語り手 緒形くん 32歳
会社員
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これは大学時代の話なんだが。
実家があまり裕福ではなかった俺は、授業料は奨学金で家賃のみ仕送りしてもらって、生活費は自分のバイト代で賄っていた。
当然、当時住んでたアパートも格安のボロ物件だったが、昼間は学校・夜はバイトで寝に帰るだけの生活だったから、特に支障は無かった。
そんな生活に慣れた頃、事件は起きた。
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俺の部屋には入居した時から、前の住人が置いていったという丸い筒のゴミ箱があって、有り難く室内用として使わせて貰ってたんだ。
先にも言ったが、寝に帰るだけの部屋だ。
飯もバイト先の賄いで済ます事が多い為、殆どゴミが出ない。
一番多いだろう缶やペットボトルは、専用のゴミ袋に纏めてたしな。
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それであの朝、バイトの休みにちょっと自炊したもんだから、ごみをまとめて捨てようと、筒のゴミ箱の中身も生ごみの袋にひっくり返した。
そうしたらそのゴミ箱から長い髪が何本かと、色の着いた爪がパラパラと出てきたんだ。
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当時の俺、忙し過ぎて彼女なんかいない。
ましてや、俺ん家で爪を切る女なんて心あたり皆無だ。
だから最初、意味が分からなくて出てきた爪をしげしげと見詰めてしまった。
爪の切り口が明らかにおかしい。
不揃いだし、爪切りで切ったにしては、ガタガタしている。
…ああ、これは歯で噛み切ったんだな…
と納得した途端、ちょうど顔を上げた先の押入れに目が向いた。
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押入れが開いている。
万年床だし、持ち物も少ないから、何も入っていないはずだった。
けどその時は2段になった押入れの、上の段に横向きの女が立っていたんだ。
2段に別れた押入れだぞ?
子供ならともかく、大人が真っ直ぐ立ってるわけない。
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そう思った瞬間、女の上半身がぐにゃりと曲がって、逆さまになった女の顔と対面してしまった。
立ったまま腰から前屈して、顔が足にべったりくっ付いている。
その体勢で顔をこっちに向けているんだが、口は三日月みたいにヒン剥いた笑み、両目は見開いて俺を凝視。
はっきり言って、めちゃくちゃ怖かった。
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ありったけの金切り声上げて玄関から飛び出すと、俺の絶叫にビビった2つ隣の土木のおっさんが飛び出して来たんで、助けを求めた。
「何だ!?どうした?!」
とパニくるおっさんと、
「爪が、女が、笑顔が、髪が!!」
とパニくる俺。
全く意味が分からないおっさんが、静止も聞かずに俺の部屋を覗きに行き、ムーンウォークみたいに後退りで出てきた。
部屋の扉を閉めると、俺の所まで戻ってきて、真っ青な顔で、
「大家に電話だ…」
と呟いて自分で電話してた。
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電話で大家にすぐ来る様にと、何か人の名前を伝えるおっさん。
通話を終えた後、俺に向かって震える声で、説明してくれた。
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おっさん曰く、
「あれは…大家の娘だ。」
という。
このアパートの大家には娘がいて、8年付き合っていた彼氏を大家に頼み込んでこのアパートに住まわせていたらしい。
当然、大家家族はその彼氏が娘と結婚するものだと思っていた。
だから男から家賃も貰ってなかったらしい。
しかし男は、他の女と夜逃げ同然に蒸発。
そこから娘が壊れた。
大家の家の金庫から、スペアキーを持ち出して、当時彼氏が住んでいた空き部屋に入り込み、1日中ぼんやりと座っている様になったそうだ。
娘を見掛ける度におっさん達アパートの住人が、大家に通報して大家夫妻が迎えに来る。
すると娘は押入れに逃げ込んで、彼の帰りを待つんだと泣きわめいていたらしい。
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…まぁ…お察しの通り、それが俺の部屋なんだが。
冷たいかもしれないが、そこまで聞いて腹が立った。
いくら家賃が安いと言えど、管理が甘過ぎる。
てか、自分の娘が不法侵入する部屋なんか、人に貸すなよ。
「…これって、不法侵入ですよね?警察呼んでも良いですよね?」
と訴えると、おっさんは静かに首を横に振る。
「……止めとけ…大家の娘はとっくに死んでる…」
娘、自宅で首釣って死んでた。
…じゃあ今、俺の部屋にいる奴は何なんだ…?
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口をパクパクさせて、おっさんを見ると青い顔のまま、煙草を差し出してきた。
無言で受け取る俺。
おっさんの部屋の前で、2人で煙草を吹かして大家の到着を待った。
暫くして、大家が夫妻でやってきた。
俺が一番怖かったのは、この時。
俺達の前まで来た大家夫妻が、申し訳なさそうな作り笑いで言った、この一言。
『すいませんねぇ…家の娘がご迷惑おかけして…』
まるで、娘の死がなかった事の様に、俺の部屋を開けて『帰ろう』と声を掛ける姿を見て、俺は引っ越しを決意した。
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第2話 了
作者怪談師Lv.1
長い駄文にお付き合い頂き、有難うございます。
たまにはこんな普通の怪談も。