長編12
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死の連鎖【藍色妖奇譚】

 千堂山には熊が出る。今回の件にも関わってきそうな情報なので、飛燕はリュックサックに魔除けの鈴を付け、とある山小屋を目指していた。最初の被害者が出たその山小屋は古くからあるもので、妙なことが起こるようになったのは最近からなのだという。

「六十四歳のマタギの男性が山小屋の戸口を開けたところで喉笛を食いちぎられて死亡。それから三日後に登山中だった男女二人も何者かに喉笛を食いちぎられて死亡。まだ犯人が熊だという可能性は捨てきれないってわけですね」

 件の山小屋を前にした飛燕は淡々とした口調で事件の概要を語った。ここまで案内をしてくれた猟師の男性はそれを聞いて頷く。

「そうなんだけどなぁ、見てわかる通り・・・」

 男性は山小屋に視線を移すと溜め息を吐いた。松毬は気になったのか、山小屋周辺をぐるりと一周してから首を傾げている。

「なんでしょう・・・」

 飛燕も被害者の倒れていた場所を眺める。最初に見た時から感じていた違和感の正体にはそこで気が付いた。

「綺麗、ですよね」

 現場は山小屋の扉に付いた血痕を除けば何事も無かったかのように綺麗なのだ。熊などの猛獣が暴れたのなら、もっと荒れていてもいいはずである。飛燕は猟師の男性に案内の礼を言うと、松毬と共に周辺登山道の探索を開始した。

 小屋は中腹辺りにあるのだが、飛燕たちは既にそこで嫌な気配を察していた。この事件の犯人が熊でないことは確実と言ってもいいだろう。

「もしかして山襦袢じゃないの?僕は遭遇したことないけど、人の顔を覆って吸血する妖怪の仲間なら喉笛を食いちぎって捕食するヤツもいるかもしれない」

 飛燕の言う山襦袢とは、その名の通り襦袢のような姿をしていて人の血を吸う妖怪である。しかし松毬はその言葉を聞いて首を横に振った。

「それは違うと思います。たしかに山襦袢は人の命を奪うあやかしですが、ヤマビルなどの吸血性ヒルと同様に吸血行為以外のことはしません」

「そうか・・・でも現場を見た限りでは邪鬼の仕業ってわけでもなさそうだね。骨鬼って邪鬼は人肉を喰らうけどわざわざ喉だけを狙ったりしない。犯人が分からないならこの山中を隈なく探すしかないか。松毬、二手に分かれよう」

 飛燕はそう言って松毬に捜索範囲を伝えると、彼女とは別の方向へ歩き始めた。いくら飛燕とはいえ、熊に遭遇することは危険なので用心しながら山道を進んで行く。

 十五分ほど歩き続けていると木々の奥から嫌な臭気を感じ取り、飛燕はゆっくりとその場所を覗き込んだ。先程から感じていた妙な気配はかなり強くなっていた。空中に浮く青白い狐の姿、下半身は無く目は真っ赤に光っている。常に禍々しい念を放つそれは、猛獣でも邪鬼でもなかった。

 飛燕は異形の姿を確認すると少し離れたところで折り紙の燕を飛ばし、松毬に伝えるよう指示した。しばらくして戻ってきた松毬へ先程見たモノを伝えると何かを思い出したらしく、それについて話し始めた。

「過去に誠さんが祓ったモノに、似たような狼の悪霊がいました。普通の動物霊が他の死んだ人や生き物の邪念を取り込んでしまって、悪霊と化してしまったのです。今回もおそらくは同じものかと」

「そんなこともあるのか・・・でも、なんで喉笛を?」

 その問いに松毬は少し考えてからポツリと呟いた。

「味を覚えてしまったから。でしょうか」

 飛燕はゾクリとした。過去に北海道で起きた獣害事件でも同じことが原因で次々に人が襲われたのだ。

「もし、そうだとしたら?僕も危ないかな」

「そう思います。見つけ次第すぐに除霊したほうがいいでしょうね」

「・・・わかった。行こう」

 飛燕たちは再びその場所へ向かうと、狐の霊はまだ同じ姿勢で禍々しいオーラを放ち続けていた。飛燕は様子を確認すると、小声で松毬に話しかけた。

「ボックルちゃんで取り囲んでほしい。そしたら後は僕がやるよ」

「承知です、ボックルちゃん」

 松毬は松ぼっくり型の妖怪を数体呼び出し、飛燕に言われた通りの指示を出した。ボックルちゃんが異形を取り囲むと、それは「キャオンッ!」と声を上げて一体のボックルちゃんへ襲い掛かった。その瞬間、飛燕は折り紙の馬を十匹取り出して首にかけてある枝笛を穴一つ塞いで吹いた。

「五の巻・疾走!ピッピッピィー!」

 折り紙の馬たちは主の笛に応え、異形を目がけて群れを成し駆け抜けた。奇襲を仕掛けられた狐の悪霊はボックルちゃんに囲まれて逃げ場も無く、身構えるような仕草をとったが折り紙術の攻撃は直撃した。

「クゥン・・・」

 弱々しい声を出しながら地にへたり込み、飛燕を睨み付ける赤い瞳。その凶悪な眼差しの奥には、苦しみもがいている狐の姿が確かにあった。飛燕はじっと異形を見つめると、一言呟いて風車を構えた。

「その魂、僕が導いてあげる」

 ごめんね・・・烈風に纏われた風車を投じた直後、飛燕は心の中でそう言った。術は狐の頭部を貫き、青白い身体は消えかけの炎のように小さくなっていく。

「旦那様・・・」

 松毬が小さな声で言う。飛燕は彼女の顔を見ると、何も言わずにかぶりを振った。小さく燃える狐は、未だ消滅することなくか細い声を漏らしている。

「切り離してあげたかった。松毬は・・・流石にできないよね」

 飛燕は異形から邪悪なモノを取り除き、狐の霊だけでも浄霊させてやりたいと思っていた。本当はそうしたかったが力が及ばなかったのだ。

「ここまで呑まれてしまっていると、私には浄化できません。旦那様は最善を尽くしました。おキツネさん、もう苦しまなくていいんですよ・・・」

 松毬の声は少し震えていた。涙は流していない。彼女が言った通り、完全に消滅してしまえば苦しまなくて済む。しかし、それは浄霊されずにこの世からもあの世からも居なくなってしまうという意味だ。人でいえば死ぬこと同然である。

「死んだ人間が死霊となり、それらが別の人間を取り殺す。またその人達も死霊となり、より怨念は強くなる。死はそうやって連鎖していくんだね・・・あの狐の目の奥は、まだ綺麗だったよ」

 飛燕は狐の霊が燃え尽きるのを最後まで見守ってから山を下りた。松毬は何も言わずに後をついてくる。下山後に山の案内をしてくれたマタギ男性へ先程の件を報告すると茶封筒を差し出してきたので、代金は邪鬼祓いの会へ振り込むようにしてほしいと伝えた。

「それで、また同じことが続くようでしたらこちらへご連絡ください。今度は無償で請け負います」

 飛燕は男性へと自身の名刺を渡した。今回の件があの狐霊の仕業というのはほぼ確定しているが、万が一ということもある。

「本当にありがとうございました。住民には、もう少しの間だけ山には近づかないよう伝えておくよ」

 男性が笑顔で礼を言った直後、飛燕の携帯が鳴り出した。電話である。

「もしもし」

「もしもし織川くん!?津島だけど。磯村くんが体調不良で苦戦してるって!」

 津島さんは喫茶店『風花』の店員であり、邪鬼祓いの会地区事務局のスタッフでもある。彼女が言うには、提灯火という邪鬼の討伐へ向かった潮さんが体調を崩して一人では戦える状態にないとのことであった。

「最近、磯村くん連続勤務だったから・・・」

 津島さんが申し訳なさそうに言った。

「潮さんって今どこでやってるんですか?」

「いま織川くんがいる村の隣町にある廃道。千堂山からだと~車で十五分ぐらいかなぁ」

「了解、今すぐ向かいます」

 飛燕は電話を切るとマタギの男性へ急用が出来たからと別れを告げ、松毬に状況を説明した。

「隣町の廃道で提灯火と戦ってる潮さんが体調不良で苦戦中らしい。僕は応援に向かうから、松毬には頼みたいことがある」

「なんでしょうか?」

「雷徒を探して、明後日の午後一時頃に香吹山の旧さくら広場へ来るよう伝えてほしい」

 松毬は怪訝そうな顔で飛燕を見た。雷徒に何の用があるのかと気になったのだろう。飛燕は彼女の肩にポンと手を置いて話を続けた。

「ヤツに話したいことがある。よろしく頼んだよ」

「はい、承知しました」

 飛燕は松毬を送り出すと、自身も潮のいる場所へ向かい走り出した。車を持っていないうえにこの村ではバスが一日に五本である。足の速い飛燕にとっては走ったほうが手っ取り早いのだ。

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 二十分ほど休みなく走り続けていると、流石の飛燕も息を切らしてきた。辿り着いた場所は、ひび割れたコンクリートの間から雑草が生えている比較的平坦な道路だった。そこを更に進むと、道路わきで腰を下ろす男性と彼の隣で宙に浮いている人魚の姿が目に入った。

「潮さん!白露さん!」

 飛燕は彼らにそう声を掛けながら走り寄った。男性も呼びかけに軽く手を振っている。彼が清水術使いの磯村潮であり、隣の人魚は式の白露だ。

「すまないな、飛燕。連勤が堪えたみたいだ」

「いえいえ、これ終わったらゆっくり休んでください。ところで、相手は提灯火ですよね?僕の術だと倒せないかもしれないので、止めは潮さんに任せてもいいですか?」

 飛燕の言葉に潮はゆっくりと頷いた。顔色が悪く息も荒いが、彼も任務を終わらせるまでは帰る気がないようだ。

「ああ・・・それぐらいなら、できる」

 潮はライフル銃に貯水タンクが付いたような形の水鉄砲を手に持って言った。これは彼が邪鬼祓いに使用する武器であり、市販のおもちゃではなく邪鬼討伐専用に作られたものだ。

「ありがとうございます。提灯火はどこへ逃げて行きました?」

「わたくしが術をぶつけたら道の奥へと逃げて行きました。掩護はお任せください」

 飛燕の問いに白露が答える。火の邪鬼である提灯火へダメージを与えるには水の術が必要だ。作戦を立て直すと飛燕が潮に肩を貸して追跡を始めた。

「そういえば、松毬はどうした?」

 移動中、潮はいつも飛燕の隣にいる松毬が居ないことに気付いて訊ねた。

「ちょっと用事を頼んだので今は別行動です。僕一人だけでも十分強いのでご安心を」

「わかってるさ、飛燕の強さはよく知ってる。今回も頼んだぞ」

「任せてくださいよ!この天才邪鬼祓い織川飛燕が提灯火を倒して御覧に入れましょう!」

「止めを刺すのは俺って、さっき言ってたよな?」

「司令官、敵を見つけました」

 不意に白露が小声で言った。彼女は主である潮のことを司令官と呼ぶのだが、それは潮の趣味だそうだ。確かに、前方で微かに動く横一列に並んだ七つの灯りが見える。現在の時刻は午後五時過ぎ、日はまだ沈んでいないが、提灯火の姿はある程度視認できた。

「提灯火は本来なら夜戦が見やすいけど、黄昏時を過ぎれば妖力が増す。白露、雨乞いを頼む」

 潮の指示で白露は空へ手を翳し、強い雨を降らせた。これにより、陸上での清水術使用が楽になるのだ。しかし傘を持たずに雨の中で戦うのは人にとっていい状況ではない。潮が体調を崩した原因の一つはこれだろう。

「よっしゃ行くぜ!これより、提灯火殲滅作戦を開始する」

 飛燕がノリノリで言うと、潮は雨の中で溜め息を吐いた。

「俺の台詞なんだけどな・・・まあいいか」

「今回の隊長は僕ですねー、四段・空圧斬!」

 飛燕の放った術は真ん中の提灯火を狙ったが、距離があったせいで勢いが低下し届かなかった。

「うわぁ、清風使いなのに遠戦は苦手なんですよ~。雨の中じゃ折り紙も使えないし・・・もうちょい近付いたらダメですかね?」

「提灯火は近付きすぎると姿が見えなくなるが、もう少し距離を縮めてみるか」

 飛燕たちは目標との距離を少しずつ縮める。先程よりも提灯火が大きく見えてきたところで、飛燕はいつもと違う術の構えを取った。

「こうなったら、僕が頑張って覚えた清水術を使いますか!初段・水砲!」

 降り注ぐ豪雨、飛燕はその水を右手に集めると提灯火の中心へと発射した。術は直撃し、奇襲を仕掛けられた向こうは驚いた様子で列を乱す。

「よし次だ、四段・空圧斬!」

 雨を切り裂いて再び提灯火を攻撃した飛燕。ダメージを与えたことを確認できた時点で、潮も手に持っていた水鉄砲を構えた。

「海戦術第二・爆水砲」

 カラの水鉄砲には振り続ける雨の水が溜まり、潮は引き金を引いて力強く水砲を放った。水鉄砲とは思えないほどの威力で提灯火に浴びせられたそれに向こうも怒り出したらしく、こちらへ向かって火の弾丸を射出した。

「防御します」

 潮の式、白露がそう言って弾丸に水を撃ち掛けた。衝突した二つの力は激しく音を立てて消滅し、その隙に潮が止めの術を発砲した。

「海戦術第十五・駆逐砲」

 水鉄砲から放たれた水の弾丸は七つの水流に分離し、それぞれが提灯火一つ一つを貫いた。水に激しく撃たれた七つの灯が遠目からでも苦しんでいるのが分かる。小さくなった灯はやがて消滅し、討伐作戦は終了した。

 戦闘を終えた潮はその場に膝を突いて軽く呼吸を乱した。それを心配した白露が雨を止ませる。

「司令官・・・すぐに帰りましょう」

「潮さん、運転は僕がするんで車の中で休みましょう。無理しすぎはよくないですよ」

 飛燕は車を持っていないだけで、運転免許は持っている。潮に肩を貸して車まで戻ると彼を助手席に座らせた。

「体温計って持ってますか?」

「いや」

 飛燕の問いに潮はかぶりを振った。周囲も暗くなってきたので、仕方なくその日は彼を家に帰してから飛燕だけ風花に顔を出した。

 既にcloseの掛札がかかっているドアを開くと、店内には葛城とその娘である麻衣の二人だけが残っていた。麻衣も邪鬼祓いをサポートする事務局のスタッフとして、風花で働いているのだ。先ほど電話をくれた津島はもう帰宅したらしい。

「飛燕君、本当にお疲れ様でした。ありがとね、急なお願いにも関わらず」

「いえいえ、困ったときはお互い様ってやつです。では僕も今日はこれで失礼しますね」

「あ、ちょっと待って」

 麻衣はそう言うと、書道半紙ほどの大きさがある包みを飛燕へと手渡してきた。

「これ、総本部から強製紙届いたよ!」

「おお、ありがとうございます!では早速、次に水の邪鬼が出現したときは使ってみます」

 飛燕は二人に礼を言って店を出た。家へ帰ると松毬が居間で一人、歌いながら松ぼっくりでお手玉をしていた。

「あ、おかえりなさーい!雷徒くんにはしっかり伝えておきましたよ」

「ありがと~。アイツどこに居た?」

「市立病院にいました。結局、光里ちゃんの病室まで行ったらそこに居たので伝える内容だけ言ってきましたけど、光里ちゃんは雷徒くん以外のあやかしが見えないっぽいです」

 雷徒が松毬の存在に気付いて表情を変えたとき、光里ちゃんは雷徒へ「だれか来たの?」と訊いたそうだ。

「そうなのか・・・了解。とりあえずお疲れ様でした。ではゆっくり休みますか」

 飛燕は伸びをしながら言った。その後、夕飯を食べ終えて風呂も済ませるとパソコンの電源を入れてインターネットを開いた。

 入力したのは“内海家の惨劇”という言葉であった。検索すると事件の概要が書かれた文章が出てきたので、飛燕はそれを読み始めた。

「家族四人が一晩で惨殺、遺体の状態は・・・」

 遺体の状態は、まるで獣に食い荒らされたようだった。行方不明の長男、内海佳志郎を被疑者として捜査が進められたが、犯行に使用された凶器も見付からずに迷宮入りした事件だった。

「内海、佳志郎・・・僕はこの事件を知ってるかもしれない」

 のちに内海家の惨劇として語り継がれた昭和の怪事件だが、もう五十年以上前に起きた出来事である。飛燕が知っているのならば、おそらく何かの記事で読んだかどこかで耳にしたか。

「旦那様?」

 不意に背後から松毬に声を掛けられ、慌ててサイトを閉じた。別に見られてもいいはずなのだが、なぜか直感的に彼女へは見せたくないと思ったのだ。

「ん、どうした?」

「何を調べてたのですか?」

 不思議そうに問いかけてくる松毬へ、飛燕は平静を取り繕って答えた。

「いや、エロサイト見てたから松毬に見られちゃまずいかなと思って」

「居間でなんてことを・・・見るなら私に気付かれない場所で見てください」

「へへ、すいません」

 我ながら面白い嘘で誤魔化せたと思った飛燕だったが、それでも布団に入ってからは内海家の惨劇に関する記事が頭から離れない。

 飛燕はその晩、何か殺す夢を見た。誰かの家で黒い人型を刺し殺し、息絶えてもなお肉を切り刻む。自身はかなり怯えているようで、四つの人型を同じように殺すと血や肉片が付着した刃物を持ったまま家を飛び出した。知らないはずの家だったが、なぜか間取りをよく覚えている気がした。

 次の朝、逃げるように目を覚ました飛燕は汗をびっしょりとかいていた。凄惨な事件の記事を読んだせいでこんな見てしまったのだろうと思い、とにかくこの事は忘れようとしたのであった。

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