きさらぎ行きの電車に乗って⑤

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きさらぎ行きの電車に乗って⑤

一人オフィスに残って窓の外をながめている。

窓の外には、あんなに光が溢れているのに、この空間には、デスクの心もとない光がひとつだけ、終わりのない仕事をぼんやりと照らしている。

ため息を一つ。

最近、まったく彼女と会えていない。

もう寝たかな。

「起きてる?」

つい寂しくなって、通話アプリにメッセージを入れる。

既読にならない。

そうだよな、寝てるよな、この時間なら。

終わらない仕事に、とりあえずの目途をつけると、オフィスを後にした。

「お疲れ様」

ビルの警備員に声をかけると、ぎょっとした顔をし、そのまま無視された。

まさか、この時間まで仕事をしている人間がいるとは思わなかったのだろうか。

最近の若い者は・・・などと思うようになったらもうダメなんだろう。

駅から近いだけが取り柄の会社だが、疲弊した体にはそれすらありがたい。

疲れ切った体を電車に預けると、泥に沈み込むような疲れが俺を眠りに誘う。

ポケットの携帯の振動でその眠りから引きはがされた。

「起きてるよ」

俺は、その文字に頬が緩む。

「寝てたんじゃないの?」

「お風呂入ってた。」

「そっか」

「どうしたの?」

「いや、最近会えなくて、ごめん。」

「仕方ないよ。仕事でしょ?」

「うん、でも。」

「大丈夫、私なら平気だから。」

健気な彼女らしい言葉だが、一抹の寂しさを覚えた。

君は、俺に会えなくても平気なの?

俺は、寂しいよ。

「本当にごめんな」

「いいって。心配しないで。お仕事、頑張ってね。」

甘えてすねてくれたりはしないんだ。

本当なら、そんな彼女の気遣いに感謝しなくてはならないはずなのに、一人寂しくなった。

「おやすみ」

「うん、おやすみなさい」

通話アプリを閉じると、また携帯をポケットに押し込んだ。

いつからこんな生活になった?

そして、いつまでこんな生活が続く?

俺の人生ってなんなんだろう。

最近は、毎日、そんな不毛な考えが頭をよぎる。

大学から付き合っていた彼女とは、もう何年目になるだろうか。

仕事に追われるようになって、ほとんどの時間を会社で過ごす。

いったいいつから彼女の顔を見ていないだろう。

せめて声だけでも聞きたかった。

だが、ここは一応電車内。俺は、その気持ちをぐっと抑えた。

その時、またポケットの携帯電話が通知を告げた。

俺は、慌てて携帯を開く。

表示は美和子。

「もういい加減にしてくれ」

メッセージは、とても彼女の言葉とは思えなかった。

「美和子か?」

俺が速攻でそうメッセージを返すと

「違うよ」

と答えが返ってきた。

「誰だ、お前。なんで美和子の携帯を?」

「俺は、中倉だ」

中倉?なんで?

中倉は同じ大学で、あいつも美和子のことが好きだったが、美和子は俺と付き合うようになった。

「もう美和子を苦しめるのはやめろ」

「は?どういう意味だよ。」

「美和子は、お前のことをもう忘れたほうが幸せになれるんだよ」

「何を言ってるんだ、中倉。お前、大学で俺と美和子が付き合うのを祝福してくれたじゃないか。今更なんなんだよ。」

「美和子は、俺が幸せにするから、安心しろ。」

「ふざけんな、お前。まさか、お前ら、俺に隠れて・・・。」

俺はメッセージがまどろっこしくなって、美和子の携帯に電話をかけた。

俺が一生懸命仕事をして、彼女に会いたいのを我慢しているってのに、こいつら・・・。

絶対に許さない。

「和也、和也なのっ?」

その電話に彼女が出た。

「おい、なんでそこに中倉がいるんだ、美和子!」

「和也、かずやぁ、わあぁあん!」

美和子は泣きじゃくるばかりで、まったく話にならなかった。

俺は絶望的な気分になった。

俺は、恋人にも友達にも裏切られたのだ。

「なあ、お前、本当に美和子の幸せを考えてるのか?」

美和子に代わって、中倉が電話に出た。

中倉は、俺が仕事ばかりを優先して彼女を蔑ろにしたことを責めているのか。

「考えてるよ。でも、仕方ないよ。仕事が落ち着くまでは。」

「じゃあ、もう美和子に連絡してくるな。」

「お前にそんなことを言われる筋合いはない。なあ、中倉、美和子はどうなんだ?俺のこと、嫌いになったのか、聞いてくれ。」

「お前のこと、嫌いになんてなるはずないだろう。」

「えっ?」

「お前は卑怯だ。いつまで、美和子の中に居続けるつもりだ。」

「は?意味がわからねえ。」

「あのな、いい加減、もう気付いてくれ。」

「何を?」

「お前、もう死んでるんだ。」

中倉は何を言ってるんだ。

意味がわからない。

「お前、もう三年前に死んでるんだよ。会社で過労死したんだよ。」

急に目の前の車窓が遠くに見える。

「な、何をバカな。」

ああ、これは車窓ではない。

目の前の窓は、オフィスの窓。

その窓の向こうに、机に突っ伏した俺の姿が見えた。

微動だにせず、ただただデスクの光だけが、艶の失せた髪の毛と血の気のない頬を照らしている。

あれは、まぎれもない。

俺だ。

「つぎは~、きさらぎ~終点、きさらぎ~。」

突然オフィスの窓は、車窓に戻った。

遠くで彼女の泣き声がする。

俺は、虚ろな目で、携帯電話を耳につけると、俺の目の前に座っていたサラリーマンらしき男が憐憫の目で俺を見上げた。

「中倉、彼女を幸せにしてやってくれ。」

「終点、きさらぎです。お忘れ物のございませんよう、ご用意願います。」

俺は、携帯電話を、座席に置くと、立ち上がりきさらぎ駅のホームへと降り立った。

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