喜んで着いて行った。
父が打つボールも残り少ない。そんな時であった。父のポケベルが鳴った。ポケベルを知らない世代の為に説明すると、メールの受信機能しかない機械のようなものだ。つまりメッセージを受けるしか出来ず、連絡が一方通行だ。父はすぐに打ちっぱなし場の電話を借りて、どこかに電話した。
すぐに、打ちっぱなし場を後にして、目的地に向かう。そこには消防自動車が何台か止まっていた。
火事ではなく、行方不明者の捜索のようだ。父は制服を着ていた人と仲良くしゃべっていた記憶がある。消防団も制服があったので消防団の人かもしれないし、警察官かもしれない、また消防局の人かもしれないがこれもまた記憶が定かではない。
そこには、狭い道があり道の外の一方は段々畑で高くなっており、一方は植木というより草木が生い茂っているような感じであった。(イメージが沸きにくいかもしれず、申し訳ない。また、その場所を今度撮ってアップしたいと思う。)
近くに今でも有名な精神病院があり、入院患者が脱走したとのことだった。消防団も警察官も消防局員も皆、現場に集まったばかりで情報交換や確認をしていた。
私は暇だったので、車を降りてふらふらと歩いて行った。すると、草木の生い茂ったところで何か動いた気がした。目を凝らして見る。
人?
そう思った時に、木と木の間から男の顔が見えた。人差し指で「しー」の格好をしている。私は怖くて、逃げようとした。大人たちは約100メートルくらいのところで集まっている。
目をそらして、逃げようとした時だった。隠れていた男が草木からすごい勢いで出て来て、私を捕まえようとし、腕を掴んだ。私は「お父さん!」と叫んだ。………叫んだと思ったが、今思うと声なき声だったかもしれない。
その時だった。
「何してる!」
との怒鳴り声。見ると父だった。私が車の中にいないのに話の途中で気付いて、探しにきたらしい。
男は私しか目に入っていなかったらしく、びっくりして掴んだ手を離した。私の父を見て、硬直している。父の怒鳴り声で他の人も集まってくる。
「観念しました!観念しました!」
男が土下座のような格好をする(正座に手を目の前で合わせて拝むような格好)。警察官も駆け寄ってきて、いくつか質問するとすぐに身柄を確保した。
後で知ったのだが、男は近所で強盗殺人を行っており、あの日パトカーが近くに来たので、草木の中に隠れていたらしい。
あの時、父が車に私がいないことに気付かなかったら………。と、今でも、ぞっとする。
作者寅さん